2007年05月31日(木)  泣きじゃくる 子を抱きしめて 我思う


『母子臨床と世代間伝達』

という本を今読んでいる。簡単に内容を言うと、赤ちゃんの持つ問題はお母さんとの間に原因があるということと、それが母から子へそして孫へと受け継がれてしまう。それを何組もの症例を挙げて具体的に説明している。結構専門的な内容だけど、素人にもわかるように簡単に説明されていてわかりやすい。

これを読んでいると、まなティが生まれてから今までに困ったこと、例えば、新生児の頃ぜんぜん泣き止んでくれなかったこととか、人見知りや母親への執着を示すのがちょっと遅かったこととか、そういうすべての原因に心当たりがあって、1ページ読むにも心にズドンとくるので、休み休みしか読めない。


今日のまなティは今までにないほど機嫌が悪くて、今風邪を引いているってのもあると思うけど、それにしても泣き方が尋常じゃない。さっきも横隔膜にくせがつくほどのけぞって泣いて、あっちの部屋に行くと言っては泣いて、戻ると言っては泣いて、抱っこと言っては泣いて、降りると言っては泣いていた。何か訴えることを探して泣いている風で、その材料はなんでもいいみたいだ。今は泣き疲れて寝てしまったが、ときどき寝ぼけて泣いている。

実は、2日前、私はまなティの目の前で母親と大喧嘩してしまったのだ。いけないいけないと思いつつ、理性が吹っ飛んで止められなかった。私が取り乱してるところを見せたことがなかったので、その場ではなんともないという顔をしていたまなティも、心の奥深くで傷を負ってしまったのかもしれない。それが今日になって出てきたんじゃないかと。


相方は考えすぎだというが、あの本を読んでいると、考えすぎとは思えなくなってくる。

子供というのは、その場では平気な顔をしていることが多くて、親は大丈夫だろうと高をくくってしまいがちだが、子供の小さな心はなんの防御もなく、ストレートにすべてを受け止め簡単に傷を負ってしまい、それがその場では出ずに、まったく違った形で突然表れるのだそうだ。人を噛むとか、便秘とか、痙攣とか、そういう本当に全く関係ないように見える形に発展することもあるらしい。

だからこそ、親は自分の行動を省みるきっかけを失う。そればかりか、人を噛んだ子供を頭ごなしに叱ってしまうだろう。そうやってドップリと悪循環に漬かってしまうのだろう。

特に3歳くらいまでの乳児は、親やほかの大人と自分の心の波長が合っている(これを情動調律というらしい)ことで安心感を得る。子供は大人の目を見て、その人の目だけでなく心までもが自分の方を向いているか、波長を合わせてくれているかまで見抜くのだそうだ。

だから、上っ面だけ取り繕っても無駄である。子供のことを思って子供の周囲の環境を整え、あらゆる機会を作ってやり、必要なものはすべて与えても、親の心がその子を向いていなければ何もならないのである。一生懸命な親ほど、「こんなにしてるのに、なんで?」と思うだろう。


そういうことを真剣に考えれば考えるほど、子育てに対する自信を喪失していく。それじゃあ子のためにはよくなかろう。しかし、自分の行動を省みることと、自信を持って子育てしていくことのバランスを取るのは本当に難しいと思う。

特にこの本には、親にちゃんと愛されなかった人は子供に同じことをやってしまう、というようなことが繰り返し書いてあり、その連鎖を断ち切ろうともがいている私のような人間には確かに勉強にはなるが、「じゃあ、どうすればいいんだ」という気になってくる。

確かに私も、この本に書いてあるように、泣いている我が子を見て、泣いても助けてもらえなかった子供の頃の孤独感を思い出す。そして、そんな気持ちを我が子には味わわせないように努める。しかし、この本を読むと、結局その連鎖を断ち切ることはできないのだ、という元も子もない気持ちになってくるのだ。


こんな思いつめたことを書いているが、日常の私は至って普通に生活しているのでご心配なきよう。ただ子を持って確かに言えるのは、かくも心の広範囲を占め、かくも真剣に取り組んだことが今までにあっただろうか、いやない、そしてこれからもないかもしれない、ということである。


つづく。


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・今日で5月ともおさらば。ウェルカム6月。

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