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街がクリスマスのイルミネーションで彩られる12月は 心が浮き足立つ人が多いと思う
でも、私はそうじゃない。 12月はつらい。
母の命日がやってくる。そして、 自分を許す為の言い訳を探す作業が待っている。
ここでも何回か書いてきた職場を、 逃げ出したことを思い出させる。
私が勤めていた会社は、12月が一番の繁盛期だった。 それもクリスマスイブは戦場と化した。(そう書けば想像がつくかしら?)
その年の2月に店長の交代があり、同時に私は副店長に昇格した。 少ない社員の店舗では、社員同士の相性がとても重要になる。 決して店長と私がうまくいかなかったわけじゃない。 でも、人と人の狭間でクッションになるのに疲れてしまった。
仕事に対して、人と人との上下関係に、とても厳しかった店長は アルバイトから恐れられ、次から次に辞めていく。 新しく入ったバイトがやっと仕事を覚えてくれたと安堵した時、 店長に怒鳴られて次の日には出勤しない。そんな事はざらだった。
その怒鳴り方は、確かに恐怖感を植え付けるのに充分だった。 私自身何度も怒鳴られ、恐怖に身体が震えたほどだ。 だけど、プライベートではとても優しい人だった。 正義感の強い、男気のある人だった。
店長と社員、そしてバイトとの潤滑油になるのは私だと思っていた。 店長の優しさ、厳しさ、人間性を下に伝える。 そうすれば滑らかに店舗運営ができる。
だけど二十歳そこそこの私に、その役目は重すぎた。 どんどん辞めていくアルバイト、社員からも脱落者が出た。 少ない人員での店舗運営に、通し(8:00〜0:00)でのシフトもざらだった。 そんな状態なのに、どんどん12月が近づいていた。
11月のある土曜日、早番の私はいつものように仕事をしていた。 当時の土曜日は、学校が休みではなかったから学生アルバイトも少ない土曜日。 厨房には古株のバイト1名(何度か掲示板にも登場してくれていたりする)、 カウンターにはバイトを初めて1週間の女性1名と私。 午後2時まで堪えれば増員という強行シフト。
なのにそんな少人数の日に限って、お昼のラッシュは想像を超えた。 次から次へと商品が切れ、こなしてもこなしてもお客様はやって来た。 お客様一人当たり、1分30秒がマニュアルでの制限時間である。 二人待ちなら3分、三人待ちなら4分30秒。 だけどマニュアル通りになんていかない。こちらの体勢が整っていないのだから。
どんどん重ねられていく伝票、ウェイティングがかかる商品、 フライヤーとカウンターとパッキングテーブル(商品詰め用のテーブル)を 右往左往しながらふと顔を上げると、外が見えなかった。 全てがガラス張りの店舗なのに、外が見えない。 お客様が二重にも三重にもなっていて、外の景色を遮っていた。
足が震えた。 恥ずかしい話しだけれど、足がガタガタと震えだした。 店長に怒鳴られるより、より強い恐怖感に襲われた。
今でもその光景は忘れない。 お客様の冷たい視線が突き刺さる。 一人ではない。二人でも三人でもない。 その場に居たお客様全員の視線が、私に突き刺さっていた。 正直、その場から逃げたいと思った。 本当に逃げたかった。だけど逃げることはできなかった。
後から出勤した店長に、泣きながら報告した。 副店長としては失格だろう。だけど泣かずにはいられなかった。
それから1週間が経ち、また土曜日がやってきた。 私は午後からの出勤だったのだけれど、 店の駐車場まで行ったのだけれど、 とうとう店に入れなかった。 土曜日が恐怖だった。
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