たそがれまで
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2002年10月06日(日) 母のこと 10




その病院での主治医のドクターは推定年齢70才。
白衣を着ていなければ、患者さんと見間違うほどである。
おそらく母より年上だっただろう。
それも私を不安にさせた理由の一つだ。

いくつかの病室を通り過ぎ、母の部屋へ着くまでには
嫌でも何人もの抑制された患者さんを見る。
仕方が無いのだ、仕方が無い。
その度に自分にそう言い聞かす。

今のところ、母は大人しくしているけれど
いつ、又、前のように大声を出したり、拭くを脱いだりするかもしれない。
その時は容赦なく抑制を受け、脱げない服を着せられるだろう。
その時の為に、自分に言い聞かす。

仕方が無いのだ。仕方が無い。





その時は案外早くやって来た。
自分の手ではちょっとやそっとじゃ脱げない服を着せられた。
どうもおむつを自分で外したらしい・・・

そう、仕方が無いのだ。

私は付き添ってあげることは出来ない。
だから抑制も、抑制服も文句は言えない。
それが当たり前の場所なのだ。
まるで、ここは、収容所のようだ・・・


私はできるだけ食事の時間に合わせて病院を訪ねた。
食欲だけは旺盛な母の口に、スプーンで食事を入れてあげる。
前の病院ではなんとか自分で出来ていたのに、
転院してからはさっぱりできなくなってしまった。
看護助手の方が食べさせて下さるのだが、担当は一部屋に一人であるから
なかなか思うように食べられなくて、癇癪を起こす母。
私が居ればゆっくりでも、完食させてあげることが出来る。

母は食事が好き。
いや、それしか楽しみなんてない。
テレビも見られない。ラジオもなかなか聴くことができない。
食べる他に何の楽しみがあると云うのか・・・
その食事さえ・・・


「文句があるなら自宅で看護すればいい。」

黄色の白衣を着たナースの背中からは、そんなオーラが出ている気がした。

被害妄想なんだろう・・
きっとそうに違いない。
だって、空きベッドが何年待ちと云うくらいに
人気のある場所なんだから
きっと被害妄想だろう。




壁に貼られていた、院内のお楽しみイベントの張り紙を
なんだか空々しく感じてしまう私が居た。
これは誰の為のイベントなの?
家族を含め看護している側の、自己満足の塊のようで・・

そんなふうにしか受け取れない、自分がとても嫌だった。


東風 |MAILHomePage

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