街を自転車で走っていて、「新しい道」を発見しました。
山陰線の市内の高架がほぼできあがって、「円町」という新しい駅もできました。 簡単に言えばこの高架の下の道なんです。まだ、全部は繋がっていないけど、二条駅から円町駅までほとんど信号なしで行けます。
京都以外の人にもわかるように言うと、碁盤の目の街を斜め横断する道ができたんです。ほんの一部ですけどね。 これが新鮮なんですよ。とにかく速いし。街を走ってる感覚が全然違う。
京都という街は、かっちりとした碁盤の目です。(基本的に大阪市内もそう) ただ、特に南北の通りが突然切れて、だいぶ南に行って復活したり、変な堤防で少し斜めになっていたりします。これはほとんど秀吉の仕業で、やつは「御土居」なるけったいな「仕切り」を作ったりして京都の街をぐちゃぐちゃにしました。 今でも、その跡は残っています。その秀吉も京都を斜め横断する道は作れなかったんですね。
京都・大阪が碁盤の目だとすると東京は「環」ですよね。皇居の回りを道も電車も円を描いているという構造。ただ、まっすぐの道もあるし、地下鉄は完全に斜め縦断しているのもあるんで一概には言えませんが。 でも、基本構造はそうだと思っておかないととんでもないことになります。 そういう「悲劇」をよく聞きました。 「いくら歩いてもつかないんだよぉ」ってね。
特に京都から外に出たことのない人間はその感覚がないんで、走れば走るほど右へ右へ傾いで行く道にとまどったりします。
街は道で変わります。秀吉も風穴を開けたかったのかな、とちらりとおもいました。実際、辻を廻ると、えっ!という感覚になるようなところがあります。京都には。住んでいる人間でも一瞬、どこか判らなくなる。
「魔界」とは言わないまでも、わけのわからないものに「こしゃくなぁ」と思ったんじゃないかな、秀吉は。
三条室町へ「梅にんにく」を買いに行きながらそんなことを考えていました。
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