2004年03月02日(火)
<林泰夫被告第1審 死刑判決> 林被告は、地下鉄日比谷線に他の実行犯より1袋多い3袋のサリンをまいた 結果、同事件の死者のうち、3分の2は、彼が発散したサリンの犠牲になった。 犯罪に対する裁判長の評価は、「果たした役割は実行犯の中でも積極的」「その 責任は重い」と、厳しい。 しかし、死刑判決では極めて異例の事ながら、彼の人間性に対する非難はなく、 主文を言い渡す裁判長の声は震えていたという。 そして、本来の手続きであれば、主文の朗読の後、裁判長から被告人に対し、 控訴の権利、その期限や控訴状の提出先などが告げられるが、それを失念する ほどだったという。
<井上嘉浩被告第1審 無期懲役> 逮捕・取り調べを経て、井上被告は麻原と決別し、チベット仏教に傾倒した。 「被害者の苦しみを吸い取るために」と拘置所で修行を続けていた。 当然、遺族・被害者からは「他の宗教に逃げ込んだだけ」と批判的だった。 そんな井上に対し、審理を担当した3人の裁判官は、生きて償う道を示した。 そして、東京地裁の裁判長は「宗教に逃げることなく、修行者ではなく、1人の 人間として、自らの犯した大罪を真剣に恐れ、苦しみ、悩み、反省、悔恨してほ しい」と、証言台に突っ伏して泣き崩れる井上被告を諭した。
<豊田亨被告第1審 死刑判決> <広瀬健一被告第1審 死刑判決> 両被告の行為による被害者・遺族が、公判で証言をした。 判決でも、そうした被害者の状況について触れてはいるが、その前年、地下鉄 サリン事件の実行犯横山真人に対する判決(死刑判決)の文章と一言一句同じ だった。 この箇所だけでなく、横山判決のかなりの部分を、カット・アンド・ペースト したと思えるらしい。 確かに、3被告とも同事件での裁判であり、同じ死刑判決であり、同じ裁判長 である。 しかし、被害者の証言も違えば、被告の心情も違っている。 これでは、最初に地下鉄サリン事件の実行犯は死刑、運転手は無期判決という 規定路線に沿った結論があって、それにあうような理由付けをされただけ・・・ としか思えない。
<早川紀代秀被告 第1審 死刑判決> 早川被告は7つの事件の関与で起訴されていたが、坂本事件・田口事件以外の かなりの部分・・・例えば、「罪となるべき事実」ですら「概ね検察官の起訴状 記載の公訴事実の通り」というだけで、読み飛ばし、朗読を省略したという。 確かに、オウム裁判の傍聴を続けてきた取材者にとっては、他の被告人の裁判 や判決で何度もその内容を聞いてきただろうし、読み飛ばしたのが判決結果 に影響を与える箇所ではないだろう。 しかし、この判決は、傍聴人に向けての判決ではない筈である、 どんなに極悪人であっても、死刑を覚悟した被告人であっても、法に照らし あわせて、人間が人間を裁くのである。 コンピューターが裁いているのではない。 そして、たとえ死刑が確定しても、その日まで被告人たちには、生があるので ある。 裁判官には、その事をいつも忘れずにいて欲しいと願う。
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