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遺族の思い

2004年03月21日(日)


 唐沢財前の人気と共に改めて注目されているのが田宮財前の「白い巨塔」。
 
 しかし、クランクアップ後に、全ての放映を待たずに、猟銃自殺という悲劇的な最期を遂げた
 故田宮二郎の遺族にとっては、白い巨塔は「見られない、見たくない作品」だったようだ。
 
 先日、あるサイトで、故田宮二郎の長男柴田光太郎へのインタビュー記事を読んだ。
 当時既に田宮氏は、躁鬱病が酷く、家族は「白い巨塔」への出演は大反対で、休養させようと
 したが、本人の強い希望で「田宮財前教授」が、実現した。
 しかし、それが結果的に命を削る事になってしまった。
 「白い巨塔」を見るということは、どうしてもその当時の辛かったことや無理にでも出演を
 辞めさせればよかったという後悔の念が思い出される。
 それは、25年たった今でも変わりはないという。
 特に、故田宮氏の夫人には、唐沢財前であろうと村上財前であろうと「白い巨塔」は、「白い巨
 塔」でしかない。
 私たち田宮財前を知る人間でさえ、唐沢財前を見ても田宮財前を思い出すのだから、夫人の
 「見たくない」という気持ちは当然のことだろう。
 (柴田氏は何れDVDで唐沢財前を見るつもりだそうだが・・・)
 3年前に、田宮財前の「白い巨塔」がDVD化されたと時も、夫人に話せば猛反対するから
 長男の柴田氏が話をすすめた。

 世の中便利になるに従って、特に、芸能人は故人になっても出演した番組などがビデオや
 DVDなどで、残る。
 以前、その事を「生前の元気な姿を見る事ができていいね」といった人がいたが、実際は
 どうだろう。
 田宮氏ほど悲劇的な最期を遂げた人の遺族でなくても、在りし日の姿を正視する事が
 出来るのだろうか。
 
 私だったら・・・多分それを見ては毎日涙する生活を送るだろう。
 あれば、見てしまう。
 自分の中で、その故人が思い出に変わる日まで、涙せずには見られないであろう。
 でも、長い年月が経って、懐かしく思い出話が出来るようになった時には、見たいかもね。
 

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