2009年06月05日(金) |
「1Q84」の余波、それとも後遺症 |
「1Q84」の余韻がまだ残っている。 長編ならではのカタルシスと、終盤で心が「きゅうっ」となったせいでもある。 また無性に自分の物語を書きたくなったし、本が読みたくなった。 どちらも長編で。 またこの本は自分で何かしらモノカキをしている、アマチュアの人に(プロの人でもいるかも)影響を与えずにはおかないだろうと思う。肯定的であろうと否定的であろうと。
ぼくは波乗りよろしくこのまま「乗っていきたい」。 作品に対して「そりゃあないぜ」という声も聞こえてきそうだ。確かにツッコミどころ満載の作品だった。 だけどそんな声を圧倒し、問題にしないほどに「物語のパワー」は桁外れに凄い。
少し言及されている神話にも似て、この小説はなにより「とてつもない物語」として読まれるべきだと思う。 そしてなによりこの「読みやすさ」も、内容が読者にたたみかけていく力強さの要因にもなっている。 そして長編の醍醐味。 やっぱり長編ならではの力、凄みはある。
ところでぼくは作品にのめりこむと文体が伝染する。ぼくにいちばん伝染しやすいのは保坂和志さんと村上春樹さんの文体だ。 昨日から「おとなのコラム」の連載原稿を書き始めているけれど、もろに伝染している。 でもかまわない。文体なんてあとで直せる。ここのところの「です、ます」に。 それよりも「物語」の饒舌さとパワーこそぼくに乗り移れ!!と念じるぐらいなのだ。
この春樹パワーに拮抗できるのは「合田雄一郎」だろうか。 発売が待たれる。 その前にもう一度高村作品を読んでみる。
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