2007年12月14日(金)  魅力とは そんなとこには ありません


相方、タイに出張中。うらやましい。何がって、ホテルの朝ごはんが。

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最近、魅力的な人を見て思ったこと。

人の魅力って、当たり前だけど、顔のつくりとか何着てるかとかじゃない。魅力があるのは、欲を捨て、自分の「分」に黙々と真面目すぎる位に取り組んで、その中で障害になる己の欠点と向き合って、逃げずに、人のせいにせず、且つ、力強く戦っている人だ。

人はそういうときに知らずと輝いているんじゃないかと。そして、自ずとそういうキッパリとした中身が、外側の表情や立ち姿や態度をも魅力的にしている。その人の周囲の人間は、その人の周りに犯してはならない神聖な領域のようなものを見る。それが尊敬というものかなと思う。


逃げたり、妥協したり、言い訳したり、誘惑に負けるのは簡単で、だからこそ魅力的な人ってそうそういない。そこが凡人と魅力人の境界線だ。

前にもちょっと書いたことあるけど、妥協ぐせというのは、一度つくとなかなか取れない。いや……、逆だ。逃げずに達成した快感を一度でも味わうと、自分の「分」からそうそう逃げない性質になる、と言った方が正しいか。


ところで、カップルとか夫婦で、「もう冷めた」というのをよく聞くが、私にはそれがない。そういう人は、顔形とかうわべの優しい言葉とかを魅力と勘違いしてしまったんじゃなかろか。本物の魅力はそうそう冷めるもんじゃない。一生モノだ。そういう人とは、たいてい真っ向からすべてをさらけ出して突き進む関係なので、かけひきなんてものも存在しない。

しかし、忘れちゃいけないのは、相手にばかり魅力を求められないということだ。自分も同じくらい魅力的でなければダメなのだ。そして、お互いに自分だけの神聖な領域を保ちつつ一緒に生きていければ申し分ない。

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話は変わるが、子供のころよく親に「○○取って」と言われてイヤだったが、自分もまなティに同じことをしているのに気づいた。

寝そべってテレビを見ているとき、テーブルの上にあるリモコンを取って欲しくて、テーブルのわきにいたまなティに、「リモコン取ってくれる?」と言った。いつもは喜んで取ってくれるのだが、今日は違った。

私の前まで手ぶらで来て、しゃがんで私の顔を心配そうに覗き込み、いつもの真面目くさったお姉さん顔で、「自分でできる? できない?」と。  爆笑してしまった。そして、反省して起き上がって自分で取りに行った。横でまなティは、できるじゃない!と言いたげな満足顔。

生まれながらにお姉さん気質のまなティだ。


前に私の父がまなティを預かってるときに、オムツでウンチをしたことがあった。おしっこなら少々放置してもいいが、ウンチのときはすぐにオムツを替える。しかも、我が家はウンチのときはおしりを洗うことにしている。しかし、父はそんなことを見たことはあってもしたことがなかったので、どうしたらよいか困り果てていた。

まなティがそんな父の顔を覗き込んでお姉さん顔で言った言葉。「じいちゃん、大丈夫だよ。できるよ! ね!」。しかも何度も。

父はその言葉に励まされ、まなティにやり方を教わりつつ、無事におしりを洗って、新しいオムツに替えることに成功したのだった。それから父はウンチのおむつ替えに抵抗がなくなったらしい。

……というか、まなティさんよ、そんな段取りまで把握して人に指南できるくらいなら、はよオムツ卒業してくれよ!


つづく。


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>>「匿名メールフォーム」へのレス

・公園とかで遊んでいると、
 自分の子供に水をさす親って結構多いんですよ〜。

・そうなんですよねー、妊娠は病気じゃないって考えなんですよね。
 しかし、国も出生率上げたきゃ、
 そんなこと言ってられないと思うのですがねぇ。

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