たそがれまで
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2003年04月28日(月) ボールを投げるなら・・




「人間関係」
こう書くと、なんとも重苦しく感じるのは私だけだろうか。
「人間関係」というよりも、人とのつき合い方というべきか・・


私にはある友人がいて、
彼は何事にも直球勝負である。
それは大変素晴らしいことだと思うのだけれど
問題はいつも全力投球なのだ。

例えば、仕事や趣味ならそれもいいだろう。でも
人間関係、特に恋愛に関して云えばそれはどうかと。
だからといって変化球で勝負しろとは思わない。
そんな小手先で愛を手に入れたって、すぐに失うのがオチである。
それに彼の持ち味は、なんといっても直球なのだ。

ストレートが持ち味の名ピッチャーは
緩急を織り交ぜてバッターと対峙する。
いつもいつも早い球を投げたって、相手は球の速さに慣れるだけだから。

彼の豪速球はいつも相手を傷つけるらしい。
それで彼は悩んでいる。

彼はキャッチャーがまだ用意できていないのに
豪速球のストレートを投げているんじゃないだろうか。
まだマスクを被る途中であったり、座り心地が悪く足場を固めている最中とか。
そんな時に豪速球が飛んできたら、身体で止めるしかないじゃないか。
球が当たれば青あざができるし、なによりしばらく痛むのだ。

それで「なんで受けてくれないんだ」と言われても
返す言葉なんてあるはずない。
「もうあなたの球は受けられない」
そう答えたくなって当然なのだ。



自分に自信のある人ほど、自分の力を誇示しようとして
相手の気持ちや心の揺れを、察する能力に欠けている。
相手が今、何を考えているか、
どう状態に置かれているか、
自分なりに察してほしい。

言葉にしなければ伝わらないと
ここでも随分書いてきた。
だけれども
伝える事が下手な人も
伝える手段を持たない人も
伝えたくない人もいる。
人は十人十色。

「自分がこれだけしているのだから、相手は満足しているだろう」
「自分のしている事は正しくて、相手が悪いから上手くいかない」
なんて思い上がりも甚だしい。そんなのは自分の思いこみでしかない。
そしてそう云う人に限って、そんな自分に酔っている。
自分が一番で、自分が大好き。
違うだろうか・・・


「自分を好きになろう」と云われている昨今。
裏を返せば自分のことを嫌っている人が多いのだ。
自己批判の上で自分を許すという行為を経た人は
その苦しみも喜びも知っている。
だから他人の苦しみも喜びも察してあげることができる。と思う。

だけど自己批判をした事もなく、
自分が一番で過ごしてきた人は
他人の気持ちに疎くなる。

強引に豪速球を投げ続けたって
相手はどんどん引いていく。
それは自分を傷つけない為の防衛手段でもあるのだから。
それを非難することなんて誰もできない。

相手がマスクを被ってなければ
立ったままのキャチボールでもいいじゃない。
腰を落として座れるようになれば
相手の力量に合わせた球の速さでいいじゃない。
決め球はここぞ!ってう時だけでいいような気がする。




相手の状態を把握して、受け止めやすい球を投げる。
決して青あざなんて作らせないように、細心の注意を払いながら。
それでも期せずして、青あざはできてしまうもの。
だから人間関係って難しい。
でも、だから、人間関係って面白い。

壁を相手にボールを投げるより、
誰かに向かってボールを投げる方が楽しい。




東風 |MAILHomePage

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