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突然の訃報

2004年05月18日(火)


 今日の午後、子供達の卒業した小学校を通じて知らされたH先生の訃報。

 H先生は、子供達の在学中の教頭先生だった。
 子供達にとっては、朝会でのお話が面白く、教頭でありながら、高学年の「算数」を担当されていた。
 今年の春休みに、上の娘の同窓会で
 「H先生の算数の授業のおかげで、算数がわかるようになった」と話題になったという話を娘から
 聞いたばかりだった。
 H先生が現職中は、教頭と一般PTAだった私の接点はたった一回。
 娘が小4の横浜社会見学の日、娘は体調を崩していて、食事が出来なかったため、午後の見学は
 無理だったので、午前中最後の見学場所であった神奈川県警へ私が迎えに行った時だけだった。
 予定より見学時間が延びて、手持ち無沙汰に待っていた私に話し掛けて下さったのがH先生だった。
 教頭先生と話すなど機会のなかった私は、ドギマギしながら、楽しいお話に耳を傾けたのを
 覚えている。

 その後、OB会の役員になった私は、名誉会員のH先生と再び巡りあった。
 その時の話をすると、H先生も覚えていて下さり、
 「普通だと休ませるのに、せめて午前中だけでも参加させてやろうという親御さんの気持ちが
 嬉しかった」と言って下さった。
 私のOB会での立場もよく理解して下さり、お目にかかる度に何時も励まされた。

 H先生は、退職後、体調を崩され、高血圧症に加えて、心臓に爆弾を抱えていらした。
 それでも、子供達とかかわって生きていきたいと、中・小学校の学校カウンセラーとして、
 登校拒否児・虐め・虐められっ子をはじめとする心に痛みを持っている子供達と真剣に
 向かい合う日々を過ごされていた。
 お目にかかる度に、H先生の体調を心配する私に、「まだ動けるから大丈夫だよ」と笑顔を見せて
 下さっていた。

 最後にお目にかかったのは、昨年秋の小学校の子供まつりに、OB会として初参加をした時に
 なってしまった。
 その時も何時もと変わらぬ笑顔だったが、既に「癌」が先生の身体を蝕んでいたのだった。


 今、手元に今年の年賀状がある。
 「OB会のお世話、何時も色々とありがとう。
  ○○小学校卒業の娘さん、今年成人式ですね。おめでとう!
  月日がたつのは、早いものです。 
  また、OB会の総会でおめにかかり、楽しい話が出来るのを楽しみにしています。」
  OB会の日時も決まり、週末にH先生にも案内を出したばかりだった。
  何時ものように出席に○をつけた返信葉書きが届くものと信じて疑わなかった。
  
  人と人の別れは、何時突然訪れるかわからない。
  だからこそ、逢いたい人には、逢っておきたい・・・

  

H先生 享年70歳 合掌
  
 
  

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