2002年08月31日(土) |
「縦書きのすすめ」を読んで。 |
文藝春秋9月臨時増刊号は文学や言葉についてたずさわっている者やそれを趣味とする者には、必読といつていいほどの内容が含まれています。 「美しい日本語」というテーマどおり、どの文も読みやすくわかりやすいです。
たくさんのテキストの中で石川九楊さんの「縦書きのすすめ」を今日は紹介します。 そういえばぼくはノートをとったり詩を書いたり、すべて横書きです。 社会の中でもパソコンは横書き、いわゆる企画書も公文書も横書きですね。 石川さんは書家ならではの感覚と論考でそれを改めるべきだと主張します。縦書 きと横書きでは文体どころか内容も変わってしまう、と。
石川さんは、同一のテーマで、大学生に縦書きと横書きとで短い作文を書いてもらい、書き方による差異があるかどうかアンケートを取ったそうです。 なんと全員が「ある」と答えたそうです。
一般的にはおなじ文章を書くのだから、変わるはずがないという意見や感じ方が大半であると思います。しかし、彼らは違うと答えたわけです。 『横書きだと流れ気味』 『縦書きだと重いけれどまとまりやすい』 『文体が変わる』など。
横書きにたいする意見は『書きやすい』『文が長くなる』『どこまでも書けそう』『箇条書きになる』など。 圧倒的に多かったのは『文がまとまらない』『文がしまらない』。 つまり書きやすさがまとまりのなさを生んでいるわけですね。またパソコンで あれば漢字を変換してくれるわけで、延々と広がっていくことも考えられます。
たとえば今、横書きでこの文章を打ちこんでいます。田口ランディーさんがメル マガで開発したテクニック、「3から4行で一行アキ」を使っています。 これは横書きが続くと読みにくいから、という配慮から生まれたもの。 ところがそれに慣れてくるとそのなかで段落をまとめようとしています。
そうであるにもかかわらず、横書きだと流れ気味だなと感じてはいました。
石川さんの指摘されるとおり、本も週刊誌も縦書きです。東アジアの表意文字は 天から地へ向かって書くのだから、この事を大事にすべきだと氏は主張します。 『戦後60年近く、政府や企業は横書きを推進し、まとまりのない文や思想を生みつづけるという、とり返しのつかないほどの大きな文化的誤りを犯してきた』とも。
ところでぼくは原稿用紙は清書にだけ使うという習慣を続けてきました。しかし 清書の都度、自然とリライトが入り、まったく別物の作品になることもよくありました。感覚的なものだと思っていたのですが、もっとふかい歴史性を秘めた問題でもあったわけですね。 詩以前のところで無意識にまとまりのなさにもがいているのであれば、縦書きを徹底的に励行してみるのもいいかもしれません。
縦横の違いとはまた別に林真理子さんはパソコンを止めて手書きにしたそうですね。それがご自身の文章作法の中で一番大事なことだとおっしゃっています。 また同書の中で猿谷要さんも縦書き、横書きについてコラムを書いておられます。 こちらも参考に併読をおすすめします。
さて、この『日記』、ノートに縦書きで書いたものを横書きに移し変えているのですが、いかがでしょう。 いつもと違いがあるでしょうか。 「発見」がありましたら掲示板までご一報くださいませ。
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