今日は、母の日でしたね。 全国の、お母さま、日々お疲れ様です。
うちは、毎年、旦那のお母さん&自分のまま母に、花キューピットを贈っていたのですが 今年は、私の精神面での事情もあって、ぼけっとしているうちに、母の日が来てしまって、結局、プレゼントは贈らずじまいでした。。
しかし、夕方、うちの祖母から電話があって 「春菜!あんた、ちゃんとKさん(母)に母の日のプレゼントを用意せなあかんで。」と言われた・・・ 祖母は、母に対して、ものすごくものすごくものすごく気を使っている、というか、恐れています。そして、私にも、親孝行の娘になることを強要してきまつ。。。 全て、母のご機嫌取りのためでしょう。
フッ(鼻で笑う) といっても、祖母よ、アンタ、父と母が再婚するとき、 母が同和地区出身だとかどーとかいう、どう考えてもどうでもいいようなことで反対して 毎晩、父と泣きながら喧嘩してたじゃぁない? っていうか、最初は母を見下してたんでしょ? それに、ご近所様に何を言われるか心配でたまらなかったんでしょう?
でも、結婚が決まったとたんに何故か下僕と化して、 父と2人で暮らしたいという母の意見を受け入れて 家を建てるための土地をただでくれてやったり 畑で取れた野菜を必死で持っていったり・・ 必死だよね。
そんで、私を引き取って、時代錯誤のしつけで散々、アタシをいじめたよね? でも、それは全部私のためなのよね? 感謝しないといけないよね?
アナタの大切にする「世間体」というやつのためにも 私は旦那と幸せに暮らさないといけないんだよね。 出戻るぐらいなら、死んだほうがいいんでしょ? 近所のヒトから「ほら、やっぱりあの子はね。」といわれるのが怖いんでしょう? 事あるごとに、「旦那さんとはうまくやってんやろうね?ちゃんと言うこと聞かなあかんのやで。女は従うんやで。嫌われたらあかんで。」と電話で探り入れまくりじゃないですか。 もう、うっとうしいんじゃぁぁぁぁぁ!!!!!!
「世間体」あなたにとっては、一番大切なことなんですよね。 小さい頃から「”おばぁちゃんに育てられたからあんな子になったんだ”と人から言われるような人間にはなるな。恥ずかしい思いをするのはおばぁちゃんなんやで。」と散々聞かされた。 何も知らない子どものときは、それが「本当の愛情」だと思ってたよ。
そして「将来は、医者か弁護士になりなさい。」はぁ?・・っていうか、絶対無理。
小学校、中学校のときは、テストで90点以下取ると恐ろしい目にあってた。 怖くて家に帰れない日もあったよ。でも、帰らないと、ますます怒るんだよね。まぁ、当たり前か。 で、必ず「○○ちゃんは何点だったの?」と聞く。そんなのどうでもいいやん! でも、それに従うしかなくて、何時の間にか、私は、「点取り虫」と言われて、友人たちからいじめを受けるようになったよ。
で、高校で成績落ちて、自分なりにいろいろ将来の夢考えて、福祉の専門学校に行くといったら、 「4年生の大学以外は進学させない!そんな恥ずかしい学校行くぐらいなら、農業手伝え!」 「老人のシシババ(尿&便)の世話するような勉強なんて・・」と。 で、仕方なく、福祉系の大学へなんとか進学して、いざ、国家資格を取ったら、急に”福祉マンセー”になって。。意味わからん(++;
昔から、「万引きなんかしたら殺すから。」「結婚前に男とセクスしたりしたら殺すから。」「あの子たち(不良)とつきあったら殺すから。」って、脅しをかけて、特に、性的なことは、異常なほどこだわって、露骨に聞いてきたね。私の身体触って、意味わかんねーけどなんか確かめようとしたね。セクハラじゃん。
高校のとき、進学校でオチこぼれ、友達が1人もいなくて、心がボロボロになって、不登校になりかけた私に、包丁つきつけて「そんな情けない子になるぐらいなら、一緒に死のう」と泣いていたあなたの醜い顔は一生忘れません。 私に蹴りを入れてきた足の短さも忘れません。 制服を燃やそうとされたことも忘れません。
でも、あなたも、何時の間にか、「おばあさん」になってしまったね。。
残念ながら、私は、アナタの思うような人間にはなれませんでした。 俗にいう、既知害です。基地外です。 ごめんなさい。 こんな人間でごめんなさい。 そして、実家とアナタたちの大切な土地を、父のあとに受け継ぐ義務を無視してお嫁にいって、ごめんなさい。
アナタには、中学の校長先生という”立派”な職業に就いてる、息子さん(うちの父)がいるでしょう? それが自慢のタネでしょう? それで充分でしょ? あ、でも、その息子さんを、母に取られてくやしいんだよね。 かわいそうだね。 お母さん、気が強いヒトで、頭があがらないんだよね。
あぁ、母の日なのに、何故か、祖母の話になった。。 でも、私の母は、実質、祖母ですから。
父と母が再婚したのは、私が10歳のとき。 再婚と同時に、私の住む家から父が消えた。
ホントの母が私を捨てたのは私が1歳になるかならないかのとき。 私には物心つく前から、母というものがいなかったので特に母親がいなくて寂しいという感情はなかったです。むしろ、「お母さん」がいつも家にいるような家庭が不思議に見えた。
でも、困るのは、保育所や小学校低学年のときに、母の日の似顔絵を描かされること。 先生は「あ・・、春菜ちゃんは、おばぁちゃんの絵を描く?」とおそるおそる聞いてきたけど、そんなに気を使われると、こっちも気を使うじゃない? どう反応していいかわかんなかったから、無邪気なふりして「はい。私のお母さんは、おばぁちゃんです☆」なんて笑顔で言ってたよ。 で、おばあちゃんをわざわざ若く綺麗に描いて 「はい、母の日の似顔絵だよ♪」と祖母に渡す小さな私。 こころの底ではくだらねぇ!と思ってる。 ホントに怖い子だったよ。私は。
まぁ、いいんだ。昔のことは。 今はもう、大人なんだから、小さいことで騒ぎはしねぇよ。
あぁ、そんなことより、旦那のお母さんに何も贈らなかったのが申し訳なかったかな。 明日、電話だけでも入れとこうっ。
あーーーーーーー。 ホントの母のことについても、書きたいことが山ほどあるけど あまり長々書いても、読んでくれるヒトが飽きちゃうと思うので 今度にします。
あ、そういや、ホントのお母さんは、私が結婚したことすら知らずに生きてるんだよな。まぁ、どうでもいいけど。
今日は、ハルシオンを飲んで、ラリラリ状態の真夜中に日記を書いたので かなり見苦しい点が多いと思いますが・・・・・
ごめんなさいなのです。
本来、ステキな日のはずの母の日に、こんな日記でごめんなさい。
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