2008年02月01日(金) シアワセな ニコニコ子供 作るため
上等の空気清浄加湿器を奮発して買ったら、空気がウマイ。ンパンパ無駄に呼吸したくなる。いやほんと、大都会の水道水と、清流の水くらいの違いはあるんじゃないか。相方がハウスダストアレルギーなので、まなティもそろそろ気をつけてやらんとと思って。前までは布団をバサバサ敷いたあとはしばらく咳で寝付けなかった相方が、ひとつも出ないまま安眠している。スゴイ。
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最近思うこと。子供を幸せな人間に育てるには、親との信頼関係をがっちり築くことだろう、と。もう、それしかナイ。いや、親じゃなくても、身近にいる大人ならジジババでも、なんなら近所のおっちゃんでもいいと思う。とにかく、その子供より年上の一目置ける大人との信頼関係。
信頼関係をうまく築けた子供は、何よりも心が平安だ。なぜなら、自分のことを十分理解して、受け入れて、見守っていてくれる人がいるから。そうなると何事もうまく運ぶ。情緒が安定して、勉強にも集中できるだろうし、自信も出るだろうし、人に優しくするユトリができるだろうし、何かに依存することもないだろうし、人の話に耳を傾けるようになるだろう。
子供を幸せにするためには高学歴をと必死になっている親がよくいるが(仕事がらよく目にするのです)、そんなところに幸せの入り口はないし、逆に、欲丸出しで必死こいてる親との間に信頼関係なんて築けない。親は、子供の幸せのためと言うだろうが、本当にそうか? 子供はきっと違和感を感じているだろう。
最近のまなティの様子を見ていて思うのは、私の心が平安な日はまなティの心も平安だということだ。まなティの機嫌が悪いとき、ふと立ち止まって考えてみると、必ずと言っていいほど自分の心が不安定なときで、知らず知らずのうちに思いやりのない態度や言動でまなティと接していたりする。または、上の空ということもあるだろう。
子供って、機嫌がいいときは本当にいい子だ。モリモリご飯を食べて、目を輝かせて遊び、友達にも優しくし、親の注意も素直に聞き、お風呂も寝るのも嫌がらない。そういう日を振り返ってみると、自分も調子がよかったし、まなティの姿を見てよりいっそう心が弾んだりして、好循環なのだ。
そんな日々の観察の中で、子供との信頼関係を築くには、まずは自分の心の平安ありきなのだと実感した。心が平安なら、子供が何をやっても感情まかせに怒ることもないし、落ち着いて話も聞いてあげられる、子供も親の顔色をうかがうこともないだろう。
まなティの集中力が散漫で、情緒不安定で、友達に意地悪したり、聞き分けがないときは、自分の姿や態度を振り返ってみる。そうすると、自分自身が、集中力散漫でまなティの話を上の空で聞いていたり、情緒不安定だったり、ちょっとばかり意地悪な気持ちになっていたり、人にばかり変化を求めていたりするのである。(今思いついた具体例:子供に「おとなしく待っててって言ってるでしょ!」というわりには、自分は日頃子供を急かしたりしてるとか)本当に、人の姿って、鏡に映った自分の姿だ。
子供をいい子に幸せに育てたいなら、怒ってあれこれ命令するより、子供の話をよく聞き、よく理解し、安定した首尾一貫した態度で、冷静に、あたたかく見守って、受け入れ、信じて、信頼関係をがっちり築くことである。
私自身、子供の頃にこの信頼関係を築き損ねて、今相方との間に構築中で、毎日子供の気持ちで実感しているのでよくわかる。なんかギリギリセーフで間に合った感じだ。
つづく。
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>>「匿名メールフォーム」へのレス
・ありますよねー。
うちは、まなティが「あの猫は歩ける?」とか聞いてきて、
「歩けるんじゃない?」と答えたのに、
「誰が?」とか返されると脱力します。
でもまあイライラはしませんが。
どちらかというと、笑ってしまいます。「おいおい」と。
子供なりに色々考えてるのでしょうなー。計り知れませんな、子供は。
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