「アンタにだけは言われたくないわ、気違い。」
高ぶった感情は思考をめちゃくちゃにした。 とにかく姉を傷つけたかった。 酷い言葉を投げかけて苦しめたかった。
「アンタって言うな。 それにこんなんしてる人の方が気違いやわ。」
皿を割って本を散らかして。 確かに私の行動は気違い染みた衝動。
「だからアンタにだけは言われたくないわ。 どっちが本物の気違いかなんて誰が見ても分かる。 アンタは精神科に通ってるもん。 私は通ってない。 どっちが気違い?」
傷つける為の言葉を選んで使って、わざと、わざと、姉を追いつめようとして。 心のストッパーは完全に外れていた。 目の前の人間が憎くて憎くて堪らなかった。
姉は、言葉に詰まった。 頭が良くて、頭の回転が速くて、いつも口では誰にも負けない姉が、今、私の言葉に返すべき言葉を持てずに押し黙った。
暗い喜びが込み上げた。 暗い優越感が広がった。
姉は、言葉を返す代わりに簡単な文句とともに、落ちていた皿の破片を投げてきた。 顔に当たった。
私も投げ帰した。 顔に当てた。
でもお互いやっぱり血を見るのが怖いのか、「投げつけた」というよりは「軽く当てた」と言う感じ。 お互い怪我をしない程度の破片の応酬。
思ってた。 この時考えてた。
もし今姉が本気で私に皿の破片を投げつけてもいい。 そうしたら私は言える。
気違いの姉に怪我をさせられた。 この人は危険人物です。
そうしたら姉は即入院になるだろう。
破片が飛んでくる度に、怪我をする怖さとともに、私に怪我をさせて病院につれて行かれる姉を思ってそれもいいと思った。
母が止めるまで。 母が姉を祖父母の家に連れ戻すまで。
傷つける為だけの言葉と、 ある種の脅しの混ざった破片の応酬は続いた。
少し前から自分が不安定になってきているのが分かる。 原因はやっぱりこの日記を書いていること。 これは私の中の膿を出す作業。 痛くて痛くて毎日泣いてしまうけれど、必要なことだと思ってる。 私が「痛い」なら、きっと姉にとっては「激痛」だったろうから。 私の痛みは自業自得。私が泣くこと自体、私は自分を甘やかしている気がする。 うがぁ。参った。どう考えても行き着く先は「深海最低」。うがぁ、参った。
私の家と、祖父母の家は、隣同士。 私の余りの荒れっぷりに、最大限の譲歩か、姉はその日から祖父母の家で寝起きするようになった。 接触する機会は減った。 でも、落ち着かない。 姉はいつでも自由に行き来できる距離にいる。
繰り返し訴える。 姉を入院させて。
返ってくる苦笑い。 火曜日まで待って。
繰り返し。 皿を割る。
苦笑い。 苦笑い。
割れた皿が床に落ちている状態の時に、姉が来た。
姉が、来たんだ。
一気に押し黙る私。 口を開けばきっと酷い言葉しか出ないと分かってる。
姉は床に落ちている皿の破片を見て言った。
「こんなんしてもお母さんを困らせるだけやで。」
カッとなった。
私の心を乱しているのはアンタの存在だ。 アンタさえいなければ私はこんなことしない。
口を開けば酷い言葉しか出ないと分かっている、だからそう思っても黙ってた。
そんな私に姉は言葉を続けてきた。
「こんなんしても無意味やで。 なにしてんの?」
正論だね。 ああ、正論だ。
だけどアンタにこそ言われたくないんだ。
口を、開いてしまった。
「…は、アンタにだけは言われたくないわ、気違い。」
2度目の躁病の姉へは絶望感でいっぱいだった。 とにかく一緒にいたくなかった。 早くこの家から離れて欲しかった。
なのに、何故かなかなか入院しない。
母に聞いた。 「なんであの人を入院させへんの? 早く入院させて!早くどっかやって!」
母は、答えた。 「○○病院(姉と母が心の病になると通う、前回姉が入院した病院)が空いてへんねん。 空くまで待って。」
「そこじゃなくても他に病院あるやんか! 別のとこでもいいから、とにかく早く入院させて!」
「●●病院(別の病院の名前)は一回入院したら2度と出られへんとかいう話やし(真偽は定かではない、 ただの噂だと思うけど)、暫く待って。」
「それでいい、2度と帰ってこんでいい、だから早く入院させて!」
「なに言うねん、あんた、家族やんか。 家族が労ったらなどうすんねん。」
「家族やからってなに!? 家族やったら我慢せなあかんの? あんな人を我慢して受け入れたらなあかんの?」
2度目の躁病の姉はやっぱりおかしくて。 下着姿で家中を歩き回って、 「日本が勝った、日本が勝った、何であんたらは喜ばへんの?日本が勝った!!」 訳の分からないことを言いながら万歳を繰り返していた。 下着姿の姉に、祖母が服を着なさいと言うと、 「はよ着せてや!そんなん言うんやったらはよ着せてや!!」 と怒鳴り返して。 祖母がいざ服を着せようとすると徐に抵抗したり。
嫌、嫌、嫌。 もう、嫌。
「私はあの人が家族なんが最高の不幸やと思ってるもん!!」
感情を留められないままに声を上げた。
母は、呆れと苦笑いとが混じった表情をした。 これ以上はもういいといった風情でそっぽを向いた。
泣けてきた。
泣きながら言った。
「お願いやから入院させて!」
母は「今は無理」の一点張り。
気持ちが荒れて荒れてどうしようもなくなった。 頭の中はぐちゃぐちゃでどうしようもなくなった。
手近にあった皿を割った。 手近にあった本を撒き散らした。
それでも母は、火曜日には空くからそれまで待ってといって譲らなかった。
今は、木曜日。 あと5日も我慢しろって?
無理、です。
…いや、ただの正気の演出だったのかもしれない。
信じられない、信じられない、なんでどうして! 私は姉と仲良くなれるように努力したの。 怖い気持ち、ずっと持っていたけれど、それでも姉と普通に話せるように頑張ったの。 やっと、2年かかって、やっと姉の前でも笑えるようになったの。
それなのに、また繰り返すの? あの時の姉に戻るの? あの時の恐怖、また私は味わうの?
もう嫌だ、もう嫌だ、もう嫌だ。
裏切られた気分。 絶望した。 私の姉への恐怖の克服、それが全部台無しになった。
もう嫌だ、もう嫌だ、もう嫌だ。
姉への感情が少しの親愛になるまでに回復した時期の大どんでん返し。
私の姉への感情のスタート値はマイナスだった。 それが少しずつ少しずつプラスになって、少しずつ少しずつ暖かくなってきた後の大どんでん返し。
怖い気持ちを無くすように頑張って、仲良くしようとして、もう大丈夫だと信じて、心を開いた分だけ、私は裏切られた意識を強く持った。 心を開いた分だけ、姉への感情は真っ逆様に転落していった。
どうせ繰り返すんだ。 気持ちの修正するだけ無駄なんだ。 姉は私に歩み寄ってくれたけど。 私はそれに答えようと頑張ってみたけれど。
どうせまた繰り返すんだ。
だったら最初からもうどうでもいい。
こんな姉は、もういらない。 こんな姉、いなくなってしまえ。
2003年03月13日(木) |
陳腐にいうならば。「悲劇の始まり」 |
…少しずつ。 それでも、少しずつ。 1年、姉に何事もなく過ぎた。
その間、少しずつ、姉の前で口を開くことができるようになった。 家族で、外食だってした。 姉が話し掛けてくれば、答えることはできるようになった。 笑顔で返せないまでも、「普通」に返すまではできるようになった。
姉は私に話し掛けてくれるから。 最初は怖くて堪らなかった私も少しずつ克服できるように頑張った。 私なりに、姉への歩み寄り、できるようになった。
2年、何事もなく過ぎて、もう大丈夫、私は姉と普通に話せると思うまでになった。 やっぱり恐怖はどこかに引っ掛かるけれど、それでも普通に話せると思うまでになった。
心を、開けた。 もう大丈夫だと思った。 私は姉と普通の姉妹になれたと思った。
…また、冬。 いつだって冬。
姉の、2度目の躁病。
帰ってきた姉は、死んだような姉だった。 薬が効きすぎると言っていた。 急に倒れたりした。
嫌だった、怖かった、見たくなかった。
それでも姉は、そこにいる。
姉を避けながら過ごす毎日。 姉はだんだんといつもの姉に戻る毎日。 いつもの姉になって、私にも普通に話し掛けてくるようになった毎日。
でも。 いつも通りの明るい姉になったって、だからって私は姉を受け入れるなんて無理。 またバイトを始めて頑張っている姉を見たって、だからって私は姉に心を開くなんて無理。
だって私は知ってるから。 別人のようになった姉を知ってるから。 繰り返し繰り返し繰り返し。 普通になったってまた繰り返す姉を知っているから。 怖い。
私の感情は恐怖ばかりだ。 怖くて怖くて怖くて怖くて。 そればっかりだ。
私は姉が怖い。 今、いつも通りの明るい姉だからって、病気の時の別人のような姉を覚えている限り、 きっと私の姉への恐怖は拭い切れない。
姉が病院へ戻った。 ほっとした。
姉が外泊許可をもらって帰ってきた。 怖くて堪らなくなった。
姉が病院へ戻った。 ほっとした。
姉が外泊許可をもらって帰ってきた。今度は2泊。 不安で堪らなくなった。
姉が病院へ戻った。 ほっとした。
姉が、外泊許可をもらって帰ってきた。そのまま病院へ戻らなくなった。 晴れて、退院。
退院おめでとう、なんて欠片も思えない。
帰ってきてほしくなかった、姉。 おかえりなさい。
ちゃんとした機会で、姉は1泊だけ帰ってきた。
怖い怖い怖い。 あの意味不明な言葉を口走る姉を見たくない。 知らない人のような言動、挙動をする姉を見たくない。 姉に会いたくない。 帰って来ないで。
そう思っても、機会はくる。 外泊許可を出す主治医を、無意味に呪いたくなる。
帰ってきた姉は、やっぱり別人のよう。
…すごく、動きが鈍い。 呼吸をするのも億劫な様子で、吐く息、吸う息が見て取れる。 動作が緩慢で、鈍くて、目がどこか死んだようで。
やっぱり別人のよう。
訳が分からない。
ずっと動かないで座っているだけの姉を見たことがある。 変なことを口走って変なことをする姉も見た。 そして今度は生きているのに生きていないみたいな姉。
なんでこんなことになるの?
姉は、姉じゃない。 姉は、おかしい。 姉が、怖くて堪らない。
こんな姉、嫌。
何度かそうやって病院からタクシーを使って帰ってきた姉。
ある日、姉が切羽詰まった様子でトイレに逃げ込んで内から鍵をかけた。 後から追ってくる声。 祖父の、声。
「○○(姉の名)、出てこい!」
祖父は興奮した声でトイレの戸を叩く。
「嫌や、どっかいってあっちいって来んといて!!」
姉は叫ぶ。 姉の興奮した叫びに、祖父は激昂する。
「はよ出てこい! 病院戻らなあかん! 出て来なこの扉潰すよ!」
姉は涙混じりの声で叫び返す。
「もういいから! どっかいって! もう死ぬから!」
「死ぬんやったら死んだらええ! でもそこで死ぬな!どっか別のとこで死んで! うちの家で死なんといて!」
「そこどいたら死ぬから! あんたがどっか行ったら死ぬから!」
「とにかく出てこい! ほんまに扉潰すよ!」
何度かの遣り取り。 止める母、祖母の声。
「カナヅチ持ってこい! この扉壊したる!」
興奮が収まらない祖父、戸を叩く音が酷くなる。
私は。
私は。
興奮した二人の声と、必死に止める母、祖母の声を聞きながら、 逆にどんどん冷めた気持ちで考えてた。
だったら、今すぐその窓から飛び降りれば良いのに。
そう思ってた。
トイレには窓がある。 死ぬには高さが足りてないけれど、飛び降りる事は出来る。 死ぬという言葉、そのパフォーマンスは充分出来る。
「後で死ぬから。」
なんで?
死ぬと言うんだったら、とりあえずそこの窓から飛び降りれば良いじゃない。
死ぬというのなら、今すぐその行動を起こせ。
暗い気持ちで考えてた。 二人が出て来いだのもう死ぬだのを叫び合う声を聞きながら、 私は逆にどんどん頭の中が冷めていくのを感じながら、 滑稽なほど必死な二人の声を他人事のように聞きながら、 ずっとずっと、考えてた。
死ぬというのなら、今すぐ飛び降りろ。 できないのに死ぬなんて言うな。 貴方の死を期待させるな。
母と祖母が祖父を何とか宥めて別の場所へ連れていくまで、ずっとずっと考えてた。
結局姉は死ななかったけど。 やっぱり姉は死ななかったけど。
私は姉が死ぬのを期待していた。
入院中の姉が慌ただしく帰って来たことがある。 やっぱり早口で何かを捲し立てながら、落ち着かない様子で帰ってきた。
タクシーを使って帰ってきたんだって。 いつも閉鎖されている扉が開いた時に逃げ出してきたんだって。 タクシー代は祖母が出したって。
迷惑だ。 帰ってくるな。
暗い気持ちが支配する。
こんな姉、いらない。
逃げるように帰ってきても、やっぱりうちで扱いきれない姉は、 帰ってくる度にまた病院へと逆戻りしていたけれど、 それでもまた同じ事を繰り返した。 その度に祖母のサイフの口が開く。
迷惑だ。 帰ってくるな。 そのお金は無駄以外の何物でもない。
疎ましい。 なんなのあの人。
嫌いだ。 大嫌いだ。
姉が躁病になったのは、2回。 1度目は私よりも寧ろ祖父への打撃の方が酷かったように思う。 祖父は随分と取り乱していたようだから。 2度目は、私。私への打撃は凄まじかったと言っていい。
2度目の方が私の心に占める割合が大きく、1度目の姉の躁病の時の記憶は、割と断片的。 逆に、印象に残っている事だけは鮮やかに甦る。
1度目の躁病の姉、覚えている事。 姉は酷く挙動不審、言動不審だった事。
実際には居ない、知らない人の名前とその人の関係を話して聞かされた。 頷く事もできずにただ黙って聞いているだけの私を、「何であんたは分からんの?」と、さも不思議そうに訪ねてきた。 警察に電話をして殺される助けて!と助けを求めた。 警察に電話をしてうちに変な人がいると助けを求めた。 実際に警官の方が様子を見にきてくださって、姉は兄を指しながら(姉から見れば弟)「この人変な人やから捕まえて!」と言っていた。 何度も何度も警察に電話をしようとする姉を止めようとした母を、蹴り倒した。
うちではどうしようもないと、姉は精神科に入院した。
姉は毎日毎日電話をかけてきた。 留守番電話も姉ばかりだった。 私はそれが嫌で嫌で堪らなかった。 電話の受話器を外しておいた。 母が元に戻した。 電話のコードを抜いておいた。 母が元に戻した。 それを繰り返した。
電話の内容はその時々だった。 ありもしない人の名前を呼んで「そこに居るんやろ!?」と言っていたり、 弱々しい声で迎えにきて、ここから出たい、助けてと延々と繰り返していたり、 命令口調で病院に持ってきてほしい物を言っていたり。
母は、姉に掛り切りだった。 毎日のように病院へ通っていた。
おもしろくない。 おもしろくない。 こんなの、嫌だ。
高校2年生、3学期。 私は1日も学校へ行っていない。 3学期は全部休んだ。 修学旅行も行っていない。
当て付け。 それが一番しっくりくる言葉だろう。
学校が嫌だから休んだんじゃなく。 姉が嫌だから学校を休んだ。
物凄く子供染みた行動なんだろう。 全く話の通じない、筋の通らない行動なんだろう。 ただ母に構ってほしい一心の表れだったのかと思う。 酷く間違った表現、自分の首を絞めるだけの表現。
とにかく私は、学校へ行かないのは姉の所為だと主張した。 あんな人ほっとけばいいと母に言った。
母はそれでも、姉に掛り切りだった。
姉への感情は悪くなる一方。
起きて居間に下りると、母が朝ご飯を作ってくれる。 それがいつもの朝の始まり。
その日、居間には一人暮らしで家にいないはずの姉がいた。 母と姉、二人の声は、とても慌ただしい感じがする。
階段を下りてきた私に、姉は興奮した面持ちで話し掛けてきた。
大学2年に上がる為に何日も、それこそ何十日も掛けて作成したレポートがあった。 とある先生に、「これを提出すれば2年になれる」と言われて、その言葉の通りに姉は頑張って作ったレポートがあった。 (私は知らなかったんだけれど、姉は一人暮らしの時にも大学を休学していた時期があったらしい。レポート作成はその分を取り返す為の物だったとか。)
だけど、そのレポートを提出したのに姉は2年に上がれないと言われた。
姉にレポート提出を言った先生の勘違いだったそうで、その先生は泣きながら姉に謝ったそうだ。
…泣きながら謝られた姉の気持ちはどこにぶつけたらいい? 先制で泣かれた姉は、きっとさして感情を荒げる事もできずに許したんだろう。 泣くなんて卑怯だ。本当に泣きたいのが誰かを考えれば、涙なんて流せないはずだ。 泣いている人を慰めるのは、本当に泣きたい人だったなんて質の悪い喜劇のよう。 この時、姉は自分の感情を出せなかったんだろう。 そして、内に向かった感情は、行き場をなくして爆発したんだろう。
姉はこの大学のレポートの話を早口でぺらぺらと捲し立ててきた。
「今私すごい早口やろ? ちょっとおかしいねん。自分でも分かる。」
うん、おかしい。 こんな姉は初めてみる。
母が私に 「今日ちょっと朝ご飯作られへんから自分で食べて。」 と言った。 私は姉のこの状態と、母の慌てている様子がよくわかったので、 「うん。」 と言った。
普通でしょう? 慌てている母を止めて、無理に朝ご飯を作れ!なんて言う方がおかしい。 特に取り立てていうまでもない、普通の行動でしょう。 だけど姉は、私に言った。
「深海がこんな良い子になってくれて私は嬉しい! ほんまに嬉しい!」
途中から感極まって涙まで流しながら言った。
なんなの、この人。
また、姉が遠ざかる。 信じられないくらい遠ざかる。
また、姉が怖くなる。 信じられないくらい怖くなる。
高校を辞めた姉はバイトをしながら、大検(大学入学資格検定)を受ける為に勉強をし始めていた。 その為の予備校にも通いだした。 たぶん、この頃が姉が一番安定していた時期。 この頃の姉は、家ではやっぱり女王様のようだったけれど、以前のような威圧的な感じはなくなっていた。…我侭なお姫様、といった方が近い感じ。 人にやっぱり命令するけれど、その時は取ってつけたように敬語を使ったりしていた。 ちょっと、面白かった。 私の姉への感情は、大分緩和された。 嫌悪感は、ほとんどなくなっていた。 苦手意識だけはどうしても取り除く事はできなかったけれど。
大検を受けて合格した姉は、予備校でもっとたくさん勉強し、そして大学を2つ受けて2つともに合格した。 やっぱり、頭のいい学校。 やっぱり、姉はすごい。
大学に通い始めた姉は、暫くすると一人暮らしを始めた。 姉は、順調だった。すごく、順調だった。
姉が大学に入学した年に、私は高校2年生になっていた。 この高校は私の好きな学校。私の好きな空気。 往復2時間の通学も、全く苦じゃなかった。 私は高校が大好きだ。今も、あの学校の卒業生である事を誇りに思う。
高校2年生の冬までの間、私は幸せだった。 苦手な姉がいない家。 大好きな学校。 私は幸せだった。
…冬までは。
私が高校2年生の冬。
姉は、躁病になった。
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