あたろーの日記
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| 2006年02月28日(火) |
てっちゃんのこと。。。 |
旧暦2月1日。 私がこの日記を書き始めてから、3年以上、年に3〜4回自宅でごきに遭遇するほか、道端で何度かお会いしている、その度に、それから昔話としても、ごき話がこの日記に何度も登場している。思うに、この日記のごき話を集めると、小冊子くらいの量になるんではなかろうか。 と、そんなくだらないことを考えていたら2月ももう終わってしまう。 職場の書物の大先輩から、車谷長吉氏の本を沢山戴く。ちょうど、『文學界』3月号の氏の航海記を読んでいて面白いと思っていたところだったので、すごく嬉しい。読むものを戴くということはなんと有難いことか。 また、職場の人が1人退職。月末って、そういうことが多いから、やっぱりさみしい。最近すぐ、胸が詰まる。 会社でとんでもないミスをしてしまった。ふつうこんな大ボケはしないだろう、と思うようなことをやっていた。ああまただ、しかも今度は上司の責任問題も含めて、ただではすまされない、なんらかの処分も覚悟して、実は先の週末は落ち込んだり、いじいじ考えてもしようがない、と諦めたり、の繰り返しだった。こんな役立たずはもうクビだろうなあとまで思っていた。しかし、私が心配症で考えすぎたのか、問題がそう大きくなることはなく、でも私が思うに私の完全な落ち度なのに、上司や周囲の人のフォローで、その後の手続きは大事に至らずに進められている。ほんとうに申し訳ない、と思いながらも、上司にも、同僚にも、いつも助けられながら仕事していける環境に感謝の気持ちが湧いてくる。今回のことだけじゃなくて、自分は、毎日毎日、どんな小さな場面でも、例えば誰かとすれ違って挨拶や笑みを交わすだけでも、いつもいつも、周囲の人に助けられているんだと思う。 今、田舎の妹から電話があった。日記を書いている途中だったのだけど、しばらく話していた。 先週の日曜の夜中に、酔って喉が渇いて水を飲みに台所に行こうと階段を降りていたら、転げ落ちて救急車で運ばれ、頭を縫う大怪我をしたそう(心配させまいと私には誰も教えてくれなかったのだけど、あれから1週間以上経って検査結果も無事だったので、今本人から電話があった)。まったく、酔って階段から転げ落ちるなんてマヌケすぎる。・・・その、妹が救急車で運ばれたのと同じ夜中に、妹の住む家から車で1時間ほどのところにある実家の秋田犬、てっちゃんが老衰で朦朧とし始めたので、父の車でかかりつけの動物病院に運ばれたそうだ。・・・それから約1週間後に、てっちゃんは意識がほとんど戻らずに病院で最期を迎え、妹は病院の検査結果が出て頭部に異常はないと確認された・・・。 妹とてっちゃんが同じ日のほぼ同じ時刻にそれぞれ病院に担ぎ込まれて、・・・てっちゃんが妹の身代わりになった。てっちゃんが身代わりになってくれたんだね、と、母と妹はそう話し合ったそうだ。妹が私に電話してきたのは、自分が怪我をした話をしたいからではなくて、てっちゃんが自分の代わりに天国に行ってくれたことを私に伝えておきたかったからだ。 実家には常に犬や猫が何匹もいて、だからもう何代にもわたっていろんな犬達や猫達と暮らしてきて、それぞれに個性があってさまざまな思い出をくれたけれど、みんな、別れ際に、決して忘れることの出来ない形で最期の想いを遺していく。だけど、今回の、てっちゃんのようなことは初めてだ。・・・妹は今は実家から離れているけれど、結婚前はてっちゃんが幼い頃から散歩に連れて行き、遊んだり、ごはんを世話したり、それこそ噛まれて救急車で運ばれたこともあったけど、てっちゃんのことをもの凄く可愛がっていたし、てっちゃんも相当妹を信頼していた。・・・犬や猫や他の動物と一緒に暮らしたことのある人なら実感されると思うのだけど、家族同然の関係にある人間や犬や猫の間には、ほんとうに不思議な、どう考えても不思議で胸の熱くなるような、切なくなるような、強い繋がりがあるんだと感じる。犬や猫が、遠く離れた飼い主のもとへはるばる旅して辿り着くという話を聞いたことがあるけれど、それも凄く理解できる。 一昨日の日記に、てっちゃんはちょっとバカだったと書いたけれど、あれは撤回します。すごくすごくいい犬でした。最高の秋田犬でした。
旧暦1月30日。 今朝、会社に電話を入れて、「体調不良のため出社が1時間遅れます」と伝えた。 偏頭痛があったのは本当なんだけど、ふつうに家を出て会社に着くことが出来たのです。ほんとはほんとは。 ほんとはゴキが出てしまったので。 さて出掛けようと玄関の床にカバンをボテッと置いて、忘れ物したので居間に戻ってまたすぐ玄関に出てきた。その時、カバンの隣に、見馴れない黒いアーモンド状のものが。・・・げっと思って相手を刺激しないようにそっと手を伸ばし、ティッシュを掴んでえいやっと床めがけて突進。むにっと強く抑えて気絶させた(たぶん)。そのまま引っ掴んでごみ袋へ。我ながら落ち着いた見事な攻撃だったと思う。すぐそばにゴキジェットプロ(ウチには台所と居間に各1本ずつ設置してある)があったけれど、殺虫剤を吹きかけると昇天する前に暴れ回るのがかえって怖い。それにしても私も強くなった。以前は今朝みたいな中くらいのが出てももの凄い悲鳴上げてジタバタ殺虫剤をまき散らして、ギトギトになった床で自分が滑ってコケたりしていたので。しかも、掃除機で吸い取ってあとの処置に困ったり、死んでいるのに見るのが怖くてコップやバケツを被せて下から厚紙を入れて捨てたりと、ありとあらゆるマヌケなことを、ゴキ相手にやってきたこの十数年。しかし、私も進歩した、ほんとに進歩したと思う。 というわけで、一応は落ち着いて行動したものの、ごみ袋の口をしっかり締めた時点ですでに家を出るべき時間をとうに過ぎていたので、会社に電話を入れて、ちょっと玄関掃除してからようやく出掛けた。 ・・・実は、数日前にもありまして。近所の居酒屋で呑んでほろ酔いで深夜帰宅し、台所の電気をつけずにすたすた部屋に入って、歯磨きしながら台所に戻ってみたら、なんだか床に転がっていた。ん?と思ってよーく見ようと身体をかがめかけて、やめた。まさか、とは思ったけど、あんまりよく見ない方がいいような気がした。で、ティッシュで掴んで、ぎゅっと押したらぷちっと音がしたので怖くなって急いでごみ袋に入れた。少ししてからやっぱり疑惑を打ち消すためには見ておいた法がいい、あれは絶対あれではない、と、ごみ袋がさごそやって(酔っぱらっていたからちょっと神経図太くなっていた)、ティッシュをそっとひっくり返してみたら、触角のようなものが見えたので、やっぱり深く追求しない方がいい、深く考えてはいけないと、そこまででやめておいた。 どうやら、電気をつけないで台所歩いたときに、足でむぎゅっと潰してしまったようで。酔っぱらっていたのでぜんぜん気づかなかった。。。 世の中で最も苦手で怖いものであるからして、見間違えてビビらないように、台所などにはゴミが落ちていないように気をつけたり、一応掃除はしているのですが。。。。なんで、こんな寒い時季に出るんだろう。。。と、ちょっと胃が痛い。去年の初秋に、鍋の蓋開けたら巨大なのが入っていて、お気に入りの鍋を泣く泣く捨てる羽目になった、それ以来気をつけているのに。もっともっと掃除を徹底しないと。ああそうだ、ホウ酸だんごも新鮮なのを買ってこようっと。
旧暦1月29日。
 姪っ子からのメールで、実家の秋田犬、てっちゃんが昨日死んだことを知った。たしかもう15年近く生きていたから、人間で言うとおじいちゃんだった。このお正月に私が帰省した時すでに元気がなくて、オリの奥に入ったきり、散歩に行くのも億劫がっていた。いるのかいないのか、ついぞ吠え声を聞かなかったような。。。 そうかあ、てっちゃんがとうとう・・・。私が東京で暮らすようになってから実家に加わった家族だったので、私とてっちゃんはさほど仲が良くはなかった。というのも、犬というのは猫と違って、家族の中で種の違いを超えた序列をはっきり持っているらしく、てっちゃんの基準からすると、冬と夏の年2回しか姿を現さず、且つ自分が子供の頃にうんと一緒に遊んでくれたこともなかった私は、家族の中では自分より下位に位置する、むしろ、自分は門番の役割をしているのになんにもせず、ただ食べるかゴロゴロするか遊ぶかしているくせに快適な家の中にいる猫達と同等の、あんまり面白くない存在だったらしい。その証拠に、昔私が実家の居間で美味しいお菓子なんか食べてたりすると、庭からこちらを覗きながらてっちゃんが吠えたりするので、母によく、「てっちゃんにあげる気がないなら見えるところで食べないように」と注意された。居間にいる猫達もよく吠えられていた。 だけど、面白いことに、そういうてっちゃんでも、滅多に帰ってこない私が、自分の家の一員であるということはちゃんと認識していたらしい。これは猫達も同様で(今実家にいる猫達は4匹とも私が東京で暮らすようになって実家に来た)、お客さんが実家に来るとてっちゃんは吠えまくるし、猫達はお客さんの前から姿をササッと隠れてしまい、帰るまで隠れ場所から出てこない。それが私だと、てっちゃんは面白くなさそうに一瞥するか威嚇程度に吠えるにとどめるかで、猫達に至っては食卓に一緒について、私の箸の行方を見つめ仕舞いにはスキをついて箸の先の魚を奪いにかかるし、風呂場も覗きに来るわ、布団にも潜ってくるわで、あれは本当に不思議で、母と、「どうして家族だって分かるのかねえ」と話し合ったこともある。もしかしたら、犬や猫には、私たちの嗅ぎ取ることの出来ない微細な匂い、人間の血のつながりや長く寝食を共にしてきた者同士を嗅ぎ分ける能力があるのかも知れない。 てっちゃんは、血統書付きのれっきとした秋田犬だったのだけど、ちとおばかさんだったんじゃないかと、私は感じる。というか、てっちゃんが悪いんじゃなくて、ウチのもんがちゃんとしつけなかったのがいけないんだ、たぶん。だいたい、お手が苦手だった。近所の小さい子供を見ても吠えまくった。幼稚園児達は怖がるどころか、我が家の裏手に回って、「てっちゃんのばかーっ」とよく声を張り上げていたのだけど、それに対して本気で吠え返していた。 しかし、自分の役割はちゃんと認識していたらしく、まだ玄関先に繋いでいた頃、新興宗教の勧誘に来たおばさんの手を、パクッと噛んで救急車で病院送りにしてしまった。おばさんはでかい秋田犬だけどおとなしくしているので大丈夫だろうと油断してしまい、てっちゃんとしてはおばさんが自分の縄張りの一線を越えて近づいてきたので、とるべき行動に出たのだった。実家の者からすれば、てっちゃんは番犬としての役割をちゃんと果たしたので叱るわけにはいかない、しかし、本来ならあんまり来て欲しくない新興宗教の勧誘の方に(うちは先祖代々の伝統仏教なので)怪我を負わせてしまい、治療費を負担することになってしまったのはなんとも皮肉な結果であるからして、それ以来てっちゃんは庭に作られた専用のコーナーに住むことになった。実はてっちゃんが病院送りにしたのはよその人だけじゃなくて、妹と、弟の奥さんの2人がやっぱりパクッとやられて救急車で運ばれて行った。2人とも食事中のてっちゃんに油断して手を出してしまったらしい。自分を散歩に連れて行ってくれる家族を噛む、そういうところを考えると、やっぱりてっちゃんはちと考え方が足りない犬だったと思う。 ・・・と、ずっと離れて暮らしていた私でもてっちゃんにまつわる話でこれだけ書くことがあるのだから、実家の者達はもっともっと沢山の想い出とともに、今てっちゃんを失った哀しみに浸っていると思う。姪っ子からのメールでてっちゃんの死を知ったけど、実家に電話して実際話すとなると、私もきっと辛くて声が詰まってしまいそうだから、電話しない。人の死も辛いけど、犬や猫の死もまた辛い。彼らは言葉を話せないから。言葉で的確に自分の意思を伝えてくるのではなく、身体や態度や鳴き声や目つきで一生懸命こちらに言いたいことを伝えてきた、或いはしんどいことがあってもうまく伝えられなかったり。てっちゃんが彼の人生の最後に、いったいどういう身体の痛みを感じて、またどういう想いを家族に遺して逝ったのかを考えると、犬や猫の言葉を聴き取る野生の能力を失ってしまった人間の身としては、ほんとうに哀しい。 でも、それでも、我が家の家族として暮らしたてっちゃんは、きっと幸せだったはずだ。てっちゃんは、そう思ってくれてるかな。。。
| 2006年02月25日(土) |
サンシャインシティ大古本祭り |
旧暦1月28日。 午前中美容院に行く。久々に髪をカットしてもらう。 鏡の前に座ると美容師さんが目の前に持ってきてくれる雑誌2〜3冊、よかれと気を遣って持ってきてくれるのだけど、実を言うと、それらの女性誌を読むのがかなり苦痛。ファッションと化粧と恋愛ばっかり。つまらない、はっきり言って超つまらない。それでもいつも我慢して持ってきてくれた雑誌をぱらぱらめくっていたのだけれど、もう、たとえお金を貰ったって1時間近く女性雑誌を読むのは耐えられない。今日はあまりの苦痛に、とうとう、「『ブルータス』とかありませんか?」と言ってしまった。女の人にはとにかくファッションと化粧と恋愛もしくは占いが載っている雑誌さえ与えておけば無難、という発想(美容師さんを責めているわけじゃなくて、出版社や本屋の雑誌コーナーの作りも!)に私は順応できない。それは別に私がファッションやお化粧や恋愛や占いに興味がないということではなくて、むしろ興味ありなんだけど、それらのことにいちいち人に意見されたりマニュアル作られたり人に合わせましょう流行ですみたいに言われるのが嫌なだけなんですけど。 とはいえ、人の感覚はそれぞれだし、私ももっと若い頃はよく読んでいたので、まったく否定するわけにはいかない。でも、女性であれば老いも若きもファッション+化粧+・・・というのは、発想があまりにも貧弱。せめて『暮しの手帖』とか『クウネル』『リンカラン』あたりを美容院に置いてください。もしくは、自分の読みたい本を持って座ろうかなあ。。。と、同じコト考えている女性は多いと思う。だって、世の中にはいろんな女性がいるのだから。
午後はサンシャインシティ大古本祭りに行った。池袋までの歩き道を開拓したので、我が家から徒歩で30分もしないうちに着いてしまうことが判明。ちょうどいいお散歩になる。 古本祭りの場所も規模も毎年恒例で、去年会場が広くてしんどかったので、今年は時間をたっぷりとることにした。それでも、午後1時から回り始めて気がついたら夕方の5時半。足も頭もくたくた。 本日買った本。 『犬が育てた猫』(吉行淳之介・文春文庫)105円 『永代橋崩落』(杉本苑子・中公文庫)210円 『羅生門の鬼』(津島久基・東洋文庫840円 『鈴の音』(岡部伊都子・創元社)315円 『タロットの秘密』(バーバラ・G・ウォーカー・魔女の家BOOKS)2100円 『ヴィジョン』(W.B.イェイツ・北星堂)1890円 『創作の秘密』(丹羽文雄・講談社)735円 『安藤鶴夫作品集�后戞閉�日新聞社)1500円 岡部伊都子の本はめっけもん。装幀がシンプルでとても素敵。しかも安くて魅力。『タロットの秘密』は前から欲しかった本。実はタロットの図柄が好きで、タロットカードは15種類くらい所有しています。タロットカードに描かれているシンボルを読み解くのがとても面白い。タロットというと恋する乙女が恋愛の行方を占うなんてロマンチックなイメージがあるかもしれないのですが、私的には、恋愛っていろんな要素が重なり合ってしまいには突発的な化学反応が生まれるところに醍醐味があると思うので、恋愛の行く末を占いに頼ってしまうのはむしろつまらない、と思う。というか、誰とどうなるかは予め運命づけられていて、縁ある相手とはいつの間にかどうにかなってしまうものなので、当事者としてはその瞬間瞬間をリアルタイムに楽しんで実感していけばいいんじゃないかという気がする。タロットカードの凄さは、もっと他の部分に発揮できる。勿論恋愛も含めて、自分の中の深い深い処にある深層心理にアクセスして、本人が気づかない、あるいは見て見ぬふりをしているのに実はネックとなっている問題を表面に浮き上がらせてしまうところがタロットの怖さだと思う。自分が存在するところの風土宗教文化を問わず、カードに描かれた人間の深層心理にあるさまざまなアーキタイプ(元型)を読み取ることによって、自分の今の立ち位置を認識することが出来る。ただ、カードに描かれたシンボルは人間に普遍的なものであるがために、それぞれの立場によっていかようにも解釈が可能なので、現在の自分に照らし合わせてより正確な読みをしたいならば、図柄・シンボルについて知識を得て、イメージを膨らませていくことが必要となる。そういう意味からも、アイルランドの詩人イェイツが、人の生の位相について記した『ヴィジョン』は、かなり興味があるので、入手できて嬉しい。 あんつるさんこと安藤鶴夫の本をまた買った。休日のひだまりの中で、のんびりと読みたいです。。。
| 2006年02月23日(木) |
夜中にクッキー焼く家は。 |
旧暦1月26日。 実は昨夜帰宅後すぐに、朝から水に浸しておいた玄米の文化鍋をコンロにかけて、強火でゴトゴトさせたあと弱火にして、25分後に火を止めなきゃならないので腕時計を確認してからパソコンに向かって日記を書いたり、本読んだりちょこちょことなんか書いたりしているうちにすっかり鍋のことを忘れてしまった。そのうち、ぷうんと香ばしい匂いが漂ってきたので、こんな夜中近くにクッキー焼いてる家があるのかしらん、と鼻をひくひくさせながらも机に向かっていた。で、そろそろ寝よう、と、トイレに行くために台所に通じる戸を開けて、ぎょっとした。鍋がぱりぱり言ってる!!!ひょええっ!クッキーじゃないよ、ウチの米だよ!慌てて火を止めたけど、鍋が滅茶苦茶怒っていたので怖くて蓋を開けることが出来ず、そのままにしておいて、今朝恐る恐る開けて、鍋をひっくり返してみたら、周りが茶色に焦げてしまった円筒形の硬い玄米ケーキが落ちてきた。・・・切り分けておじやにするしかないかな。 昨夜は会社の社食で残業食を食べたので、自宅で夕飯ではなかったのだけど、朝から水に浸した米に匂いが出ないうちに焚いてしまって、翌朝の朝ご飯とお弁当に使おう、と思って火をつけたのですが・・・。お腹空いてこれからご飯、というわけでなかったので、綺麗さっぱり忘れてしまったのですね。ああ反省。25分どころか1時間半以上火にかけてしまった。今度からタイマーをセットします。
また実を言うと、このところ、自分の仕事能力の無さに自信をなくしてしまって、もう何度も考え直して来たことだけど、やっぱりそろそろ職場を変えよう、今の仕事やめよう、と決心して、まだごく一部の友人にしか打ち明けてなかったのだけど、そっとマニュアル作ったり書類整理始めたりしていた。今の派遣先にはもう6年もいるのに、未だに仕事をスムーズにこなし切れてなくて、ミスも多いし、新しい種類の仕事も増えてくるし、残業しすぎるのもちょっとしんどいし、帰宅してからも仕事の悩みが頭から離れなかったりするし。毎日いろんなことに追われるようにして時間が過ぎていくのに疲れてしまって。だから、自分のためにも、会社のためにも、私の代わりにもっと能力のある人がこの仕事につくべきだ、と思って、ここ最近は、やめるつもりで気持ちの整理もしていたのだけど。 今日、上司含めて数人の人がミーティングを開いてくれて、チームのメンバーとの連携と業務の効率化を図ることによって、私の負担を軽くできないか話し合ってくれた。ほんとうはミーティングの話があったとき、やめるつもりになっていたので、内心、困ったなどうしよう、と思ったのだけど、まず正直に、退職を考えていることを話し(初めて仕事の話しながら人前で泣いちゃった)、励まされて、いろいろ話し合って・・・もう少し頑張ってみる気持ちになった。 私ってほんとに、謙遜じゃなくて、ほんとに、事務処理能力がない。あたふた慌てながらなんとか片っ端から処理していって、あとでミスに気づいて真っ青、ということも多い。6年間続けてきて、ITの世界に自分の体温が合わない、というのも感じる。経理処理の仕事が中心だけど、数字が苦手、というのもある。だけど、何度かやめようと思いながらも続けて来れたのは、職場の人間関係がもの凄く良いからというのが一番大きい。前の派遣先でもいい人達に恵まれていたけれど、今いるところは規模も大きく沢山の人達に囲まれていながら、人間関係で悩むことがなく、それどころか、いい仲間に恵まれすぎていることに感謝している。小さなコトに時々かちんと来ることはあっても、いつの間にかそれも忘れてしまい、次に顔を合わせたときはやっぱりこの人もいい人だな、と思える。毎日何十人何百人の人とすれ違って言葉を交わすけど、今の職場で嫌いな人が1人もいない、どころか、誰とも離れたくない位好きだ、というのは、私にとって財産だと思う。隣近所の席の人、部内の人、同じフロアの人、掃除のおばさん、守衛さん達、ビルのコンビニの店員さん、社食の人達、出入りの業者さん、やめるとなったらもう会うこともなくなると思うと、この数日間、それも辛くて悩んでいた。今の職場をやめたら、もう、こんなに仲間に恵まれた職場には出合えないんじゃないかと思う。たぶん、今、やめるとなったら、名残惜しくてボロ泣きしてしまいそうなので、それも辛いので、もう少し頑張ってみようと思う。改善できるところは一緒に改善していこうよ、って言ってくれる仲間がいる職場なんて、そう得られるもんじゃないですよね。そういう職場環境に自分がいることに感謝して、自分の心構えを改めたいと思います。後ろ向きになりかけていた自分を反省。
旧暦1月25日。 朝6時ちょっと前に目が覚め、布団から手を伸ばして携帯電話のテレビをつけたら、ちょうど荒川選手がリンクに出てきたところだった。それから村主選手まで、ずーっとテレビを見てしまった。モーグルの上村選手で感動して、カーリングの小野寺選手に感動して、最後はフィギュアで感動。フリーの演技も楽しみだなあ。 確かに今回のオリンピックは日本のメダルが今のところゼロで、もしかしたら全然ないまま終わるんじゃないかなんて言われてるけど、メダルゼロでもいいじゃん、って思う。金メダル取れれば嬉しいけど、取れなくても仕方ないんだからあんまり選手を責めないで欲しいなあ、なんて思う。だって一番悔しいのは選手本人なんだし。それに、日本にメダルがないということはその分他の国の誰かが手にして喜んでるんだから、それならそれでもいいような気がする。 これまでのオリンピックで最も印象に残っているのは、カルガリー大会のフィギュアスケートで5位に入った伊藤みどり選手のフリーの演技です。「フライングウーマン」とあだ名される通りの高くスピード感溢れるジャンプで、他の上位の選手以上に観客を魅了して、テレビの前の視聴者も釘づけにして、とうとう、メダリストだけが出演するはずのエキシビションにまで特別に出て、おおいにオリンピックを盛り上げたあのスケートは、今思い出しても鳥肌が立つくらい凄かった。あの演技、もういちど見たいなあ。 オリンピックでメダルを取れればそれはそれで素晴らしいけど、メダルを取れなくても、見た人の心に一生残る選手もいるわけで、見ているこちらとしては、だから、そういうドラマや感動のほうをより期待してしまう。
残業して、そろそろ帰ろうとしていたら、職場の人達とバカ話で盛り上がってしまった。笑いながら、ちょっと心の中でしんみり。どんなに仲間に恵まれていても、いずれはみんなとお別れしなければならない、と思うと。どんな人とも、いつかは会えなくなる。血を分けた肉親であっても。気の合う友人でも、どんなに好きな人でも。 職場の仲間とうまくやっていけても、ずっとそのメンバーで仕事を続けていくわけにはいかない。環境はいずれ変化する。どんな変化であっても、自分がいろいろ経験して成長するためにある。ものごとを肯定的に捉えて自分から変化の波に乗る、という気構えも、時には必要だと思う。 でも、出会いの数と別れの数が等しいのが人生だと思うと、辛いもんだな、という気がする。
帰宅途中に寄ったコンビニで、雑誌『ターザン』をぱらっと立ち読み。今号は私に関係あるテーマばっかりだ。特に「眼」。最近眼精疲労酷いです。パソコンを長時間見ているのはもう限界に来てます。『ターザン』読んでて、ぎょっとした。ド近眼から網膜剥離ですか。。。あんまり意識してなかった。自分より視力の悪い人はいないだろーなんて周囲に自慢(?)してる場合じゃないですね。やばい。もっともっと眼を大切にしなければ。
旧暦1月24日。 ここ10日ほどお酒飲んでない。この前の土曜に行った中華街でも、もっぱらウーロン茶とプーアール茶だったし。今夜も残業は1時間ほどで切り上げて、遅くならないうちに帰宅。お風呂上がりに近所の居酒屋の赤提灯に、どれほど心惹かれたか。。。しかし、ぐっとこらえて素通りする。なんだか偉いぞ、最近。 別に酒断ちしているわけではないのですが、お酒を飲んでしまうと、そのあとの時間を有効に使えないので。自分ではしっかりしているつもりでも、飲むと飲まないとではやっぱり頭の働き具合が違う。時は金なり。
最近食卓にのぼって嬉しいのは菜花のおひたし。と、旬さば(冷凍の)。夜帰宅して、朝から水につけておいた玄米の鍋をすぐ火にかけて、ご飯を炊く。ご飯の鍋がゴトゴト騒ぎ出すまでにさっさと部屋着に着替えて台所に駆け戻り、弱火にして、炊きあがるまでの間、菜花を茹でたり冷凍庫から出したサバを焼き始めたり、味噌汁作ったり、あと納豆の葱刻んだり。このところ、焼き魚と青菜の辛子醤油和え、きんぴらごぼう、納豆に具だくさんの味噌汁、と玄米、そういうシンプルな組み合わせに最高の幸せを感じるようになった。味の好みがちょっと変わってきたのか、昔のように、ハンバーグとか、焼き肉とかを、ジャアジャアと喜んで作ることが少なくなってきた。 一時、マクロビオティックにも挑戦してみたけど、何度か挫折して、諦めた。というのも、肉魚卵乳製品を摂らないマクロビオティックは私には無理だと分かったので。子供の頃から肉や魚が大好きでせっせと食べてきたので(母の実家は魚屋で、父方の祖父は漁師だったし)、今更食べるのをやめるのはしんどい。だけど、玄米はここ数年食べ続けてきて、もう白米だと物足りないと思うくらい好きなので、玄米を中心に、気持ち玄米菜食寄りの、魚肉も食べたいだけ食べる、という方向でやってます。卵も牛乳も、なんといっても私、休日の朝フレンチトーストが無性に食べたくなったりするので(笑)。食べたいものを食べたいだけ食べる、という食生活ですが、基本として大切だなと思うのは、自分の住む土地で採れたものを中心に食べる、ということじゃないかな、と最近特に思います。自分も足元の土の一部なんだから、自分と同じ風土で育った食べ物を、皮をむかず(玉葱とか牛蒡は別として)、アクも含めて全体を食べるのがいいのかな、という気がします。この辺りはマクロビオティックで学んだことです。米も精米してない玄米を食べるのと同じように、野菜も、皮をむかず、まるまる全体を食べる、人間の身体がいろんな部分の組み合わせで全体を形作っているのと同様に、作物だって部分だけを食べるのではなくて、皮も葉もなるべくなら根も食べてこそ、その野菜全体としての恩恵をもらえるんんじゃないかな、と思って、なるべく捨てる部分が少ないようにと包丁を使ってます。最初、人参や大根の皮をむかないで調理するのにドキドキしてたのが、今では当たり前になって、むしろたわしでゴシゴシ土を落としてすぐ切り鍋に放り込めるんだから、いちいち皮をむいていた頃に比べると格段に調理のスピードが上がりました。なんと言ってもラクだし。 と、なんで今日は食べ物の話つらつら書いちゃったんだろ。。。と、そうでした。夕ご飯があんまり美味しかったから満足しちゃったんであります。
旧暦1月23日。 冬の雨ってほんと冷たいから嫌だな。 昨日の日記を読み返して、あれ?と思った。なんで、最後にどら焼き屋さんが出てくるんだろ。。。これで、私がせっせと買ってくるお菓子がバレバレ。羊羹(非常用リュックにいつも入っている)と、塩大福とたい焼きとどら焼きでござい。だいたいこの4種類をローテーションで食べてます。巣鴨の地蔵通り商店街を歩くとこの4種類が簡単に手に入ってしまうのが怖い。 眼鏡で出勤。16年ほど前にコンタクトを作って以来、眼鏡はせいぜい自宅でしかかけてなかったので、今朝玄関を出てアパートの外階段降りる時に、あまりにも遠近感が分からなくて、くらくらした。駅の階段の上り下りも恐ろしい。ふとした拍子に足を踏み外してしまいそう。手すりに掴まらないと。しかし、眼球にコンタクトレンズを密着させてないので、眼が呼吸している感じがして嬉しい。なんだけど、夜銭湯で、眼鏡を外して入ると、もう何がなんだかわけ判らん。なんにも見えない。ぼやあん、と湯けむり旅情の世界だ。一応手探りで、まあお風呂では行動パターンがいつも同じなので、まあなんとか裸眼で動き回ってます。でも人の顔がぜんぜん見えない。分かるのは体型だけ。お腹出てるか出てないか、スリムかファットか、子供か大人か、くらいしか判別できません。子供がいても、男か女かまでは分からない、たぶん。
前にも書いたのですが、徳永英明の声がいいなあと、このところよく聴いてます。Appleのミュージックストアからダウンロードした曲を。その中に、「VOCALIST」というアルバムからピックアップした数曲もあり、「秋桜」という、さだまさし作詞作曲で、山口百恵の歌で有名になった曲なんですが。。。この曲、何度聴いても泣いてしまう。百恵ちゃんが歌ってた頃はさほどぴんと来なかったのは、たぶん私が幼かったんですね。今は、もう、歌詞だけで泣いてしまいます。嫁ぐという経験のない私ですが、それでも涙がほろほろ。遠く離れて暮らす母の背中を思い出してしまう。こんな歌を男なのに作ってしまうさだまさしって。。。憎すぎます。 聴いているとほんと切なくなってしまうので、しばらくリストから外していたくらいですが、最近また聴いてます、「秋桜」。徳永英明の中性的な声がまたいい雰囲気ですね。
旧暦1月22日。 夜中に布団の中で携帯電話のテレビをつけたら、オリンピックのカーリングをやっていた。カーリングって何がなんだか全然分からない・・・いったいどこが面白いんだ???と思っていた。冬季五輪の種目ってほとんどスピーディでスリリングなのに、カーリングだけなんだかのんびりしてて・・・と思いつつも、なんとなく観ていたら、とうとうはまってしまった(爆)なんだかひどく楽しそうな競技じゃありませんか!あれってすごく頭使うんですねえ。チームワークも大切だし。で、あの、ごしごしやってるのは、たわしなんですか?もう、すごく興味あります、カーリング。
昨日の土曜は、午前中ちょっと出社して、昼過ぎに横浜まで行き、友人と、横浜そごうのそごう美術館で開催されている「没後25年 谷内六郎の軌跡 その人と仕事」展を観てきた。 自宅の机の隅っこには、落ち込んだときに手にとってぱらぱらページをめくるための本が数冊、積んであって、その中には山頭火の句集もあるのですが、谷内六郎さんの文庫版の画集も入ってます。制作が新潮社で、発行が六郎工房になっている、『谷内六郎の絵本歳時記』というもので、以前、世田谷美術館で買い求めたのです。六郎さんと、この本については、この日記に、だいぶ前だと思うのですが、書いたような気がします。それからも、六郎さんの絵は私の机にいつもあって、時々、しょんぼりしたり疲れたときに、素直に癒してもらっています。 昨日行ったそごうの展覧会では、『週刊新潮』の創刊時から約25年以上にわたって表紙絵を描き、多くの本の装幀や雑誌の挿画、自身の詩画集を手がけたり、福祉施設で子供達に熱心に絵の指導をしたりした六郎さんの業績を、30年に満たない短い画業の中で遺された膨大な作品の展示で追っています。やはり中心となるのは『週刊新潮』の表紙を飾った絵の数々なのですが、どの絵の前に立っても、自然と笑みがこぼれたり、思わず「こんなことあったよねー」と友達と頷きあったり、「分かる分かる」と笑ったり、それからじいーんと黙り込んでこみ上げてくるものをこらえたり。会場には老若男女多くの人が訪れていて、女性客は2人や3人のグループが多く、ひとつひとつの絵についてあれこれ談笑しながら見ていたのと対照的に、30〜50代60代の男性諸氏で、1人で来ていて、非常にゆっくりの足取りで、ある時は1枚の絵の前で長い時間佇んでいる姿が印象的だった。私も最初は一緒に行った友人と小さな歓声を上げながらじっくり見ていたのだけれど、いつしかそれぞれの世界に入り込んでいて、気づいたら互いのペースで好き勝手にのんびり回っていた。大好きな「夜の公衆電話」という、狐が電話ボックスで電話をかけている絵の原画の前で、完全にトリップしてしまい、抜け出ることが出来なくなった(笑) 困った困った、思いっきり泣きたいのに、ここじゃあ泣けないよ、と思いながら、首根っこが苦しくて、でも心の中をゆさゆさぶんぶん揺り動かされて、子供時代の思い出のいっぱい詰まったランドセルの蓋を目の前で開けられたような、もう逃げ場のない郷愁の嵐の中に放り出されて、私の中の幼い子供の部分は、展覧会場のど真ん中でぽーんとはじけて飛び出して、六郎さんの絵の世界あちこちに入り込んで行って、なかなか戻ってこなかった。 六郎さんの絵の仕事の他に、興味深かったのは、2人のお子さんのために手作りしたおもちゃだ。割り箸に紙を貼って絵をつけた人形劇用の人形や、小さな紙芝居、こけしの原木に楽しげに描いてある六郎さんこけし。それから娘さんの幼稚園のズック入れにマジックで描かれた娘さんのイラスト。私も子供の頃内履きを入れて持っていったことがある。可愛いお姫様の絵が描いてあったような。でも、お父さんの直筆のズック入れなんて、なかなかないし、可愛すぎる。仕事柄自宅にいることが多く、もともと子供好きな六郎さんが、いかに子煩悩であったか、2人のお子さんの小学校に毎日お弁当を届けに行くのが日課だったというが、それも頷ける。 谷内六郎と同じくらい好きな画家に、原田泰治という長野出身の画家がいます。2人の絵には、日本人の誰にも共通する幼い日の原風景が描き込まれている。もう決して、無邪気で敏感で感受性が強くて傷つきやすくて逞しく、ふてぶてしくて恐ろしく、残酷でけなげで夢があったあの頃の自分に戻れないと知ってしまったある一定の世代以上の人ならば、六郎さんや泰治さんの絵に、さまざまな想いをかき立てられるに違いない、と思います。。。 会場を出るときに、ようやく私の中の子供の部分が戻ってきてくれたのですが、六郎さんの絵の中でいっぱい養分を貰ってきてくれたらしく、本体の私まで、ちょっと元気になりました。
そごうを出て、これも楽しみな中華街へ。ハマッ子の友人がいなければ何がなんだか分からない横浜。幸い、昔1人で買いに来て気に入った「悟空」という中国茶葉のお店に行き着いたので、プーアール茶を1缶購入。久しぶりに中国茶をゴクゴク飲みたい気分なのでちょうど良かったです。最近胃が弱っているので、何杯飲んでもキリキリしないプーアール茶に。 さて、友人にくっついて、お店に到着。「悟空」と同じ通りをちょっと歩いた先にある「招福門」というお店。広い2階で、飲茶食べ放題(時間無制限・2625円)でございます。店内混んでいたけれど、幸いテーブルが空いていました。さて、どっかり座ったのが18時頃?それから21時半近くまで食べた食べた、24種類のうち、飲茶メニューを12種類、加えてチャーハン、デザートも3皿。さすがにお腹一杯になったのですが、時間無制限なのが嬉しい。テーブルも多く、空きもちらほらあるので、外で順番待ちしているということもないようなので、安心して長居してくっちゃべってた。喋りながらまたデザート注文したり。テーブルで、メニュー見ながら係の人に注文する仕組みです。チャーハンやあんかけ焼きそばは自分で好きなだけ盛りに行くテーブルがあります。味は美味しかったです。また行きたいなあ。食いしん坊の女性グループには絶対おすすめだと思います。男性も多かったし、家族連れもいました。あ、そうだ、せっかく写真撮ったんだから貼り付けないと。ぺたぺた。
 写真2枚ですが、並んでるメニューが違いますね(笑)これにあと1回位メニュー総入れ替えしてます(爆)+デザート(^^;)いやあ食べ過ぎたなあ!(注:2人分) というわけで、久々の横浜を満喫した翌日は、自宅近辺をうろついて生活してました。つうか、掃除とか、料理とか、ふつうの日曜。雨降るって予報だったから覚悟してたのに、昼間はちょっとぽかぽか陽気だったので、眼鏡を受け取りがてら日用品の買い出しと、散歩。 昨日展覧会場で買った六郎さんのトートバックを早速持っていく。中身はお財布とiPodと手帳と携帯と、トイカメラのBabyHolga。眼鏡やさんにて眼鏡を受け取り、巣鴨では数少ない古書店のうち、お気に入りの林書店に入る。実は今、池袋のリブロで古書市をやっているのですが、とーっても行きたいのですが、今日池袋に行ってしまったら、古書市だけでなくリブロにもジュンク堂にも、それから古書往来座にも、それからそれから東武デパートの旭屋書店にもおまけに伊東屋とか、ロフトとか、行きたいところが多すぎて、ちょっとやそっとじゃ帰って来れない。本日は池袋という魔窟に足を踏み入れたらまずいような気がして、巣鴨から出ないでおこうと。私って、週に1日は、のほほんと過ごさないと、ダメなんですね。つっかけ履きで近所をウロウロする程度で、あとは自宅で本を読んだりちょこちょこ文章書いたり、お気に入りの音楽かけながら家事をしたりする時間をまる1日取らないと、身体の中に風船があって、それがぺっちゃんこのまんま、になってしまうみたいです。 で、林書店で、『本という不思議』(長田弘・みすず書房)を購入。詩人である長田さんの文章はまだ読んだことがない。楽しみ。 お店の奥のお会計台にいつもいるにゃんこが今日はいない。と思ったら、お散歩から帰ってきた。お会計の時、お店のおばさんが奥に引っ込んでご飯かくつろぎ中だかのところをわざわざ抱いて連れてきてくれて、なでさせてくれた。「猫が好きな人はちゃんと分かるんだねえ」とおとなしくされるがままのにゃんこに向かって話していた。 猫をなでると猫も気持ちよさげにしてくれるけど、実はこちらのほうがうんと癒されたりしてる。心地よくなったところでお店を出て、日曜の地蔵通り商店街を歩く。さすがに人が多い。高台寺でお参りをして、日用品の店で重曹を買った。会社で、重曹を使って掃除を始めた人の話を聞いて、私も真似してみようと思う。さて、塩大福とたい焼きのどちらを買って帰るか真剣に悩む。あったかいほうにしよう、とどら焼き屋さんの前に来たら、15人位の行列。まあよくあることなので並ぶ。並んでいる人みんな、私の前も後ろも、みーんな、頭の中はたい焼きなんだな、と思うと面白い。前のお兄さんも、後ろのおじさんもおばさんも、うんと前の若いカップルも。大人になってもみんな、可愛いもんだな、と思った。
旧暦1月20日。 要領悪くて残業続いてます。明日も出社。でも午後は友人と遊びに行くので気持ち明るく。頑張るぞ。 今日は午前中に東京ガスの3年に一度の点検があったので、会社は午後出社。ガス屋さんが来る前についでじゃぁ、と、台所掃除しながら待っていた。平日の昼間なんて、1人暮らしの勤め人は自宅にいないよー、と内心文句言いながらも、同じアパートの他の部屋にも同様のお知らせが来ていたので、私だけ日にちずらしてもらうのは悪いな、と、ちゃんと自宅にいたのに。 隣の人、居留守使っていた(爆)。ガス屋さんの呼び出しにも応答せず。で、相手が諦めて帰った後に出掛けていった(笑)。おいおい、じゃウチだけだったのかよ。 その後、眼鏡屋さんに。だいぶ前に作った眼鏡がだいぶ前に壊れてしまい、度数も合わないので、自宅でもずーっとコンタクトレンズ(1日使い捨て)をしているのですが。しかし、寝る直前まで布団の中でコンタクトレンズ着けているのはあんまり好ましくない。目のためにも。子供の頃からしょっちゅう結膜炎で、今も結膜炎なので、いつも眼がしょぼしょぼしてる。それから、職場と自宅で毎日10時間位パソコンの画面を凝視しているせいか、この数年視力がまた衰えた。20代ですでに強度の乱視+視力が両目0.01以下というしんどい状態だったのに、明らかに、さらに見えづらくなってきた。眼が疲れて吐き気まで。 つうわけで、もう、あまりにも眼が疲れて辛いので、眼鏡を欲しくなったのであります。家の中ではコンタクトはもう着けたくない。 地元の商店街の眼鏡チェーン店で眼鏡を作ってもらうことにして、会社に行く前に寄った。昔作った時と同様、ぴったりのレンズ度数を選ぶのに時間が掛かってしまった。ややこしい客だと思われただろうなあ。とにもかくにも数日後には新しい眼鏡を入手可能です。なんだかほっとした。 おばあちゃんになっても使う眼だから、大事にしてあげないと。
| 2006年02月15日(水) |
もう少し冬眠してたら? |
 旧暦1月18日。 夜、自宅近くの道端でヒキガエル君と再会。久しぶりだなあ。もう冬眠から覚めちゃったみたいです。塀に寄り添ってジーッと考え事してた。後ろ足投げ出して。「・・・ちょっと出てくんの早かったのかな、おいら」と、悩んでいるらしい。 昨日今日と暖かかったからね。3月並の気温だそうで。だけど、明日からまた寒くなるっていう予報ですが、カエル君、気の毒さまです。もうちょっと土の中にいたほうがいいんでないかなあ。 それにしても、痩せてますね。ずっと冬眠してたから。 ヒキガエルの寿命って一体どれくらいなんだろう?このヒキガエル君にはほんとによく遭う。梅雨時や夕立のあとなんか、嬉しそうにウチの近所の道端の上で涼んでたりします。足癖が悪いので(後ろ足怪我してるみたいで)同一蛙物だと思われる。しかし、よく潰されないなあと思う。自動車は通らない道だけど、自転車やバイク、勿論人間はよく通ります。みんな、ここにはヒキガエル君が呆けた顔で考え事してたりするのをよくご存じのようで、通るときは気をつけてるみたいです。私も時々、道の真ん中におられるのに気づいて(視力が悪いので近くにならないと見えない)、「わっ!」とびっくりすることあり。あ、でも、もしかしたら、昔後ろ足を誰かに踏まれちゃったのかな?・・・それでも懲りずに。 おなじみのカエル君。
地下鉄の乗換駅構内に、新しいコンビニが開店してた。先月までそこにあったコンビニは、レジの店員さん達の態度が超悪くて、無愛想を通り越して客に睨みを利かせてたりして、怖かった。もちろん、「ありがとうございました」はいちども聞いたことがなかった。それどころか、お客さんの対応しながら自分たちの雑談(それも悪口)続けてたりするので、気分が良くなくて、滅多に買いに入らなかった。あれでよく店が持つなあと思っていたら、潰れた。 今日開店したコンビニ、帰りに寄ったら、狭い店内にお客さんが沢山入っていた。場所柄仕事ガエル・・・じゃない、帰りのビジネスピープルが、男も女もぐるぐるうろうろ。私も「へー。へー」といちおうぐるぐるうろうろ。みんなさあ、家と会社の往復だけじゃつまんないんだよね、それで、通勤経路に新しいコンビニなんか出来たらやっぱちと嬉しくていちどは入っちゃう。店員さん達は明るくて優しくて、来店しただけで喜ばれて、客としては持ち上げてもらって上機嫌。で、ペットボトルのお茶と、チョコ買った。このチョコがまたうんまかった。ココナッツミルクの入ったトリュフ。やばい。やみつきになりそうです。
旧暦1月17日。 夕方、職場の上司が他の部署の女性にチョコをせがんだそうで、頼まれた彼女がわざわざ持ってきてくれた(爆)。 やっぱり幾つになってもチョコが欲しい人は欲しいんだなぁ。そっか。自分の部下の女性達からもらえなかったのがよっぽどショックらしい。あー悪いことしちゃったな。小さなハートチョコ1個でもあんなに喜ぶなんて。・・・ゴメンナサイ。
時々、ちょっと憂うつになることあり。自分の能力に限界も感じたり。一生、好きなことだけやって暮らして行けたらどんなにいいかなあ、なんて思ったり。ずどーんと落ち込んだり。もう何もかも嫌になっちゃったり。 だけど、ちょっとだけポロッと愚痴ってしまうことはあっても、愚痴はほんとに、ちょっとだけ、ポロッと出して、あとは気持ちを切り替えて行こうと思ってます。愚痴や不満ばかり人に吐き出して、自分が正しいとか被害者だとか主張したって、結局それは自分可愛さゆえの言い分にすぎない。自分と立場が逆の人から見たら同じ考えじゃないはず。それよりも、自分に起こることはすべて、自分の今後のために意味があることなんだと考えたほうが自分にとってもためになるような気がして。人生ってそんなに捨てたもんじゃないと思う。何もかも、自分のために起こるべくして起こっている。今悪いことが起きていても、いつか振り返って見たときに、あの出来事があったから今の自分がある、結果的にああいうことが起こって良かったんだ、と思うことがあると思う。今振り返ってみても、今までの自分にとって、その時その時辛かったことや悪いと思える出来事も、すべて現在の自分の基礎になっていると気づくわけだし、その時は悪い状況であっても、そこから新しい道が拓けたりすることもあったんだし。 そういうわけで、相変わらず落ち込みやすいんですが、同時に思考回路も鍛えてます(^^) ファイトだ。
あ、そうそう、また、自宅の防災リュックの中にいれてあるかにぱんとカロリーメイトと羊羹、おやつに食べちゃった。。。油断してるときに限って地震が起こるんだから、早く補充しとこう。だめだなまったく、意志が弱くて。
旧暦1月16日。 ちょっと残業して会社を出て、とことこ歩けるところまで歩いて帰る。運動不足解消のためにできるだけ歩く。でもお腹空いて途中で電車に乗る。 満月がぽっかり浮かんでいて、なんだか幸せ。と言ってみるも、実は、満月の頃って結構精神的に不安定だったりするんだよなあ。ニュース見ていても事故や火災が多いような気がする。ネットの掲示板などでもけんか腰の発言を見かけるし、システム障害なんかも満月前後に多かったりして? 帰宅したら、ガスの定期点検のお知らせが来ていた。げげ、平日の午前中じゃないですか。仕方ないけれども。 明日はバレンタインデーですか。ぜんぜん関係ないからお気楽。と私が思えば、おそらく会社の殿方々も同様のお考えでせう。私のいる職場は部全体で男性40名近く、女性10名ほど。何年か前までは女性陣で資金を出し合って男性陣にチョコレートを差し上げていた。で、ホワイトデーにはこれまた美味しそうなチョコレートをお返しに戴いておりました。が。ここ2年ほどはそういう製菓会社の策略には乗らないのである。女性陣が義理チョコ配りをやめたら、男性陣も気が楽になった、のではないかと思っております。 とは言うものの、バレンタインデーを否定するわけじゃないので、そのうち何かの弾みで結婚でもすることがあったら、旦那さんにチョコレートくらいは渡すだろうと思われる(私のこと)。その際には勿論、自分が食べたいものを選んでほとんど自分が食べることになるでせう(当然)。
中上健次の『千年の愉楽』(河出文庫)を読んでいるのだけれど、一気に読めない、だから毎晩一章ずつ進む。一章一章が1人ずつの物語として成り立っているのだけれど、全体としてひと繋がりの世界にある。性を媒介とした、強烈な生と死の物語。とてもとても、一晩や二晩で読み終えられるものではない、あまりにも息苦しくて。一章読み終えると、しばらく呆然としてしまう。下手をすると眠ることが出来ないほど、辛くなる。中上健次の作品には、こういうところがある。
| 2006年02月12日(日) |
オリンピック始まりましたねえ。 |
旧暦1月15日。 昨夜は布団の中に潜って、携帯電話のテレビでオリンピック中継を見ていた。夜中のモーグル女子。上村愛子選手凄かったですねえ。本人はメダルに手が届かなかったとインタビューで涙を流していたけれど、見ているこちらとしては十分金メダル、とじーんとしてしまった。3Dとかコークスクリューとか、実際見てみるまでは分からなかったけど、あれは凄いですねえ、ほんとに凄い。何度見ても飽きないですね。スカッとして見ている方も気持ちがよくなった。あれだけの演技ができるまでに、どれほどの練習を積んだのか、同じ姿形をしている人間なのに、画面の向こうの選手達ってほんとにすごいんだなあ、と、素直に感動しまくりで、目が冴えて眠れなくなってしまった。 やばいなあ、これから夜寝るのが遅くなってしまうと・・・。オリンピック中継はなるべく見ないようにしたほうがいいんですけど、ついついテレビ付けてしまいそう。我慢できるかなあ。 私としては37歳のジャンプ原田選手に頑張ってもらいたいのですが、200グラムで失格とは可哀相。。。いくら本人のミスとはいえ、200グラムって、普通に生活してても毎日の増減レベルだから、そんな程度で失格にしないで、飛距離から1メートル引くとか、そういうペナルティで勘弁してあげてくれないかなあ、なんて、素人は考えてしまうのでした。 今日は朝から寒かった。昨日はあんなにぽかぽか陽気だったのに。風も強くて、もう、部屋の中でおとなしくしているしかない。夜になっても風は止む気配なし。夜18時。この日記を書いたら、お風呂に行って、夕ご飯作って、夜を有意義に過ごそう。
| 2006年02月11日(土) |
学生時代の仲間と久しぶりに呑む。 |
旧暦1月14日。 昨夜は大学時代の友人と数年ぶりに呑んだ。四谷のシャモの美味しい店にて。 他の同級生は皆、妻となり夫となり母となり父となりしている中で、身辺にほとんど変化のないまま棲息し続けているほとんど唯一の仲間である。変化がない、と言ったらさすがに彼には失礼で、相手は自分のやりたい仕事をとことん追求して行動して来た結果、今では会社でなくてはならない存在になっている、それに比べると私は相変わらず、最後に呑んだ数年前と同様に、派遣社員のまま。派遣社員であっても、自分がやりたくてやっているのならいいけれど、いつも現状に不安や不満を抱いたまま、変化を起こせないでいる自分がある。しかし、どうも、リズムが似ているのか、会わなかったここ数年間は、それぞれにいろいろ大変だったり悩んだりと、紆余曲折していたんだなあお互いの領域の中で。と、思った。 学生時代の仲間というのは、私の場合付き合いが続いている人はほんの一握りしかいないのだけど、男性であっても女性であっても、お互いの若くて馬鹿な(良い意味でも悪い意味でも)ところも知っているせいか、特別気取らずに、厳しく言ったり励ましたり共感したりできる、という安心感がある。加えて、未だに20代に話し合っていた計画を、相手もずっとそのつもりで実現できる日のことを考えてくれている、というのは、なんとも嬉しいことで、私は、日々だらけて自分に甘い毎日を、ひどく反省したのでした。学生時代からの友人といつか一緒に仕事ができるならこんな嬉しいことはないのですが。相手にはその準備もキャリアも整っている、あとは私の努力次第、いかに挫折しないで続けていくことが出来るか、いかに自分に甘えないでいけるか、ということなんだろうと思った。
理屈好きがああだこうだと語り合っているうちに、終電を見事に逃す。こういうところは昔とぜんぜん変わってない。で、タクシー拾って、私の自宅近くでまず私が降り、彼が最後まで乗っていくことにする。と、車内でまた話をしていると、運転手さんが、話に割って入ってきて、しまいには独演会状態になった。あれれ。ちょうど運転手さんの生まれ育った場所を通ったので、当時の話とか、自動車や自転車の運転の話とか。私の通勤経路の話もしっかり聞いていたらしく、車道を自転車が走るのがいかに危ないか、とうとうとお説教までされてしまった。。。こちらが相づち打つのがやっとのほどで、機関銃のように喋りまくる運ちゃん。ようやく私が歩いて帰れるところまで来たので、そこで落としてもらい、タクシーを見送る。あの後運ちゃんと彼がどんな会話を続けたのかは不明。相変わらず運ちゃんの話ばかり聞かされたんだろうか(笑) しかし、タクシーの運転手さんもいろいろですよね。毎日タクシーに乗って、運転手さんウォッチし続けて記録に取ったら、さぞ面白いんでないかと。。。 今日は暖かかったですね。朝起きて、寝ぼけ眼でミネラルウオーターの空ペットボトルを抱えてゴミ集積所に行き、つっかけ履いた足で、バキッベキッと潰しては収集箱に入れていく。うるさかったのか、近所のおじさんがパジャマ姿で勝手口から外を覗き、「今日は新聞も捨てていいんだったっけ?」と聞いてきた。まったりと、なんだか平和な朝だった。
| 2006年02月09日(木) |
久々ビールとカラオケ。 |
旧暦1月12日。 仕事を終えて、大勢で軽く呑んで、カラオケでわいわい言いながら歌いまくる。翌日は仕事なので早めに帰宅。早めに。 で、日記を翌朝書いております。 さて出勤。。。
旧暦1月11日。 泉鏡花文学にひとかたならぬ想いを寄せる友人から早速反応が(それをこちらも期待してたりして)。「煮燗」はやはり鏡花の造語であるのでは、とのこと。 そういえば、ちくま文庫にも泉鏡花全集がありますね。
昨日からまた一段と体調が良くなって、少し調子に乗りすぎたか、夕方急にケ(に点々)ロちゃんが出てきそうになり、定時に会社を出る。と、今日は地下鉄で帰宅しようとして、乗換駅の神保町で、ちょっとだけ地上に顔を出してしまう。久々の古書街。靖国通りで閉店間近の古書店をちらちらと覗き、東京堂書店と古書モールと、三省堂書店へ。三省堂書店は店内模様替えの最中で、1階の特設会場の部分に、女性雑誌がどかーんと移動していた。なんと。これは。・・・・ちと酷いじゃありませんかって、私が言う筋合いではないでしょうが、やっぱ、面白くない。解せないよ。確かに三省堂書店の雑誌コーナーはこれまで狭くて、人がひしめいていたけれど。女性誌と言えば、「暮らしの手帖」か「クウネル」くらいしか手にしない私としては、女性誌コーナーが広くなっても嬉しくない。それどころか、秋の古書市の時に古書がひしめくはずの三省堂1階特設会場がなくなっちゃうの?というショックのほうが大きいです。別に会場が設けられるならいいけど。どうなんだろ。。。 で、1階の奥のほう、詩歌コーナーや落語や歌舞伎などの古典芸能コーナーはどこかに行っちゃって(どこ行ったんだろ)、代わりに2階にあった地図コーナーがでーんと降りてきていた。うーむ、地図かあ。地図もいいけど、詩歌と落語はどこ行くのだろう。。。 2階の文庫本コーナーは、営業時間でお客さんも沢山いる中で、いくつかの棚がごっそり空っぽになって、店員さん達が中の本を移動させていた。岩波文庫の棚を見たかったのだけど、からっぽ。じゃあどこかに移動してあるのかな、と、ウロウロするも岩波文庫は全然なし。そういえば、朝日文庫も、岩波新書も、ない。もとあった棚は全部からっぽで、中の本もどこにも並んでない。強いて言えば、作業している店員さんの後ろのワゴンに、補充用の岩波文庫があるだけ。ええーっ、これってちょっと酷くない?せめて閉店後にやってくれない?って思うのは客の我が儘でしょうか?もしくは1日お休みにしてやって欲しい。開店しているなら岩波文庫もちゃんと開架して欲しい。。。だって、岩波文庫と新潮文庫とか講談社文庫とか中公文庫などで出している同じ作家の同じ作品を、実際手にとって比べてから買いたいっていうの、ありません?とか、何を買うか決めずに本屋に行って、背表紙をダーッと眺めているうちに次第に読みたい本が浮き上がってくる、っていう経験ありませんか?あと、本屋に行くと、全部の棚を一通り巡回しないと気が済まない人っていませんか?・・・私はそういうタイプなので、今日の三省堂書店にはちとがっかりしてしまった。。。 なんだかうだうだと文句だらけになってしまいました。 ところでどんな店内に生まれ変わるんだろ。楽しみなような、不安なような。 今日は結局、「東京かわら版」と「週刊読書人」だけ買って帰ってきました。落ち着くまで三省堂には近寄らないでおこう。
旧暦1月10日。 復活復活復活ぅ。 5日間寝てばかりいたので、さすがに足元がふらつく。身体全体がふわふわと宙に浮いているような感覚。まだちょっとだるさが残るものの、風邪の症状は消えて、胸から風邪も抜けていったよう。マスクは満員電車の中だけにする。長かった風邪、1ヶ月半近く引いてました。長かったほんとに。。。 会社で、若い殿方約2名に、「痩せましたねえ!」と絶賛される。特に顔が、とのこと。「え?ほんと?」「ええ、だって前はこう・・・ここら辺がもうちょっとぷくうっと・・・」「・・・いいよ、それ以上言わなくて」お褒めの言葉は最初のほうだけ有難く頂戴して、あとの続きは聞かないほうがベター。褒められたのが嬉しいからって、あんまり突っ込んで聞くと、喧嘩売られてバター。 こんな寒さだし、雪降っちゃったし、体調もまだ油断できないので、自転車はまだ先だけど、かといって、電車通勤だと、会社のあるビルの隣がもう地下鉄駅で、自宅から最寄り駅までも近いので、あんまり歩く機会がない。ということで、自転車通勤じゃないときは、なるべく会社から遠く、自宅からも遠い駅を利用することにして、今日は少し、てくてく歩いた。
『高野聖・眉かくしの霊』(泉鏡花・岩波文庫)の中の、「眉かくしの霊」を読んでいて、「煮燗」(にえかん)という言葉が出てきた。
「・・・・・・ぶるぶる寒いから、煮燗で、一杯のみながら、息もつかずに、幾口か鶫(つぐみ)を囓って、ああ、おいしいと一息して」(以下略)
という表現。 この、「煮燗」というのは初めて目にしたので、広辞苑を引いてみたけれど、載っていない。インターネットで検索すると、泉鏡花の「眉かくしの霊」がずらりとヒットする。ということは、泉鏡花の造語なんだろうか。それともどこか他でも使われていますでしょうか。 私の近所の、半ば隠れ家と化している居酒屋では、熱燗を注文すると、すぐに、熱々の、お銚子持つのも命がけみたいな、ほんとにあっつ熱のお酒が出てくる。たぶん注文がある前から、あらかじめお燗され続けて出番を待っていたお酒なんだと思う。ふつう「熱燗」と言ったらまさか煮え立つようなお酒は出てこないのだけれど、その居酒屋ではお銚子の中が煮え立っている。初めて見たときはびっくりして、まいったなあ、とちと思ったのですが、慣れてしまうと、これが不思議なもので、今では熱燗といえば、近所の居酒屋で呑むような命がけの熱さのものなのです。 で、くだんの、泉鏡花を読んでいて、ああそうそうそう・・・と、「煮燗」という表現のところで立ち止まって、しばし感心して納得して、うまくツボにはまったこの言葉がえらく気に入ってしまった。「ぶるぶる寒いから、煮燗で」というのは、まさに、冬の私の毎日の気分であります。「ぶるぶる寒いから、煮燗で、一杯のみながら、息もつかずに、幾口か焼き鳥を囓って、ああ、おいしいと一息して」。さすがに毎日呑むわけにはいきませんが。冬に、ああお酒が呑みたいなあ、と思うとき、近所の居酒屋のぐつぐつの煮燗が一番喉にしっくりきて、幸せ。 と、書いておきながら、当然、しばらく風邪でご無沙汰してます。 煮燗が美味しい季節のうちに、あと何回行けるかなあ。。。 毎日、赤提灯の前を素通りするのが、ほんとに辛いんです。我ながら、よく耐えてると思います。
旧暦1月9日。 昨夜、夜中に何度も目が覚めて戻してしまった。風邪ほぼ治ったと思ったのにちとショックでしばしボー然。月曜なのに会社を休んでしまった。さすがに明日はもう休めません。ずるずると風邪が長引いて、お恥ずかしい限り。今夜も早く寝ます。
旧暦1月8日。 朝ご飯食べる気力もなく、ひたすら眠る。天気がいい、空が青い。アパートの周囲の大家さんちの庭木を、植木屋さんがちょっきんちょっきん剪定している。時折目を覚ますと、その鋏の音がリズミカルに響いてくる。なんだか心地よくなって、また寝入る。・・・そうやって、ふかふかの眠りの中からそろそろ這い出そうか、お昼ご飯食べようか、と時計を見ると、14時半だったので驚いた。とりあえず豚汁温めて、冷やご飯お茶漬けにして、遅い昼食にする。そして銭湯と、図書館に、返却期限の過ぎてしまったCDを返しに行く。 久しぶりに外出。木曜に会社に行って以来、郵便物とりに階下に降りる以外は外を歩かなかったので、足元がふらつく。でも、もの凄く気分が爽快。やったーだるさがほぼ消えている、風邪が抜けていった感じ、身体が軽くなった感じがする!生まれ変わった気分だ(大袈裟か)。銭湯の体重計に恐る恐る乗ってみる。なにせ、食べるか寝るかしていたこの4日間、体重の増加は覚悟の上であるけれど、願わくばすぐ調整できるくらいの増加で抑えて欲しい。。。と、驚いた、なんと、4日前に比べて1�圓盡困辰討い襦F�もたんと食べたけど、野菜中心だったのが良かったのか、あとはやっぱり、眠るというのもエネルギーを消費するんだなあと実感した。 明日から会社。胸のだるさと頭痛がほぼ消えたので、油断せず風邪を完治させた上で、今週は、歩くことを重点的にやっていこう。それから今週末辺りからジョギング始められるかな♪いやあ、ほんとに、しつこい風邪でした。念のため今夜も早寝します。
旧暦1月7日。 今昼ご飯食べたところです。何故か昼間に日記書いてます。 寝てますちゃんと。ただ、昼間寝てたりするもんだから、夜眠れない。20時台に布団に入っても眠りにつくのは夜中過ぎになってしまう。困ったもんです。 お昼に、鍋いっぱいに豚汁を作った。今日の昼夜明日の朝昼くらいまではもつでせう。私の豚汁は生姜とごま油も入れる。今日はそこに、仕上げ(!)に、にんにくのすりおろしまで入れた。とにかく根菜とスタミナでありますな。うむうむ。 おなかいっぱい。 で、ご飯も沢山炊いたので、明日の夜までは温めるだけで、何も調理しなくてよい、っていうのが嬉しいです。冬は、ガス台の上に調理済みの物を出しっぱなし、冷蔵庫に入れなくてよいというのが助かる。 おしなべておとなしくじっと布団の中で棲息しているのですが、ちょっと布団から手を出して、ちょっとだけ本なんか読んじゃったりしてます。ちょっとだけ。 谷崎潤一郎の『細雪』(中公文庫)をようやく読み終えた。分厚いのなんのって。先月からかかってやっと。岩浪文庫にはなくて、新潮文庫か中公文庫どちらにしようかちと迷ったものの、新潮文庫は上中下の3分冊、中公文庫はそれが1冊にまとまってある。電車や布団の中で読むことを考えると、新潮文庫の3分冊のほうが断然ラクなのだけど、値段のほうからすると、1冊になっている中公文庫のほうがおトクなわけです。そういうわけで、中公文庫ものを買ったのですが、やはり重たかった。特に横になって読むにはつらい重さでありました。しかし、読み始めたら面白くなってしまって、途中からやめられなくなった。 昔、10代か20代だかの頃に、ちょいと読み始めたものの、ぜんぜん面白くない、話も起伏がないし、登場人物達と自分との価値観の隔たりが大きすぎて、ぜんぜん違う遠い世界のお話のようで、「なんだこりゃあ」と頭に来て途中で読むのやめちゃったんですが、今回は違った。すんごい面白かった。関西の、没落しつつある旧家の美しい四姉妹、鶴子、幸子、雪子、妙子の日々を、次女幸子とその夫の視点で、三女雪子の縁談や四女妙子の奔放な恋愛、生き方を軸に描いたもの。花見や蛍狩り、雛祭りなど、美しい季節の行事や風俗を細やかな筆致で随所に織り込んである。まさに、「絵巻」とでもいえるような小説。登場人物達、特に、四姉妹の価値観には、私にはとうてい理解できないことも多い、例えば身分の違いや結婚相手の収入にこだわりすぎるところなど、それから勤めることもせずに親兄弟の資産で日々気ままに暮らしているところとか。ずいぶんお気楽で我が儘で気位が高い嫌な姉妹なのですが(爆)、しかし、谷崎潤一郎は、こういう、関西の旧家の令嬢達の視線や心の綾を微妙なところまで描き出してみせる。女の複雑な心理を恐ろしいまでに深く深く掘り下げて、あぶり出してしまう。読んでいて、そうなのよそうなのよ、そういうことってあるんだよね、と、読み手もいつの間にか引き込まれていき、四姉妹に共感できないまま、それでも彼女たちの物語に強く強く惹かれている自分に気づく。だいたい、まだ「職業婦人」「自由恋愛」という表現が存在することからも感じるように、現代人から見たら当たり前のことが否定的に語られる時代でもあったし、女性の生き方がまだまだずいぶんと縛られたものであったけれど、その渦中に生きる姉妹達を、ここまで活き活きと美しく、且つ細やかなねちっこさで描ける作家はなかなかいないのではないか、と思った。 ただ、夢中になって読んで、最後のほうが、どうしても納得いかなくて。なんだか結末を急いだようになっている気がするのは、私の読みが浅いせいでしょうか。それとも、筆者は、四女の妙子をああいう形にさせたかったのか、それが彼の言わんとしていることのひとつなんだろうか。谷崎の崇拝するものが、妙子には与えられていない、その突き放した終わり方が、どうも後味が悪い。それから、どう考えても分からないのが、三女の雪子が最後の最後に下痢になって、それが治らない、ワカマツなどを飲んでも治らない、という点。最後の下痢が妙に強調されているように感じて、そこにどんな意味があるのか、突飛であると気にしすぎる読み手がおかしいのか、考えれば考えるほど分からない。誰か、教えてください。。。
| 2006年02月03日(金) |
美空ひばりを聴きたい。 |
旧暦1月6日。 ちゃんと寝てました。頭痛は少なくなったものの、胸のだるさがまだあるので、明日もおとなしく寝ていることに。 最近歌の上手な日本人歌手にすごく惹かれてます。 山崎まさよしに惹かれ、柳ジョージ、徳永英明、美空ひばり。山本達彦は小学6年頃からのファン。山崎まさよしにはまっているのは先日日記に書いた通りなのですが、柳ジョージってかっこええなあ、徳永英明って綺麗な声してるなあ、美空ひばり聴きながら独りで熱燗呑みたいなあ、という気分です。iTunesで、柳ジョージと徳永英明はアルバムをちょいと購入致しまして聴いておりますが、美空ひばりはなかったので、今度図書館から借りてこよう思うとります。「悲しい酒」(古賀メロディーですな)「川の流れのように」を繰り返ししんみり聴きたい。 早く風邪を治して、図書館に美空ひばりを借りに行くのだ。 と、思いながらパソコン開いたら、この前申し込んでおいたTOTOのライブの先行予約結果が届いていた。第1希望のGWの最終日なんですけど、S席ゲット。よかったよかった。1月末に新しいアルバムが久しぶりに発売されたのにまだ買ってない。こちらも風邪を早く治して、元気になったら買いに行くのだ。 今日も早く寝ます。いい子にしてないと。
旧暦1月5日。 平日に寝ているというのは罪悪感がありますな。 といいつつまた寝ます。 夕ご飯食べてスタミナ付けたので、今夜は早う寝ます。 おやすみなさい。
旧暦1月4日。 冬の雨は冷たいですねえ。。。 地震があったとき、スーパーの2階で、明日からのお籠もりの買い出ししてました。うどんとか、ミネラルウオーターとか。で、かなり真剣に、甘酒と生姜湯のどちらを買うか、迷ってる時に、ぐらぐらっと。慌てて瓶や缶のある棚から離れて、お菓子の棚に避難。揺れがおさまったら、甘酒も生姜湯もすっかり忘れてしまい、何故かそばにあったおせんべの袋カゴに入れて急いでレジでお会計済ませて帰宅。ちょっとだけ崩壊してました。あとは大丈夫だった。昨日偉そうに書いたくせに、いざ地震が起きたら、非常食のことすっかり頭から抜けていた。おせんべ買って来ちゃった。
頭がモーロー。ドクターモーローの島。 会社でトイレに入っていたら(洋式トイレ)、目の前が急に明るくなった。ぼんやりしていたのがいけなかった。個室の鍵、ちゃんと閉まってなかったのです、それで、呆けた顔で用を足していたら(すいませんォ下品な)、正面の個室のドアがぼわーんと開いちゃった。あ、いや、全部開く前にぎょっと気がついて、慌ててばたんと締めたんですけど、半分は開いちゃった。外に誰がいたかまでは分からないけど(こっちは一瞬パニ食ったので)、確かに誰かいましたね、見ましたね、見てない?え、言わなきゃ誰も分からないのにって? 会社の机に、先週から、プリムラジュリアンの鉢を置いている。ウチの近所の花屋さんで買った、小さい、手のひらに乗るくらいの、水耕栽培の鉢。ちゃんと、花殻も摘み取って、お水も毎日取り替えて可愛がっているのに、この2〜3日、急にしおれ始めた。なんで!日光浴させるべく、天気のいい日は窓辺に置いたりしたのに。うーん。パソコンのモニタの脇が定席なのですが、それがいけないのかしらん。それとも私の風邪がうつったとか?それともそれとも私の発する凶悪な電波の影響とか? 明日明後日と会社を休むので、そばの席の女性にお世話をお願いしてきた。たのむ、どうか、立ち直ってくれい。
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