散歩主義

2003年08月18日(月) 「願い」の実現

成功願望、超人願望のようなものがあるとして、ぼくの知り合いにも
「願い」は「無意識の力」と結びつくことによって必ず実現するという人がいます。

成功者の物語やビジネスマン向けのハウツーなんかにもよくありますね。
スポーツマンの成功物語にも登場してくる。ぼくは否定も肯定もしません。
肯定はしたいですね。「願い」ってやはりかなったほうがいいと思うから。

ところでその「無意識」とはなにか。
これがわりと漠然としています。ユングの言う人類共同の海のような無意識の域というイメージが一般的かも。そりゃあパワーが強烈なのは当然ですよね。
人類共通だから。昔から真理を探ろうとした人たちが必ず行った「瞑想」もそこへ辿りつくための方法であったのかもしれません。

「瞑想」の体験も語る人も多く、それがきっかけで何かに目覚めるという事もあるようです。もちろん「願い」の実現も。

ところがぼくが知り合いから聞いた話はちょっと怖かった。
当然、自らの「願い」を念じたり、意識したりするわけなんだけど、人の意識の強さというのはやはり凄くて、そういうほうへと自らを持っていくんですよね。それこそ無意識のうちに。ところが「願いを実現する」ということへ、仮に無意識からの力もうまく後押ししてくれて、叶いだしたとたん悪いことばかり起こるという事があるそうなんです。

それは「願い」というのは自分が考えていたり、覚えていたりするものだけじゃないということ。
「死んじゃえ」「くたばれ」「あんなやつ○○になっちゃえ」などなども見事な、それも強烈な願いで、そうではない「まともな願い」がなんども念じることが大事なのと同じ原理で、あんまりしつこく、そして強くそれを願っていると、そちらが「実現」してしまうんです。それも自分に降りかかってくる。

「人を呪わば穴ふたつ」といいます。「穴」とは「墓穴」のこと。「ふたつ」とは相手と自分ということです。そうらしいんですよね。願いとは、良い悪いに関係なくストレートに自分に帰って来る事でもあるのです。

それでえらいめにあったというんです。
「死ね」と思っても相手の「生きたる!!」のほうが強かったら負けますね。
負けたらどうも自分のところに帰ってくるみたいですよ。願いだけが。

やはり問題は生き方だと思います。
願う前に。

ではでは。


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