DiaryINDEX|past|will
店に入ることができなかった私は、そのまま自宅へ戻った。 母に嘘の言い訳で欠勤の電話をしてもらった。
布団をかぶり泣いた。 人員が少ないことは承知している筈なのに、 出勤できなかった自分を責めた。 だけどそれ以上にあの時の恐怖感が蘇る。
どうしていいか分からなくなって、ただただ泣いて過ごした。 次の日もその次も、私は仮病で欠勤を続けた。
思いきって店長の自宅へ電話をして、今の自分の状態を伝えた。 店長の返事は「わかった」とだけ、 すぐ本部長から電話があった。
「辞めたい」と言う私に しばらく自宅休養をしてはどうかとの提案。そして、 少し落ち着いたら違う店舗若しくは、違う業種で勤務しても良いからと。
当時、私は社内で「希望のルーキー」と言われていた。 少ない女子社員とはいえ、その中でも昇格は早かった。 今考えれば、ただ単におだてられていただけの話しだけれど その時は本当に、女子社員のパイオニアになるつもりだった。
とにかく、答えは1週間後まで出さないと約束をして本部長との電話を切った。 1週間は「研修」という名の有給休暇で、休養に充てなさいとのことだった。
結局、1週間後に辞意を伝えた。 再び土曜日になると恐怖感に襲われたのだ。 「土曜日」が怖かったのか「お客様」が怖かったのか分からない。
でも私は逃げ出した。 責任を放り出して逃げた。逃げた。
今更どんなに偉そうな事を書いても、逃げたという事実は消えない。
仕事を辞めてほどなくした頃、アルバイトの口を見つけた。 それは同じ客商売ではあったけれど、暇を持てあます程の職場だった。 バイトをしながらいつも頭を過ぎったのは、逃げ出したあの職場のことで、 どんどん近づいていく街のクリスマスムードが、自分自身を責め立てた。
あんなに少ない人員で、繁盛期の12月を、 クリスマスをどう乗り切るのか。 教えきれなかったアルバイト達、 伝えきれなかった店長への感謝の気持ち
逃げたのだ。逃げたのだ。 アルバイトから 店長から その狭間での居心地の悪い空間から 仕事の重圧から 責任をすべて放り出して、逃げたのだ。
そして
本当ならあのイルミネーションの真ん中に居る筈だった自分。 戦場の最前線に立ち、皆を指揮する自分。 戦いが終わった後の充実感、それを全員で分け合う心地よさ。
自分から捨ててしまった物が、とてもキラキラ輝いて感じた。
いろんな事を考えて、自問自答して責め続けた。
その年のクリスマスイブのことは思い出したくもない。 でも忘れられずに10年以上がとっくに過ぎた。 今年もクリスマスソングが流れてくると、また思い出している自分が居る。
今でもクリスマスは苦手だ。 今でもまだ、言い訳を探している。 自分に非があることは分かっているのに、 それでも自分を許すための理由を・・・。
|