2007年09月06日(木)  宝物 価値があるうち 使い切れ


蒸し暑い。が、桃三昧の日々。ジューシー。


お人形遊び&ままごと命のまなティ。毎日毎日飽きもせずお人形におはじきとかビーズのご飯をふるまう。これがパパ、これがママ、これがまなティ、これがマキマキ(私の同級生)、これがヒロ(マキマキの息子)とそれぞれに役があって、まなティが転んでママが「なかないで。よしよし」と慰めるなど、ちょっとした人間ドラマもある。

お人形の中には、私が小学生のときに集めていたシルバニアファミリーもあるのだ。これってなんかすごい。将来自分の娘も同じもので遊ぶとは予想だにしなかっただろう、小学生時代の私は。

ほかにも、私が小学生のとき集めていた大量のシールも実家から掘り出してきた。あのときはシールを手に入れるたびに使わずに大事にとっておいて、ときどき出しては眺めたものである。しかし、まなティはそんなことお構いなしに貼りまくる。あれよあれよという間に、大切にしていたシールが消えていく。清々しいほどに。

これでいいんである。うまく説明できないけど、その場の楽しみはその場で気の済むまで謳歌すればいいんじゃないか、と。あのとき使わずに保管していたシールも、大人になった今ではあの時の価値は失われ、ただの思い出になっている。価値が高いうちに使ってしまえばよかったのだ。

まあ、私はシールは保管していたが、そのほかの物はわりとどんどん使うタイプで、溜め込むのは嫌いで捨てるのに快感を覚える方だ。一方うちの兄である。ヤツは未だに小学生のときに塾で毎月もらっていた消しゴムをひとつも使わずに持っている。それはそれですごい。


いつも一緒にいるから気づかなかったが、まなティは「食べる」ということを常に遊びに取り入れているようだ。この前、デパートの子供が遊ぶところで、ほかの子のお母さんがまなティに「食べるのが好きなんだねー」と言っているのを聞いて気づいた。

よくよく見ていると、お人形やそこにいる人に「どうぞ どうぞ」とご飯を振る舞い、自分も食べるマネをして「すいか おいしい」とか「これ まめ」とか「これ おとと(魚)」などと言ったり、「もも むきむき」とか「だいこん ざくざく」とか、常にうわごとのように食べ物の話をしている。私も相方も食べるのが大好きなので、似たんだろうか。思えば、まなティが最初に発した言葉はママでもパパでもなく、「おいしー」だった。筋金入り。


関係ないが、まなティが間違えて覚えている、もしくは正確に言えない言葉(一部)。

 テレビ→ ていびり
 エルモ→ えもる
 エスカレーター→ えーた
 ペリカン→ ぺりからん
 まくら→ まから
 エプロン→ えぴろん
 明るい→ あくらい(暗い⇔あ暗い だと思っているっぽい)
 ドラえもん→ えもん
 バイキンマン →ばいけん
 ベランダ→ べらん
 パジャマ→ じゃまじゃま
 しましま(ストライプ)→ しまうま

大学のとき、英語学の授業で勉強した、古英語が現代英語になるまでの単語の変化の過程(何種類かある)と同じで驚く。人間の進化をここに見る。


最近は「これ、なあに?」攻撃がすごい。聞くこと自体が楽しいみたいで、私の答えはあんまり聞いていなくて、次に何を聞こうか探している。まるで人が歌っているときに次の曲を探すカラオケのよう。


つづく。


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