散歩主義

2003年07月31日(木) 詩のこととか、書くこととか。

まだ届いたばかりで、パラパラとしか読んでいない「現代詩手帖」月号、特集が「いま、詩はどう変わったか」。そのテーマでの座談会に井坂洋子さんが出席しておられていて、うむむと緊張しました。これはじっくり読みたいです。

井坂さんが選をなさっている「婦人公論」のフォーラム「詩」への投稿をずっと続けています。今月はもう、間に合わないかも。締切の明記されていない不定期の公募です。だから、自分で線を引かないといけません。「この日までにはだすこと」といった具合で。月に必ず一つは出すこと、というのが基本ですが、どうしても出せないときもあります。

「どうしても出せない」というのは、しかし、やはりおかしいと思うので明日出します。今、「夕顔の町」という作品を書く事を最優先にしているので、割を食ってるのはあるかもしれませんが。

現代詩手帖に話を戻すと、この討議に参加した四人、すなわち北川透+稲川方人+井坂洋子+城戸朱理 が、1985年から2002年までの詩のアンソロジーを四者四通り作っているのです。これが面白くて、共通して入っているのが藤井貞和さんと荒川洋治さん。で、選んだ理由がみんな違う。それがおもしろい。

昔はこのような討議からなにか「行くべき指針」が見出せるかどうか、と言うようなよみかたをしたけれど、今は全然しません。「状況」がどうであるのか、そしてぼくの知らない詩人の業がどこかで輝いているのだろうか、そういう興味です。

そして現在の「現代詩」の最前線にいる詩人たちによるアンケートがさらに面白かった。
設問は「85年以降、もっとも刺激を受けた詩集とは」
やっぱり、というか荒川洋治さんは、昔から一貫して井坂さんの熱烈な支持者でありますが、『井坂氏にすべてを期待する。他の人にはあまり期待しない。いまのところ力を持つのはこの人だけだ』と。

ぼくにとっても井坂さんの詩集「地上がまんべんなく明るんで」(1994)は素晴らしい詩集です。

ぼくは自分が誰かのような詩を書きたいと言ったことはありませんが、作詞ではなく現代詩として尊敬しているのは、北村太郎さんです。
ただただ凄いと思っているのが高橋睦郎さん。だけど「生活」と「創造」のアンビバレンツな極を昇華している人として、多くの女性詩人こそが優れていると思っています。

それと今、ときどき書こうとしいる(書いている)掌編小説。これも現代詩のスタイルの一つとしてすでに定着しています。
これは散文というよりも「掌編小説」ですが、これが私の詩である、という詩人がいます。
それはたぶん小説家から見れば「超掌編小説」。たとえばゴザンスの800字が1200字程度になったもの。
ぼくはこれからこういうスタイルが増えていくと思うんです。

詩というよりもテキストという考え方。…ですね。

荒川さんはこう書く。
「詩人不在、編集者不在、詩集存在。これからはそうなるだろう」「詩人を失いつづけた。それがこの18年間である」

尊敬する詩人・佐々木幹朗さんはこう書く。
「詩なんて読まない新しい世代が、詩を書き始めることの面白さ。そういう世代の活躍がもっと進んでからはじめて、この期間に失われていったものが価値を持ち出すだろう」

「詩」であるまえに「テキスト」であること。
これが一つの律として、無意識にもぐりこんでいることに、もっと意識的になろうと思います。


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