たそがれまで
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2002年10月08日(火) 母のこと 12



近所の総合病院で、人工骨頭を抜く手術を受けた。
くしくもこの病院は、骨折した時に救急車で運ばれて
人工骨頭を入れた病院でもあった。

親戚が何人も入院したことがある病院でもあり、母自身も3度目の入院。
勝手はすべてわかっている。
黄色の白衣を着たナースと一緒に、総合病院の門をくぐった。

余談だが、やはり黄色の白衣はとっても目立った。
外来の患者さん達が、いちおうに彼女を振り返っていたもの。
嫌だったろうなぁ、今でも黄色の白衣なんだろうか・・・


ドクターと手術の打ち合わせをし、3日後に決まった。
糖尿病の血糖値や、腎機能にも配慮しながらゆっくりと看護計画が
立てられていた。

私は一人でジタバタしていた。
もしかして、この手術で全てが終わってしまうかもしれない。
そんな不安と闘っていた。



手術は一応成功だった。
ドクターは私の心配をよそに晴れ晴れした顔で説明をして下さった。
確かに、手術は成功だった。
だけど私の心配はこれからのことだった。
術後の経過、それが全てだった。

何事もなく1日が過ぎ、3日が過ぎ、1週間が過ぎ、
ベッドの柵に手を抑制されつつも、傷口は順調に快復していった。
だが術後2週間を過ぎた頃から、微熱が出た。

「きたか」と云うのが正直な感想だった。

あの時のように、ドクターに宣告を受けるのは耐えられない。
そんなふうに、私の思考は悪い方向にしか向かわない。
だが、母の微熱は2週間後には平熱に下がった。
一番ほっとしたのは、きっと私である筈だ。

病院では前にいたナースの方が母を覚えて下さっていて、
何かと私の身体まで気を使ってくれる。
そんな暖かさが嬉しくて、すぐに目頭が熱くなる。
母の長い入院生活で、私の涙腺までゆるくなってしまった。


不安ながらも、3ヶ月間何事も起こらずに入院生活が終了した。


施設の車と黄色い白衣のお迎え付きで、再び、老人医療施設へ向かった。
戻りたかったような、戻りたく無かったような、複雑な気持ち。

だけど母は黄色の白衣を着たナースを見て、ニッコリ笑った。
そうか、視力の低下した母でも、黄色ははっきりと認識できるのか。
だから、黄色なのか。老人医療の施設だからか・・・
そんなくだらないことが頭を過ぎった。

そうか、意味があったのか・・・  
センスとは違う次元の話しで良かった。



東風 |MAILHomePage

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