2009年02月01日(日)  性格は 育て方より 素質かな


来る日も来る日も仕事。もうすぐ大学入試のシーズンだ。

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こうティ、歩行器で走るようになった。廊下の向こうにいるときに「おいで!」と呼ぶと、満面の笑みでダカダカダカと走ってくる。足腰丈夫。

気づくと視界にいなくて、玄関にあるまなティの三輪車のベルをチリンチリンチリンチリンと100回くらい鳴らして満足して戻ってきて、次はカーテンにグルグル巻きついて、本棚から本を何冊も引っ張り出す。自由な男である。

まなティは赤ちゃんの頃、何か不満があると泣いて訴えていたが、こうティは人に訴える前に行動するタイプだ。例えば、何か目の前のおもちゃがほしくて手を伸ばして届かない場合、まなティはすぐにイライラして泣いていたが、こうティはなんとか手が届かないか、必死な形相であの手この手を試してみる。派手にドタバタやってるうちに大人が気づくというパターン。泣くことはまれだ。

まなティは3歳になっても未だに何か不満があるとすぐに泣いて訴える。泣かずに言いなさいと注意するんだけど、癖というか弾みでつい泣いてしまうみたいだ。あかちゃんのときの性格って、そのままだ。性格って、生まれたときにすでに決まっていると思う。

2人の性格は正反対だけど、どちらも良い面悪い面がある。まなティは悪く言えば「泣き虫で自分で試してみない」だけど、良く言えば「用心深くて安心」だ。一方こうティはよく言えば「行動力がある」だけど、悪く言えば「無鉄砲」だ。まなティは道路に飛び出すなんてことなかったけど、こうティは歩けるようになったらひもをつけておかないといけないかもしれない。

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子供が生まれて、「生きてること」が当たり前じゃなくなった。あまりに静かに寝てるといつも顔を近づけて寝息を確認してしまうし、外に出たらガッチリ手をつないで離さない。何があってもうっかり目を離したりしない。

自分だって相方だってそうだ。いつ何時病気になったり死んだりするかわからない。こんな気持ちになったのは初めてだ。

この幸せな時間は有限。すべての瞬間を大切に、目をちゃんと開いて、二度とない今を生きたい。

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関係ないが、女には母性がある。特に子供を産むと強くなる。私は元来子供が嫌いだ。子供を産んでもかわいいと思えるか心配だったが、いざ産んでみると、もう無条件でかわいいんである。何かこう腹の底の方からグワッとこみ上げてくる感情だ。

生まれたばかりの赤ちゃんって、泣くか寝てるかで、表情も乏しく面白みがないが、それでももう食べちゃいたいほどかわいいと思えるから不思議だ。我が子のみならず、よその赤子を見てもニンマリしてしまう。女性ホルモンの仕業か。

一方男はどうだ。母性なくして、どうして面白みのない赤子をかわいいと思えるだろうか。もともと子供好きならまだしも。人でなしと思われたくないがために、「かわいくない」とは口がさけても言えないだけじゃないのか? 相方に聞いてみたら、あっさりと「かわいくないよ。自分の子供だから忍耐強く世話するだけ」と認めてしまった。

正直でよろしい。そうだろう。男は理性と責任感で子供を育てているんだろう。少し成長すれば、人と人との絆のようなものが生まれてきてかわいいと思えるのだろうが、赤子は無理だろう。初対面の他人みたいなもんだ。

中には男でも子を持って母性が強くなる人もいるらしいが、大抵は「理性」と「責任感」が支えているのだろう。そうなると、理性も責任感もないようなアホな男が赤ちゃんを泣き止まないという理由で殺すというニュースも頷きたくないが頷ける。


つづく。


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