たそがれまで
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2002年12月08日(日) 12月の憂鬱 1




街がクリスマスのイルミネーションで彩られる12月は
心が浮き足立つ人が多いと思う

でも、私はそうじゃない。
12月はつらい。

母の命日がやってくる。そして、
自分を許す為の言い訳を探す作業が待っている。

ここでも何回か書いてきた職場を、
逃げ出したことを思い出させる。



私が勤めていた会社は、12月が一番の繁盛期だった。
それもクリスマスイブは戦場と化した。(そう書けば想像がつくかしら?)




その年の2月に店長の交代があり、同時に私は副店長に昇格した。
少ない社員の店舗では、社員同士の相性がとても重要になる。
決して店長と私がうまくいかなかったわけじゃない。
でも、人と人の狭間でクッションになるのに疲れてしまった。

仕事に対して、人と人との上下関係に、とても厳しかった店長は
アルバイトから恐れられ、次から次に辞めていく。
新しく入ったバイトがやっと仕事を覚えてくれたと安堵した時、
店長に怒鳴られて次の日には出勤しない。そんな事はざらだった。

その怒鳴り方は、確かに恐怖感を植え付けるのに充分だった。
私自身何度も怒鳴られ、恐怖に身体が震えたほどだ。
だけど、プライベートではとても優しい人だった。
正義感の強い、男気のある人だった。

店長と社員、そしてバイトとの潤滑油になるのは私だと思っていた。
店長の優しさ、厳しさ、人間性を下に伝える。
そうすれば滑らかに店舗運営ができる。


だけど二十歳そこそこの私に、その役目は重すぎた。
どんどん辞めていくアルバイト、社員からも脱落者が出た。
少ない人員での店舗運営に、通し(8:00〜0:00)でのシフトもざらだった。
そんな状態なのに、どんどん12月が近づいていた。

11月のある土曜日、早番の私はいつものように仕事をしていた。
当時の土曜日は、学校が休みではなかったから学生アルバイトも少ない土曜日。
厨房には古株のバイト1名(何度か掲示板にも登場してくれていたりする)、
カウンターにはバイトを初めて1週間の女性1名と私。
午後2時まで堪えれば増員という強行シフト。

なのにそんな少人数の日に限って、お昼のラッシュは想像を超えた。
次から次へと商品が切れ、こなしてもこなしてもお客様はやって来た。
お客様一人当たり、1分30秒がマニュアルでの制限時間である。
二人待ちなら3分、三人待ちなら4分30秒。
だけどマニュアル通りになんていかない。こちらの体勢が整っていないのだから。

どんどん重ねられていく伝票、ウェイティングがかかる商品、
フライヤーとカウンターとパッキングテーブル(商品詰め用のテーブル)を
右往左往しながらふと顔を上げると、外が見えなかった。
全てがガラス張りの店舗なのに、外が見えない。
お客様が二重にも三重にもなっていて、外の景色を遮っていた。


足が震えた。
恥ずかしい話しだけれど、足がガタガタと震えだした。
店長に怒鳴られるより、より強い恐怖感に襲われた。

今でもその光景は忘れない。
お客様の冷たい視線が突き刺さる。
一人ではない。二人でも三人でもない。
その場に居たお客様全員の視線が、私に突き刺さっていた。
正直、その場から逃げたいと思った。
本当に逃げたかった。だけど逃げることはできなかった。


後から出勤した店長に、泣きながら報告した。
副店長としては失格だろう。だけど泣かずにはいられなかった。


それから1週間が経ち、また土曜日がやってきた。
私は午後からの出勤だったのだけれど、
店の駐車場まで行ったのだけれど、
とうとう店に入れなかった。
土曜日が恐怖だった。




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