老犬ハナの容態は緩やかに傾斜を滑り落ちていくようだ。 ぼくらにはその傾斜角を緩やかにするぐらいしかできない。 なるべく刺激を与えたくないので、ハナのいる部屋ではテレビは最小限にした。ほとんど観ない。日射しの強い日はシェードを降ろし、夕暮れは早めに食事を済ませて人も犬も眠れる態勢にする。夜中に二度は起きるから。
そんなことを今日、日記に書き始めて、久しぶりの詩になっていることに気がついた。途中で焦点を絞って詩に書き換えてファイルに保存。改めて日記を書いている。
老犬の介護によって枠の嵌められる日常こそ、書くことに読むことに最適になっていると思うときがある。いや思うようになった。 過剰なことができない。なるたけ外に出かけず静かにしていなければならない。壊れた体をそのまままるごと「そういうもの」として受け入れなければならない。 そうすると静かな気持ちになる。それは犬とぼくが一緒に生きていくためにとてもいい状態である。
「1Q84」の騒動が一段落し、ぼくの読書と執筆も動き出している。 これまでの日記にも書いたようにたしかに素晴らしい作品だった。だけど直後にぼくは高村薫さんの「マークスの山」と「照柿」の再読をはじめた。 ぼくは高村さんの作品をミステリと思って読んだことはない。まさに、生き方と精神のありようが克明に記された作品として読んでいる。 つまり「小説」として。ちょっとテイストの違うものを読みたかった。
同時に自分が書いている連載の励みにしているのが江國香織さんの連載「真昼なのに昏い部屋」だ。すでにクリアファイルでいつもの「自家製の本」をつくっている。 文章のたたずまいがとにかく素晴らしい。
そして七月には平野啓一郎さんの新作「ドーン」がリリースされる。 「ドーン」つまり「Dawn」「夜明け」という意味と了解している。 「決壊」の終わり方が「出口無し」というように読めたから、続編が必ずあるだろうと思っていたし、それを期待する読者の声もネット上で多かった。
さて、詩を推敲し、本当に久しぶりに投稿しようと思う。
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