2009年08月25日(火) |
バーネット・ニューマン/アンナの光 |
「高村薫の夏」が昨日、終わった。 「マークスの山」「照柿」「レディ・ジョーカー」「晴子情歌」「新リア王」「太陽を曳く馬」の通読完了。 これでようやく自分のカキモノにたくさん時間がさける。
昨日は最後の「太陽を曳く馬」を読了した。 とにかく難解だった。考えた。調べた。行きつ戻りつ、考えながら読み進めた。 上巻の福沢秋道の真っ赤な絵画をめぐる考察はスリリングで、ぐいぐいと読めたけれど、下巻の仏教、オウムをめぐる「論考」には、何度も立ち往生した。 けれどもそれでよかったと思う。 すくなくとも考え続けることができたから。 「私」とはなにか。「自由」とはなにか。「生きる」とは。「魂」とは。
問題の裾野は広く、そして考えるのも生きていくのも「私」独りであることをしょっちゅう思い返してもいた。
この本から得たものは確かにある。だけどなかなかまとまらない。これからのぼくじしんの作品に反映もするのは確かだろうけれども。 とにかく「そうなのか?そうなのか?」と、問い続け、問いかけられ続けた。 まったく希有の読書体験だった。
読み終えると無性に絵が見たくなった。 バーネット・ニューマンの「アンナの光」。 千葉県佐倉市の川村記念美術館にある。 「太陽を曳く馬」の表紙は上下ともマーク・ロスコ(これも同美術館にある)だけれど、「秋道の赤」の光、と考えたならば、作品中でも指摘されているし、ぼくもむしろこちらだろうと思ったのがバーネット・ニューマンの「アンナの光」なのである。
いちめんの赤。 どんな「光」なのか…。
川村記念美術館
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