あたろーの日記
DiaryINDEX|past|will


2006年11月28日(火) うるさい、ほっとけ!

 旧暦10月8日。
 昨日書いた中に間違いがありました。『江戸東京《奇想》徘徊記』は、復刊じゃなくって、「待望の文庫化」(帯より)でした。すいません。
 NHKの受信料って、テレビない家は当然払わなくていいんですよね。私はかなーり前に、杉並に住んでた頃だったかにちょっとだけ払ったきりで、今の住所に移り住んでからもNHKの人訪ねてこないし(不在がちだからかな)、訪ねてきたら「我が家にはテレビありません」と言うつもりではいるのですが、ネットのニュースとか読むと、未契約世帯もなんらかの措置を取るらしいし、そんなこと言われたってテレビがない家庭(私の周囲にも少なくとも3世帯ある)や、テレビが飾りだけでたとえば家と会社の往復でテレビ見る時間全くない独身者だって、存在しないわけじゃないだろうに、誰もが当然テレビを見る、或いはテレビ放送が価値あるものだ、という考え方のもとに行動しているNHKって、やっぱ嫌いだなー。私はテレビが嫌いだし、不要だと考える人間なので、NHKの受信料絶対払わないよ、つうか、テレビないから当然払わないもんね(意固地)。
 それにしても、受信料払わない世帯を対象に民事手続きとは、NHKの感覚ってやはり凄く殿様だなあ。そんなに価値ある放送局なのかな、そんなことするほど立派な放送局なのかな、と思っちゃう。自分たちのこと棚に上げてるとしか思えないし。
 ・・・人と話していて、テレビ番組やタレントの話題になったとき、私がテレビ持ってないと知ると、驚いて大騒ぎする人が時々いるのですが、私のほうこそ、なんでテレビがないことがそんな驚くことなのか、と、不思議に思う。人によっては、会うたびに、私の家にテレビがないことをネタに周囲巻き込んで騒ぎ立てたがる人もいるのだけど、そういうのはもううんざりだなー。あんた人の家の電化製品のこととやかく言うんだったら、そんな大好きなテレビと心中すれば、と、言いたくなっちゃう。
 私も、20代の頃は、朝起きてテレビつけてニュース見て、帰宅すればテレビ見ながら夕ご飯、ということもあったし、銭湯のロビーでテレビがついていれば、ソファーに座ってちょこっと見ていくこともあるけれど、自宅になきゃないで全く不便を感じないし、テレビ番組を見ないことで、他人と価値観を共有できないとか、大切なことを見逃しているとか、そう考えるのはまったく馬鹿げてると思う。時々、「テレビが家にないなら、家で一体何してるの」と訊かれるのですが、そう訊いてくる人ってもしかして家でテレビ見ることしかしてないのかな、と、びっくりしてしまう。まさかなあ。
 テレビを見ている人を非難してるわけじゃないんです、別に。そういうことじゃなくて、今の世の中って、どうして、人と違うことしてると、驚かれたり騒がれたり、挙げ句非難されたり説教されたりするんだろう、と。
 テレビを持ってないこと、銭湯暮らししてること、1人で呑みに行くこと、等々。なんか、自分と違う行動パターン持ってる人に対して、いくら理解できないからって、「それっておかしいよ」「間違ってるよ」「○○すべきだよ」って、指図する人が案外多いのには、閉口する。私は私であって、あなたじゃないんです、と、いつも心の中で反論しながら、表面上は「あーはいはい」とやりすごす。他人と違うことがヘンだとされる世の中こそ、相当ヘンだ。私がうだうだ書いている日記を読んでくださっている方は、「あたろー毎日楽しそうだよなー」と笑ってくださっていると思うのですが、どうも、いつもありがとうございます、って、あらなんのこっちゃ、えっと、つまり、みんな同じだったら、つまんないよー、って、そう思いますよね。
 他人と違うってことがあって、当然。誰にでも、どこかしら、他人と違う部分がある。なのに、何故か後ろ指さされる時代。
 「うるさい、ほっとけ!」と言いたくなる、時々。いちいち対応するのが馬鹿馬鹿しくなる。なんか生きづらいよなあ。って思ってる人は、沢山いるはず。
 あー、ここに書いたら、ちょいとすっきりしました。 
 今日は愚痴っぽい日記になっちゃった。


2006年11月27日(月) 百�寮萓犬痢慘�腹帖』と、イベリコ豚君。

 旧暦10月7日。
 西班牙へ旅してた友人からお土産にイベリコ豚のパテを貰ったので、早く帰って買い置きの赤ワインを呑みながら、内田百�痢慘�腹帖』(ちくま文庫)の続きを読もう、と、残業早めに切り上げる。途中、美味しいフランスパンもしくは堅めのドイツパンなんぞ買って、スライスしてその上にパテを塗ろうと、乗換駅の神保町でいったん外に出る。私の知る限り、神保町には美味しいパン屋さんというものが見当たらないので、すずらん通りの自然食品スーパーで、ルヴァンの天然酵母パンを買おうとおもったのだけど、すでに売り切れ。ありゃりゃと思い、しかし気を取り直して、三省堂にちょっと寄ってみる。2階の文庫売り場で、『贋物漫遊記』(種村季弘/ちくま文庫)『江戸東京《奇想》徘徊記』(種村季弘/朝日文庫)を買う。買ってしまう。だったら土曜に寄ったときに一緒に買えばよかったのに。。。と、ちょっと反省。どちらも復刊。
 結局神保町でパンは買えずに、自宅近くでクラコット(全粒粉のクラッカー)を買い、そこにイベリコさんを塗って、ほうれん草やブロッコリーを入れたオムレツを作り、ワインの栓を開ける。ワインは、「South Hill Shiraz」というちょっと濃厚なオーストラリアの赤ワイン。・・・セブンイレブンで買ったんじゃよ。

 百�寮萓検弊い涼罎棒萓犬噺討个譴訖諭△泙晋討个譴燭た佑�沢山いすぎてうんざり、先生という呼び方は嫌いだけど、百�寮萓犬世韻亙漫∪萓検△箸弔韻燭�なる)って、相変わらず、真面目くさって苦虫噛み潰したような顔していながら、こちらが吹き出すようなことばかり書いているから、好きだ。
鉄道が大好きな先生、車中でせっかく書いた傑作の俳句十数句、窓を開けようとして車外に吹き飛ばしてしまうし、あんまりみすぼらしい格好では、と、旅行の前に神田で買ったずぼん、実は縫ったのではなくて糊で貼り合わせてあったらしく、寝台車中でスネから股にかけて裂けてしまった。しかたなく、寝間着用に持っていた浴衣に帯皮を締め、パナマ帽に赤皮の編上靴という出で立ちで下車し宿屋についた、等々。意外に気が小さくて、意外にのんき。飄々としているようで結構繊細。それと、いかんせん、ウジウジ悩む。真面目とユーモアの境界が分からない先生の日常。夏目漱石門下で、陸軍士官学校、海軍機関学校、法政大学で教鞭を執った。ついでに、いつも借金だらけで大貧乏。あ、それから、猫好き。いなくなった愛猫を思い続ける『ノラや』は、猫好きな読者にはツライ。
 内田百�寮萓犬涼�作は、ちくま文庫に全集(24冊)ある。が、これは全部新かなづかい(でもちょこっとずつ買い足しています)。百�寮萓犬諒絃呂蓮�旧かなづかいのほうが断然味わい深いような気がする。新潮文庫にも『第一阿房列車』等数冊。これも新かなづかい。残念。岩波文庫には『東京日記』などが。哀しやこれも新かなづかい。中公文庫『ノラや』『御馳走帖』など3冊ほど(だったかと)は旧かなづかい。旧かなが好きなのでこちらも入手していて時々読んで悦に入っています。あと、古書店でわりと見つけやすいのが、福武文庫と旺文社文庫。福武文庫は新かな、旺文社文庫が旧かなづかいで、実は一番好きなのですが、人気があるせいか、古書店でも高め。500円前後が相場、場合によっては1000円近いこともあるみたいです。旺文社文庫は、安藤鶴夫など、いいタイトル沢山あったんだな。あーあ、復活してくれないかなあ!
 

 


2006年11月26日(日) 『落語手帖』

 旧暦10月6日。
 今日は自宅でなんか書いたり読んだり。
 休日の楽しみはなんと言っても、夕方早めに銭湯に行ってから、自宅でのんびり晩酌をすること。今日も鍋にして、ちょっと奮発して琥珀エビス(缶ビール)と、ふなくち菊水一番しぼり(カップ酒)。ふなくち菊水、美味しすぎるよ〜。これらをちびりちびりと、2時間かけて呑む。呑み食いしながら、『落語手帖』(江國滋/ちくま文庫)の続きを読む。ああ、よかった。落語が好きでも、噺家ではなくて、自分が噺家の高座を観たり聴いたりする側の人間であることの幸せを、この人はじゅうぶんに知っていたんだと思う。・・・すぐれた噺家、すぐれた噺は、人物描写が決しておろそかではない。人物が細やかに描かれていない噺は、2度も聴こうならもう厭きてしまう。人物の情景が繊細に表されている噺なら、なんど聴いても、またその描写が巧い噺家ならなおのこと、聴けば聴くほど、新しい発見があり、情緒もその時々によって感じさせるものが微妙に異なるので、何度聴こうと愉しめる。そういうことを、納得させてくれる本。
 
 書くのを忘れてました、ちょっとだけ笑ったこと。
 先日ブックオフのとある店に行ったとき。実用本の、料理本棚の中に、『カエルを食べてしまえ!』という本が混ざっていた。食べる=料理本、というひじょうに安直な持っていき方に、ある意味感心した。これ、最近コンビニの雑誌コーナーにも置いてある自己啓発本のひとつだ。たしか、あなたにとって面倒なことを先にやっちゃいなさい、という内容だったかと思う。決して料理の本ではない。ちょっと中を開いてみれば、料理の本だなんて誰も思わないだろうに。そもそも、書名からしてほんとに料理本かどうか、検討つかないのか、不思議だった。
 もうひとつ。面白かったって言うか、可愛かったって言うか。
 浅草演芸ホールで、私の前に座っていたおばあちゃん、お歳は80代半ばといったところか。噺聴きながら、いきなりヤクルト飲んでいた。グイグイ始めたから、お、酒呑み始めましたか、と思ったら、違った。ヤクルト。寄席とヤクルトの組み合わせが、浅草なんだと思いました。巣鴨に寄席があっても、きっとそんな感じですね。そういえば、巣鴨でも落語会があったりします。都合がつけば行きたいのですが、平日だったりするのでなかなか。


2006年11月25日(土) 『狂った果実』。と、ちくま文庫の復刊。と、「火事息子」。

 旧暦10月5日。
 江東区の古石場文化センターへ映画を観に行く。
 「江東シネマ倶楽部」という、月に一度、土曜日の昼夜2回、昔の映画を上映してくれるもよおし。この前江戸深川資料館に「さん喬を聴く会」で行った際、チラシを見つけて、このシネマ倶楽部の2006年後期分(10月から来年3月まで)の会員チケット2000円(映画6本で計2000円ですぞ!)を購入したのですが、第1回目の10月28日『にあんちゃん』は、神保町の古本まつりの途中抜け出して行くつもりが、古本見てたり露店のカレー食べたりしてるうちにすっかり神保町を離れられなくなって、映画は行きそびれました。「にあんちゃん」もほんとは観たかったんですが。。
 今回は『狂った果実』(中平康監督・1956年日活)。知らなかった、製作はターキー(水の江滝子)だったんだ。原作石原慎太郎。キャストは言わずと知れた石原裕次郎、津川雅彦、北原三枝、岡田真澄ほか。
 私はこの映画をちゃんと通して観たことがなくて、たぶん実家でテレビがついていてこの映画を親が観ていても、「昔の裕次郎の映画やってら」程度にちらっとそばで観て、「わからない」ってやめて自分の部屋に戻ったようなそんな程度の記憶しかないです。で、この映画について知ってることと言えば、「石原裕次郎。石原慎太郎。北原三枝。太陽族。日本のヌーベルバーグ」だけ。正直言ってあまり興味なかった。石原慎太郎嫌いだし(そんなこと言っちゃいけないか)。太陽族にもまったく共感できないし。だけど一応は観ておこう、と思ったわけです。
 しかししかし、観てよかった。最初、映画の台詞回しが早過ぎて(監督の意図だそうです)何喋ってるのか聞き取れなかったし、働かずに海で遊ぶか女の子ナンパして酒呑んでるかしてるだけの金持ちの坊ちゃん達の生態に全く理解不能で、ただ、当時の不良である彼らの服装がかわいいのと(シャツの柄とか)、彼らが遊びに行き他の不良グループと喧嘩する遊園地が、どうみても浅草花やしきっぽいかわいい遊園地(時代が違うものなあ)なのとかで、結構愉しんで観ていた。 
 それが、次第に、1人の女性をめぐって、兄と弟の心理劇の様相を帯びてくる。話が進むにつれ、3人の世界がぎゅっぎゅっと濃縮されていく。そして、衝撃的なラスト。・・・粗筋を知らなかった私は、(えっ、こういう映画だったんだ!!)と、ラストシーンが終わった後も、しばらく呆然としていた。
 俳優もいい。弟役の津川雅彦と、兄弟の友人役の岡田真澄が特に。岡田真澄演じる平沢フランクが、映画に一本の筋をスーッと通しているような存在感。平沢の目に、滝島兄弟に起こった出来事はどのように写るのだろう。・・・追悼、岡田真澄さん。
 慎太郎氏。あーあ。都知事やってる場合じゃないですよ、と思った。都知事やるにしても、都民の税金で海外豪遊なんかしないで、そのお金を都の芸術振興にもっと回してくれればよいのになあ!そういえば、そのニュース(都知事のこれまでの海外出張が基準より異様に高い費用をかけていたという)、ちょっと報道されたと思ったら、以来ほとんど耳にしなくなったけど、どうしてだろう。
 映画の話でした。横道逸れてしまって。
 会場人数は240人(施設案内による)ほどでしょうか。ここも、年配の方々が多かったです。おばあちゃん・おじいちゃんが特に。あと、私の両親世代。私の隣のおばあちゃん、映画開始5分で船漕ぎ始めました・・・。しかし、他の人達は懐かしい映画に見入っているようでした。
 1階入り口ロビー脇に、地元生まれの映画監督である小津安二郎紹介展示コーナーがあって、その中に、シネマ倶楽部でこれまで上映した映画のリーフレットがずらっと並んでいるので、それを1枚ずつ戴いていくことにした。で、順番に1枚1枚引っ張って取っていったのですが、私の前に同じように取っているおじさん、「よっ」「よっこら」「よしっ」と呟きながら、1枚引っ張るごとに、指に唾つけている。。。取るのが遅くても構わないから、唾だけはつけんでくれぇ〜っ、と、心の中で叫び続ける私。おじさん・おじいちゃん達って、なんでもそうなんだよなあ。チラシ引っ張るとき、指にチッ。古本屋で本のページをめくるときも指にチッ。新刊書店で雑誌をめくるときもチッ(!)頼むから『サライ』立ち読みしながら指舐めんでくれ〜っ!
 そういうわけで、古石場文化センターを出たのが夕方。小津橋という、小津家の名を冠した小さな橋を渡り、深川の夕暮れを楽しみながら、門前仲町の商店街を歩く。まだ16時半頃だったと思うけど、魚三酒場の中はどうやら満席らしく、外に5・6人位の行列が出来ている。ああ、門前仲町に棲むオヤジになりたいわぁ。その隣が朝日書店。あらかじめ門前仲町に古書店はないかな、と、ネットで調べてきた。想像していた、街の古本屋さん、とは趣がちょっと違って、明るくてすっきりした感じ。でも本は安くて趣味がいいと思いました。今回は何も買わずに出てきたけど、門前仲町に来たら必ず寄ろう。
 深川不動の門前通りをちろちろと眺め、あげまんじゅうを1つ買って歩き食い。遠方から帰ってきたのだろう、着物を着てトランクを持ったちょっと粋なお姐さんが、お不動さんのほうを向いて立ち止まり、軽く一礼してから脇道に入っていった。
 こんな光景、ふと目にすると、なんだか嬉しくなる。
 
 その後清澄白河駅まで清澄通りを歩いていき、そこから半蔵門線に乗って、神保町まで。まだ開いている古書店をちょいちょいと覗く。キントト文庫で、後から入ってきた若い女性2人連れが、「『まぼろし小学校』、どこで見たんだっけ・・・」と会話しながら必死に探している。串間努さんの『まぼろし小学校』(ちくま文庫)のことかな。だったら三省堂のちくま文庫コーナーに「ものへん」「ことへん」の2冊があるよ、と、教えてあげたいのだけど、口にする勇気がない。教えてあげると古書店のお客を逃がすことになるので(と、自分で自分に言い訳)。本屋さんにいると、時々そういうことがある。店員さんに「○○っていう本ありますか」とお客さんが訊く。と、店員さんも、さあー、という顔で困っている。つい、どこそこの棚にありますよ、とか、○○文庫に入ってますよ、と口を挟みたくなるのだけど、どうも勇気が出ない。店員でもないしましてやお客さんの知り合いでもないので、余計な口出しすまいと思うのだけど、やっぱり、書棚の前で何食わぬ顔していながら、そういう会話には耳がダンボになってしまう。以前、どこぞの書店で口を挟んで、お客のおじいさんと店員さんにお礼を言われつつも、「この人誰だっけ」という顔をされたことがある。誰でもないんです、私。。。他のことにはまったく記憶力ないのに、書名に関しては自分でもびっくりする位覚えているみたいだ。たぶん、私だけじゃなくて、書店巡りが好きな人の頭の中には、ある程度そういうデータベースが出来上がっているんじゃないかと思う。・・・キントト文庫を出て、古書モールに寄り、しまいには三省堂書店に近づき、とうとう吸い込まれる。2階の文庫本売り場で呆然となる。ちくま文庫の復刊がずらりと・・・!筑摩書房のサイトは2〜3日に1ぺんは見てるのに、復刊については知らなかった(ゆえに、予算に入れてなかった)。ちくま文庫って、欲しいと思った時に買っておかないと、意外と品切れになりやすい気がする。とはいえ、一度に何冊も買えないので、棚の前でしばし迷う。買ったのは、『書物漫遊記』『食物漫遊記』(種村季弘)『食物・・・』のほうは8月だか9月だかに復刊されていたもの。最近種村季弘という人が気になるので。
 他に今回復刊されていたので気になったのは、『私の猫たち許して欲しい』(佐野洋子)、『天皇百話上・下』(鶴見俊輔編/中川六平編)、『ロッパの悲食記』(古川緑波)。谷崎潤一郎の大正期の短編集もあったけど、どうしようか迷っている。少しずつ買い足している中公文庫のラビリンスシリーズと重複しそうだし。ともかく、今日買わなかったちくま文庫復刊本、また書店から消えないうちに、ちょこちょこ買おうと思います。
 1階の雑誌売り場で『暮しの手帖』『ミステリマガジン』『週刊読書人』を買い、地下鉄に乗って自宅最寄り駅で降り、スーパーで鍋に入れる鶏肉を買う。嬉しいことに、新潟は栃尾の大きな油揚げが、豆腐コーナーに売っているので、酒の肴にしようと思ってそれもカゴに入れる。また嬉しいことに、にぎり寿司に半額シールが貼られて売り場に人が群がっていたので、鮭のにぎり5カン190円もカゴに入れる。銭湯に寄って、帰宅し、鍋の用意。宅配で届いている野菜をどかどか入れる。今日は醤油ベース。栃尾の油揚げは、魚焼グリルでちょっと焼いて、2口大に切って、スライスした玉葱をのせて醤油をかける。発泡酒とカップの日本酒をちびーりちびーり呑みながら、先日買った『本の雑誌』最新刊を読む。いつも楽しみにしているページに、ふと、学生時代からの友人のことをみつけて、(なるほど、筆者とはそういえばそういう繋がりだったのかぁ)、と、思う。
 最後はiPodで圓生の「火事息子」を聴く。というのも、『落語手帳』(江國滋/ちくま文庫)を読んでいたら、三木助の「火事息子」について書かれてあったので。あいにく、この噺、桂三木助では持っていなくて、三遊亭圓生のものをiPodに入れてあった。圓生の噺をじっくり聴く。ちょうど、今の季節に合う噺なんだと思う。江戸の夜の風景が、頭の中に立ち現れてくる。今度は図書館で、三木助の「火事息子」を探してみよう。
 
 


2006年11月24日(金) 秘密プラン浅草編。

 旧暦10月4日。
 一昨日から腰痛で(女性によくある症状)、ジーンズのポケットにカイロを入れたりして、腰を温めていたら、腰、低温やけどしちゃって、ちょっと皮が剥がれて痛い。まぬけ。
 今日は会社は休暇を貰い、バスに乗り、浅草演芸ホールへ行った。バスに乗る前に、巣鴨の地蔵通り商店街にある郵便局に所用で寄り、同じく商店街の伊勢屋という塩大福の店で、助六を買う。昼食と夕食用の2食分。それと、コンビニに入って、カップ酒の小さいのを探したのだけど、あいにくと大きめのしかなくて、仕方なくそれを買う。と、お新香も買う。・・・うっかりしてたのだけど、今日は「4」のつく日で、地蔵通りは縁日。平日の縁日なのでさすがに若者は少なく、今日はもう、おばあちゃんばっかり。。。例によってなかなか道を進めない巣鴨の縁日でありました(汗)
 巣鴨でさっさと用事を済ませてバスに乗ろうと思ったのに、思わぬところで時間を喰ってしまい、浅草演芸ホールそばのバス停に着いたのは昼の12時を過ぎていた。昼の部は11時40分から始まっている。まあ、平日の寄席だからすいてるだろうな、と高をくくっていたら、とんでもない。入り口で、現在満席で立ち見状態と言われる。えー!そうなんだ!大失敗。だったらもっと早く来るんだった。と、それでも料金(『東京かわら版』を持っていくと200円引きの2300円)を払って中に入る。なるほどホール後方にずらりと立っている人達が。ちょうど、舞台に近い、前方の壁側がすいていたので、そこに体育座りしてしばらく聴いていた。そのうち、茨城から来たという団体客が、バスの時間なのか、集団で席を立って出て行ったので、うまく座れましたが、夜の部も立ち見が出るほど混んでいました。それにしても、他の寄席や落語会と違って、おばちゃん・おばあちゃん達の数が、圧倒的に多い。客の7割はおばちゃん・おばあちゃん達だ。さすが、浅草観音様のおそばであります。・・・巣鴨の地蔵通り商店街と、客の構成はほとんど変わらない。ちょっと違うのは、ウィンズがごく近いので、ちょっと荒れた(気分の)おじさんも混じっていることだ。+他の年齢層の観光客、+お目当ての噺家さんを聴きに来た落語ファン、といった感じです。
 おばちゃん・おばあちゃん達というのは、笑い方が素直で、笑い声に圧倒的なパワーがある。それと、よく頷くし、相づちを打つ。場内恐ろしい熱気だ。
 
 私のお目当ては、昼の部の、三遊亭歌之介、柳家さん喬、柳家三三、夜の部は、柳家権太楼。今日は三遊亭歌之介「爆笑龍馬伝」、柳家さん喬「時そば」、柳家三三「犬の目」、柳家権太楼「黄金の大黒」だった。初めて見た噺家さんで、ファンになりそうな人が、二ッ目に昇進したばかりの柳亭こみち。数少ない女性の噺家さんで、気っぷが良さそうでよく通る声で、なにしろ巧い。これから注目してみよう、と思いました。古今亭志ん橋「居酒屋」、実は昨日原宿から代々木まで歩いている時、iPodで聴いていたポッドキャストの「フジお台場寄席」の中にありました。昨日は歩きながら、志ん橋師匠の顔を思い出しながら、この部分で高座でどんな仕草をしてるのかなあ、なんて想像しつつ聴いていたのですが、まさか翌日に実際に同じ噺を見ることが出来るとは思っても見ませんでした。想像したとおりの身振り手振り(特に居酒屋の小僧さんの役)で、前日に自分の想像力で予習しておいて、翌日に現物を見るという、なかなか面白い経験をしました。
 ・・・古今亭志ん五「素人義太夫」ついついつい、ウトウトとやってしまった。あーあ。勿体ない。昼席の主任、トリだったのに。実は、来る途中、バスの中で、同じく志ん五師匠の「蜘蛛駕籠」を聴きながらウトウトしてしまったのです。なおかつ、以前、確か末廣亭でも、志ん五師匠の高座の時に居眠りをしてしまった気が。どうも、あの声は私を心地よく眠りに誘うようです。ほんとに、自分でも、どうしてか分からない。
 色ものではマジックの伊藤夢葉、曲芸の鏡味仙三郎社中、夫婦漫才のあしたひろし・順子(ひろしさんは84歳でダンスを披露!)、曲ごまの三増紋之助(この人ほんと巧いなあと思います)、あと、懐かしいところではものまねの江戸家小猫、それと、どこかで見たような気がするパックンとマックンが、プログラムにはないけど出ていた。
 時間がおしていたために、最後のほうは、春風亭小朝・林家いっ平ともに、ちょっと駆け足。いっ平「荒茶」はそれでも面白かった。加藤清正の髭で泡だった茶、想像しただけでもう。。。うう。。。
 全体的に、古典落語が少なかったような。。。客席のおばちゃん・おばあちゃん達にウケるような、著名噺家・芸能人のお笑い思い出話とか、世間話的な笑わせ話とか、あと、客席を引っかき回すような感じの話が多かったような。そういうのもたまにはいいけど、2人、3人と続いたりすると、さすがにうんざりする。それって、新作落語とはまた違うし、古典落語とも勿論違う。なんか、世間話でお茶を濁すような高座は、正直言ってつまらない。生意気言うようだけど、最初マクラで一山笑わせておいて、どんな噺に入っていくのかな、と期待させておきつつ、次第に古典落語に入り、練り上げたひとつの噺をじっくりと聴かせてくれる高座が、私の好みです。ただ、場内が爆笑すればいいってもんじゃない。ああ、いい噺をみっちり聴いたなあ、っていう満足感を抱いて寄席を出たいなあ。ほんと、生意気なこと言ってますが。

 浅草演芸ホールを出たのが21時。さすがに座りっぱなしで、お尻が痛い。助六とか日本酒をちびりちびりと胃袋に入れていたので、空腹感はなし。となれば、巣鴨行き終バスまで約1時間、演芸ホール近くの銭湯蛇骨湯に行く。ここは、都内にありながら、しかも公衆浴場でありながら、天然温泉だそうです。もちろん東京都の銭湯料金430円で入れます。江戸時代から続く歴史の長い銭湯で、お湯は地下水、茶褐色。屋根があるけど一応露天風呂も。中の熱い湯船に浸かり、腰の皮剥け部分がじりじり染みるのに耐え、次に露天風呂に行き、何十分も浸かり、最後にまた熱い湯船にじっくり浸かり、よい心持ちに茹で上がったところで、上がり、バスに乗って帰ってきました。
 いいですなあ、自分でやっていて、我ながらよいプランだと思いました。
 浅草演芸ホールで落語三昧の後は、近くの蛇骨湯で1日の笑い疲れた身体を温めて、ガラガラ空いているバスに揺られてのんびり帰ってくる。
 ガイドブックにはない私だけの秘密プランであります。
 


2006年11月23日(木) ある種類の本。

 旧暦10月3日。
 新しい携帯電話(Nokia804NK)に替えてから、どうも画像の処理に手間取ってしまい、日記にアップするのがおっくうです。
 携帯電話で撮った写真をそのままアップロードすると、1枚の写真がPC画面いっぱいに広がるほど、でかくて、わあっ、となってしまうので、まず携帯電話上で縮小して、それでも縮小しきれないので、PCに入れてからまた画像処理のソフト使って縮小しました。が、今日は小さくしすぎてこんな風になってしまった・・・・・すいません。猫と、猫と、ブリ大根です。
 
 昨夜(11月22日)は女性同士で静かに呑み会。ブリ大根が美味しかった。店は外苑前駅近くの惣八。基本的に店の名前を覚えられない私。職場の人にどこかいい店ないか訊いて教えて貰ったとき、「あーわたしここ行ったことあるから知ってる」と答えたのですが、その、以前行ったことのある店、というのは実は行ったことがなくて、私が惣八と教えて貰った店を混同していただけだったことがあとで判明。方向全然違うのに凄い間違い。
 とにかく、ブリ大根が美味しかった。

 今日は勤労感謝の日。自分に感謝する。いつも働いている自分。どうでもいいけど祝日だから嬉しい。
 ともかく出掛ける。
 渋谷にコンタクトレンズを買いに行き、その足で久々に、渋谷古書センターに。1階、地下1階、2階と順繰りに見て回る。私はなんとも思わないけれど、自分が見たい棚の後ろや隣が、聖人・・・じゃない、成人雑誌の棚だったりすると、そっちを見てる人にとってはイヤなんだろうな、と思う。ここの本屋さんじゃなくても、どこでも、成人雑誌とフツーの本の棚が近接してる店は結構あって、棚の本の背表紙をずーっと眺めながら、身体だけずらしていくと、やがて誰か(お互いそれぞれの棚を必死で眺めている)とお尻や肘がぶつかったりして、「すいません」となるけど、その相手が成人雑誌の棚を見ていたりすると、一瞬、気まずい雰囲気になる。気まずいというのは、私はそうでもないのだけど、相手がそう思うらしい。
 面白いのは(そんな風に言っちゃいけないかな)、その手の雑誌コーナーに、男性が何人かいると、近くの棚に女性が来ても、誰も去らない。けれど、男性が他にいないと、相手が何故か遠慮?して、女性がその辺りから去るまで、成人雑誌コーナーには近寄らずに、他の棚を見てたりする。つまりどうやら、「仲間」がいると、心強いらしく、堂々と棚の前に長居できるらしい。なんだか涙ぐましくて、こちらも気を遣ってしまい、早く立ち去ってあげねば、と思う。私だって、なにも考えずに無遠慮にズカズカ入り込んでいるわけじゃないんです。
 が、しかし、古書店に入って、成人雑誌の棚があると、カウンターのおじさんは、成人雑誌も普通の本も触ってるんだよなぁ、と考えてしまい、ちょっと購買意欲が失せる。欲しい本が見つかって、その憂慮を乗り越えるほどそれが欲しかったら買うけど、私の直前に誰かが成人雑誌を購入してたりすると、店のおじさんの手は成人雑誌を触って(ビニールには入ってるけど)、次に私の買う本(成人雑誌ではないよ)も触るわけか・・・と、躊躇せずにはいられない。ある時は妄想がどんどん広がって、この店の本は、成人雑誌を触った客や店主の手が、同じように普通の本にも触れているんだよなあ、と、悩み始める。世の中にその類の本があってしかりだし、成人雑誌を置かないと経営が成り立たないんだろうから、あんまりぶうぶう言っちゃ可哀相だよなあとは思いつつ。。。まあ、世の中には、トイレに入って手を洗わずに出てくる男性が少なからずいるらしい(と、聞きました)。女性も時々。洗面台で手を洗っていると、隣で、指先だけど水道の下に持ってきて、「チャッチャッ」って感じでちょっとだけ水につけて終わりっていう人を時折見かけて、(オマエソレデテヲアラッタツモリカ〜ッ)と、びびることがある。あと、たまーに、トイレから出てきてすぐに鏡で自分の顔や髪型をうっとりと直して、とうとう手を洗うのを忘れて出ていく人(!)もいる(テヲアラウノワスレテマス〜)。なので、成人雑誌が同じ店内に置いてあろうとなかろうと、世の中、他人の触った本は、みーんな、何かしら細菌(!?)がついているんであります、きっと。
 だよなぁ。そう思わなきゃ、古本なんて買えない。

 結局渋谷では何も買わずに出てきて、その後、あの混雑した休日の渋谷駅に戻って混雑した山手線に乗るのが億劫なので、駅地下を通って駅と反対側に出て、明治通りを原宿に向かって歩いた。が、原宿だってどうしてどうして混んでいる。ともかく目的地のひとつ、原宿のブックオフに着いて、ここも久しぶり、で、文庫を6冊ほど、青木玉や宮尾登美子の随筆などを買う。原宿のブックオフはでかい。でかいのと賑やかなのとで、とても疲れる。その後、やっぱり混んでいるJR原宿駅には行きたくないので、明治通りをひたすら新宿方面に向かって歩く。途中、池袋行きのバス停をいくつも通り過ぎる。そのひとつで立ち止まり、(バス来るのを待って、乗っちゃおうかなあ)と悩んだけど、iPodで聴いている落語(ポッドキャストの番組、「お台場寄席」)が面白いので、それを聴きながら歩いて行こう、と思った。で、あとから来たバスに当然追い越されたのですが、またこちらが追いつき、また追い越され、追いつき・・・・で、原宿から代々木まで、同じバスとほとんど一緒に進んでいきました(笑)。それだけ、明治通りが渋滞してたってわけなんですけど。私がバス停で、バスの時刻表や路線図見ながら、どうしようかなーと迷ってたとき、そのバス停で待ってたおばちゃんとか女子高生が、混んでいるバスの中に立って、窓から外を見ている。うーん。同じ距離、てくてく歩いていくのと、渋滞でのろのろ運転のバスの中で座れずにいるのと、どちらがいいかなあ、なんて。
 その後代々木駅で山手線に乗って、帰ってきました。
 実は24日は有給休暇貰ってます。4連休で、はりきってます。


2006年11月21日(火) 自宅近くに喫茶店が欲しい。

 旧暦10月1日。
 『むかし卓袱台があったころ』(久世光彦/ちくま文庫)。帯に「久世ワールド、秘密の鍵」とあるけれど、久世ワールド、とはまさにそうとしか言いようがない、どうしてああも繊細で艶のある、深い感性を感じさせる随筆なのか。幼い頃、部屋の薄い暗闇の中に何かを感じ取った、その時の記憶とか、家族の風景とか。それから、空襲で燃え残ったと思った土蔵の戸を開けたら、中から真っ赤に燃える火が飛び出してきて、一気に燃え上がったという話は、とても印象に残った。

 自宅近くに気の利いた喫茶店があればいいのに、と思う。
 コーヒーが安くて美味しくて、マクドナルドみたいに賑やかな音楽じゃなくて、高校生とかがいなくて、長居が出来て、夜遅くまで営業している店。
 仕事帰りに、時間が出来たら、店の奥のお気に入りの席に座って、読みかけの本を開けるような。今週は雨とか、読みかけの本を読みたいばかりに、という理由で、電車通勤にしてしまっているのですが、帰り道、電車から降りて、読みかけの本を閉じて歩くのは苦痛だから、立ち寄って続きを愉しめる店があると嬉しいのに。銭湯に寄って自宅へ着いて鍵を開けて電気をつけて・・・という流れの前に、電車の中の続きができる場所が欲しい。それと、たぶん、喋りたくはないし、賑やかな場所じゃないほうがいいけれど、見知らぬ人達が自分と距離を置きながら、空間を共有している、という、都合のいい孤独感を味わいためなのかも知れないけど。
 残念ながら、気の利いた喫茶店がないところに、住んでます。


2006年11月20日(月) スナフキン。

 旧暦9月30日。
 志ん生の語った半生記『なめくじ艦隊』(ちくま文庫)を読み終える。
 同じく志ん生の『びんぼう自慢』(ちくま文庫)、長女である美濃部美津子さんの書いた『三人噺』(文春文庫)と合わせて読むと、ぐんと面白い、と思う。どうしようもなく救いがたい貧乏芸人の志ん生の、やぶれかぶれの毎日が、不思議なくらい楽天的な当のご本人の、のんきだけど威勢がよくてリズミカルな語り口で読み手を魅了する。こんな旦那さんで、奥さんはよくぞ逃げずに頑張ったなあ、と思うけれど、志ん生ってやっぱり芸の虫なのだ。と、大酒喰らってとんでもないことをしでかしても、身体の中に一本筋が通っているその張り具合がよいんだと思う。『三人噺』は、そういうどうしようもなく愛すべき芸人の父と、辛抱強い母を両親に持った娘の美津子さんが、思い出すようにしみじみ語る、両親と弟たちのこと。
 読んでいる間ずーっと、頭の中で志ん生が喋っていた。文字を追うのと同時に。

 昨夜は寝る前に、『ムーミン谷の十一月』の第1章を読んだ。しばらく、毎晩寝る前に1章づつ読んでいこうと思う。最初からいきなり、スナフキンが旅に出る。誰とも喋りたくなくて、孤独が好きで、自由が好きなスナフキンの気持ち、とってもよく理解できる。決して社交的ではないのだけど、孤独も大切なんだよなって、スナフキンを見るといつも思う。


2006年11月19日(日) ムーミン。

 旧暦9月29日。
 午前中、図書館から借りてきた落語CDをせっせとiPodに入れて、コインランドリーに洗濯をしに行き、終わるまで古今亭志ん生の『なめくじ艦隊』を読んでいた。
 今日は雨だからコインランドリーの、特に乾燥機が混んでいる。私が洗濯機に洗い物をぶち込んで約40分、脱水が終わってさあ次は乾燥機・・・と思ったけれど、10機近い乾燥機のひとつとして空いていない。どれもぐるぐる回転して・・・と思ったら、私が来た40分前から乾燥し終わって中に洗濯物(毛布)が入ったままのが1機ございまして、どうしようかな、と、一瞬迷ったけど、だいたいコインランドリーで乾燥が終わっているのを1時間近く放置しておくなんて迷惑千万、ちょっとかちんと来たから扉を開けて中の毛布を出して、部屋の隅にある段ボール(そういう、洗濯物を取りに来ない人のものを一時的に入れておくためにあるらしい)にどかっと入れた。そうして、自分の洗濯物を、空いた乾燥機に入れて、コイン投入、さらに、その乾燥機の前に置いてあった、ごみ袋入りの洗濯物も毛布のほうへどかして、乾燥機に寄りかかるようにしてベンチに座って本を開いた。
 すると、私の隣の乾燥機が乾燥を終え、持ち主が中のものを取り去っていくと、私のそばで新聞を読んでいたおじいさんが、部屋の隅に行き、私がさっきどかしたごみ袋入りの洗濯物を引っ張ってきて、空いた乾燥機に入れ始めた。
「もしかして空くのを待ってたんですか、すいません」
「ええまあ(笑)今日は雨だから混んでるねえ」
と、おじいさんは飄々と答えて、洗濯物を放り込んでいる。
 おじいさんは、乾燥し終わって乾燥機の中に取り残されたままの毛布を取りに来ない持ち主にイライラすることもなく、部屋の一角に座ってずーっと根気よく乾燥機が空くのを待ち続けていたのだけれど、私ときたら、おじいさんが、「予約」のつもりでその乾燥機の前に置いておいたごみ袋入りの洗濯物を、持ち主の見ている前で堂々と動かし、しかも中の毛布もどかして、さっさと乾燥機を使い始めてしまったのである。
 ずうずうしくてすいませんでした。
 と、おじいさんのことはそういう話でして、その、毛布の持ち主のほうは、私が乾燥を終えて帰るまで、とうとう現れなかった。

 洗濯を終えて、銭湯に飛び込んであっつーいお湯に浸かり、それから巣鴨駅前の居酒屋鮒忠で、友人と2人、真っ昼間から呑む。彼女とは夏にも昼酒をやりまして、その時は確か、鮒忠に昼から夜まで9時間近く居座ってしまったという、この人と組むと恐ろしい話になります(それはお互い様)。
 しかし、今日はどちらからともなく節制を効かせて、夕方には店を出て、池袋の古書往来座へ。雨の日は古本屋へ行くのもしんどいのだけれど、今日はどうしても、古書往来座へ行きたくなったので。しばらく行ってないのもあるし。誰かと連れだって古書店に入るなんて滅多にないので、なんだか照れくさい感じ(笑)。しかし、そこはお互い本の虫、それぞれ夢中になって店内を回る。早速、欲しかったロバート・ラドラムの『バイオレント・サタデー』(角川文庫)『ホルクロフトの盟約上・下』(角川文庫)を見つけて抱える。『バイオレント・サタデー』は好きな俳優ルトガー・ハウアー主演で、かなり前だけど映画化された。が、本は絶版で、昨日神保町の古書店でも見つけたのだけど、状態がかなり悪く、なのに800円だったので、手を出さなかった。が、今日はほとんど汚れてないのを300円で入手できたので、とても満足。他に、『戯作者銘々伝』(井上ひさし/中公文庫)、『井伏鱒二文集2』(ちくま文庫)『かきつばた・無心状』(井伏鱒二/新潮文庫)を買った。『戯作者銘々伝』は、『ブッキッシュ』2003年10月刊の5号、特集「落語の本あらかると」で、落語作家のくまざわあかねさんが、同じ井上氏の『不忠臣蔵』とともに紹介していたのを読んで、興味を持っていた本。『不忠臣蔵』のほうも読んでみたいので、こちらは引き続きおたずね本として、頭の片隅に入れておこう。『かきつばた・無心状』は、今、新潮文庫では出ていない。絶版というのか、品切れというのか。まったくもう、残念なこってすが、今日見つけたのはとても状態がよい本でした。
 友人も探していた本が見つかったので、お互いほくほく。本好きな仲間と書店に入るのはなかなか新鮮で楽しい経験でありました。ふだんはむっつり1人で廻っているので(笑)棚の背表紙を見てああだこうだ、あんなのもあるこんなのもある、といろいろ言い合って、時間が幾らあっても足りない。
 しかし、それぞれ欲しい本が手に入って満足、夜の予定がある彼女と、ジュンク堂のちょっと手前で別れる。で、私はその後ジュンク堂に吸い込まれてしまった。久しぶりに池袋の書店を廻るような気がする。ジュンク堂も、その向かいのリブロも、閉店時間が延びて、22時になったんですね!これ、すごくありがたい。ちなみに往来座も22時まで。ありがたい。
 ジュンク堂に入ったはいいけど、今日はもう買うのをよそう、と思って、が、雑誌売り場覗いたら、『クウネル』の最新号が出ていたのを見つけて、つい買ってしまう。『クウネル』は久々に買う。今回の特集は読みたいなあと思ったので。「トーベ・ヤンソンとムーミンのひみつ」。ヤンソンの生まれ故郷、フィンランドへの憧憬。それから、童話作家の佐藤さとるさんを訪ねるページもある。佐藤さとるさんの描く子供の絵、幼い頃から何度も眼にして、大好きだった。
 ジュンク堂を出るとき、私の中の少女(ぶわっ)の部分が飛び出してきて、頭の中で、「ムーミン、ムーミン」と繰り返している。ついに、ムーミンを読みたくなった。電車に乗るのに西武百貨店の通路を歩いていたのだけれど、同じフロアにあるリブロを素通りできなかった。文庫売り場で、ムーミンはどこに隠れて居るんだろうとウロウロする。昔、学校の図書館で借りて読んだことはあるんだけど、でも、文庫でもあったよなあ、どこの文庫だったかなあ・・・、岩波文庫にはありそうでない、新潮文庫にもない、ちくま文庫でもないし・・・と、書棚にぶら下がっている各出版社の文庫目録をめくって行く。なるほど!講談社文庫でしたか!!!8冊あるムーミンシリーズの中の、『ムーミン谷の十一月』を買った。さむーい、11月の夜に、ココアをマグカップにいっぱい入れて、膝掛けにくるまりながら読みたいです。
 


2006年11月18日(土) 幸せなひととき。

 旧暦9月28日。
 隣の区の図書館に行き、借りていた落語などのCDを返却し、また借りる。それと、新着視聴覚資料のリストに、好きな噺家の新作が含まれているのだけれど貸し出し中なので、予約もする。
 家から図書館を廻り、ずーっと歩き通しで、神保町を目指す。今週はあまり走らなかったので、せめてもの償い。小石川側から歩いてきて、後楽園と通り、東京ドームをぐるっと回って、何故かウィンズの建物の中を通って近道し、九段下方面へ抜ける。ウィンズ、馬券買う人達でごった返していた。ついでだから何か買っていくかな、とも思ったけれど、どんなレースがあってどんな馬が走るのか、予備知識がぜんぜんないので、やめた。競馬って頭使う。超初心者は迂闊に手を出してはいかん。
 九段下あたりから、神保町の古書店街をずーっと見て歩く。『あばらかべっそん』(桂文楽・旺文社文庫)『千夜一夜物語1』(ちくま文庫)。『あばらかべっそん』は、もともと青蛙房で出したのを旺文社文庫、ちくま文庫でそれぞれ文庫化したものらしい。ちくま文庫のほうは、数年前まで新刊本屋さんで見かけたのに、いつか買おうと思っているうちに姿を見なくなった。古書店に入るたびに探し物リストの中に一応インプットしていたのだけど、ついぞ見つからず。と思ったら、今日旺文社文庫のほうを見つけたというわけです。旺文社文庫はとうの昔になくなっているんだけど、結構味わい深いタイトルのい本多かったよなあ。
 あとは三省堂で、『なめくじ艦隊』(古今亭志ん生/ちくま文庫)『むかし卓袱台があったころ』(久世光彦/ちくま文庫)を。志ん生の『びんぼう自慢』(ちくま文庫)、面白かったので、またそれを期待して。久世さんのは、先日読んだ『美の死』(ちくま文庫)がとてもよかったので、新刊を喜んで。

 夜は近所の居酒屋で、手に入れた本をぱらぱらめくりながら呑む。
 最高に幸せなひととき。

★追記・翌日ネットで調べたら、桂文楽師の『あばらかべっそん』は青蛙房→朝日ソノラマ→旺文社文庫→ちくま文庫の順で刊行されているらしい(私の知り得たところでは)です。青蛙房の本は好きなので古書店で必ずチェックするけど『あばらかべっそん』は見かけたことがないことを考えると入手しづらいかなあ。朝日ソノラマもしかり。古書店で探しやすいのはちくま文庫版のような気がします。


2006年11月17日(金) 『サイレント・ジョー』『夢十夜・文鳥・永日小品』

 旧暦9月27日。
 一昨日からかかって、『サイレント・ジョー』(T・ジェファーソン・パーカー作/搦理美子訳/ハヤカワ文庫)と、『夢十夜 他二篇』(夏目漱石/岩波文庫)を読み終える。
 『サイレント・ジョー』は、ほんとうによかった。面白かった。主人公のジョーは24歳。保安官補として刑務官の仕事をしている。赤ん坊の頃、父親に硫酸を掛けられ、顔半分は何度手術しても残る傷痕で覆われている。5歳の時に、彼を施設から引き取り、愛情ある家庭で育ててくれた養父は政界の実力者。しかし、ある日、誘拐された少女を助けた後、彼はジョーの目の前で、射殺されてしまう。ジョーは父を殺した犯人を挙げるべく動き出すが、それは同時に、亡き父がジョーに隠し続けてきた暗部をえぐり出していくことにもなる。。。というストーリー。様々な人間くさい人間が出てくるが、ジョーの人間としての魅力が、この小説に読み手を引きつけて離さない一番の理由かも。
 漱石の文章は、やはり味わい深い。もう、あんな文章、とうてい真似なんか出来やしない。「夢十夜」「文鳥」「永日小品」。特に「永日小品」の中の「行列」「心」を読んでいると、初っぱなから、漱石の文章の流れるような言葉の連なりに、飲み込まれてしまうような快感がある。息が詰まるようだ。そして、溜息の連続。どの作品も短いものだけれど、読み手を次々とその物語世界へ引っ張り込んで、周りの空気感まで変えてしまう作家の魔術。
 
 
 


2006年11月14日(火) ロバート・ラドラム

 旧暦9月24日。
 今日は会社を休んで用事を片づけた。出掛ける前に、朝、自宅PCで、前夜見つけた神戸の古書店に、欲しかった本の注文をした。ロバート・ラドラムの文庫本6冊。『暗殺者』をかなり昔に図書館から借りて読んだことがあって、すんごく面白かったのだけど、ラドラムはそれきりだった。が、先日、ヤフーの映画配信で『暗殺者』の映画化『ボーン・アイデンティティ』を初めて観て、原作の『暗殺者』ってこんな感じだったかなー、ストーリーがちょいと違うよーな・・・と思ったらもうたまらなく再読したくなってしまい、昨日神保町に寄ったわけなんであります。いや、映画は、あれはあれで面白い。つか、マット・デイモンってこんなに格好良かったかな、って思うくらい素敵だった。なんていうか、母性をくすぐられるというか。昔はマット・ディロンの誤植(?)だろうと勘違いしたんだけど。それで、映画観てて、はて、この話どこかで聞いたか読んだかしたような、と思って調べたら、昔読んだラドラムだった。
 残念ながら、ラドラムはもうお亡くなりになっていて、新しい作品は出ない。しかも、翻訳されて文庫になっているタイトルでも、新刊書店で入手できないものも多い。アマゾンでラドラムを検索してこれまた初めて知ったのだけれど、大好きな俳優ルトガー・ハウアー(学生時代に『聖なる酔っぱらいの伝説』を観に行きはまった。アクションからシリアスもの、ホームレス役からレプリカント役まで芸達者な役者)主演の『バイオレント・サタデー』の原作もラドラムとのこと。しかし、この本も入手不可。
 うーん。毎日毎日新刊がどんどん出てくるけれど、流通するタイトルの数は非常に多いけれど、それぞれが市場に流通し続ける期間のあまりにも短いこと短いこと。新刊書店で、たとえメジャーな出版社の本であっても、読みたいと思ったときに購入しておかなければ、数年後、よしあれを読もうなんて気になっても、もう遅かったりするんだなこれが。なんだか、日本の出版事情って、読者にとってちょっと不幸な状態に陥ってないでしょうか。。。(泣)
 ともかく、ラドラムを早く読みたくてうずうずしています。
 
 夕ご飯は、先日友達から仙台のお土産に貰った、「利休」の牛たんシチュー。レトルトを鍋で温めてご飯の上にかけると、口いっぱいの大きさの牛タンがゴロゴロ出てきた。柔らかくて美味しかったです。


2006年11月13日(月) PR誌をもらってきただけ。

 旧暦9月23日。
 子供から大人まで、心の中の闇を、言葉や暴力によって他人にねちねちとぶつけてくるような、それでいて表向きは周囲と横並びで没個性っていうか、なんとなくうまくやってるっていうか、とにかくイヤな世の中になったなあ、という感じ。他人を自殺に追い込むいじめ、自分の子や内縁の相手の子供を虐待したり、挙げ句殺してしまったり。虐待や殺すのだったら、最初から子供産むなと言いたい。子供は親を選べないのに。

 残業せずに退社。神保町まで電車で行き、閉店間際の古書店の何軒かを覗き、三省堂書店にもちょっと入る。読みたい本があって、探してみたのだけど、ない。版元では在庫切れ重版未定。なんでよ、って、ちょっと文句言いたくなる。神保町に寄って手ぶらで帰るのもつまらないので、三省堂のPR誌コーナーから、『アスペクト』のPR誌と、『本が好き!』(光文社)を貰ってくる。ほんとは筑摩書店の『ちくま』が欲しかったんだけど、最近なかなか入手できない。すぐさばけちゃうんだなきっと。面白いもの。
 だけど、『アスペクト』『本が好き!』もなかなか楽しめそうな誌面だ。「『泣ける本』で泣いてたまるか!」「酒と読書」「哀愁遊園地」(以上『アスペクト』PR誌)等々。
 
 その後神保町から走ったり歩いたりを繰り返しながら、トロトロと帰ってくる。途中、巣鴨の古書店にも寄る。帰宅前に銭湯に寄り、露天風呂の熱いのにじっくり浸かる。お湯の中で足の裏をもみもみ。それからロビーのソファーに座って、前から気になっていたけど見ず知らずのおじさん(とは限らない?)の水虫が移りそうで使う勇気がなかった足裏マッサージ器を、とうとう使う。100円玉入れて、足を突っ込んで、すると、ゆっくりゆっくり、でも、ぎゅっ、と、ぎゅっぎゅっぎゅっーっと、足裏を突起状のものがマッサージしてくれる。時々痛いんだけど、それがあとからじわじわ快感になってくる。この日記を書いている今もまた、出掛けていって足裏マッサージ器に足を突っ込みたい気分。癖になりそうです。


2006年11月12日(日) モンクのつけようがありません。

 旧暦9月22日。
 ずーっと自宅に閉じこもっていた。巣鴨の菊まつりに行くのを忘れてた。
 だけど、計画したことほとんどはかどらなかった1日。なんだか消化不良の休日。
 それにしても今日は寒い。部屋はまだ暖房つけてないけど、そろそろ必要かな・・・いや、一度着けてしまうとそれから毎日暖房なしでは我慢できなくなりそうで。とりあえず、フリース2枚重ねと膝掛けで。
 格好つけるわけじゃないけど、ジャズとコーヒーの似合う季節になりましたな。セロニアス・モンク・カルテットのライブ盤を。図書館から借りてきてiPodに入れているものです。ジャズは、スタジオ録音のお行儀のよいものよりも、臨場感溢れるライブ盤のほうが、ミュージシャンも活き活きしていて何が起こるか分からないスリルに充ちていて、聴き応えがあるよーな気がする。時々無意識に呼吸を止めて演奏に聴き入って心臓のバクバクが感じられるほどスリリングな瞬間がある。あー、一軒家で、大音響で、ソファーに埋まって音楽聴いてみたいわぁ。地下室とかで。そう夢見つつ、四畳半でヘッドフォンして小さくなってマグカップ抱える私。
 いやいや、音楽聴くことが出来る環境にいるってだけでも、幸せだよね。
 


2006年11月11日(土) 小学生のほうが忙しいのね。

 旧暦9月21日。
 実家にいる小学生の姪から久々にメール。部活の引き継ぎやらで忙しく、なかなかメールできなくてごめんね、とのこと。おいおい。東京に住むおばさんと似たようなこと言ってるのね。と、まだ返事書いてないおばさんは、何をしていたのかと問われてどう答えようか迷ってるんです。
 そういうわけで、今日は何をやっていたのかなー。朝の雷鳴と雨の音を聴きながら食パンにジャムを塗って、2枚貼り合わせて、インスタントコーヒーをブラックで、ぼけーっとしながら代わり番こに口にほおばり、それから本を読んだり文章書いたり。本はまだ読みかけのままだ。
 早めのお昼にひやむぎを茹でて挽肉と小松菜のトッピングで食べ、午後再び机に向かい、じーーーーーーっと、ノート拡げたまま、考え事してた。なーんにも実にならない午後だった。
 夜は鍋。鶏肉豚肉2種類も入れて、豆腐白菜春菊。醤油ベースの味付けで。と、細葱ときゅうりのサラダ、それと烏賊の塩辛で、お供は芋焼酎の黒霧島。『酒とつまみ』『本の雑誌』のバックナンバーをぺらぺらめくりながら、鍋を抱え込むようにしてつつく。おばさんの暮らしはこんな風です、なんて、正直に言えるわけがない。まあ、適当に、「読書ばっかりしてました」とでも、書いておくかな。
 今日は特に何もなかった。雷様がいらっしったほかは。


2006年11月10日(金) 秋深まる。

 旧暦9月20日。
 タウンミーティングのやらせ質問、NHKへ命令放送、挙げ句核武装論議、とか。怖い世の中だな。情報に受け身になっていたら、政府のやることテレビで伝えることすべて正しい、なんて思うように、いつのまにかコントロールされている。あれもそうだよなあ、「美しい日本」という、政治家が言うのを聞くとヘドが出るくらいわざとらしくて気持ち悪い言葉。本屋の平台とか、宣伝広告とかに総理の顔写真と一緒に溢れていて、これも一種の情報操作だと思う。
 
 と愚痴るのはここまでにして。やっと1週間が終わる。今週は沢山走って歩いた。そういえばずっと天気がよかった。ちょっとずつ秋が深まっていく。で、今年もあと1ヶ月半しかないんだなあ。ほんと早いなあ。


2006年11月09日(木) ビバお役所。

 旧暦9月19日。
 太陽の前を水星が横切っている間、とことこと走って出社。朝は当分、自宅から職場までの距離の半分を走ることに。帰り、さすがに筋肉痛。走れないのでとぼとぼ歩いて、今日は朝同様、途中駅から電車に乗って帰宅。今まで通勤に使ったことのない路線。つまり、都電荒川線という、たいへん風情のある電車。のどかでいいなあ、と思う。休日じゃなくって、平日に都電を使うっていうのが、余裕な感じがしていいな。
 
 職場の、来週早々中国に出張に行く上司(男性)のパスポート表記が、女性になっていたそうな。もう何年も前につくって、それで何度も海外に行っているのに気づかなかったとのこと。2メートル近い長身でえらく体格のいい上司、顔つきだってどうみても女性ではない。どうやら機械のミスでそうなっちゃったらしい。今まではたまたま間違ったパスポートで行き来できたけど、今度の出張下手するとそんなことで行けなくなっては大変、と、女装して・・じゃないや、居住地の県庁まで再発行手続きに行ってきたとのこと。それにしても、ビバお役所仕事。間違えたのは向こうなのに、自分で交通費掛けて、仕事抜け出して、しかも写真代も自分持ちで、やっと再発行となったらしい。
 だけど、出張前に気がついてよかったですなあ。
 


2006年11月08日(水) 通勤ラン初日。

 旧暦9月18日。
 竜巻怖いですね。。。とても逃げられるものでもなし、運が悪いとしか言いようがない。気の毒すぎます。ほんと怖い。
 
 通勤ラン、結構疲れた。
 初日なので、朝は途中まで電車で行き、自宅から職場までの半分、約5�劼鯀�って会社に辿り着いた。出社時間ギリギリ。。。帰りは会社から自宅まで約10�劼鬚困辰帆�った。トロトロ走りだったから1時間20分。自宅近くの銭湯がゴール。露天風呂で足を揉んでくつろぐ。久しぶりに走ったので、銭湯を出たらもう筋肉痛が始まっていた。
 ちょっとネックなのは2点。背中の荷物をいかに軽くするか。チャリ通の時より小さいリュックに中身を最低限に減らしてみた。減らすのはこれが限度かなというくらいに。それでも一応女性なので、会社に着いたらの着替えとか化粧道具とかお風呂セットとか、結構重い。もう1つは、途中で走れなくなった場合、会社まで電車で行くのにちょうどいい路線の駅がないこと。駅はいくつも通るのだけれど、会社のある青山方面にのびている線路がまずない。今朝、途中まで乗った電車は都電荒川線で、終点が早稲田だし。ぐるっと遠回りして片道15�劵魁璽垢砲垢譴弌�途中で疲れて電車に乗るにはちょうどいい駅が結構あるのですが。。。
 けれども、走っていて結構楽しいので、途中で電車に逃げるということはあまりなさそうです。汗だくジャージで満員電車に飛び込むというのも気が引けるし。
 しばらくは、朝5�辧�帰り10�劼嚢圓海Δ�なー、と思います。疲れたら無理せず歩くことにして。
 


2006年11月07日(火) ぶこたんぶこたん。

 旧暦9月17日。
 残業して会社出て来たら、チャリンコのタイヤ、パンクしてた。後輪が。 1週間前に空気入れ借りた交番にまた立ち寄って、空気入れさせて貰ったけど、乗ったらすぐ、ぷしゅー、となった。
 朝乗ってきたときはタイヤ元気だったし、最近心当たりあるので、誰かが意図してやったんだろうとは思うけど、まあ、世の中こんなもんでしょ、と、ぶこたんぶこたん、と異様な音を立てながら(夜だけに前を歩く人がぎょっと振り返ったりした)、2時間かけて青山から巣鴨まで、チャリンコ引っ張って歩いて帰宅。先日職場のチャリ人と話していて、パンクセットはいつも持ってないとダメですよー、と言われたのを思い出した。やっぱ、ですねえ、そうですねよえ。
 それはそうと、そろそろタイヤの溝がすり減ってきたので交換しなきゃな。その前に、ちょうどいいや、この際、通勤ラン始めようかな、と思う。せっかく東京マラソンに出られるのに、しばらくぜんぜん走ってない。運動不足がたたって、もくもくと太ってきたし。明日からジョギング再開しよう、来週から走ろう、なんて思っているうちにもう11月だ。かといって、平日仕事終えてチャリで帰宅後は結構疲れてるし、休日は休日であれこれやっているうちに1日が終わるし。そうだそうだ、これは、ジョギングするのにちょうどいい機会じゃないか、と思う。そう思ったら、なんだか楽しくなって、いつもチャリ漕いでる道を歩きながら、明日からここをどう走ろう、とちょっとわくわくしてました。
 帰宅が予定より1時間以上遅れたので、夜は本も読めず、だけど、今日はよい運動になりました。ハラショー♪


2006年11月06日(月) 古今東西最も聞かれるメロディは、さて。

 旧暦9月16日。
 『盲目物語』(谷崎潤一郎・中公文庫)を読む。
 なんともな滑らかな文章。織田信長の妹お市の方に遣えた盲目の法師の口を通して、戦国の武将と女性達の悲劇の生涯を語る。それにしても、むごい戦国の世、あの時代に生きていたら、私なんてとてもとても、神経が持つまい、と思う。
 
 仕事中、ふっと考え始めたらたまらない。古今東西、最も多く流れたメロディはなんだろう?と、職場に流れたWindowsの起動音を聞きながら、ちょっと気になった。隣の席の人に聞いてみたら、「宗教音楽じゃない?」と言う。なるほど、そうかも。昔からある、例えば賛美歌とか。でも、もしかしたら、パソコンの電源を入れたときに出るあのお馴染みの(Macは違うけど)音楽のほうがそれを上回っているような気も。現代のパソコンの普及率を考えると、なあ。。。
 え?くだらないことで悩むなって?そうなんですよねえ、時々、どうでもいいようなこと思いついて、うだうだ考え込んだりしてます。
 うーむ。


2006年11月05日(日) 読んだ本。

 旧暦9月15日。
 今日は満月だ。銭湯に出掛けるときに、雲のない空の高いところに浮かぶまんまるお月様に見下ろされていた。
 昨日は部屋の本の整理と、チャリンコ漕いで、北隣の区の図書館にCDと本を返却に行き、ついでまたCDを借りて、その足で南隣の区の図書館に行き、またまたCDを借りて来た。CDは落語、圓生、志ん生、三木助ばかり14枚。と、小沢昭一の「日本の放浪芸」という、7枚組のものを。iPodに入れたら、落語はとうとう300話になった。なんだか自慢したい気分。ポッドキャストを最新10番組ずつしかiPodに入れないように設定したので、本体の容量をちょっと節約できるようになった。それが良いのか悪いのか、また落語CDをせっせと図書館から借りてきて、入れたくなっている。願わくば「圓生百席」を全部入れたいんだけどなぁ。・・・と調子に乗っているとまた容量足りなくなるぞ。
 
 今日は、自宅でごろごろ。『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』(福田和也・PHP文庫)、『頭がいい人の習慣術』(小泉十三・KAWADE夢新書)、『映画を見ると得をする』(池波正太郎・新潮文庫)を読む。最近書くことがなくなってきたので、読んだ本、観た映画を日記に書くことにしようと思います。これまでは、なんだか、読んだ本や観た映画なんかを書き連ねるのは、野暮だと思ってたんですが。ほんとに、発想が枯渇してきたので(泣)。
 『ひと月に・・・』はかつて読んだものの再読。嬉しいことに私は読んだ内容をすぐ忘れるので、1冊で2度美味しい人間なのだ。『頭がいい人の・・・』と続けて読むと、この2冊がほとんど同じようなことを述べているのがよく分かる。2冊とも、書店へ足を運び、書棚・平台を眺め、実際に本を手にとって買うか買うまいか迷い、入手することの大切さを指摘。また、おおむね、新聞や本などの情報を整理することに溺れて、情報を扱うことが目的になってしまうことに注意を促し、あくまで、情報を自分のものにしていくことの重要性を強調している。
 池波正太郎もリドリー・スコット監督の『エイリアン』を観たんだなあ。と、ヘンなところに感心してちゃいけない、結構、大切なことが書いてある本。映画は脚本が大切。「映画というのは、何よりもまず脚本です。脚本がよくなかったら、どんな監督がやってもどうにもならない」等々。人は何故映画を観るか、お芝居を観るか、小説を読むか・・・「つまり自分が知らない人生というものをいくつも見るということだ。もっと違った、もっと多くのさまざまな人生を知りたい・・・・・・そういう本能的な欲求が人間にはある」
 解説がアリエール・ペンという方で、どういう人かぜんぜん知らないけど、こちらも読んで面白かった。どういう人か・・・「フランス人主婦」と肩書きにはある。なんか、こう、ムッシュイケナミの人脈の奥行きを感じた。
 


2006年11月03日(金) きょうの出来事。

 旧暦9月13日。
 車谷長吉『鹽壺の匙』(新潮文庫)を読む。
 この人の私小説を読むと、夜、夢でうなされそうだ。しかし、それにしても、ぺっとりとした吸引力のある書きよう。
 
 規則正しく起床し、ごみを出して、洗濯を済ませてから、電車に乗って東京駅まで。八重洲ブックセンターをうろついてから、「はなまるうどん」でうどんを食べて、京橋にある東京国立近代美術館 フィルムセンターにて、溝口健二監督『祇園の姉妹』(1936年)と『愛怨峡』(1937年)を観る。『祇園の姉妹』では、昭和10年代初頭の山田五十鈴にクラッとなる。『愛怨峡』は結構好きだ。昔どこだったかで観て寝ちゃったような気がするのだけど、今観ると引き込まれる。結末が特に好き。

 映画を見終わってちょっと銀座を歩く。伊東屋に寄り、ノートを買う。それからまた歩き、教文堂書店に入ろうとして、ふと空を見上げると満月に近い月がぽっかりと、ビルの谷間の空に浮かんでいた。はあ、と見とれていると、携帯電話に友人からメールが入る。十三夜の月がとても綺麗だね、と。なんともいいタイミングで、笑ってしまう。書店に入ると閉店の音楽・・・が、蛍の光、テープがガタガタらしく、確かに蛍の光なんだけど、ぶちぶちっとキレまくり。また笑ってしまう。入ったと思ったらすぐに出てきたが、書店を飛び出したところで、同じ職場の人に、ばったり出くわす。目が合うも、最初、よく似た人が世の中にはいるもんだなあ、とそのまま行こうとして、ん?と振り返る、と、相手も同じようにおもったのか、あっ、という顔をした。
 世の中ってホントに狭いのう。と、再び笑ってしまう。


2006年11月02日(木) できごと集。

 旧暦9月12日。
 『ある映画監督-溝口健二と日本映画-』(新藤兼人・岩波新書)を読む。没後50年の日本映画の巨匠を、その弟子であった新藤兼人の視点から追う。映画を創る人間の、浮き沈みの激しい人生。ちょうど書店で入手した『月間百科』という平凡社のPR誌11月号に、「巨匠、溝口健二没後五〇年」という短いエッセイ(岸川真)が掲載されている。なるほど、今月13日に、平凡社ライブラリーから、『溝口健二の世界』(佐藤忠男)が出る。こちらも楽しみ。

 昨日チャリンコをのんびり漕ぎながらの帰宅途中、大塚駅近くの商店街で、脇道から飛び出してきたおばさんにぶつかりそうになった。あぶないなあと思っていたら、おばさんは私の方には気づかず、近くの文房具店の前で周りの人(知り合いのよう)に「110番して!!110番!」と飛びつくように叫んだ。よく聞き取れなかったのだけど、どうやら、近くの信用金庫に店の売り上げを預けに行く途中で、バイクに乗った男にバッグをひったくられたらしい。「○○ちゃん、そういう時は大声出さなきゃダメだよー」と、知り合いらしいおじさんにたしなめられていた。
 その後私は近くの書店に入っていたのだけれど、パトカーがサイレンを鳴らしてどんどん商店街にやってきていた。
 街の中にいろんな視線が混ざって居るんだと思うと、今更ながら、恐ろしい世の中だなあ、と。。。

 いつも利用している駅近くに、新しいスーパーマーケットが出来た。私も2回行った。先月末に開店したので、まだ混んでいる。すごく混んでいる。老若男女がカゴをぶらぶらさせて、店内をうろついている。
 今夜銭湯で、おばちゃん達が話しているのによれば、野菜は安いけど肉や魚はさほど安くない、とのこと。でもお総菜とかお弁当とか多いから、学生さんとか商売やってる人にはいいんじゃない、それから売っているのは食品だけなので、洗剤なども買いたい場合はあっちの店こっちの店と行かなきゃならないとなると、やっぱり今まで通っていたスーパーのほうがいいわよね、とのことだった。ふむふむ、みんな考えることは同じなんだな。

 お風呂上がりに缶ビール買って帰ろうと、セブンイレブンに寄ったら、ケーキの試食を勧められた。クリスマスケーキなんだそうだ。カップに入ったケーキ、3口分くらいだけど、おかげで甘いお菓子を買わずに済んだ。店内で戴いた分で満足できたので。美味しかった。


あたろー |HomePage