私は母が大好きです。
それはこんな私たちをずっと育ててくれているからでもあるし、 とても優しいからでもあるし、 それと、同情もある。
ずっと思ってたの。 母は可哀想だって。
働いて、家事もして、でも見返りは私たちの登校拒否であったり祖父母の小言であったり。
なのに、母は文句も言わずにそんな毎日を続けている。
私は母が好き。 所謂「反抗期」は私には無かった。 可哀想な母に反抗するなんて酷い事だと思って、ある程度の我慢は当然だと思ってた。
だけど姉は違った。 姉は母に命令するの。 当然のように命令するの。
姉は酷いヤツだ。 だから、母は姉より私の方が好きなはずだ。
心の中でずっとそう思ってた。
姉と兄と私だったら、母はきっと私が一番好きなはず。
そう思ってた。
だから。 姉が心の病でおかしな行動をしておかしな言動をして精神科に入院して。 そんな姉の元へ母が毎日のように通う現状が堪らなく許せなかった。
あんな酷いヤツに構う必要なんてないのに!
そうして私は泣いて訴えた。 物を壊して訴えた。 その行動こそが母を困らせる以外の何物でもないと、全く気付かずに。
馬鹿だ。 私は、馬鹿だ。
火曜日、姉は入院した。
安堵。
…は、長く続かなかった。
鳴り出す電話。
繰り返しだ。 やっぱり繰り返しだ。
受話器を取っておくとか。 コードを抜いておくとか。 それは全部一時的な物。 すぐに母に戻される。
だから私はコードをハサミで切った。 母は怒ったけど。 物凄く怒ったけど。
うちの電話が鳴ることはこれでない。
嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
でも電話はうちにある物だけじゃない。 祖父母の家にも電話はある。
そっちの電話が鳴って、母は呼び出されて、その度に病院へ出掛ける。
変わらない。 あの人が存在する限り、変わらない。
私の幸せは、あの人がいる限り存在しない。
本当に、一瞬時間が止まったように感じた。
姉が、階段の上の空間に踊った。
一瞬、周りが止まった。
次の瞬間姉は落ちた。
綺麗に落ちた。
私は姉の腰の部分を真横に水平に蹴った。(これは意図してじゃなくて偶然なんだけど) 姉はバランスを崩すことなく立ったままの態勢で階段の上の空間に踊り、そして立ったままの態勢で階段に着地した。 もっとごろごろと派手に体をぶつけたりしながら落ちると思っていた私は唖然とした。
階段に着地した無傷の姉は叫んできた。
「落ちたったで! どうや落ちたったで!」
どこか勝ち誇ったような声で叫んできた。
瞬間、私は自分の部屋へと逃げ帰った。 すぐにタンスの組立に取りかかった。 手が震えて止まらなかった。 組立手順を何度も間違えながら作業を続けた。
カナヅチで叩いていると、また姉の声が聞こえてきた。
「アンタなにしてるん!? 阿呆なことしてるんちゃうやろな!?」
姉は、私がタンスを組み立てているのを知らない。 ガンガンとカナヅチを叩く音が、私が荒れて何かを壊している音に聞こえたんだろう。
あはは、それもいいや。
姉の声を無視して、不必要なほど力を込めてカナヅチを振る。
姉が何か叫んでる。 母が姉に説明してる声。 タンス買ってそれ組み立ててるだけや。
暫くすると、二人の声は聞こえなくなった。
私は11時50分ごろバイト先に電話した。 すみません、今日遅れます。
バイト先には午後2時前についた。 数時間前、姉に殺意を持って行動した人間が、もう何事も無かったように接客をしている。
あはは、なんて滑稽。
私は、いたって正常。
おかしいのは、全部、姉。
そう思ってた。 全部全部姉の所為。
そう思ってた。
* * * * * *
兄。 兄のこと、全く書いていませんでした。 居ます居ます、ずーっと家に居ますから。 姉の躁病の時もちゃんと現場にいましたよ。 ただ、描写できない、というか。しようがない、というか。
兄は、完全に傍観者でした。 普段は部屋に居るかどこかに出掛けているかで、姉や私たちの関係に直接は関わってません。距離を置いて見ていたのでしょう。 私が居間をめちゃくちゃにしたときも、見ていました。 少し面白がるような顔で、見ていました。 私が母に「入院させたら良いのになんでさせへんの!?」と言うと、兄も「ほんまやで。」と軽く同意していましたが。 あ、居間を片付ける母の手伝いはしていましたね。あはは。
…んー。 自分の意志を出さない人だなぁ。 兄は何を感じていたんだろう。
当時私はアルバイトをしていました。 前日、日曜日のバイトのお昼休みに、近くのホームセンターでタンスを買いました。 自分で組み立てるタンス。
次の日の朝(月曜日、今日)、配達の方がタンスを運んでくださって、私の部屋にタンスの元になる木と釘が運び込まれました。 この日、バイトは午後0時から。 私はそれまでの時間、タンスを組み立てることにしました。
ボンドで引っ付けて。 カナヅチで叩いて。 どこか楽しい作業。 黙々とタンスを組み立てていると、居間から声が聞こえてきました。
母の声と、姉の声でした。
姉は何事か叫んでいて。 母は何事かを口にして止めようとしていて。
何故か二人は階段を上ってきました。
階段を上ったところ、私の部屋の前で、二人は何事か言い争っています。
ボンドをタンスに塗りつけながら、聞いていると。
姉が死ぬだの死なないだの叫んでいて。 母がそれを止めようとしているのか宥めていて。
死ぬだの死なないだの。 姉は自分で何度も言ってる。 訳の分からない興奮した言葉を羅列して、母を困らせてる。
黙って聞いていた。 黙々とタンスを組み立てていた。
ずっと続く二人の声。
うるさい。
うるさい。
うるさい。
うるさい。
うるさい。
うるさい。
…うるさい。
衝動的に立ち上がって扉を開けました。 そこには当然、母と姉の姿。 後ろには階段が見えて。
私は姉を、階段の方へ力一杯押しました。
「死ぬんやったら今すぐこっから飛び降りろ!」
そう叫んで力一杯押しました。
なのに。 なのに。
なのに姉は抵抗するの。
今、死ぬって言っていたよね? なんで? なんで?
壁に捕まって落ちないようにして、私に文句を言ってくる姉。 なんで? なんで?
母も私に止めーや!と言って止めようとする。 なんで? なんで?
手で押してもびくともしない姉。 今死ぬって言ってたのになんで!? いらいらしていらいらしていらいらして、ふてぶてしく反論してくる姉に憎悪の念さえ抱いて。
「いいから落ちろ!!」
そう叫んで、私は姉を階段に向かって蹴り落としました。 瞬間、明確な殺意を持って、私は姉を階段へと蹴り落としました。
2003年04月25日(金) |
日曜日までに入院させないと、私は姉を殺します。 |
日曜日の夜。 姉はまだ祖父母の家にいる。 私は心の底から絶望した。
手当たり次第に皿を割った。 居間にある棚を倒して中身をぶちまけて、棚さえも蹴って壊した。
泣きながら棚を壊す私こそが、気違いなんだろう。
私はただただ姉を憎む気持ちを強くしながら、棚を壊して居間をめちゃくちゃにした。
それでも母は、呆れだけを表情に乗せて、それ以上は何もしなかった。
「ご苦労さん。」
なんて言葉を口にして、簡単に片づけをしだした。
なんで分かんないの!? 私がここまで言ってるのに! こんなにも姉を拒否してるのに! それでも火曜日まで待てって言うのですか?
壊して壊して母に訴えて。 それでも母は私の行動をただ流すだけで受け止めてくれなくて。
なんでそこまでして姉を入院させないのか理解できない。
姉さえ入院すれば私はこんな事しない。 入院させさえすれば私の気持ちは落ち着くのに。
そう訴えたって、結局姉が入院したのは母が最初から言っていた火曜日。 前日、月曜日の私は。
一つめの告白。
それを考えると落ち込むなぁ。
姉が心の病になったのは、きっと姉がとても優しい人だからだと思う。 私が心の病になっていないのは、きっと私の心がずるくて醜いからだと思う。
姉は、全部自分に溜め込んだ。 中学生の頃は私でストレス発散していたらしいけれど、それでもそれは決定的な苛めじゃなかった。 ストレス発散の為ならもっといくらでも酷いことはできただろうけど、姉はそんなに酷いことはしなかった。ちゃんと、加減はしていたんだと思う。 最も、それは当時の私には全く伝わらなかったけれど。 私にしてみればそれは謂われのない冷たい態度以外の何物でもなかったんだから。
…というか、本音を言うならば、これ、この姉が私に冷たい態度を取るという一番最初の私の姉への感情を決定づける物がなければ、私は当時ここまで姉を憎むことはなかったはず。最初の一歩が悪感情すぎたから、もう私の足はそういう方向にしか向かなかったんだろう。思えば私と姉の関係、その分岐はここからもうすでに始まっていたんだなぁ。
閑話休題。 姉の優しいところは、人の所為にしないところだろう。 一度目の躁病のきっかけ。あの時感情を爆発させて、その先生に怒鳴りつけることができていれば、姉が自分自身に溜め込む負の感情は少しは軽減できたはず。 でも姉はできなかった。全部、全部自分に溜め込んで、自滅した。 …完璧主義。自分を過信しすぎ。そして不器用者めー。
私のずるく醜いところは、人の所為にするところだろう。 姉を悪者にして、私は自分を守った。 全部自分に溜め込んで処理するよりも、誰かの所為にして…利用して心の負担に距離を置くことで私は心の病にならずに済んだ。 誰かを悪者にしてそれを非難することはとても楽。 それは一種の依存でもあった。 もし私が姉を悪者扱いせず、正面から受け止めていたら、私の感情は行き場をなくして私自身も自滅の道を辿っただろう。 とてもずるい考え方だけれど、私は姉を悪者にすることで私自身を保った。 最も、保てていたかというとほとんどギリギリの線で、だけれど。 …いや。…。保てていなかったの、かも。
とかく世の中は不条理だ。 心の優しい人が辛い目を見て、心の醜い人がのさばっている。
私は家族という言葉の持つイメージが嫌い。
姉が躁病(というか、分裂症だったのかもしれない)の時、母に何度も何度も言われた。
「家族やねんから。」
家族を労るのは、さも当然の事のように。 家族という理由だけで、私の姉への拒絶の心は全否定された。
だけど私は。
家族という関係だからこそ姉をここまで憎んだんだと思う。
例えば私と姉が、妹と姉という関係じゃなく、ただのクラスメイトとして出会っていたとしたら、私は姉と友達にだってなれたと思う。
姉は基本的に好感を持てる人物だと思うよ。
家族に対しては大分接し方が変わるけど。 それでも普段の姉は、嫌悪を抱くほどではない。
家族という繋がりは。 逃げ場がない。 家族はどこまでいっても家族。 血の繋がりは絶対。
友達だったら、この人は合わないと思えばもう付き合わないようにすればいいし、 恋人だったら、別れればそれでお終い。
でも家族は違う。
私には姉がいません。 それは嘘。 姉は、姉。 家族の縁を切ったと言ってみても、血は変わらないんだから。
私には生まれた時から死ぬまで姉がいます。
家族は家族である時点から、どうしようもない束縛にもなる。
母が私に、 「家族やねんから仲良くせなあかん。」 と言う度に、泣きたいような苦しいようなどうしようもない気持ちになった。
私だって知ってる。 家族皆が仲良しの家庭。それがどんなに幸せか。 姉がそれを望んで、だから私に話し掛けていたのだって分かってる。 私だって、私だって、家族が仲良かったら良いなって思うよ。
だけど、無理なんだから。 私には無理なんだから。
どうしたら良いのさ。 私は姉が怖いの。怖くて堪らないの。 それを克服できたと思ったの。 2年間。 口で言うと簡単だけど、2年って長かった。 2年を掛けて、私は姉への感情を修正できた。
なのに姉はまた繰り返した。 一瞬で、私の2年の努力は泡になった。
繰り返したくないのは姉も同じだってのも知ってる。私よりもずっと繰り返したくないって思っていただろうことなんて少し考えればすぐに分かる。そんなの分かってる。
でも分かってても、気持ちではどうしようもないの。
相手の気持ちになって考えろ。
じゃあ、私の気持ちはどうしたらいい? 相手の痛みが分かったら、相手を思い遣る行動ができる? じゃあ、私の痛みはどうなるの?
誰も悪くない、なんて本当は分かってる。 でも、誰かを悪者にしなきゃ私は私を保つことができなかった。
もしも。 もしも私が美しい心を持った聖人だったとしたら、きっと変わっていたんだろうけれど。
母の言葉は全部私の心を逆撫でした。 それはたぶん、母の言葉は正論だったからかもしれない。 私は感情で訴えていたから、正論で返されると惨めになった。
私も、本当は分かってた。 母の言葉が正しいこと、分かってた。
でも、そうじゃない。 私は正しい言葉が欲しかったんじゃない。 ただ、言って欲しかった。 泣きながら訴える私の言葉にこう返して欲しかった。
「可哀想に。」
私の気持ちを、受け止めて欲しかった。
母は、「一番苦しんでるのはお姉ちゃんなんやで。」と私に諭したけれど。 私だって、病気を繰り返して姉自身が一番苦しんでいるだろうことを想像することはできたけれど。
「一番」苦しんでいるとか、私には関係ないの。 「私は」苦しかった。「私は」しんどかったの。
誰かと比べてもしかしたら二番目の苦しみだったとしても、そんなの知らない。
「私は」今、「私は」苦しかったんだ。 どうしようもなく、苦しかったんだ。
それを、知って欲しかった。 でも母と私の考え方の違いなのかな。
母は、「姉が一番苦しいねんから、私たちが助けたらなあかん。」というようなことを言って、私の苦しみは些細なことのように扱った。
私たちは家族なんだから。
家族なんだから。
家族。
…大嫌いな理由。
「家族」は一つの集合についた、ただの名称。 本来それだけの意味じゃないんでしょうか?
…それについては明日書きます。
ああ、そうだ。 メール、どうもです。 簡潔な質問、ごもっともな疑問だと思いますので、ここで公開返答という形で失礼します。 >何故、家を出ないのですか?
うんと。姉の時のことを聞いていらっしゃるのか、今のことを聞いていらっしゃるのかちょっと分からないので、両方で書きます。
姉の時、その当時は家を出るという選択肢は最初から綺麗さっぱりなかったです。 ここは私の家。姉の所為で私が家を出るなんて死んでも嫌。 そんな意地があったのかも知れません。
今は。 仕事場が家から自転車で5分の距離だから。 近場最高。
…あと。 双方とも最大の理由は甘えですね。自覚しております。
2003年04月20日(日) |
ここから3月23日の日記の続きです。 |
次の日、また、母に言った。
「早く入院させて!」
繰り返し。 「今は無理。」
私は必死。 泣きながら哀願。 物を壊しながら懇願。
一向に変わらない母の言葉。
一つ、言ってみた。 口にするまではずっと躊躇いのあった言葉。 いざ口にしてみると驚くほど簡単に出た言葉。
「日曜までに入院させへんと、私は姉を殺すから。」
完全なる脅しの言葉。 一つのラインを越えた気がした。 でも母はそれを聞いても苦笑と呆れの混じった顔で
「なんで殺さなあかんねん。 家族やろ。」
とだけ言った。 まるで相手にされてない。 家族という意味不明な理由、大嫌いな言葉で私を宥めようとする。
私は何度も言った。
「入院させな殺す。」
…宿る、言霊。
ああ、それだ。
だって考えなければ悩まなくて済むんだから。
性格的なモノなんだろう。
私はヤバいと思ったらもう考えない。 ぐつぐつ煮詰めて自分を追い詰めるなんてナンセーンス。 なら考えなければ良い。
私の考えは、なるようになる、である。
生きていくこと、それ自体はきっと簡単。 なんとかなるなる。 その上で、ウェルテルのように悩むのも自由。 それは私は知らないよ。各人のご自由にどうぞ。 苦悩の人生を歩む方も居たって良い。 いろんな人が居てこその世界にゃんだから。 私は他人の生き方に口出しする気は毛頭ございません。 しかしおもろい表現だ。毛頭ない。毛の先ほどもない。うぅん、イカス。
とと。 …んで、私は考えない人。 軽い考え方で今日を生きております深海さん。
幸せを体感できるし、 良いこともいっぱいあるし、 ヤなことがあってもまた良いことが待っていたりするし、 人生って結構楽しいよね。
で、げんじつとーひの話。 私の悩み。 大なり小なりたくさんあるわけで。 大の方に家族のあれこれが入っているわけで。 それが悩みの中のかなりのウェイトを占めているわけで。
その辺をよーく考えると、もんのすごく落ち込む。 人生ってなんだ…幸せってなんだ…生きるってなんだ…嗚呼。
考えても、変わらない。 考えて考えて考えて考えて考え抜いたら、もしかしたら何かしらの答えが出るのかもしれないけれど、私はそこまでぐつぐつ煮詰める作業に没頭する気はない。 その境地に到達するまでの課程で、ごっつい落ち込んでやってらんねーはっ!若しくは、もうイヤだ生きるなんて面倒だーはっ!とかになるだろうから。そこから幸せを自覚できる状態へと修正していく自信はちょっとない。 だから、私は考えないで済ます。
私の悩み。 家族の心の病。その時の周りの状態。私。 だけど、それは一時的なものだもん。 2ヶ月3ヶ月も経てば、治る。 繰り返すかもしれないけれど、その度に心にビンタくらった気分になるけれど、でも、ずっとじゃない。
終わりは、ある。 それが希望。
私が姉に対してしたことの告白をここでしようとしているのは、考えないで済むほど軽いもんじゃなかったから。考えないで済まして良いほどの軽いもんじゃないから。 これに対してははっきりと後悔。懺悔はしない。ただ、告白する。
ああ、途中だった。 母の躁病でちょっといっぱいいっぱいになっていて、その今姉の時のことを思い出して書くなんてこと できねぇってなもんで途中でほっぽりだしていたけれど、そろそろ書こうか。 大分落ち着いた。大丈夫。 まだ、書かなくちゃいけないことは書いていないんだから。
たぶん、明日以降の日記はまた過去の姉話。 ここからはがんがんヘヴィだぜ。ヴィ。下唇を噛んでヴィ。 そんな感じで一つ。ヴィ。
朝、自転車に乗って仕事場に向かう。
私の前に、同じく自転車に乗ったがたいの良いおっちゃんが居た。 進む方向は一緒。速度もほぼ同じ。暫く付かず離れず状態で進む。
と。
彼のケータイが鳴った。 自転車に乗ったまま器用にポケットからそれを取り出し、電話に出る彼。
「もしもし?」←彼
「ぶはっ!」←私
あー、いえね。 そのおっちゃんはだからがたいが良いんですってば。 おっちゃんなんですってば。
なのに第一声の「もしもし」がもう高いのなんのって。 しかも結構可愛い感じの声だったから尚更。 深海さん、思わず吹き出してしまいましたとさ。
でも流石に自転車に乗りながら大爆笑なんて怪しい真似はできないので、 必死で笑いを堪えながらマッハで彼を追い越しました。 追い越した後は下を向いて笑いの波が通り過ぎるのを待ちました。
そんな朝の一齣。
こけました。 一人で盛大にこけました。
通りすがりのお婆さんが物凄く心配してくれました。 通りすがりのトラック運ちゃんが窓からひょっこり顔を出して心配してくれました。 通りすがりのおばちゃんが至って冷静な表情でこちらを見ていました。あいたー。
足に痣ができてしまい、もんのすごく痛かったけれど、あと恥ずかしかったけれど、なんだか満たされました。
ほら幸せ。 私は幸せ。
些細な事で笑えるし、些細な事で満たされる。
ほら幸せ。 私は幸せ。
でも何だかな。 今私が幸せと感じる時、その場所に、家族はいない。
…あ。
お腹いっぱいご飯を食べられるってのもすんげー幸せな事だね。 例え同時にガンガン流れるBGM(=母の躁状態のお喋り)にちょっとげんなりしながらでも、 お腹がいっぱいにできる私はとても幸せ者。
おーう。
なんだ私って超幸せ者じゃん。
あっはっは。にこにこ。
明日もきっと良い日です。にこにこ。
あーでも今日ちょっと暑かったので、明日は太陽控えめでお願いしまーす。にこにこ。
…てるてる坊主を中途半端に作ったら、微妙な晴れ具合になったりして。うはは。
ああもうふざけろ。 いやふざけんな? ああどっちでもいい。 とにかくお前を侮蔑する。 はん、嫌いだ。 お前なんか大嫌いだ。 もし今お前が死んだって私は悲しまない。 は、それどころか心の底から笑ってやるさ。 最高の笑顔で死に顔を拝んでやるさ。
お前は最低だ。 お前は、最低だ。
AM7:30 母対姉語録。
「ごめんなさい!すいません!」 「全部私が悪いんです!」 「何でできへんねやろ…。」 「何でこんなことになんねやろ…。」 「(姉に言われた物を探して)…無い…どうしよう…怒られる…。」 「私はもう姉の前から消えます!」
ねぇ。 満足?
母を、ここまで追い詰めて、満足?
今日ははっきり泣いていたよ。 それは貴方も気付いていたでしょう? 貴方が怒鳴る度に金切り声で叫び返していた母。 その声。泣き声。
その声を聞いても尚命令を飛ばし、罵声を飛ばす貴方の神経。 …は。言葉が見つからないわ。 世界で一番汚い言葉を贈ってあげたいんだけど。
わかんない。 ああ、もう、ああ。 どうしてそんな酷いことを言えるの。 どうして母を追い詰めるの。
なんでよ。 なんでよ。 わかんない。
貴方が家を出た後。 私が出掛ける準備を始める時間。
母、私。 流れる泣き言。
私は至って冷静な素振りでそれを全部耳に入れる。 私は聞き流す、なんて器用な真似はできない。 全部聞いてその意味を頭に入れる。入れたくないのに入っていく。 何も答えない。
なんて答えれば良いかなんてわかんない。
慰める? 励ます? 叱咤する?
…ふざけろ。
私の精神状態だって、実に最悪。 最近の涙腺の緩さには参ってる。 そんな余裕があるもんか。
………。
ああ、そういえば。 祖母と母の話し声が聞こえた。
私と兄は母に対して何も言わない。 それを母はどうとらえていたか。
「兄と深海は私が病気なんやってもう諦めてるんやと思う。」
…うーん。 そうだねー。 病気だという事実は変わらないから、まぁその点はもうしょうがないと思ってる。 でもねー、母自身を諦め切れてないから私は毎度泣きそうになるし叫びたい衝動、何かを壊したい衝動なんかに襲われてるんだろうとも思う。
完全に諦められたら、私はただ母を冷めた目で見て、何も感じないでいられるだろう。 それは楽で良いなー。 いちいち感情のやり場に困ることもなくて良いなー。
あはははは。
価値のない話。
本当、どうしよう。 私、やばいわ。 感情の巧い捌き方がわかんない。
早く病院のベッド空かないかな。 母自身の為にも、周りの為にも。
今は全ての歯車がごちゃごちゃんなってる。 そのまま進むのは、とても危険。 止まろう。 間を置こう。
私も、辛いです。
でもまだ私は笑える。だから大丈夫だ。おー。
おお、これぞ正に肩透かし。
姉はそういや土日は休みだったや。 私が朝起きて居間に降りると、姉はすやすや寝ておりやした。 こらこらお嬢さん、居間で寝るんじゃないよ。寝るなら自室で寝んしゃいよ。
あーそれにしてもそっかー週休2日かー。 まーその分平日の残業とか結構あるみたいだし、 一概には良いなぁとは言えないけれど、良いなぁ〜。<言ってんじゃん
んん。 ところで。
我慢しているのって私だけかも知んない。
祖父が。 祖父が母にギャーギャー言ってました。 祖母は小言をつらつらと言ってました。 母は頭に来たと私に言いました。 私は黙っていました。
(ちなみにその後母は書き置きを残して家から離脱。 バイクでその辺を走り回って落ち着いてくるとかなんとか。 ああああ危ないから止めれよぅ。)
…えーと。
私も実は腹の中にはごっついいろいろ詰まってまふよ。 言おうと思えばいくらでもギャーギャー言える。小言大言何でもござれ。
でも言わない。我慢してる。
なーぜーかー。 それは簡単。
言う価値のない言葉だからねっ。
私が今母に感じているのは鬱陶しさであったり煩わしさであったり五月蠅さであったりいらいらであったり…切なさであったり。 それを面と向かって口に出したらそりゃ一時はすっとするかもしんないけどさ、その後はどうよ。 言って、それで自分が得られるものと、母に与えるものを考えたらずいぶんと割りが合わないっちゃー思わねーかい? あー、母の事を考えずに自分オンリー俺様一番で考えたら何でもガンガン口に出しちゃえるだろうけどねッ。ははん。
深海さん言葉って大事だと思うのよー。 ほんの一言だって人生変える力持ってたりするし、どえりゃあもんよそれは。 だから、私はできれば負の力を持った言葉は口に出したくない。 (…私が言っても説得力ないかもだけど。 姉の時にプッツンした私だからねー。)
んだけど姉も祖父も祖母も違うのか。(兄はいつも通り何考えてんだか分からんっす) 自分のその場限りの感情のままを口に出して母を更に追い詰めてそれで満足なのか。
んー。 言っちゃう気持ちは分かる。 それはもう痛いほど分かる。 私だって安全弁が2、3個吹っ飛べばペラペーラしちゃうと思いますが。(ちなみにこれ姉の時の安全弁とは数も頑丈さも全く違うぜベイベー) でもだーめだねー。 言っちゃう気持ちは分かっても、言っちゃった貴方達は理解不能。軽蔑しちゃうねー。
あうあう。
人を、というか、家族をどんどん嫌いになります。 もうまいっちんぐ。
ってオチつけるなよ自分。
ふはは。
私はやっぱり姉、貴方が大嫌いだわ。
AM7:30 姉対母語録。
「早くして!」 「信じられへん!」 「アンタ私を苛めてるん!?」 「いい加減にしてや!」
極め付け。
「アンタは母親失格やわ!」
母は、今、心の病です。
要領が、悪いです。
なのに、姉は、全部、全部、何もかもを母にさせて、そして遅いと言っては母に怒鳴りつけます。
朝ご飯。 お弁当。 服のアイロン掛け。 今日着る服の小物類の準備。 今日持っていく物の準備。
全部、全部、命令します。
次々に指示を飛ばして。 次々に飛ばされた指示に母がまごまごすると、遅いと怒鳴り。
「○○を取ってきて」、て。
どうして自分で取りに行かないんでしょう。
母がアイロンを掛けていると、○○を取ってきてと怒鳴り。 手を止めて言われた物を母が持ってくると、アイロン早よ掛けてと怒鳴り。 掛け終わった服を渡すと朝ご飯まだ!?と怒鳴り。 朝ご飯を作っているとまた別の命令をするの。
そして、母がいっぱいいっぱいになっているとまた早くしてと怒鳴る。 何もかもアンタが悪いと言わんばかりの声で怒鳴る。
姉。 私は、貴方が2回目の躁病の時に、貴方を殺そうとしました。
私はそれをとても後悔しました。
だけど、今朝の貴方の怒声を聞いていると、その後悔の気持ちはとても軽くなりました。
こんな人。 最低な人。
貴方だって躁病の時どうなっていたか。 母はこれでも貴方の時より数倍ましです。 躁病の母に家事、それ以上を「いつも通り」に命令する貴方はどうかしている。
貴方が今朝母に対して言った言葉は全部、貴方自身の為の言葉でしょう。 それも、その場限りの感情の露出を目的とした、ただのストレス発散の言葉。
母に対する思い遣りの心が少しでもあれば、母親失格、なんて言えないでしょう。 どうして我慢できないのか。 私は、泣くのを我慢できたのに。 どうして口を閉じているだけの事ができないのか。 そんな口なら縫いつけてしまえば良いのに。
貴方が今朝発した言葉は全部、母に悪影響しか及ぼしません。
AM8:00 貴方が家を出た後。 私が出掛ける準備を始める時間。
私が居間に下りると、母は、泣いていました。 はっきりとは見ていません。 私は視力が悪いので、コンタクトをしないとちゃんと見えませんから。
だけど、母は目を拭ったから。 洟を啜ったから。
そして私の前では何事もなかったかのように。 母の躁病故の次々に発する言葉でいつも通りの朝が始まりました。
先日。
私が母の前で泣かないようにと努力していたのは、母の為、と思っての事。 母に与える影響を思っての事。
だけど姉、貴方は考えないんですね。 自分の発した言葉が母の中でどんな痛みになるか、なんて。
貴方を繊細だと母は評しましたけれど、私にはそうは思えません。 繊細なら、人を傷つける言葉をそんな簡単に口に上らせることができますか。 考えませんか。言葉の痛みを。怒鳴り声の影響を。
明日、朝。 もしまた貴方が母に対して命令を出したら、私は貴方を100万回笑います。 貴方自らが母に評した「母親失格」の言葉。 その代償。
母親失格の人物に、母親の仕事を求めるなんておかしいですよね。
朝ご飯。 お弁当。 服のアイロン掛け。 今日着る服の小物類の準備。 今日持っていく物の準備。
命令したら。 母に怒鳴りつけたら。
私はもう、貴方を完全に軽蔑します。 私はもう、貴方と「仲の良い姉妹」になろうなんて微塵も思いません。
人の言葉はそれくらい影響力があると言う事。 思い知りなさい。
先日、本人の前で泣きそうになったのは、まぁ単純な事。
少し期待をしたら、物の見事に、それはそれは綺麗に裏切られただけって話。
あ、そうなんだぁ。 ぐわっ。←感情がぐらっと揺らいだ音だと思いねぇ。
そんな感じ。
姉の時もそうだった。 私が悪いのかな。
仲良くなれるかも、って勝手に期待して。 勝手に裏切られた気分になって。
先日も。
勝手に期待して「いつも通り」に話を持ち掛けて。 綺麗さっぱり「いつもと違う調子」で返ってきた言葉の数々に勝手に裏切られた気持ちになって。
勝手に期待して勝手に裏切られた気分になる私自身が一番質が悪いのかぁ? 私は、父がいて、母がいて、まぁ兄弟がいたりなんかして、んで皆が普通に暮らしているっていう平和な家庭にひっそり憧れていたりするのですが。
期待するなって事? 最初から全部諦めてりゃ良いって事?
なんかなー、それってヤな感じ。 それに難しいわ。 私、母好きだから、期待は知らずにしてしまうもん。
あー、でさ、その後にさ。 母が言ったのさ。
「ごめん、今私冷静な判断でけへんねん。」
母、自覚、あり。
ぐわっ。←感情がぐらぐらと揺らいだ音だと思いねぇ。
謝った。
母は、私に、謝った。
私は本人の前で泣きそうになったけど、声が震えたけど、それでも涙はぐぐっと堪えた。
でも、それでも私が瞬間に燃やした感情に母は気付いて、
んで、謝った。
心の病、その本人。
本人に非があるのかどうか。
私は母に謝られた瞬間に、更に感情がぐらぐらしてマジで泣きそう5秒前(古)になってすぐ部屋に戻った。
母は、悪いのか?
心の病になった事は謝るような、引け目を感じるような事なのか? たぶんね、母が心の病になった元々の原因は私たち子供と祖父にあると思うんだけど。
それでも母は、私の前でその瞬間に引け目を感じた訳で。
あー。
ごめんなさい。
私、駄目だわ。
母は好きだけれど、躁病真っ只中の母はどうしても受け入れられない。
家族の理解っつーもんがあれば、母は謝らずに済んだのかなー。
あー、ごめんなさい。
私、理解できないです。どうしても、拒絶してしまう。
ごめん。ごめん。ごめんなさい。
本当、ごめん。
泣きそう。
本人の前で泣くことはだめだめだと思ってる。うん。
私が泣いてしまうと、きっと母は気にするだろうから。 それは母にとって、どう考えても決してプラスにはならない。 私は母の前で泣いちゃだめだ。泣かない。それが良い、きっと良い。
だけど、本当、泣きそうになった。やばかった。 声が震えた。 気付いたかな。 むー。
だからさ。
分かってる。
分かってるけど、割り切れないんだってば。
疑問符ばっかり。
なんで? どうして? こんな事になるのって変、おかしいって。ねぇなんで?
鉄の心が欲しい。
私の心は、がさがさで歪で醜い。
全てを受け止めて、それでも動じないでいる人になりたい。
それにはまずどうすれば良いんだろう。
努力で性格改善できるもんなのかなー。 …なんて考えている時点で無理っぽい、か。
だーめだなー。ぷー。
ふぎゃー。
あーお。
うー。
………。
やるせない、というか。
例えば。
泣いてどうにかなるのなら、私はいくらでも泣く。
叫んでどうにかなるのなら、私は喉が潰れるまで叫び続ける。
あー。
でも有り得ない。
神様お願い、なんて。
それ以前に、私は神様を信じておりませぬ。
あー。
……。
母が、また躁病になった。
姉、鬱病繰り返す。 母、自律神経失調症になる。 姉、躁病になる。 その2年後、姉、また躁病になる。(日記はこの途中で止まってる) その1年後、母、躁病になる。(ちなみにこれも冬の事)
んで、また1年後。 今…冬を越して安心していた時を狙っての、今度は春ですかー。
母、躁病になる。
繰り返す。
その度に私はやるせない気持ちになる。
悲しい。 うーん。 悲しい。
どうしてなんだろう。 うーん。 どうしてなんだろうね。
いっそ私も狂ってしまえたら、楽になれるのかな、なんて考えてみる。 心の病で苦しんでいる人にしてみれば、なんて酷い「もしも」だと思われるかもしれないけれど。
正直。
大好きな人が。 おかしくなる姿を間近で見続けるのは。
苦しい。
いっそ母を嫌いになれたら楽になるのかな、なんて考えてみる。
その考えは、なかなかに現実味を帯びていて。
自己嫌悪。
あー。
うー。
やるせない。
神様いるならなんとかしてよ。 そしたら私は貴方の存在を信じますとも。
あーそれとも救いを求める手を出す気力がある者はまだ助けませんかね?
もっと、もっと、もっと。
まだ。
まだ、私はまだ、それでもまだ、幸せ、だと思う。 少なくとも、不幸じゃない。 だって私は笑えるんだもーん。
笑顔。 それでも、今日もたくさん笑えた。
だから私は不幸じゃない。
ただ、ふと無性に泣きたくなるだけだ。
あー畜生。 なんだよもー。
考えがうまく纏まんねーってば。 あーもー。
だー! 終わり!
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