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早朝に我が家を発った姑から、夕方電話があった。 5日間の滞在の謝辞と、息子である我が夫の好物を送ったとの知らせ。 謝辞を言われるほどの親孝行はできずじまいで、恐縮すること然り。
ゆっくりして貰うつもりが、孫達にまとわりつかれ余計に疲れさせた気がする。 そう、孫。私の子供を孫と呼んで下さる。 子供は正直だから自分を可愛がってくれる人には、体中の力を抜いて甘える。 そして、そうさせて下さるお二人には感謝で頭が上がらない。
ふと、初めてお義母さんに逢った時のことを思い出した。 結婚の報告をしに、夫の実家へ行った時だ。 お伺いではなく、報告だった。
子連れの結婚を不安に思っていた私は、何度も夫に頼んだ。 反対されたら結婚はしない。だからまず、ご両親と相談してほしいと。 だけど夫は、「絶対に反対などされない」と強気で臨んだ。
そして、その理由が逢ってみて分かった。 一言でいえば「信頼」だった。 夫は絶対的な信頼を両親から得ていた。 息子が決めたことは、何があっても信じる。 そんな強い信頼関係が成り立つ親子だったのだ。
高校時代から下宿をし、親元を離れた夫は 自分のことはなんでもできたし、自分の事は自分で決めた。 その決定を黙って受け入れ、見守る父と母。
だから義母の内心までは計り知れないが、 私との再婚も、快く承諾して下さった。
二人っきりになった時、私は自分で確かめた。 子連れでも構わないですか。と・・・
義母は笑いながら 「安心したんだよ。 あの子が一度だけ親に心配させたのは、離婚した時なんだから。 早く誰かと再婚して欲しくて、いつもせかしてたくらい。 いっぺんに子供までできて、良かったと思ってるよ。
だからね、どうぞ死ぬまで連れ添ってやって下さい。 私達への孝行なんて考えなくていいから、 あの子のことを考えてやっていて下さい。 だからずっと一緒に居てやって・・・」
義母の言葉の最後は小さくて聞き取れないほどの声になった。 『連れ添う』という言葉がズシンと響いた。
ただの一度の親不孝 それは夫が離婚をして、一人ぼっちになったこと。 寂しい思いはさせたくないという親心。 それが『連れ添う』という言葉になったのだろう。
それから3ヶ月後、夫に転勤の辞令が下った。 ついて行くと言った私は、義母から何度もお礼を言われた。 でも、それが私なりの「連れ添う」という証だから お礼なんていらない。
連れ添うというのは、いつも一緒にいて お互いの顔が見える位置にいるということだと思っている。 話さなくてもその表情で、相手の意をくみ取れる距離。 それはお義母さん、あなたが教えてくれたこと。
お義母さんと、お義父さんを見ていればわかる。 長年連れ添った夫婦だからこその、あ・うんの呼吸
そして、あなた方が育てたように、我が子を育てられればと思う。 信頼で結ばれた親子関係が、とっても素敵に感じた5日間。
来て下さってありがとうございます。 本当に本当に楽しかったです。
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