2002年07月12日(金) |
「幻影の構成」眉村卓著 1966早川書房 |
相変わらず買ったものに初期不良?が続いているオヤジです。 何か憑いているんでしょうか・・・なーんて思ってたら、まぁ、カメラ以外は私の勘違いや知識不足などが原因でした。 まさに妄想が構成されちゃったわけですね。
さ、夏真っ盛りですが皆さんいかがお過ごしでしょうか。 あまりに暑いと色んなものが見えてきません? 暑くも寒くもない、気候も人の行動も完全に管理された未来都市、時は2020年、そこで暮らす人々には色んなモノが見えたり見えなかったりするお話が今回のSF小説です。 私がこれを読んだのは高校二年の時です。ええ、遥か時空を越えた過去の出来事ですが・・・。そっちの方がSFっぽい? これを授業中に読んでいて、都留文科大出の若い先生に怒られたことを今でもはっきりと覚えてます。 そして、この本がきっかけで私は「ヒトノココロ」に興味を持ったことを告白しちゃいます。十代に影響を受けた本というやつですね。
イミジェックスという情報管理システムが都市の隅々まで行き渡り、人々は全ての行動をヘッドセットでイミジェックスに質問しながら(会話しながらではなく)暮らしています。完璧な平和が訪れたかかに見える2020年、ある人物がその危険と矛盾に気がつきます。自由で自律的で強い個人を全ての人々に取り戻そうと一人戦うのですが・・・。(ストーリーはうろ覚えです、すんません)
イミジェックスによる「幻影」を説明するのはとても難しいので、少し話は変わりますけど、例え話を。 ハナミノカサゴという魚がいます。 ええ、幻でもなんでもなく(多分・・・)、図鑑にも載ってますし、私はシュノーケリングをしますのでこの魚には何度も出会ってます。写りは良くないですけど、写真もサイトにあります。 ところがどっこいしょ。 私の友人のカノジョさんの友人(ああ、ややこしい・・・)は「そんな魚はこの世にはいない」と言い切ったそうで。「ホントなら今ごろ世界中で大騒ぎだ」とか「その人(私のことですね)に騙されてるんだよ」とか言われたそうで。その友人のカノジョに頼まれて、先だって写真を渡しました。 ただ・・・「『これはCGだよ』とか言われたら一緒だよ」とは言いました。幻影の構成は、それほど強いものだったりします。 こうした話は白黒つけやすいので笑い話にもなりますし、別にこだわる程の話でもないかもしれません。
でも・・・。 恋愛だったら? 生きたハナミノカサゴを目の前に差し出すという「証明」が出来るわけでもなく、とてもヤヤコシイことになりますね。 源氏鶏太という作家が「男は女に虹をかける」という名言を残してます。確かに恋愛感情そのものが「幻影」だということになるんでしょう。 昔々私がまだ19だった頃、4つ年上のお姉さんを好きになりまして、必死で口説いてたんです。その時にこの話をしたら「あなたは私に虹をかけている」とちゃっかり言われたんですね。 いえいえとんでもない。 20年経った今でも、あなたが素敵な女性だったという確信は揺らいでませんよ。最早恋はしてませんけど、それでもやはり、あなたが素敵な女性であることに変わりはありません。
「十四や十五の娘でもあるまいに 繰り返す嘘が何故見抜けないの 約束はいつも成り行きと知りながら 何故あいつだけは別だといえるの」
中島みゆき御大が実に見事に幻影を歌にしちゃってくれてますね。 あいつだけは別なんだよ、別なものは別なんだっ!! そんな感情は確かにあります。 これを幻影と言わずして何と言いましょうか。 「どうしてあんな奴を好きになったのか」これはよく聞きますね。 偶然か神のいたずらか、私は恋が冷めてもそう感じたことは一度も無かったりします。ま、一生幻影から覚めない奴もいるということでしょう。(笑) 今まで恋をしてきた相手に対して、結果としていつまでも「素敵な女性」だと言える私は、かなりメデタイというか幸福な人間なんでしょう。 ええ、伊達に恋愛至上主義を標榜しているわけではありません・・・。
ただ・・・幻影を見た自分を許せないがために、恋愛そのものを肯定していくような人間にはなりたくないものです。
イミジェックスに管理された都市で暮らす人間は、目の前に「死体」などを置かれても、それを「見る」ことが出来ません。 生きたハナミノカサゴを目の前に差し出されても「よく出来た作り物」としか感じないというだけでなく、そのうちに「何も居ないじゃない」という状態に陥っていくわけです。 「ある人」にとって非日常のブツは、最早そうした人間の網膜にもニューロンにも(正確には「意識」ですね)辿り着くことさえなくなります。そう、ヒトという生き物はそうした確信を持てる生き物です。 普段の生活の中では、それはとても便利なものでもあるんですが・・・。
はてさて、私は「ハナミノカサゴがいる世界」で暮らせることを楽しいことだと感じていますけど「ハナミノカサゴがいない世界」で暮らしている人々よりも幸せなのか?正しいのか?眼がよく見えるのか? そんなことは誰にも決められることじゃないですよね。 何が幸せで何が幸せでないのか、それは自分で決めるしかないわけです。 人と比べたり、人に聞いたりするもんじゃありません。 常に私が私の意志で選択していくしかないのでしょう。 (選択制夫婦別姓問題のように「選択しないことが小さな幸せ」であることもありますけど・・・) 禍福はあざなえる縄のごとし、とはよく言ったもんです。 いや・・・幸不幸を「感じない」人生が一番かも。
うーん、一体いつまでオヤジの思い出話が続くのか・・・。 そろそろサイバーパンクでも語りたいです。 えっ?サイバーパンクももう古いって?
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