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その人は、ドアを開けると熱いコーヒー缶を取り 無言で私の前に立つ。 私の動作にイラつく様子が手に取るようにわかる。
それが毎朝の出来事で、 「おはよう」なんて言葉は聞いたことがない。 それが私の上司。 私が勤める店のオーナーだ。
私だけかと思っていたが、皆、同じ思いをしているらしい。 その人が店に来るだけで、皆にピリピリした緊張が走る。 良い意味での緊張ならいいのだが、恐怖という名の緊張である。
店がオープンして2週間。 なんとか仕事にも慣れてきた。 だけど覚えることは山ほどあって、 まだまだ先が見えないほど遠い道がありそうだ。
オープン当日、私はオーナーに呼ばれて怒られた。 商品の並べ方が間違っている。と。 初めて聞く専門用語のオンパレードに 正直、何を怒られているのか分からなかった。 どうも管理温度の違う商品を同じ棚に並べていたということが 後になってようやく分かった。
すみません。 とは言ったものの、教えてもらっていない事はできないさ。 それに、あの棚は私が並べたのじゃないのだけれど、 管理温度に違いがあるということを教わったんだから良しとするか。
何分後かに、もう一度呼び止められた。 今度は別の人も一緒だった。 先入れ先出しが出来てない。 (先に製造した商品を、手前に並べて先に売るということ)
う〜ん。私は並べたつもりだけれど、並べ方が違っていたのか。 記号を見て並べろと言われたけれど、記号の意味も習ってなかった。 ただ自分の経験の中から、先入れ先出しを実行してただけで やった事ない人には、チンプンカンプンだよなぁ。
あの〜、記号の意味を教えて貰えますか?
オーナーの顔が一瞬で変わった。 無言で、俺に聞くなと言っていた。
それからも度々、そんな事があった。 別の人に指示されても分からないことがあって オーナーに聞きにいっても 「そんな事はしなくていい」と言われる。 じゃ〜どうすればいいのさ。
「わからないことは、なんでも聞いて下さい。 わからないままで適当に仕事をすると、後で大変な事になります。」 って言ったのは、あんただよ。 そう言った以上、聞いたことには答えが欲しいし、 何より聞きやすい雰囲気を作って頂きたいものだ。
先日、事件は起きた。 商品の並べ方が、また間違っていたようだ。 誰が並べたのかは分からないが、これは連帯責任ものだろうと思った。
「もう2週間も経ってます。 こんな事ができないようじゃ、商品に対する愛情が無いとしか思えない。 いい加減な仕事をされては迷惑です。」
その時にいた従業員を集められ、オーナーはそう捲し立てた。 とてもとても冷たい言い方で、とても冷たい表情だった。
ちょっと待ってよ。商品に愛情がないってそんな言い方はおかしい。 みんな一生懸命やっている。私語もせず、せっせと仕事をしている。 いい加減にしか教えていないのは、そっちであって みんな戸惑いながら仕事している。 間違いは間違いとして、きちんと受け止めたいけれど、 もう少しだけ言葉を選んでほしい。 そういうあんたからは従業員に対しての愛情がまったく感じられない。
心の中でそう思った。 事実、しっかりと仕事を教えてはもらってない。 それでもなんとか動けていたのは、自分の中の経験を呼び起こしていたから。 でもその経験が、どちらの気持ちもわかるだけに邪魔になる。
一緒に居た10代の女の子は、うっすらと涙を浮かべてた。 横に居た40代の主婦の人は、うつむいて肩が震えていた。 私は下を向きたくなかった。 意地でも下など向くものかと思った。 それでもオーナーの顔は見なかった。 自分で一番わかっている。 そんな時の私の顔は、親近者でさえ引くくらいに怖い顔をしている筈だ。
それから終業時刻まで、皆押し黙って仕事をした。 私を除いた二人は、お客様に笑顔になれる筈もなく うつむきがちな接客になる。当然と云えば当然か。
帰りに三人で少し話した。 そして、バックルームでの出来事をきいた。 怒られた後10代の子が、オーナー婦人からレジ締めの仕事を教わっていた時 それを見て、オーナーがこう言ったそうだ。
「初歩的な仕事もできないうちに、そんな仕事なんて教えるんじゃない。 そんなことをしているヒマがあったら、さっきの棚をやり直させろ」
本人の目の前で言うべき言葉だろうか。 その話しをしながら、彼女は大粒の涙をこぼした。 凹んだ。凹んだ。彼女も私も、そして、もう一人の主婦の人も。
その日の夜、彼女が掛け持ちでバイトしているスーパーに 顔を見に行ってみた。 昼間よりも、幾分明るい顔でレジに立っていた彼女に、少しだけほっとした。 遠くから手を振ると、気付いてニッコリ笑ってくれた。
「いろいろあるけどさ、頑張ろうね。」
それだけ言って帰って来た。 彼女にではなく、自分に言いたかった言葉だ。 辞めるのは簡単だけど、負けたくはない。 だけどそのうち、キレてくってかかりそうな自分がいることも否定はしない。
こんな従業員も嫌だろうな。とは思うけど。 私はオーナーの顔色を見ながらの仕事なんかしたくない。 お客様の顔を見て、お客様の為の仕事がしたい。 ただそれだけのことなのだ。
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