2007年06月06日(水)  意識して 心を添わせる 練習を


まなティ、ゴリラブーム到来。なぜか中腰で肘を張って「ドンドンドン」と言いながら胸を激しく叩いております。

そんなまなティのアレルギーその後。卵、乳製品を使わない料理生活にも慣れて、うっかりアレルギーだったことを忘れてしまうほどに普通だ。全粒粉のうどんを食べると口の周りが少し赤くなるので、ああアレルギーだったんだと思い出す程度。全粒粉はアレルゲンが強いみたいでダメだけど、白い小麦粉のものは加減しながら食べさせている。パンとかパスタとかうどんとか。トマトは全然OKの様子。卵と乳製品はさすがに一切与えていない。

---

昨日ふと思いついた、まなティを育てる上での親らのスタンスのようなもの。


 「心を添わせる」


同じ極限状態に置かれた男女は必ず恋に落ちるというが、それって結局同じ目標(例えば生き残るとか)に向かって心が添うてしまった結果だろうと思う。ほかにも、一丸となって戦うとか、同じ趣味で感動するとか、なんかそういう、心の針が大きく振れたときに同じ方向を向いていた人とは、無条件で仲良くなってしまったりする。

人って、自分以外の人間と心が添うと気分がよくなる。この前の日記で書いた、子供が求めている「情動調律」というのはこのことなんだろう。乳幼児期に、どれだけ親と心が添うたかで、その後の情緒の発達が決まると言っても言い過ぎではない。

重要なのは心を添わせることなので、子供が泣いているときに一緒に泣くというのとは違う。泣いているのは単に表出した部分であり、その涙の奥に隠れた子供の気持ちに心を沿わせることが重要なのだ。転んで痛いのか、眠くてグズっているのか、何かが怖いのか、おなかが空いたのか、泣く理由はたくさんあるので、それを想像し深い部分で心を添わせる。

抱っこしてやればいいだろうとか、「痛いの痛いの飛んでいけ」と言ったからいいだろうとか、何かをやれば安心だということはなく、心が添うてなければ何をやっても意味がないし、心が添うてないことを子供はすぐに見抜き、余計に悲しい思いをしたりする。


心を添わせるのは、親と子の関係だけでなく、全ての人間関係に通用すると思う(私の場合なら生徒との関係とかも)。例えば夫婦の場合、「毎日ゴミ出ししてるからいいだろう」とか「ご飯を作ってるからいいだろう」とか、そういうことではなく、何をやっても心が添うてなければダメだ。逆に言えば、心がしっかり添うていれば、ダメ夫でも、グウタラ妻でも、大丈夫だろう。

恋愛関係にあるカップルなら、放っておいても心は添うてしまうかもしれないが、長年連れ添った夫婦は、あえて心を添わせる必要がある。

同じように、まなティとも「心を添わせるぞ」と意識しながら接しようと思う。忙しいときに、何かわけわからんことでピーピー泣かれると、「もうっ」という気分になるが、一旦気持ちを落ち着けて、「心を添わせるぞ」と心の中で言葉で何度も反芻し、今やっていることを一旦やめてまなティと向き合い、静かに心を添わせる。最近はそれを意識的にやるようにしたら、泣きやむのも早いし、機嫌もいい気がする。まなティは納得顔でまた遊びに戻っていく。


これを意識してしばらく続けてみようと思う。より深い部分でまなティと心を沿わせる。「心を添わせてるからいいだろう」と思い始めたら危険信号。こう思ったら心は添うてない証拠だ。


つづく。


↑投票ボタン(文字が変わります)


---

>>「匿名メールフォーム」へのレス

・He is not so much a husband as a best friend. です。

日記のもくじ昨日の日記明日の日記
たまり |mailHP