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■ 音楽の日々
小学校には 5、6年で編成するオーケストラがあった。
音楽の授業でもなく、部活動でもない。
希望の楽器を選び、 音楽の先生からレッスンを受け、 そして皆で演奏する。
音楽の先生は容貌はともかくとして 芸大卒の素晴らしい先生だった。
あの当時富田勲のシンセの曲や ドビュッシーの沈める寺などをピアノで演奏していた。 縄跳び体操という運動会の出し物も先生のオリジナルの作曲だった。
私は楽器はフルートに決めた。
放課後レッスンや練習の日があり、 かなり夢中になって練習した。
ビゼーの「アルルの女」第二楽章や 宮城道雄の「春の海」、 モーツァルトの「フルートとハープのためのコンチェルト」などが 自分の弾けるようになりたい目標だった。
6年卒業時には 何となくその辺りにまでは行き着いた。
全く変わった環境の二年間の小学校生活で楽しかったのは
このような音楽、 ドッジボール、それからキリスト教との出会いだった。
ドッジボールは大好きだったので毎朝早く登校して 鐘がなるまで楽しんだ。
男子が1クラス、女子が2クラスの男女別のクラス編成で 別々の生活だったが ドッジボールの時は割と仲良く遊べた。
中学校には男子部はなく、 外部への中学受験を控えた男子は 時々休み時間が終わりに近くなると 三階の教室から担任シスターが顔を出し、 補習の時間を促されて中庭から消えていった。 それがとても口惜しく残念な瞬間だった。
目まぐるしい環境の変化にも 何とかうまく順応していき、 卒業時には在校生と全く違和感ない顔になっていたと思う。
弟が生まれ、家庭中のの注心が彼に移っても 勿論弟に対しての愛情も抱いていたし
このように自分で没頭出来るものがあったのが 良かったのかもしれない。
2010年06月18日(金)
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