rokoのNotebook

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立つという事

2004年03月18日(木)


 女子マラソンのオリンピック出場選考のニュースに隠れた形になったが、
 「長嶋終身名誉監督、立ち上がる」というニュースがありました。

 赤ちゃんの成長を喜ぶ言葉に「這った、立った、歩いた」という言葉がありますが、まるで
 そんな感じ。
 
 「立った」という事で思い出したのが、20年前の事。
 
 私は、緊急帝王切開で、全身麻酔で長女を出産しました。
 導尿が取れたのが、3日目の消灯間近だったのです。
 消灯直後に見回りに来た看護婦さんが
 「もう歩いて平気だから、ドンドン歩いてね。その方が回復も早いしネ。
 トイレ(病室の目の前にありました)にも一人で行くように」と言ったのです。
 さて、一寝入りした後、尿意をもよおして目が覚めて、普通に起き上がろうとしてビックリ。
 起き上がる事も出来ないのです。
 傷の方の痛みはもうないのに、お腹に力が入らない・・・
 もう、エーっていう感じです。
 寝たきりだったのは、たった数日、まさかこんな状態になっているとは、夢にも
 思いませんでした。
 出産の7ヶ月前、局部麻酔でヘルニアの手術をした時には、翌日直ぐに歩けたのに・・・
 (実は妊娠を知らないままに、手術をしていたのです(;^_^A )
 
 ところで、思い出してください。
 私はトイレに行きたくて、立とうとしているのです。
 つまり、このままでは非常に困るのです。
 其処で、先ず思いついたのが、寝返りは打てるから、寝返りを打ってベッドから落ち、
 ベッドにつかまって腕の力で立とうという事。
 ところが、自宅のベッドは低いけど、病院のベッドはかなりの高さがあります。
 ここから、勢いをつけて落ちたら、全身打撲になりそう。
 ちょうどベッドの脇に、消灯時間まで面会に来ていた家族が使った椅子がそのままあったので、
 何とか、ベッドからそれに移り座りました。
 ちょうど、足の悪い方が、ベッドから車椅子に移る姿を想像して下さい。
 椅子に座る事が出来てヤレヤレ・・・なんて思っている暇はありません。
 それから、ベッドに手をついて、腕の力を頼りに、何とか立ち上がる事が出来たものの、
 まるで歩き方を忘れたように、足が一歩も前に出ないのです。

 ナースコールで看護婦さんを呼ぼうか?
 でも、さっきの看護婦さんは、いとも簡単に「歩いてね」って言ったという事は
 皆は普通に出来るんだ、と思い込んだのです。
 ご存知の通り(?)私は、負けず嫌いというか意地っ張り。
 皆が普通に出来ている事なのに、「たてませーん」と、看護婦さんを呼ぶのは厭だったのです。
 忙しい看護婦さんに、こんな事で手を煩わしては悪い・・・なんていう優しい気持ち
 からじゃあなかったけどネ。
 仕方ないから、手をつけるような場所に、(冷蔵庫とか、ロッカーとか)目安をつけて、
 ベットの上に置いてあったバスタオルを床に敷いて、其処まで、その上を這いました。
 (床を這うと汚いからね)
 必死の思いで、病室のドアまでたどり着き、その頃には、やっと足の方は歩く事にも
 慣れてきたし、ココまで来たら、挫折する事は許されないのです。
 だって、ホラ、トイレに行きたいのですから。
 でも、トイレに一番近い部屋で本当に良かったぁ〜。

 当時の私は、まだ25歳。
 特別に運動不足だったわけではないのに、あの醜態。
 情けなかったと同時に、何時もは当然のように思っていた「立つ」という事が
 実は大変な事なのだと思い知らされた瞬間でもありました。



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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