2009年07月11日(土) |
バッハ:無伴奏チェロ組曲 |
最近、午前四時から五時の間に起床している。 掃除をし、珈琲を淹れて一服するのがだいたい五時半ぐらい。 その時に音楽を流し始め、ずっと朝食前までそのままにしてちょこまかと動くのだけれど、その音楽が最近、バッハの無伴奏チェロ組曲になった。
「歴代の」朝の音楽。 ラジオの時もあれば、パット・メセニーの時もありキース・ジャレットの時もあった。スピッツやヒッキー、「にゅあん」までそれこそいろいろ。 それでもトータルで見るとバロック系、とりわけバッハの曲が多い。それも例えば「主よ、人の望よ喜びよ」などのカンタータかオルガン曲、あるいは「ゴルドヘルグ」などが多かった。
それが「無伴奏」に行き着いたような気がしている。この音楽からはこれ以上ないほど余分なものが削ぎ落とされている。流れるような旋律の中で「島」のようにいくつかの音が強調される。そして流れる。流れる。 そこに心身が同調するようになったのだろう。
もともとチェロの練習曲として楽譜もばらばらにななり時間の経過の中に半ば埋もれていたこの「組曲」を発掘し、再評価し、統合し、演奏を磨き上げ、世に問うたのはパプロ・カザルスだった。 以来この組曲は「チェロのソロ・レパートリーの最高峰」(ヨーヨー・マ)と言われている。
カザルスに言わせれば「バッハのすべてであり、音楽のすべて」ということになる。 そのシンプルさと演奏の長さと重低音の連続に、しんどいという人もいるし、寝てしまう人もいる。 だけどぼくの心身にはとてもいい。
ぼくがもっているCDは、ヨーヨー・マの演奏と、ピエール・フルニエの演奏。今のところヨーヨー・マの1997年に再録音したものをよく聴く。
ところで六つのパートに別れている組曲の六番目の楽譜にバッハはある指定を残している。 「五弦のチェロで演奏すること」
いうまでもなくチェロは四弦である。ここに高音のE線がついたものが五弦チェロなのだ。現在この古楽器は再現され、その演奏もなされている。
そもそも五弦を四弦で演奏しているのだから、六番はテクニック的にも難しいとされてきた。 その古楽器による演奏を、実は昨日観ることができた。
五弦チェロは肩からのストラップで楽器を吊して弾く。だからヴァイオリンのようなニュアンスがあって、確かに音も軽いように感じた。 バッハの意図がこちらの楽器にあるのだとしたら、これも一枚、手もとに置かねばなるまい。
ところで老犬ハナが心安らかに聴いてくれるのはこの無伴奏チェロ組曲と斉藤忠光氏のピアノ・インプロヴィゼーション「光流」だけだ。ハナの境地にやっと追いついたか…。
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