2002年07月19日(金) |
オヤジたちの熱い海。ーーーすもぐりゃー誕生編ーーー |
ええと、オヤジですが海が好きです。 ついでに言うとバツイチ独身ですけど海が好きです。
とある蒸し暑い夏の夜、ふらふらと遊びに行っていた友人宅で、いきなりその一族に拉致され、船でしか渡れない南の島の大自然にいきなり放り込まれて以来、海の虜になりました。 あれは19の夏でした・・・。(遠い目)
上は還暦を過ぎたお婆ちゃんから、下は三才の幼稚園前の子供まで、車数台を連ねての「キャンプ」です。 深夜にこちらを出発し、夜明けに某漁港に到着。話をつけてある漁船に乗り込んで海上を30分ほど移動します。 その時の荷物たるや・・・。 一族で十数人の移動だったと思うんですが、多分、4トントラック一杯分くらいの「荷物」があったと思います。大きな漁船に総出で1時間近くは大汗をかいて運んだでしょうか。 現地の砂浜にはその大きな漁船では水深が浅くて接岸出来ませんから、船外機付きの小舟で何度も荷物を運びました・・・。 正直、あまりの荷物の多さに「一体これは中に何が入っているのだろう・・・」と悩んだものです。 その参加が決まった夜「一緒に来るならまず仕事してもらおうか。トラックのホロを洗っておけや」ということで、10トントラックの上にかぶさるあの「幌」を若者だけで洗いました。 それが何に使われるのかは「行けばわかる」とだけ言われて。
現地の砂浜に到着したら、まずはテントの設営です。 そ〜〜なんです。 あのホロはメインダイニングとなるテントなわけです。 骨組みは? ええ・・・その砂浜は崖を背にしてるんですが・・・その崖から何本か大きな木を伐りだしてきて骨組みにするんですね。 若者(当時は私も若者)とオヤジたちで、今思えばかなり危険な「伐りだし」をやりました。(笑) 子供たちは「土のう」に砂を詰めています・・・。意味はわかりますね? その幌は崖の二点に固定されたロープを経て、先程伐りだした三本の大木で海側を支えます。大木は子供たちが詰めた土のう数十個で固定されています。 なんとっ、到着2時間で天井が3mもある、10トントラックの荷台のスペースと同じオープンテントの出来上がりです。すごすぎ・・・。 すこしはキャンプ用品とかいうものを使ったら如何でしょう・・・。
女たちによって、そのテントの下に「家庭」が再現されていました。 ええと・・・どうして畳があるんでしょう?(笑) 「わしゃあ、畳じゃないと眠れないからなぁ」という方2名。 そ、そのちゃぶ台はゆうべまで友人宅にあったものでは・・・。 あう! そ、そのテレビは何ですかっ。 アンテナ持って崖を上がれって、何言ってんですかっ。 ええ・・・上がりましたよ・・・。 「水戸黄門を見ないと眠れない」方が一名いらっしゃいましたので。 鍋も釜も、全て日常使っているそのままをそっくり移動してきたわけですね。 「はい、Fちゃんはこれね」とか言われて、ちゃんとした塗りの箸を渡されました。ええと、割りばしで充分なんですけど? ここまで来て瀬戸物の茶碗使いますかっ! 移動中、割れたらどうするんですかっ。 大体・・・重いじゃないですかっ。 発電機で炊飯ジャーでご飯て、すごすぎです・・・。 プロパンのボンベは見えてましたから・・・説明は聞きたくないです。
なんとかテントを設営して腹ごしらえをした後「よし、自由時間」というキャンプリーダーの「御言葉」によって、若者たちは海の中に消えていきました。 をいをい・・・消えるなよ・・・。 こ、これでも水泳部ではオリンピックも夢じゃないと言われた男です。 気合いと根性だけは・・・。 「アムロ行きま〜〜〜す」と、私も海に消えようと思ったんですが。 さすが大自然、ものすごーく怖いです。きゃはははは。 今でも怖いです・・・。 まさに「太平洋ひとりぼっち」状態。
大きな漁船から小さな小舟に荷物を移動させて砂浜まで運んでいる最中、腰まで水につかって小舟を待っていると、水の透明度がものすごいことに気がつきました。 ふと50mほど沖にいる漁船を見ると、完全に船底まで見えているんです。それどころか、光線の加減によっては、海底まで見えるんですね。 その大きな漁船が、空中に浮いているように見えました。 疲労ゆえの見間違いでもなんでもなく(笑)船は空と海の真ん中に浮いていたんです。 あの光景だけは一生忘れられません。
そんな海へ三点セット(マスク、フィン、シュノーケル)で砂浜から沖へ泳ぎだすと、遠浅の海底が、どこまでもくっきりと見えます。 真っ白な砂浜が、どこまでもどこまでも広がっているように見えました。 小学生が多かったと思うんですけど、ガキ軍団は砂浜左端の岩場に沿って、どんどん沖へと泳いでいきます。 手にはモリを持って。 男ですから、負けてられません。 岩場の複雑な地形ですから、海流も叉複雑に流れます。 岩がある場所は、水深も浅く1mから数m、でも、その岩場の向こう側には深さ20mはある海底が広がっているわけです。 当時は深い方が安全だなんて知りもしませんから、吸い込まれそうな深場が怖くて、ついつい浅い岩場の中に入り込んでしまうんですね。 そうです・・・波に押されて岩に体を何度もこすりました。 その傷を見てメンバーのオヤジが一言。 「素人はこれだからな」
高所恐怖症の方は、透明度の高い海は危険です。 ビル数階分の高みから海底を見下ろすわけですから・・・。 まぁ・・・ちびっても大丈夫ですけど・・・。
その海の豊饒なこと! 私の手のひら二つ分くらいのワタリガニがあちこちの岩の下に居ます。 ウニをモリでぐさぐさぐさっとつぶすと、小魚がわらわらと・・・。 イソギンチャクが魚を食べているシーンを初めて見ました。 タコって、あんな風に泳ぐんですね。 当時は魚の名前なんて知りませんでしたけど、釣り師垂涎の魚が山のように居ました。絵の具をぶちまけたようなカラフルな魚の大群をあんな間近で見たのも初めてでした。 夕方の宴会はご想像の通り、素晴らしいものでした。 ええと・・・カラオケの装置を見ても、もうその頃には驚きませんでしたよ・・・。 若者が海水浴?を楽しんでいる間に、沖に漁船で出ていたオヤジたちが釣ってきたボラ、カワハギ、アジ、サバ等の薄造りが、鍋一杯に入れられた氷の上に、出来たそばから投げ入れられます。その包丁さばき・・・一体何者? お寿司通の方ならご存知でしょうけど、旬?のボラは「鯛」だと言ってもわからないくらい美味しいです。
でかいタコの姿焼き。子供たちが網の上から逃げないようにモリでつつきつつ「けけけ」とか笑いながら焼いてました・・・。 をを、初めてキャンプらしいものを見た気がする「炭火焼き」ですけど、それも伐りだした木を豪快に燃やした、その熾火なんですね・・・。 カニも小魚もみーんな焼かれてます。 やたら大きな発泡スチロールの中には、氷と一緒にジュースやらビールやらが大量に・・・。海の家でも始めるんですか・・・。 氷って、あの荷物の中に入っていたものですよね・・・。 重いですよね・・・。 いや、幸せなんでよしとしますか。
私がこのしゃあない人生の中で出会った「旨いものベスト3」の一つが、ここで食べた「ボラのヘソの塩焼き」です。 たまんないです。20年の歳月を越えて、今でもりあるにあの味が蘇ってきます。こりこりっとした食感に、淡泊だけれども「海の豊饒さ」を思わせるジューシーなお味でした・・・。
酒の飲める男(当時はかなりイケました。年齢?時効です時効)だけで車座になって、鍋一杯の刺し身やら数々の焼き物で、その夜はやたら盛り上がったことはいうまでもありません。 「Fちゃんがさぁ、やたらびびってんの〜」 き、きさま、、、小学生が酒飲んで遥か年長の私をタメ口で肴にしていいと思ってるのかっ。 酔ってない時も老若男女問わず、全員が全員にタメ口な一族でしたけど・・・。 全員が全員を名前で呼ぶものだから、誰が誰の子供なのか親なのか、どういう従姉妹なのか、最後までさっぱりわかりませんでした。
明け方、ごそごそと私の横でみそ汁を作り出すお婆ちゃん。 マッチ一本で炭を熾すその手際は見事の一言。 ええと、プロパンはどうしたんでしょう? 「最近の嫁は姑よりも遅く起きられてええねえ」 慌ててみそ汁作りに参加しだした若いお姉さんがきっと「嫁」なんでしょうけど・・・。 ええと・・・、嫁いびりも、あの重い家財道具と一緒に運ばれてきたんですね・・・。
つづかず。
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