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曽我さんの真意

2004年06月04日(金)


 小泉首相が再訪朝したのが、5月22日。
 この時に、他の拉致被害者の家族と共に、日本へ来れなかった曽我ひとみさんの夫ジャンキンス氏
 と曽我さんとの再会が決まったのに、未だに場所も時期も特定出来てない。

 日朝首脳会談後の小泉首相の記者会見で、「第三国、例えば中国の北京で、家族が会う」事を
 外務省を通じて曽我さんに確認した、と述べている。
 しかし、この時、「北京」という都市名を出したのか、只の「第三国」と言ったのか定かでない。
 しかも、曽我さんには、ジャンキンス氏が首を縦に振らない以上、それしか道はなかったのである。
 それなのに、曽我さんの意向を確かめもせずに、外務省を中心に政府内では最有力候補として
 北京を推す声が多く、川口順子外相も22日の日中外相電話会談で中国側に協力を求めたという。

 しかし、彼女は、早い時期に、意向を聞かれた自民党の安倍晋三幹事長に北京拒絶を伝えた。
 また、26日には、中山恭子内閣官房参与は、広島県尾道市での講演で、曽我さんが「第三国」に
 ついて米国と犯罪人引き渡し条約を結んでいないことを挙げるとともに、
 (1)北京は北朝鮮と近すぎて怖い(2)英語圏が望ましい(3)北朝鮮から直接電話やファクスが
 入る面会場所は困る−−と伝えてきていることを明らかにした。

 その後30日に、杉浦正健官房副長官と中山参与が、曽我さんと面談し、北京以外にも複数の再会
 候補地を提示した。
 曽我さんは具体的な場所について言及しなかったが、「政府が責任を持って静かに一家が安心して
 話し合えるようにしていただけると信じ、お願いしたい」と希望した。
 この後の、記者会見で杉浦官房副長官は、「曽我さんの意向を十分聞き、信頼関係ができた、
 曽我さんは北京を拒絶していなかった。あれは、中山参与が言っていただけ」と述べ、
 曽我さんが「北京容認」したかのように記者団に説明した。
 
 しかし、「一家が安心して話し合える」のに、北京が果たして、相応しいのだろうか。
 元々北京は金正日総書記が提案した場所、それに、表立って反対すれば、北にいる家族へ影響が
 あるかもしれないと心配したからではないか。
 現に、同席した中山参与は「曽我さんは言外に北京以外と伝えようとしていた」と言っているでは
 ないか。
 案の定、翌31日には、曽我さんが、佐渡市の支援室を通じ「できれば北京以外で再会したいと
 思います」との談話を発表した。
  同じ拉致被害者である蓮池薫さんも「われわれみたいに北朝鮮に拉致された立場から考えると、
 (北朝鮮の)近くに行きたくないというのは当然のこと」と言っているが、曽我さんが、「北京は厭」
 という言葉を出さなくても、何故察する事が出来なかったのか。
 想像力の欠如、無神経さにに唖然とするしかない。
 その上、外務省の幹部には「中国に対しても失礼だ」と、不快感を示すものもいると聞く。
 この際、中国の思惑など関係ないではないか。
 元々、曽我さんの意思も確認せずに、中国側に協力を要請したのは、外務省であて、曽我さんに
 責任はない。
 自分達が行った行為は、自分達で、責任を持って、対処すればよい事である。
 
 




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