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人生の最後の4年間を、病院と云う空間で過ごした母。 それは母が望んだことじゃない。
娘である私が、看取ってあげることができなかったから。 だけどこの複雑な社会の中においては、よくある状況だと、 自分を正当化させてしまったけれど・・・。
自宅で息をひきとる方より、 病院でその命を終える方が圧倒的に多いと云う事実。、 この高齢化社会においては、致し方ないのかもしれない。
長い「医療」とのつき合いの中で思うことは、 病院と、その中で医療に携わる人と、 患者と、その家族の関係は 綺麗な正方形であってほしい。
患者が、その家族が、きちんと意見を伝えられる場所であってほしいし、 正しい情報を得られる場所であってほしい。 インフォードコンセントが叫ばれてはいるけれど、 母と私にしてみれば、それは事務的でしかなかったし 患者側の出す答えは全て下書きがしてあった気がする。
そして介護を行う場所には、人としての温もりが存在していて欲しい。 介護を受けるのも、介護をするのも血が通った人なのだから。 と思いつつ、患者側は『聖職』としての看護を期待してしまう。 ・・・・それは矛盾してますね。
長々と、「母のこと」を綴ってきたけれど、 どうしても誤解してほしくないことがある。
母は感謝していたし、 私も感謝をしていた。 毎日見るナースの方達の仕事は、とても忙しそうで、重労働で 本当に頭が下がる思いなのだ。
「やりがいがあるから頑張ってるんです。」と みかちゃんが言ってた事を思い出す。 だけど端から見ても、「やりがい」だけじゃ片付けられないほど 大変な労働であることがよく解る。 敢えてその中で仕事をされている全ての方へ 本当にお疲れさまです。そして、ありがとうございます。
母が長い闘病生活を余儀なくされたことは残念だけど その中で多くの事も学ばせてもらった。 「命」には限界があり、必ず尽きる日が来ると云うこと。 その日とどう向き合えるかは、毎日の積み重ねだと云うこと。
そして、小さい頃から祖母の闘病を目の当たりにしてきた子供達には 「弱者を助けたい」と云う小さな種が心に植わっている。
祖母にお茶を飲ませる為に、楽のみを取り合い 車椅子を押す為に、順番を決めるじゃんけんをし、 自然に腕を支えてあげて、自然に口を拭いてあげる。 まだ小さかったのに、立派に看護ができていた。
先日、親戚のお見舞いで病院を訪れた時 エレベーターの前で車椅子に乗って困っているお婆さんに代わり ボタンを押してあげていた息子を見た時、 ドアが開き、一生懸命ドアを押さえてあげていた娘を見た時、 祖母の闘病生活で得た優しい気持ちを再確認させられた。
「大きくなったら看護士になる。」っと、6才の息子は言っていた。 テキパキと仕事をこなす、男性の看護士さんがカッコ良かったらしい。 車椅子の押し方を優しく教えて下さったりもしたっけ。 例えそれが本当にならなくても、彼の心には「優しさ」と云う種が植え付けられた。 とても嬉しい。本当に嬉しい。
それは目の当たりにした看護士さん達の暖かさであり、 祖母である母が、孫へ伝えてくれた愛だと思う。
今でもたまに口にする。 「僕、看護士さんになろうかな」と・・・・
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