きままくらし

2002年10月05日(土) さやかに

風がさやかに吹く・・どこかの運動会のアナウンスが きれぎれに風とともに届く

思い出を一つ
 どこかで、秋祭りや運動会のにぎやかな様子が聞こえても
 こころ浮き立つようなことが なかった・・・
 いつも、それらは 他人事のようで ひとりで 部屋のなかで
 本を読んでいた
 まるで 暗い子ども時代だ・・・

子どもは 明るくて健康で よく笑い 楽しそうでなければならない と
思い込んでいた節がある

型どおりの しあわせ感とは程遠いもので そういった型どおりが ない不幸を きわめて恨んでいたろうか?
子どもというものは 不思議なもので そうあることに 飼いならされるのか?

今でも、きわめて 明るい人が苦手だ・・健康な 思考も嗜好も いまだに持てぬ。しかし、そう暗くもない と 自分のことは思っている
『昨日はこんなことがあってね、こんなに楽しくて、こんなに幸せで・・・』なんて 口がさけても言えんよ!
淡々としてあれ、すべてを飲んでモノを言え

家庭において、 はしゃぎや無邪気さを 現すことが できなかったとしか思えないが、 敢えて いつも 感情を抑えていたわけではない
ただ、あらわすことに 慣れていないだけだろうと自分では推察するのだが

戦前の産まれ育ちの両親は 「かくあるべき・・・」や「あるべき姿」と言う言葉が当たり前のように染み付いていた

人に伍していきることに どうにも違和感を感じて ”突然 おりる” を
繰り返してきた  放下というほど高邁なものでないことは自明だが 
いつも胸の奥に去来するのは 放下してしまえ・ 放下著 という言葉だ
かくあることへの 単なる嫌悪であるのか

あまりの執着の強さに ことの重大さに直面することの怖さに
  この便利なことばを使ってきてしまった

放ってやるべきは そのうちにある おまえを縛るおまえのこころだと 今日も 自戒

こんな気持ちのいい風が吹いてくれる秋の日・・・








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