2007年08月02日(木) イヤイヤは 気持ちの向きを 変えるから
梅雨明けしたのか?
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まなティの自我の発達に人間の本性のようなものを見る日々。
まなティは今もなおイヤイヤ期真っ只中なのだが、どんなときに「イヤイヤ」と言っているのかよくよく観察してみたら、自分の気持ちの向きをたとえほんの少しでも変えられそうになったとき、のようだ。うまく説明できないけど。
典型的なのが、遊びに気持ちが向いているときにご飯とかお風呂とか歯磨きとか言われると「キーーーッ」だ。まあ、これは当然のことだろうが、面白いのは、その誘いがたとえ普段嬉しいことでも、なのだ。
例えば、テーブルの上の触ってほしくないものを取ってくれと言っているときに、「ブドウ(まなティの大好物のレーズン)食べる?」と聞いたりすると、「気をそらそうとしている」と感じて「キーーーッ」と怒る。だから、こういうときは面倒でも、テーブルの上のものを見せる→大事なものだから触ってほしくないと言う→納得したか確認する→ブドウを食べるか聞く、という順を追わなければいけない。そうしないと余計にテーブルの上のものに固執してこじれる。
なにか大人の目論見があるときだけじゃない。例えば、食事中にまなティが麺をスプーンで食べようと四苦八苦しているときに、「フォーク使う?」と言うのもダメなのだ。スプーンに気持ちが向いているので、たとえフォークの方が楽でも、「気持ちの向きを変えようとしている」、ということがバツなのだ。これだって、さっさとご飯を食べて欲しいという大人の無意識の目論見なのかもしれん。それをまなティは見抜いているのだ。
しかたがないので、フォークを目の前に置いておいて自分で気づくまで放っておくか、やんわりと「フォークもあるよ」と言ってみるか(これはダメな場合が多い)、フォークがしゃべっているようにおどけて「ねぇねぇ、ボクを使ってよ!」などと言ってみる。まあ、放っておくのが一番無難なんだけど。失敗すると意地でもスプーンを使い続けたりするので注意なのだ。
逆に、イヤな誘いでも、まなティ自身もそろそろしようと思っていた場合は受け入れてくれる。そろそろお風呂の時間だなとか、次は歯磨きだな、とか気づいている場合は大丈夫だ。なので、食事しながら「ご飯食べたらお風呂だね」とか、「お風呂の後はシャカシャカ歯磨きだよ」と前もって言っておくとよい場合が多い。心の準備をさせておく感じか。
言葉が不完全だからか、大人の心を読むのに長けていて、もうごまかしは一切通用しない。いつもうちの父が遊びにくると帰らないでと泣くので、父が「お風呂に入っている間に帰るね」とか私にこっそり言っても、雰囲気で察知するのかはたまた地獄耳で言葉を理解しているのか、「イヤイヤ!イヤイヤ!じいちゃん、おうち!」と言って泣き出したりする。もう、泣いてもいいからなんでもかんでも納得させることが第一なのだ。
最近の若者がすぐにキレるのは言語力が劣っているから、という説がある。自分の気持ちを言葉できちんと説明できないので、相手に理解してもらえず、短絡的にキレるというわけだ。幼児がまさにこれである。
まなティも、心はどんどん発達して複雑になり、自我が芽生えているのに、言語の発達はいつもそれよりも遅いので、気持ちを伝えようとしても伝わらないもどかしさでイライラしているように見える。私が落ち着いて理解しようとすれば、伝わらなかったときでもさほど怒ったりしないが、忙しくてそれができないとまなティのイライラは絶頂に達する。
どうも自分ではイライラしていることに気づいてないようなので、「まなティ、キーキー言わなくても大丈夫だよ。落ち着いて何が欲しいか言ってみて」というと、初めて自分がイライラしていたことに気づくのか、我に返って照れたような笑いを浮かべたりする。気づかせてやることも大事みたいだ。
最近はこのイライライヤイヤ期に加えて、コワイコワイ病なので大変だ。「コワイコワイ」と言って私にしがみつくので、「何が怖いの?」と聞くと、「バケ(おばけ)」という。そういう目に見えないものを想像して、怖いと感じるようになったか、とちょっと嬉しく思ったりもする。が、四六時中しがみついているので、大変なのだ。お風呂では排水溝が怖くて抱っこ抱っこというので、ろくに体を洗えやしない。
それもこれも、まなティが発達している証拠であり、かわいくてしかたがないから、いいんだが。
つづく。
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