ここ数日で 急須を 立て続けに 2個 壊した。 一つは とてもモダンなでデザインで グレーとカフェオレ色の 刷毛目の四角が ところどころに置かれていて 胴もまっすぐな円錐形 蓋には取ってはついておらずフラットなまま 茶を湯飲みに注げば3〜4杯は入れられる、、、 夏に素麺たれを入れても いい雰囲気のものだった。
もうひとつは、やや小ぶりの万古焼。 特有の茶色の肌に線ぼりの 椿 と 菊 が ひとつずつ 丸の中に紋のように描かれていた。 急須を温めて 少し話をし、湯を空け 茶葉をいれ、湯冷ましから湯を注ぐ間の時間が たいそう ゆったりと感じられる・・・ 友人とふたり で なにやら話しをするとき使うもの。
大きめな急須は 1年半ほど使い、なぜか水漏れするように なってしまった。 茶渋は気がつけば漂白して、愛着があった。
万古焼の急須も もうじき3年たとうというころだった。 こちらは蓋のふちを1cmほどおとしてしまった。
どちらも、とても後悔した・・・
家事のとき、洗い物がシンクにたくさんあったり 大きな中華なべを洗うのに 思わず急須にあててしまう。 事なきを得たときは、気にもとめないのだが、、、
南部鉄の重いフライパンを洗っていた時、蓋を急須の尻にのせて水を 切っていた小さいほうの急須は、、、 あっ、と思ったときには蓋が飛びシンクに爪のきりかす程の かけらが落ちていた。
割れ目にかけらを当ててみるとぴたりとあうのだが・・・ もうどうにもできないのだ。以前にもお気に入りのふちが 欠けたときになんとかならないものかと 接着剤ではってみたことが あるが、それはやはり まったくの別物になってしまった。
小さな急須はしばらくかけらも 本体もとっておいた。 さっさと捨てるのがほんとうに忍びなかったからだ。
調理台の上に 置かれても、、、どうにかするのを待つかのようだが それは、わたしの心が風化するのを 待つばかりの時間 だった。
かたちを壊されてしまったもの・・使われなくなってしまったもの・・
そうしたものを容易く目に触れぬところに放ってしまうのが たまらなく悲しい気分になってしまった。 それは、人とても 同じかもしれない。 いつも、空気のように あたりまえにある 人が 壊れ、姿も変えて、、、そんな時を超えるのに 一体どれほどの時間が要るのだろう。
現状のまま、、、は どこにもないことを 知る。
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