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「白い巨塔」 最終回

2004年03月20日(土)


 昨年10月から放映されていた「白い巨塔」が先日最終回を迎えました。
 (来週「特別版」を放映するらしいですが・・・)

 実はちゃんと見たのは、第1回と最後の2回だけでした。
 最終回の前の回を見て、ちょっとガッカリ。
 原作が書かれて、20年近くたっているので、原作と違う事は仕方ないけれど、
 初めて患者の立場になった財前教授の心情をもっと丁寧に描いて欲しかったと思ったのです。

 そして最終回。
 原作では財前の治療に里見はもっと表立って絡んできます。
 財前の希望で手術にも立ち会うし、術後の治療方針も里見の意志で決められ、最後の病理解剖に
 立ち会うのです。
 遺書の宛先は里見ではなく、解剖執刀者の大河内教授宛てで、内容も大幅に違いましたが・・・
 今作の遺書の中で「これからの癌治療には、内科的治療が躍進的な発展を遂げる必要がある」
 という点は、外科的治療が不可能になった末期癌患者を見送った事のある私は、共感しました。
 また、財前の愛人であるケイ子は、財前を見舞う事を許されず、只、里見に花を託する事しか
 出来ませんでした。
 私が妻だったら、愛人を呼んで、二人っきりにしてあげるなんて事、出来ないでしょう。
 会わせておけばよかった・・・と後悔をするかもしれないけれど。
 
 
 術後、連日往診してくれる東に、礼を言った財前。
 原作では、この後、東の
 「自分の執刀した患者を診るのは当たり前のこと」と台詞が続く。
 この台詞は、自分が執刀しながら、術後一度も診察しなかった被害者の事を悔い、
 財前の心に茨のように突き刺さり、自分が患者になってはじめて、医者の診察によって
 患者がどれほど心を安らかにするものかを知る大事な台詞。
 たった一言の台詞だけれども、本当は凄く重要な台詞だった筈。

 この最終回、財前と里見の友情物語が重視されたような気がします。
 それはそれで、素晴らしいものだったし、例によって涙ウルル状態でした。
 その中で特に印象に残った台詞をあげるとしたら、
 里見の「僕は君を助けたい」・「僕が君の不安を受け止めたい」
 財前の「大丈夫じゃないから来たんだ。」・「僕に不安はないよ」
 と、財前が万感の思いを込めた「無念だ」
 でした。

 自分が大丈夫でない時に、それまでの立場と関係なく、本当に信頼し、頼れる友達がいて、
 「大丈夫でない」と言えるって、素敵な事ですね。

 恐らく嘘で固められた診断と、自分が自覚する病状との違いに不安を感じたからこそ、
 自分のカルテと術後の写真を出させたけれど、里見は自分の疑問にきちんと答えてくれた。
 だから、財前は「僕に不安はないよ」と言う事が出来た。
 (因みに、原作では、里見は最後まで無言で通します。
  マァ、ある意味、その無言が答えだったりするのだけど。)

 「僕は君を助けたい」という言葉は、「白い影」の中で、やはり死に直面してい
 る直江に、恩師が言った言葉と同じです。
 結局2人(財前・直江)とも、その言葉に応える事無く、自分の道を進むのだけど、 この言葉と
 「僕が君の不安を受け止めたい」という言葉。
 たとえ、肉体は救われる事は出来なくても、心がどんなに救われた事でしょう。
 どんな時にでもこういう事を言って貰える相手がいる、そして言える相手がいる。
 果たして、今の私に、土壇場で、本音をぶつけ合って、話す事が出来る友達が
 いるのかしら?

 朦朧とする意識の中で
 「里見、やっと癌センターの内科部長を引き受けてくれるんだな」と微笑みながら
 言った財前。
 彼は、考え方の違いはあっても里見と2人、これからの癌治療の為に力を注ぎたかったのだろう。
 これからも生きていく里見は、どのような形で答えていくのだろう。
 そして、被害者遺族たちは、財前の早すぎる死をどのような思いで、聞くのであろう。

 
 

 
 

 

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