昨日最近撮った子供達の写真をアルバムに整理していた。といっても時系列順にポケットアルバムに入れるだけ、コメントもいっさいなし。うちは子供達を撮るときには私がデジカメ専門、ダンナが一眼レフというなんとなくだが棲み分けが出来ている。ぐりが生まれて一眼レフを新調したダンナ、練習も兼ねてどんどん撮るのであっという間に写真が増える。面白いものでちゃんと撮れば撮るだけダンナの腕も上達しているのが写真を見ていてもよく分かる。ピントのメリハリといい、捉える子供の表情といい・・・・このあたりはデジカメはかなわないなあと思う。ただ、一眼レフはなんてったって機動性に欠けるから写真はイベントの時に限定。逆にデジカメには毎日の何気ない子供達の表情がストックされていくことになる。これはこれで魅力的。
ふとぐらが今のぐりの月齢の頃はどんなだったかな?と見たくなってアルバムを引っ張り出してみる。日付を便りにほぼ同じ頃の写真をつらつら眺めていると、同じ赤ん坊でもこんなに違うものなんだなと思うほど違っているように見える。発達段階はぐらはかなり遅いと思っていたが、5ヶ月のころはうつ伏せできちんと頭を上げている写真がある。これはぐりは苦手。ああ、ぐらはこの頃ビニール袋をくしゃくしゃさせるのが好きだったよなあ・・・ぐりはしないけど足を自分で持って遊ぶのが好き。服もぐりがぐらのお下がりを着ているものを見て、ああこの服この頃にはぐらはちょっときつかったよなあ、でも今のぐりにはぴったりだ。
ダンナも私も写真の中ではほとんど変わってない(のか?)、家のなかもほとんど変わっていないのに、ぐらだけが今のぐりとさして変わらない赤ん坊から歩き、喋り、笑い・・・お兄ちゃんになっている。子供にとっての流れる時間の濃密さをまざまざと実感したひとときだった。
しかしぐらのお下がりで案外その存在を忘れている服ってあるもんだ。写真を見て「ああ、この服あった。これもう今のぐりに着せれるな」と思い出した私。早速引き出しのどこにあるか探さなくっちゃな。
|