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母は最後の手術を受けてから、1年半後にこの世を去った。 それは手術のせいではなく、心配されていた腎機能が 著しく悪化したことが原因である。
それでも余命半年と宣告を受けてから、2年半が経っていた。 骨折し入院してから、4年以上が経っていた。
長い入院生活で、母も辛かったろうと思う。 どれだけ自宅へ戻りたかっただろうと思うと、 最期までの親不孝に心が痛む。
最期の日、「今晩がヤマのようです。泊まられますか?」との問いに 「はい」と答え一旦自宅へ戻った。 子供達を預けに行かなければならなかったのだ。 夕食を作る時間も惜しく、子供達と3人で外食をした。 近所に最近できた回転寿司のお店、息子のリクエストだった。
食べている途中で、病院から連絡が入る。 早く、早く、来た方がいい。
慌てて駆けつけてみると、母はまだ微かな寝息を立てていた。 私が到着して30分程すると、ベッド脇にある心電図が直線をたどった。 先日、ドクターに「積極的に延命をするなら、方法はあります。」と 言われていたのだが、伯母と相談して断っていたのだ。 こうなることは覚悟していた。 もう2年半も前から・・・
母は安らかに眠るように逝った。 最期は苦しまずに眠った。 私は一筋の涙がこぼれたけれど、それ以上は泣かなかった。
まだ暖かい母の頬を撫でながら 「これでやっと痛くなくなったね。良かったね。」と声をかけた。 心の底からそう思った。 居なくなった寂しさより、苦痛から解き放たれたことを喜んだ。
冷たい娘なのだろうか。 泣かない娘を見て、親戚は、ナースは、どう思ったのだろうか。 でも、私は正直にほっとした。 もう母の痛がる姿を見なくてもいい。 何もしてあげられない自分を責めずにすむ。
居なくなったことが寂しく感じるのは、 もっと時間が経ってからだと云うことが後になって解った。 嫌と云うほどに・・・
あれから、一度もあのお店に行けずにいる。 あの回転寿司のお店。 息子にいなり寿司のお皿を取ってあげた瞬間に 私の携帯が鳴ったから。
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