高村薫「マークスの山」を再読した。 村上春樹「1Q84」を読んだあと、痺れたような脳を抱えたまま連載を書いていたのだけれど、何故だか高村さんの本を無性に読みたくなったのだった。
高村薫と村上春樹のどちらも好きな作家だ、というと首を傾げる人もいるかもしれない。両者の作風はまったく違うから。 しかしどちらも「読める」というぼくみたいな人もいるだろう。
天吾と青豆に匹敵するふたりとして、水沢裕之と真知子の二人を無意識のうちに求めていたのかもしれない。 青豆の孤独とマークス、つまり裕之の孤独を並べてみたかったのかも知れない。ともに殺人者だ。読んでいて震えが来るほどの孤独…。
いや、そんなきれい事じゃなく、高村薫「太陽を曳く馬」の刊行を待望する気持ちが向かわせたのだと思う。きっと 「1Q84」ではほのめかされているオウム真理教が「太陽」ではまともにでてくる。 たぶん高村さんの作業は「1Q84」天吾の章に書かれているように進んでいるのだろう。内容も変わる可能性があるから、「新潮」連載時の内容をこれ以上書いても仕方がない。
ただこれだけはいえると思う。 社会に関わっていこうとする強固な意志が共通している。
暴力とセックスを書かないと決めてスタートしながら、魂に触れるために悪を包含するところまで書く世界を広げてきた村上氏。 ミステリの第一人者としてスタートしながら、「社会と繋がっているのが物書きだ」という高村氏。 しかし直木賞を獲得した「マークスの山」でさえ、「自分の読みたい小説ではなかった」と言う。そして、遭遇したのが阪神淡路大震災であり、オウム真理教のサリン事件だった。 これは村上氏にも共通する。いや全国民に共通する「体験」だった。
大阪に住んでいる高村さんは震災の揺れを経験したし、かつて神戸に住んでいた村上さんも被災地はよく見知った土地だった。 オウムは全国民がショックを受けた事件だった。 この二つの出来事で二人の作家は変わった。あるいは影響を受けている。
同じ時代の二人の作家。 作風はまったく違うけれど、二人ともずっと読み続けていたい。 他にも好きな作家はたくさんいるけれど、特にこの二人は。
よくよく考えてみると、つまり二人とも作品が魂に触れてくるからなのだと思う。作品で魂をわしづかみにされた事があるのだ。
今、橋本治「蝶のゆくえ」を読んでいる。 これもまた孤独な主人公の短編が集められている。すべて女性である。
注・高村さんの「」の発言は2004,12,19付「日刊スポーツ」のインヴューから。
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