文学部の国文学の卒論のテーマとして作家を誰か選ぶとき、故人でなければならないという決まりがあった。今始まったことではない。ぼくらの頃も、ずつと昔からそうだった。ただいま現在がどうなのかはわからないけれど。だから村上春樹では書けないと思う。
理由は「評価が定まっていない」から。確かに生きている作家ならば、この先、何を書くか判ったものではないよね。 作家だけでなくある時代に焦点を絞った書き方もある。古代、中世、江戸あたりまではそういう論文も多い。
まあ大抵は近現代のある一人の作家に絞ることが多いのだけれど、故人だからといって吉行淳之介、開高健、遠藤周作といった人たちを教授が認めてくれるかどうかはわからない。まだそれほど時間が経っていないから、駄目かも知れない。武田泰淳ならいいかな。微妙。
いずれにしてもぼくがキャンパスを去ってからずいぶん長い時間が過ぎた。大学の想い出は寮での暮らししか残っていない。それなのに今そんな卒論じみたことをしようか、と考えている。成績も卒業証書も関係ない。ただ自分の「モノカキ」の一助として。一助?いや大きな援助として。
さて、一人の作家に絞り、教授からOKがでると「読み込み」が開始される。全著作を読むのだ。作品だけでなく手紙からエッセイまで。これは鉄則。読んでいないとすぐばれる。 当然、全集を読み込む。図書館に日参することになる。
ただどうしても自分の手もとに置いておきたい、という連中は古書店から大書店までかけずり回って集める。考えてみれば好きじゃなきゃできないねこんなこと。
ぼくの同期で親しかった男(もう故人だけど)の卒論は北村透谷だった。集めてた。どこで手に入れたんだ、というような貴重な本が下宿にうずたかく積まれていた。本のなかで暮らしていた。
もう一人の同期は、よくよく考えてアルバイト先を本屋さんにしたんだ。従業員だから本が安く手に入る、と考えて。 だけど給料日には給料明細がいつも赤字。マイナス。給料以上に本を買い込んでしまったんだね。彼は重度身障者の学校の先生になった。 彼の家にあった伊藤野枝全集なんて持っている人いないだろうね。
で、ぼくだ。 ぼくは本の代わりにジャズのレコードばかり買い集めていた。不良。
…紆余曲折することXX年。それでも最近誰か一人と定めて徹底的に読もうと思う。高村薫さんの集中的に読んだのがきっかけかな。 ほとんど全作品があるのは吉行淳之介、庄野潤三、江國香織。全集は夏目漱石、太宰治、大江健三郎、高橋和己。
だけどだけど本当に興味があるのはなんだ。と胸に手を当ててみると、フランスのコント、イギリスのエッセイだったりする。 日本の作家で、故人だとすると吉行淳之介、遠藤周作…。
あー、やっぱり吉行さんかあ。 だけど吉行さんのはほとんど読んだので、ここから枝を伸ばしていかねばならない。 吉行さんが影響を受けた作家も全部読むのだ。これも鉄則。グレアム・グリーンかな…。すいません読んでいません。 その影響を受けて書かれた「暗室」の方法論を使って作品を書く、と。
まずはそこまで行きたい。 めどがついたら遠藤さんの全集を手に入れて…。以下同様に…。
|