いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2007年04月30日(月) やっと普通の生活に。孫と入浴!

 昨年秋ぐらいから、「選挙」を意識した生活だった。同僚議員には、毎月床屋をかえる、という兵もいるが、そこまでではないが、やはり心穏やかではなかった。

 戦い終わって、1週間。やっと事務所の撤去も終わり(終わらせて下さった、というほうが正しい)、暫し普通の生活に戻れるのがGWである。それにしても、当選と落選。雲泥の差である。たった200票の差で、今日のひと時が違った空気になるところだった、と思うとゾッとする。

 さて、今日はお待ちかねの「孫」が泊りがけで我家にやってきた。2月に生まれた彼の目をあけている顔を見たことがないジイさんは、心待ちにしていた。一回目は病院で出産直後に面会。その後、嫁の実家で会った時は、「さっきまで寝ないで困っていた」という声をよそに、ジイさんの来訪も無視して熟睡。お宮参りで我家に来た時も、ほとんど寝ていた。

 今日は、お泊りなので、さすがに起きている顔を見ることが出来た。そして、な、なんと一緒にお風呂に入る、というサービス付だ。息子や娘とお風呂に入ったのは、もう20年も前のことだ。

 ドキドキしながら湯船につけ、頭を洗ってあげると、おっ、笑った!!!
ジイさん大満足の休日の夜だった。←我ながら、ジジバカ!



2007年04月29日(日) ガーデンパーテイに思うこと

 今日は、区内各地で大田区子どもガーデンパーテイが行われた。私は、地元六郷地区の青少年対策委員として、早朝より作業にあたった。六郷会場は、広い多摩川の河川敷を利用して、各小中学校、幼稚園、町会、ボーイスカウト、トンビ凧の会などが、ブースを作って様々な催しを行う。晴天の春の一日、来場者は主催者側を含め9600人余りという大イベントだった。

 嬉しかったのは、多くの方々から「君のマニフェストを見て感動した」「演説は素晴らしかった」「政策は一番だ」など、思いもよらぬお褒めの言葉を頂いたことだ。えっ、この人も応援してくれていたんだ、と。

 そんな中、例によって次のような意見もあった。

君は、挨拶に来ない「票にはおもねない。仕事で評価してくれ」と言う。○○は、挨拶に来たし、必死に「票をくれ」とお願いする。どちらにしようかと悩めば、当然、君ではなく○○に投票する。お願いすべきだ。

 そんな趣旨である。そして、またまた「結構です」と、言ってしまった。仕事や政策で評価せず、挨拶や「お願い」で投票する、極めて日本的な発想は否定はしないが、そのような議員なら沢山いるだろうから、私である必要はない。負け惜しみではなく、私の求める支持者ではない。

 さて、地域内の顔役がすべて揃うイベントだけに、多くの政治家も来場する。なかには、先の統一地方選挙で落選した顔ぶれもあった。

 区長選挙に敗れた、元代議士氏は、ライバルの新区長と鉢合わせしたが、気にもとめずに各町会のテントに挨拶していた。また、地元から落下傘候補として区議選に出馬、僅差で落選した若人は、かわいい愛息をだっこして、挨拶まわり。これは、正に「日本的」で、人々の心をうつ。辛い試練だが、この敗戦処理は重要だと思う。

 さて、この地元の連合町会長が他の反対を押し切り応援し、落選した元区助役さんは、はたして来るだろうか。来れば大した進歩である。次回出馬しようが、しまいが、人として「お礼」をすること、そして、後始末をする心はその人の今後の人生すら左右する。

 文部科学省所管の社会教育団体、社団法人倫理研究所の創始者、丸山敏雄氏は「小さな事に末を乱す人は、大切な事に終わりを全うしない。」と、後始末の重要性を説いている。

 彼は、ついに会場に姿を見せなかった。残念である。



2007年04月28日(土) 餃子は中国?新区長さんのご挨拶

 当選後、変わらず様々な会合にお招き頂いている。今日は、蒲田餃子まつりという、餃子やアジアの料理によって蒲田を活性化しよう、という地元紙「城南タイムス」主催の会合にお招きいただいた。

 餃子や、アジアの料理、そしてアルコールを頂きながら、蒲田の活性化を語るという企画は、そのほとんどが懇談と中国楽器の演奏にあてられていた、という時間配分の部分を除けば、その趣旨には大いに賛同できるものだった。

 私も、一区民の立場として発言した。それは、JR蒲田と京急蒲田を結ぶ「通称 蒲蒲線」計画は、区民や区内商業者のためにはならない。いかに、航空旅客を蒲田に降ろすかを考えるべきである、という点だ。また、駅前景観など、行政主導のまちづくりの必要性を訴えた。

 また、JR駅ビル改装という名の新築工事に大田区のまちづくりの思想がまったく反映されていないことへの不審をも述べた。

 途中参加された、新大田区長は、宇都宮徳馬代議士秘書時代からの「日中」の架け橋の実績を訴えられたが、そのことは些か会の趣旨とは、そぐわないものだった。なぜなら、餃子まつりの主催者の意図は「餃子を通じての街づくり」や「蒲田の活性化」であったのに、彼が訴えたのは「国際化」と「親中国」だった。参加者に中国籍の人間は皆無。ほとんどが、商店主やまちづくりの専門家である。側近の情報不足の結果であろうが、いささか今後の区政運営に不安が残る。

 過去の場違い挨拶の事例には以下のようなものがある。

�,△詬�名人の息子の代議士
 戦没者遺族会の挨拶で「過去の大戦で、軍人の独走を止められなかった政治を反省し、そのようなことのないよう政治家として頑張る」と挨拶。しかし、その場にいた人々は、彼が「独走」と断じたした軍人の遺族だった。

�△△觚掬垉�
 中華麺業組合の新年会で「私はソバが大好き」と挨拶。大顰蹙。

 物事を深く考えず、会合のハシゴをし、その場しのぎの挨拶をすると、このようなことになる。

 新区長には、就任直後のことで、会合も多く、事情がわからなかったのだと思うが、今後、前政権が民間任せにしていた「観光行政」にもご注目いただきたいものである。



2007年04月27日(金) 松原新区長初登庁

 昨日の離任に続き、今日は、新区長の初登庁だ。地元駅の駅前演説をすまして区役所に向った。

 選挙戦で日焼けされた、新区長は、昨日より若干少ない職員に迎えられて区役所に入られた。厳しい戦いの末での初登庁。感無量であると思う。また、先月まで、都議会議員として執行側を監視する側だったのが、執行側にまわる不思議。さらには、まちづくりや福祉政策を思い通りにできるポジションには、望むべくもないが、いささか羨ましくもあった。

 出迎えには、昨日の見送りとは、うって変わって、自民党の議員団が出迎えた。私と自民党以外には、他会派の議員はいない。これから、4年間、車輪の両輪として区政を運営する立場であるはず。戦いは戦い。終わったら、すなおに祝賀するのが、我が国の伝統文化であると思うが‥。いや、皆さん、選挙後でお疲れだったのだろう。

 松原区長、どうか4年間、共に激論を戦わせながら、大田区に20年間失われていた、本来の2元代表制を再構築して頂きたい。よろしくお願いします。



2007年04月26日(木) ご苦労さん!西野大田区長離任式

 議会の控え室にいると、区長退任の庁内放送があった。56年前に徴税臨時吏員として採用された当時から、56年間を振り返り、エピソードを添え最後に「ありがとう」と結ばれた。

 区役所の金庫にお金がなく、給与は本給と手当が別の日に支給された等のエピソードには、信じられないとともに、時代の流れを感じた。その後、1階ロビーでの見送り行事。

 ロビーには、各職場の職員があふれ、すごい熱気と拍手だった。一人一人と握手して庁舎を去る区長の後姿を送り、一つの時代が終わったと痛感すると同時に、良くも悪くも偉大な人間だったんだな、と今更ながら思った。

 彼の最大の失敗は、後継者へのバトンタッチだった。敗因は、後継者の政治家としての資質(選挙向きかどうか)や素人選対の問題も大きかったが、区長の決断と発表時期、事前の調整不足が最も大きな原因だったろう。

 議会では、随分と嫌味を述べ、文句を言い、反旗を翻したことも度々だったが、最後は少しばかり瞼があつくなった。残念なのは、区長与党として、あれだけ親しかった議員たち、見送りにいたのは、私以外に2名だけ。去る者に用はない、ということだろうか。悲しい性だな。

 西野善雄区長、長い間、ご苦労さんでした。ゆっくりしてください。



2007年04月25日(水) 当選証書授与式

 今日は、当選証書授与式である。50名の16期大田区議会議員(正確には予定者、任期は5/1から)が一同に会する。

 今回は新人が11人もおり、新学期のクラス替えのような新鮮さがある。ポスターでだけしか会っていない方もおり、おもしろい。なんだ〜ポスターよりいい顔じゃん、とか、ポスターインチキとか、様々である。しかし、流石に史上初の1万票は「いい男」だった。(負けた〜)

 当選証書は、50音順(獲得票順ではない)に、選挙管理委員長より授与される。前期までは、丸めて筒にいれる形式だったが、今回から卒業証書のように、見開きのケースにいれて渡された。見栄えはいいが、特別使い道のない「証書」でもある。

 配布資料として、地方自治6法、と議員必携という参考書が全員に配られたが、この4年間に、これらを1回もあけない議員さんがいるのは、残念なことである。今期は、そんなことのないよう祈るばかりだ。

 また、11人の新人さん達には、議会の悪習に囚われず是非とも以下のことを実行して頂きたいものだ。

�.魯鵐海魑腸饂�務局に預けて、事務局で勝手に押印することをやめさせよう。(押印は自ら、書類を確認して押すのが責任ある者の行為)

�∨棆餤弔任亮遡篩簡犬鬚�役人に渡すのをやめ、趣旨通告に変えよう。今のままでは、本会議ではなく「朗読大会」である。また、間違っても、お役人に質問原稿を書いてもらうなどということはやめよう。

��新人も参加できる海外視察(1人80万円)、米国親善(60万円)、中国親善(40万円)への参加を拒否しよう。区民は納得しない。

�ぐ儖�会では、お役人に一方的に質問する「質問大会」ではなく、議論をし、議会の意見をまとめる訓練をしよう。

�タ掲�会や盆踊りより、各種セミナーや勉強会に積極的に参加しよう。

 さあ、3期目の議会。流石、3年生と言われる活動にしよう!



2007年04月24日(火) 選挙結果の分析or言い訳

 今回で4回目の選挙である。その得票数は以下のとおり。

平成7年1585票(新生党がなくなり新進党公認) 平成11年3254票(自由党公認) 平成15年4692票(自由党公認 9位) 今回 2880票(諸派 自由党 47位)

 活動量、議会での活動、ネットでのアクセス数など、不遜かもしれないが、今回の票数はなんとしても自分自身納得がいかないというのがホンネである。

 よく業界では「票読み」と言うが、投票用紙に記名する訳ではないし、後援会名簿も100%投票するわけではないので、なかなか難しい。今回の激減の理由を自分なりに分析し、言い訳にしたい。(←自分自身への)

�ー�由党を名乗っていても、小沢自由党は民主党に合流してしまった。世田谷区で同様に小沢氏のシンパだった前回上位当選だった区議が、やはり下位になったことを見ても、この影響は相当あったと思う。つまり、前回の票の相当部分が「いぬぶし」ではなく、「小沢」又は「自由党」支持票だったのだろう。

��発言が過激すぎたことも要因としてあげられるだろう。期間の前から駅頭では、「アホな教員」「職員の天敵」など、無関心層が興味を引くような発言を繰り返し、期間中は、行政の無駄使いの好例として、公務員給食調理員の時給3500円と、民間委託の調理員の時給850円を対比して訴えた。このことが、「和をもって‥」の国民性から、嫌悪となった可能性はあろう。

��QRコード付の宣伝カーを使い、うぐいすにも「検索サイトで検索して」と、訴えさせた。激辛日誌のアクセス数は39万を超えた。が、それらに興味のある年代、層は、そもそも投票率の低い層でもある。私自身のネット過信があったかもしれない。が、逆に、ネットがなかったら「落選」だったことも事実である。ここは読めない。

�ち�挙中にも書いたが、いくつかの誹謗中傷ネタが各地で流された。特に、地元では、カラー写真入りのチラシを含め、「反いぬぶし」のチラシを何度も配っていた方がいた。関係者は事実無根とわかっていても、知らない人は「議員=悪」という一般論がマスコミから流されているので、信じてしまう可能性はある。

�ゥ櫂好拭爾亮最圓發△襪世蹐Α�上位3名の民主党候補はいずれも新人。男性1人はイケメン。2人目は、届け出順1番でポスターも右カド一番上。真っ黒の下地に白字で「黒い政治を白く」とある。傑作だ。女性新人候補は8000票近くを取った。若いことと、「お願い〜」という視線にはまいった。投票日に投票所近くの掲示板前には、ポスターで悩んでいる有権者がたくさんいる。567ケ所の掲示板1ケ所あたり、1人が気に入って頂ければ567票が上乗せされる。今回、300ケ所以上のポスターが水濡れで最終日までに色が抜け、惨めな姿の私があった。100ケ所以上は張り替えたが、この影響も大きい。

�Χ萃晃�補として応援した方のためのマイナスという声も一部にあった。確かに、この候補を正面きって応援した現職3名のうち当選したのは私だけ。残り2名は落選してしまった。そのような側面も若干はあったろうが、この候補を応援したことによる、新たな支援者もあり、又、「正論を貫く」ということで、このことは反省材料にはならないと思っている。

 以上のそれぞれが、少しづつ影響した結果が今回の得票であろう。とすれば、今回ご支持頂いた2880人がこそが、小沢氏でもない、ポスターでもない、本当の「いぬぶし党」の支持者である。

 ありがたいことだ。この結果を真摯に受けとめ、今回初当選したつもりで、次回は「いぬぶし党員」を倍増させる決意である。ありがとう2880人の仲間の皆さん!



2007年04月23日(月) なんとか当選!ショック!!!

 今朝は、開票立会人である知人を開票所へ送り、その後、地元の駅前にたった。一昨日まで、毎日うるさく立っていたのに、終わったら立たないというのは、私の信義にあわないからだ。

 選挙中には使えない、名前の入ったノボリ旗をたて、「選挙結果はまだですが、一週間ありがとうございました。」と、頭を下げた。選挙は、人の心を浄化させ、そして昇華させる気がする。

 一週間、多くの人々の善意にさらされると、心が清らかになる。結果よりも、心から「ありがとう」と頭を下げたくなる。千葉から一番の電車でくる顔馴染みの花屋のおばさんが「あんたは、大丈夫だよ」と励ましてくれる。毎朝駅前を掃除しているスーパーの職員のおじさんも「がんばれ」と優しい。

 あと2時間後には結果がわかる。正直、ドキドキである。

 午前10時すぎ。第1回の開票がでた。同じ地区では、ほぼ横並び1000票である。うう〜ん。前回は、この時点で3000票が出て当選確実となったのが、今回はどうしたことだ。

 11時の開票速報がはいる。開票率90%、10000票を獲得する新人など、当選を確実にする候補者が続出するなか、私は2600票。2800票以上の候補は、すでに47名。残る議席は3議席。同順位の候補者が3名。その下に200票差で3人が並ぶ、ビリ争いの集団に入ってしまった。

 え〜え〜!!!頭が真っ白になった。一体、俺の4年間はなんだったのだ。議会での活発な発言や、マニフェストは評価されないのか????選挙事務所にいると、発狂しそうなので、お隣にある町会会館の事務所のコタツで横になった。一人で考えたかったのだ。頭には「落選」の文字がうかぶ。

 すでに、同僚議員2名が落選を決定的にしている。まさか、まさか!自分が、こんな立場になるなんて。心が大きく乱れる。すると、選対婦人部の女性が、「おそばでも食べて…」と、出前のもりそばを持ってきて下さった。「お茶も飲みなさい」と。何も選挙のことに触れない、温かい母親のような心遣いに涙がこぼれた。
きっと、大丈夫。こんな方々が応援してくれているんだから…

 結果、最終確定で2880票、50人中47番で当選。ひやひやだったが、なんとか残った。皆さんは、「ビリもトップも同じ」と慰めて頂くが、心穏やかではない。反省と分析をしなければならない。
 
 いずれにしても当選したこと、感謝!感謝!ありがとうございました。

(公職選挙法の趣旨により、この日記は4/25にアップしたものである。)



2007年04月22日(日) いよいよ投票日

 今日は投票日。心配なのは天気だ。雨や晴天はいずれも投票率が下がり、私のような候補者には不利だ。午前中雨、午後晴れというのがベストらしい。今日は、強風の曇天。まあまあである。

 妻と朝一番に投票所に行く。掲示板を見ていた男性から、突然「あんたのポスター、白い歯と力こぶしが気に入って投票したよ」と声をかけられた。ポスターや、握手したから、という「支援の言葉」は一番がっかりする。

 自分の選挙の投票は、いつもながらドキドキする。祈るような気持ちで投票箱に入れる。よろしくお願いします。

 大田区は、即日開票ではないので、今日一日はやることがない。選挙カーの看板はがしや、事務所整理をしてすごした。普通であれば、夕食にはビールが必需品なのだが、「当選」の報を聞くまでは我慢である。

 多くの人々の善意に支えられて今日の日を迎えた。落選は、自分にとって大事件だが、それ以上に支援者に申し訳がたたない。なんとしても、勝ち残らねば。選挙は、出産と似ている。最初は、男がいいとか、女がいい、色々な思いがある。でも最後、出産前になると「どちらでもいい。無事生まれてくれ」と思う。

 選挙も、つい昨日までは「少しでも上位当選」を願っていたが、ここまでくると、「兎に角、当選できれば…」と変わってくる。

 さあ、明日だ。神様お願い!!

(公職選挙法の趣旨により、この日記は4/25にアップしたものである。)



2007年04月21日(土) いよいよ選挙戦最終日

 7日間の選挙も最終日を迎えた。だんだん体が選挙モードに慣れてきて、もう1週間ぐらい戦っても大丈夫かもしれない。今日は、わが選対には珍しく、分刻みでの街宣である。

 防衛省の官舎の下からは、ハンドマイクで「自衛官出身の議員」であることを訴えると、ベランダから何人かが手を振り、演説を聞いて下さる。昭和47年に自衛隊生徒として、航空自衛官になり、この歳まで「仲間」と思って頂けることに、声が途切れ、涙が出た。

 打ち上げは、事務所前で18時から。地域の方々、選対の方々が集まっていただき、1週間の感謝を申し上げた。その後、私を先頭に「いぬぶし!」の掛け声で、町内を練り歩く「通称 ももたろう」を行い、最後の遊説に出かけた。

 20時、これをもってスピーカーを使っての選挙活動は終了。肉声を出して駅前に立ったり、宣伝カーに照明をつけて止めておく、といったパフオーマンスは可能だが、選対の忠告もあり事務所に戻り、カツどんでしめた。

 ただ、選対の幹部が壁にはってくれた言葉が気になり、最後の仕事ポスター張替えに私一人で出かけた。その言葉は「火事は最初の3分、選挙は最後の3分」というものだった。

 私が最後に出来ること、それは、脱色してしまったポスターの張替えである。選挙管理委員会に確認すると、本日深夜0時までは張替え可能とのこと。残ったポスターを持って、各投票所周辺の掲示板へと向かった。

 近隣は、すでに選対の皆さんが張り替えてくれたので、出かけたのは遠方のものだ。不案内なうえ深夜のため、なかなか場所がわからず、結局時間いっぱいで張り替えられたのは30ケ所あまり。

 最後に、地元の神社に1週間の無事を感謝し明日の当選を祈願した。
結局帰宅は、深夜1時。ふう〜終わった。後は、明日の審判を待つのみ。皆さんありがとう。

(公職選挙法の趣旨により、この日記は4/25にアップしたものである。)



2007年04月20日(金) 大変だ〜!選挙ポスターが変色

 選挙告示期間中は、様々なトラブルや、事件が起きる。今日の大事件は三つだ。ひとつは、宣伝カーの運転手さんが、風で倒れていた近隣の焼肉屋さんの看板を引いてしまったことだ。

 大した壊れ方ではないし、風で道路に倒れていたので、まったくこちらの不注意ではないが、感じはよくない。ミカン事件同様、タスキをかけてお詫びに行き、後日修理の約束をした。

 驚いたのは、警察からの電話だ。それによると、選挙事務所近くの「通称 事務所看板」と呼ばれるものが、「交通を阻害している」との110番通報があったそうだ。この選挙事務所看板は、その場所を示すために、比較的大きな道路側に設置するのが、概ね黙認されており、共産党などは、いったいどこに事務所があるんだ、という場所にも掲出している。

 警察も「法律違反ではないが、110番があったので…」と困った様子。選挙が始まると、このようなチクリ合戦をする陣営や、人も必ず出てくる。この時期に、無為な争いはすまい。さっそく選対に連絡をして事務所前に移動した。

 最後の大きなトラブルは、選挙ポスターの「雨もり」である。選挙ポスターは通常、ユポやオーパーという耐水性のある紙または合成樹脂を素材として使う。ところが、ツヤがないものだから、当方の印刷屋さんは、厚手の紙に表面、裏面に耐水加工をしたのだ。

 ところが、この表裏張り合わせの上部から、雨水が内部に染み込み、その後の太陽光により、オレンジのポスターの上部が色抜けしたのだ。印刷屋は刷り直しの手配をする、と平謝りだったが、選対と相談の上、このままでやることにした。

 気のいい印刷屋のオヤジさん夫婦の、ポスターやマニフェストにかけてくれた情熱は並大抵のものではなかった。それに比べれば色抜けぐらい…と思ったのだ。

 ところが、選対のボランテイアの方々を凄かった。予備として残っていたポスターの上部をテープ加工し、三々五々、近隣のポスターを張替えに行ってくれたのだ。加工され貼りなおされた綺麗なポスターには、またまた感謝の涙である。

 選挙は、本当に多くの人々の善意で支えられている。このことを、絶対に忘れまいと思う。ありがとう。

(公職選挙法の趣旨により、この日記は4/25にアップしたものである。)



2007年04月19日(木) 区議より小さい区長の選挙公報

 今朝は、糀谷駅での朝立ちである。ここは、昭和52年に初めて住んだ場所。その後、20年以上会社を経営していた場所。ふるさととも言える場所だ。余計なお世話レポートの配布枚数も圧倒的に多い駅だ。しかし、寒い、寒い!私は、あの候補者がしている「白い手袋」が嫌いで、ずっと素手だ。が、寒い。コートは着ないので、長ズボンと、長袖シャツの下着を着ているがたまらない。予定時間より15分早く退散した。

 今朝の朝刊には、選挙公報が折り込まれていた。私は、裏面の一番上。いい場所だ。この公報で投票した、という方は結構多いので、場所や、内容は重要である。
が、区長候補のそれを見て愕然とした。まず、スペースが、なんと区議会議員より狭いのだ。大田区のリーダーを決める候補者の公報スペースが、区議より狭いとは、選挙管理委員会の見識を疑う。(法規定ならごめんなさいね)

 さらに、ビックリは、私の応援している候補者の公報だ。他の有力ライバル2名は、具体的な内容をびっしり書いている。ところが、この方は、抽象的で意味不明のイラスト。そして、唯一の有利な材料である「現区長の後継」「現区長の推薦」の言葉がどこにもない。この瞬間、残念ながら彼の「落選」は、私の中で確定的になった。

 選挙は、「落選には理由があるが、当選には理由はない。(松浪健四郎代議士)」のだ。選挙公報、ポスター、選挙ハガキ、本人の人柄(作ってでも)、服のセンス、態度、宣伝カー、選対の状況等、当選してしまえば、それらは、どうでもいい。ところが、落選した場合には、それらが恐ろしいぐらい「有機的」に「落選」の方向に機能するのだ。だから、マイナス要因を一つ一つ、つぶしていかなければならない。

 今日から、わが宣伝カーは、BGMとして「犬のおまわりさん」をかけることにした。犬伏と、「犬のおまわりさん」とかけたものだが、今日から、いやに子どもの「応援」が多くなったようだ。

 さあ、残り2日。がんばるゾ!

(公職選挙法の趣旨により、この日記は4/25にアップしたものである。)



2007年04月18日(水) うれしい区職員さんからの応援メール

 選挙の前後には、多くの応援メール、誹謗中傷、無言電話などが入る。今回も、
多くの誹謗中傷が地元に真しやかに流された。その主なものは、以下のようなものだ。

�>饕�駅前再開発で、いぬぶしは業者と結託し儲けている。
A:私は、この地区に借金まみれのワンルームを持っているので、組合理事になっている。当然、業者と理事長とともに話すことはある。それだけの立場だ。

��経営している会社の元社員を恫喝している。
A:在職中の貸付金の返済が滞っていたので、返済の督促をした事実はあるが、恫喝などのレベルではない。

�D�会会館建設にからみ、町会と結託している。
A:当然、よい会館が建てられるように、制度を駆使するため町会役員さんとは、一緒にがんばった。

 まあ、それぞれ、誰が流しているか、発信元とその趣旨はわかるが、知らない人が聞くと、それなりの影響はあるだろう。

 そんな中、とても嬉しいメールが届いた。大田区職員さんが実名でくれたものだ。過去にも、多くの職員さんが、実名、匿名で応援メールをくださった。まだまだ、大田区も捨てたものじゃない、と毎回狂喜している。

 原文は、長文で個人情報も多く含まれているので、その前文の一部だけ転載する。

ほんとうに当たり前のことが、普通のことがわからない。
わからないから一向にできない。
普通といえば「どのようなことを普通というのですか?」と言いそうな、自己弁護・ご都合拡大解釈・屁理屈、線引き大好き・人情なしの宿便より頑固で手ごわい大田区の役人相手に、犬伏先生にはこれからも引き続きがんばっていただきた、応援のメールをさせていただきました。
実は私、大田区職員なのです。電話対応で自己を名乗らないビビリ役人連中とは違いますので、はっきり自己紹介をさせていただきます。

 そして、いかにご自分が今まで勤務した職場、今の職場の規律が乱れているか、4月に入ったばかりの新入職員も「先輩」を見習い、もう「サンダル履き」で区民に接している事例などを、事細かにあげ「こんな職員ではダメ」と改善を訴えている。

 文章の内容といい、見識ある職員さんである。このようなマトモな職員さんと、「休まず、遅れず、働かず」の職員が、同一に評価される公務職場はおかしい。これからも「お役人の天敵」として、益々がんばる意欲が出てきた。

 ありがとう!マトモな職員さん!

(公職選挙法の趣旨により、この日記は4/25にアップしたものである。) 



2007年04月17日(火) あちゃ!宣伝カーがミカンの木に衝突

 選挙3日目。午後、田園調布の駅前で演説を行った。あのわが国屈指の高級住宅地だが、区議選の投票率は、毎回区内最低の30%台。この地域選出の区議会議員はいない。駅前にはほとんど人がいない。よく見ていると、電車を降りると、迎えの迎えの車が来て、さっさといなくなってしまうのだ。

 私の車の前で、迎えを待っている、ランドセルの小学生。熱心に聞いているではないか。制服から某有名小学校のようだが、迎えの母に何か話したと思ったら、このお母さん、運転席から手を振ってくれた。きっと「あの、おじさん、いいこと言ってるよ」とでも言ってくれたに違いない。

 前回の選挙前も、この場所で告示前に、政策宣伝を朝7時半ごろスピーカーを使って行っていたら、ランドセルの小学生から「おじさん、8時前はスピーカー使っちゃだめだよ」と言われたことがある。恐るべし、田園調布の小学生。(ちなみに、告示期間中は、朝8時からだが、それ以外の時期は規制はない。)

 その後、地元に戻って、街宣活動に入った。今日の運転手さんは、旧知の地元の顔役さん。とにかく、区内の道にめちゃくちゃ詳しい。恐ろしいほど細い道も「大丈夫!大丈夫!」と入っていく。と、突然、ズドーン!!という音がした。いったい何があったのか?

 車の外に出ると、なんと、宣伝カーの上に出ているスピーカーが、道路にはみ出ていた夏ミカンを直撃。5個の大きなミカンが、車の屋根にぶつかった音だった。
あわてて、タスキをしたまま、お詫びに行くと家主さんは「いいよ!いいよ!すっぱいけど、もってきな」と。ああ、よかった。これって個別訪問じゃないよな〜

(公職選挙法の趣旨により、この日記は4/25にアップしたものである。) 



2007年04月16日(月) ポスターの感謝

 選挙2日目。曇天の中地元の駅前でのいってらっしゃいコール(業界では朝立ちという)を行う。

 ウグイス嬢(?)と、運転手さんと合流して区内全域にわたり「連呼」のご挨拶。私が、最も苦手とする選挙手法でもある。東京都選挙管理委員会が「なぜ、その候補者に投票したのか?」というアンケートを行ったことがあるが、「宣伝カーによる連呼」により投票したと答えたのは1%だった。

 確かに、選挙に関係ない人々にとって見れば「騒音」以外のなにものでもないだろう。ところが、支援してくれているか方々には「家の近くでは全然声が聞こえないゾ!」と、宣伝カー(業界では、戦車と宣車にかけて、せんしゃと呼ぶ)が周ってくることを期待される。

 そして、やはりウグイス嬢の優劣は、候補者にとって大きなモチベーションに影響する要因である。素人丸出しの陣営、初日からキンキン声で絶叫している陣営など様々だが、当方のウグイスさん達は、プロ中のプロ。前回の選挙で知り合ってから、何度か関係する選挙でもご一緒したので、いわば「戦友」のような関係でもある。いささか若さでは負けるが、その機転のききかた、絶妙な話ぶりは、多分区内候補者中トップだと思う。

 地元から遠く離れた田園調布や久が原をまわっていると、どの掲示板にも私のポスターがはってある。大田区の公設掲示板は567ケ所である。そのすべてに、ボランテイアの方々が、昨日中に貼ってくださったものである。何の見返りがある訳でもなく、ただ「犬伏がんばれ」と、支援してくださる方々である。ポスター掲示板の前を通過する度に目が潤む。ありがたい。

 区内の遠方を回り戻ってくると、先週から調子の悪かった右目の炎症がひどい。選対幹部に「目医者へ行け」と、厳しく言われ、タスキをはずして、近所の目医者へ出かけた。初当選の時も、期間中に、耳鼻咽喉科へ行ったが、どうも選挙中の受診に縁があるようだ。待合室で順番を待っていると、外から「いぬぶしひでかず」の連呼。受付で「いぬぶしさ〜ん」と順番を呼ばれると、待合室の人々が一斉に注目する。よろしくです!

(公職選挙法の趣旨により、この日記は4/25にアップしたものである。)



2007年04月15日(日) いよいよ選挙戦突入!

 今日から、統一地方選挙第二弾が始まった。我が大田区でも、区長選挙、区議会議員選挙が行われる。私自身の4年間に区民の審判が下される1週間でもある。

 立候補の受付は、今日中に選挙管理委員会に届け出ればいいのだが、早めの選挙戦を戦うために、各陣営とも8時半の受付開始前に並ぶ。先着順に、「届出順のくじを引く順番をきめるくじ」をひく。私は、受付順が42番、くじを引く順番も42をひいた。

 こじつけかもしれないが、いずれの番号も、親父の亡くなった年齢であるのは、何を意味するのだろうか。届出順は、くじの結果34番となった。掲示板の中央、上から2番目、まあ悪くない場所である。

 さっそく、選挙七つ道具を受けとり、蒲田警察署へ向かう。ここでは、すでに事前審査を受けている「選挙カー」の、スピーカーや看板の積載許可を受領する。この許可を受けて、初めて街頭宣伝が出来るのだ。警察には、すでに選対の方やうぐいすが待機し、合流して第一声をあげた。

 4年ぶりの選挙、天気もいいし、さあ頑張ろう!

(公職選挙法の趣旨により、この日記は4/23にアップしたものである。)



2007年04月14日(土) いぬぶし秀一区政報告会開催

 今日は、区民ホールアプリコにおいて区政報告会を開催した。そもそも、私は「集客」が嫌いだ。春の天気の良い土曜日に、訳の分からない(?)区議会議員の話を積極的に聞きに行こうとは、自分だったら思わない。だとしたら、他人にはすすめられない、と思ってしまうのだ。

 今日も、支援者から「なんかやれ〜」という要望に応えて開催したのだが、実はあまり乗り気ではなかった。戦い前の土曜日に「集客」するマンパワーがあったら、別のことをしたい、と思う。

 はたして、会場は満席で、追加の座席を出すことになった。来賓も、思いもかけない重鎮が来ていただき感謝である。

主なご来賓

西野大田区長、小松前助役、小林暢生大田区自治会連合会会長、中島寿美六郷地区自治会連合会会長、平木善道元航空総隊司令官、他多数

 私の後援会のいいところは「義理」で来ている方がいない点だ。今日集った方々は、私の最も重要な仲間である、と思っている。そして、すべての段取りを、町会や友人、知人といった相互に関連のない人々が有機的に結びついてやって頂いていることは、感謝感激である。

 西野大田区長は「まったく、扱いにくい嫌いな議員さんだが、議会には必要である。」と、微妙なお褒めを頂いた。これからも、是々非々、しかし、大田区議会には不可欠な良識派を貫いていく所存である。

 どうか、読者の皆様、大田区在住のお友達に、このHPの存在を教えてあげていただきたい。マニフェストを読めば、必ず「違い」がわかるはず。

 では、1週間しばし休載。また来週!
(公職選挙法の趣旨にのっとり更新しない)



2007年04月13日(金) 区議会で唯一人、自分で押印する議員になった!

 昨日書いた「議会事務局」の議員活動より、自分たちの仕事優先の対応の結末は、事務局長が「駐車券の時間ミスについては弁解の余地がない」と陳謝されたが、所管の総務課が即日発行できる、と言った「定期駐車カード」については、頑なに拒否。自分たちの主張のとおり、4/25以降まで発行しないそうだ。

 また、本日午前中現在、5人の議員しか行っていない「引越し」については、くだらないから中止せよ、誤りを認める勇気を持て、との私の説得も馬耳東風。「各議員さんに協力を求める」そうである。一度決めたら、いかに自分たちに否があっても変えないという、正にお役人の鑑である。

 であれば、と「私の印鑑を返せ」と、事務局に便宜的に預けてあった、私の印鑑を返してもらった。この印鑑を預ける行為によって、議員の知らぬ間に「旅費請求」や「精算」、日当の受領などが事務局職員によって行われているのだ。



 ヨーロッパの視察に限らず、海外親善訪問、国内の視察など、自分自身の印が押印されているにも関わらず、議員本人は明細を知らない。私は、本日以降、マニフェストにも書いたとおり、押印する書類は、自分で確認して押印することにする。この当たり前の行為は、議会やお役所では「変人」とうつる。

 事務局職員の議会活動への邪魔は「予算の無駄使い」をも引き起こす。昨年、防災・安全対策特別委員会の視察で、鳥取県を訪問することになった。ところが、議会の担当職員から待ったがかかったのだ。理由は、区の規定運賃では予算額を超えてしまうからだそうだ。羽田〜米子の往復の公示最低運賃は36000円程度。それに、規定の宿泊料を加え、日当日額3000円の3日分を足すと、到底予算額一人あたり4万円にはおさまらないからダメだそうだ。

 ところが、東京〜米子の往復航空運賃と、宿泊をセットにした「包括旅行」だと、一人28000円程度でおさまるのだ。日当をいれても予算内だ。委員長は、そのプランで行こうと言い、職員はダメだと譲らない。職員の反対の理由は「包括旅行」は、その業者との請負契約を締結しなければならず、認められない。結局、議長の裁量で、予算を増額し、わざわざ一人あたり2万円も高い運賃を使って「視察」に行ったのだ。

 国内視察も海外視察も、実際に旅行会社に支払った額(実額精算)ではなく、旅費規程による渡しきりのため、こんなことがおこるのだ。11日間のヨーロッパ視察では旅費が515440円、日当72300円、宿泊費184900円、支度料43120円の合計815760円が各議員に支払われた。ところが、議会事務局職員の知識不足で、本来計上すべき空港旅客サービス施設使用料や各国の出入国税はゼロ円。実額ではないので忘れても影響はない。なぜなら、航空運賃と、宿泊費ともに、実際の支払い価格より相当高く計上されているからだ。


 旅行会社に支払った残りが、現地での飲み物代などにあてられる。実際には、日当の部分なので、議員に渡ったお金、ということになるから飲み食いに使っても違法ではないが、その区分を明確化すべきだし、旅行会社に支払った額を基準に考えるべきである。旅行会社側も、旅費規程を知っているから、議員やお役人の視察は、通常よりおいしい仕事となるのだ。



 さあ!新たにバッチを着ける新人さん。海外視察などは自費で行こう。そして、議会事務局にハンコを預けない「自立した」議員になろうではないか!それこそが、区民感覚である。

**本来「日当」と書くべき費用は、区民の開示請求を意識してか「旅行雑費」と記載されている。**

 



2007年04月12日(木) 早く荷物まとめろ?@区議会事務局

 4月2日に以下の日記を書いた。が、あまりにも可哀想だったので、即日削除した「まぼろしの日記」である。が、今日、実に腹がたったので公開することにした。

 議会事務局というのは、本来、議員の調査、政策立案などを支援するために存在すべきが、時とすると「邪魔」とも思えるような判断や行動をすることがあるのは、再三、本欄で指摘している。

 今回の議員の「お引越し」も、いかにも「お役所的」な、非合理的かつ非現実的なものだ。それは、各会派、各議員の持ち物を4月13日までに、ダンボール箱にいれ、本会議場に移動せよ、というものである。普段、整理整頓が悪い私は、ゴミ用の大きな箱3箱を山盛りにして、やっとダンボール6箱の私物を本会議場の自席に積み上げた。



 ところが、本日現在、荷物を搬入したのは、私と女性議員2名の合計3名のみ。他の議員には、その兆しもない。前回の改選時は、ダンボールにいれて自室(控え室)に置いておいたのだが、今回は「移動せよ」という厳しさだ。また、前回は4月以降も使える更新した定期駐車カードをくれた、区役所駐車場。今回は、勝ち残ってくるまでは「駐車券」対応ときたもんだ。

 だいたい、戦い前の準備で、そんなことやってられるか、というのが各議員の本音で、多分、相当数の議員が片付けなどしないで終わるのではないかと思う。

 さらに、おかしいのは、我々の任期は4月30日までである。とすれば、その日までは控え室に来客も来るだろうし、執務もある。それを出て行けとは、いかにもだ。また、まだ私など1人会派は身軽だからいい。自民党、公明党、共産党のように、党固有職員までいて、党所有の財産もあり、必ずそれなりの人数が勝ちあがってくる会派の荷物まで「まとめろ」というのは、時間と労力の無駄。なんの合理的意味もない「お役所仕事」である。

 戦いの結果は、4月23日にわかる。その日から任期切れまで1週間。その間に撤去、移動させればいい話である。事前に撤去されていれば、自分たち(職員)の仕事がしやすいだけ。議員が、どれほど時間が足りないで活動しているのか、本来サポートすべき事務局職員は、所詮わかっていないんだな〜あ

 と、書いた。そして、今日。議会事務局で、駐車無料券を貰ったつもりが、1時間無料券だった。まあ、仕方ない。しかし、なんで前回は、ちゃんと定期駐車券をくれたのに、今回はくれないのか?議会事務局に聞いた。

私:なんで、今回は定期駐車券をくれないの?
事務局:総務課で待ってくれ、と言っている。
私:総務が言っているのね?議会事務局ではないのですね?
事務局:総務から言ってきた。

私:議会事務局では、総務が定期駐車券を発行保留にしている、と言っているが‥
総務:いいえ、議会から待ってくれ、と要請があった。総務としては、今日にでも発行できる。
私:間違いないか?
総務:間違いない。

私:総務は議会事務局が発行を待ってくれ、と言ったと言うが、あなたは総務だという。どちらが本当か?
事務局:担当者からそう報告があった。
私:担当者は誰で、総務の誰から、そう言われたのか?
事務局:‥
私:ふざけんな!そうやって、誰かのせいにしてお役所はなんとかなるだろうが、民間では生きていけない。今、議員は必死に戦っているのに、自分たちの都合で、面倒なもんだから、当選後に発行しようとは、議会事務局は誰ののためにあるのか?君らの仕事は、議員活動の支援であって、議員野球のバットの手配や、視察の際のうまい料理屋の検索が仕事ではない。総務は今日にでも発行できると言っている。今から行くから用意して欲しい。
事務局係長(係長にかわる):私の判断では出来ない。
私:事務局長に代われ。
係長:本日休暇でいない。 

 私は、定期駐車券が欲しくて文句を言っているのではない。この、誰かのせいにする「お役人体質」が、議会事務局にまで蔓延していること。さらには、そのような事務局に、議員がコントロールされ「センセイ!せんせい!」と呼ばれ、馴れ合い議会、形骸化議会になっていることを憂いているのだ。

嗚呼「お役人」‥「お役所仕事」‥変えなきゃ議会、議員、そして事務局!

追伸:前回削除した「友情」は無意味だったね!


いぬぶし秀一区政報告会のお誘い
4月14日(土)午前10時〜 大田区民ホール アプリコ(蒲田駅東口)
入場無料



2007年04月11日(水) 私が今でも「自由党」を名乗っている訳

 最近、自由党のマニフェストを配ったり、自由党の旗をたて演説をしていると「まだあったの?」と質問を頂く。統一地方選挙の取材では、新聞各紙から「自由党とはなんだ?」との電話が入る。面倒なので、事情を説明する。

 私は、平成6年に当時都議会議員だった、松原仁衆議院議員に「小沢さんと新生党という政党を作ったので、大田支部常任幹事になってくれ」と請われ、新生党とのかかわりができた。その後、新生党の区議候補として公認を受けたが、選挙前に党名が新進党にかわり惨敗。

 自由党に分裂した後、当選。平成15年に、自由党公認で再選を果たした。しかし、その後の民主党への合流劇には、なんとしても納得できず、自由党解党の日に、新たな自由党を結成し、総務大臣に対し、設立届を提出した。当時の都選菅は、大慌てだったが、すでにない名前をつけたのだから文句のいいようがない。

 従って、現在、北海道から沖縄まで、自由党という名前は、私の許可がなければ使用できない。

 ではなぜか?私は、区役所の中で、お役人が働かなくなった元凶とも言うべき「自治労」の下部組織と戦っている。また、区立学校の教員の問題行動を追及すると、必ずといっていいほど、日教組が出てくる。民主党には、これらの団体選出の参議院議員がいる。その政党に入ることは「魂を売ること」に等しいことだ。

 また、お役人に迎合しない毅然とした態度や、超人的な政治感覚の小沢党首は尊敬していたが、以下の発言でその気持ちも一発アウトになってしまった。それは、「靖国神社にはA級戦犯が合祀されているから‥」「外国人参政権付与賛成」などである。

 これは、国家の根幹にかかわる問題である。絶対に譲歩することは出来ない。

 そして、今、私は、あの歴史ある「自由党」の名前を守っている。いつか、志ある「真正保守」の国会議員が、民主党を飛び出し、自民党を飛び出してきた時、この名前を継承される日を夢みて‥



2007年04月10日(火) 「お約束」の盗用?それとも伝播?

 先月、約1ケ月悩みに悩んで「5つのお約束・30の課題」というマニフェストを作った。(概要版はHPトップペ−ジから見れる)政策の内容、期限、財源を明確にすることは、思っていたより難しいことだった。議員が財源や期限まで決めれるのか、という疑問にも自問自答した。

 そこで、自分自身ですぐ出来ることを5つ、お約束とした。そして、行政を動かさないと出来ないことは、自分への課題として30明示した。実際のものは、B2番(B4の4倍)の大きさで「日本一大きなマニフェスト」だ、と自負している。

 ところが、これを区内に配布して以来「マニフェスト」という言葉を使う区議会議員が増加してきたのだ。選挙の前になると「お願い」をし、終わったら知らん振り、という「公約」より、ずっとましだが、残念ながら「マニフェスト」と呼べる代物ではない。

 今日は、ある区議さんが「お約束」と記した「ビラ」を近隣に配布していた。あれ、どこかで見たフオーマットだな、と思ったら、なんと私のマニフェストじゃないか。最初に「想い」を書き、署名風に自分の名前をを書く。項目は●印で始める、等、偶然にしてはあまりにも多い類似点である。

 さらには、彼の議会での言動からは程遠い「議会改革」の言葉は、まさに私のそれだった。

 しかし、良いことだと思う。議会改革を含め「お約束」をした以上、これは守らなければいけない。その意味では、大きな前進であるし、彼にとっては決断だったろう。

 先日は、大田区議会議員の視察報告書の無断引用が報道された。過去には、私のHPの前文を丸写ししたHPを公開していた区議がいた。(ハッカーの仕業、との謝罪があった。)しかし、良いこと、改善すべきことを「お約束」として、引用する議員が増えることは、良循環の伝播として歓迎すべきことだと思う。その意味では、彼の決断(お約束という文言を含め、私のマニフェストを参考にしたであろうこと等)は、評価に値する。

 そして、すべての区議や候補者が「お約束」をし、4年後に「お約束」の達成度を区民が評価するようなことが出来れば、区議会も少しは活性化するだろう。



2007年04月09日(月) 都知事、都議補欠選挙に思うこと

 昨日、都知事選挙、都議補欠選挙が終わった。期間中は公職選挙法の趣旨に則り、候補者や政党についての記述はひかえてきた。昨日選挙が終了したので、その結果について、思うところを申し述べたい。特に、都議補欠選挙は、当選した自民、落選した民主いずれの候補者も親しい関係なので、感慨が深い。

 都知事選挙 浅野氏の敗因

�〔閏臈泙�一枚岩になっていなかったことがあげられるだろう。大田区の民主党都議は、石原慎太郎氏の公選ハガキを支持者に出していたようだし、多くの民主党都議が「本音」では、浅野支援ではなかった。
�∪�党の支援を受けない、といいつつ、社民党や民主党に頭を下げてまわった構図は滑稽ですらあった。さらには、社民党や民主左派に迎合したのか、「国旗、国歌の強制を見直す」という政策まで掲げたのは、良識派都民からは笑われた。
��市民団体という名の勝手連の多くが、ある偏向した政治的意図を持った団体であったこと。
�さ楙觚�では出来た「わがまま選挙」が、首都東京では「指揮官不在」のダッチロールに陥ってしまった。
�ネ鄙�の翌週からは「慶応大学教授」として授業、というのもどうだろうか。

 都議補欠選挙、民主党候補の敗因
 
 都知事選挙以上に、民主党が組織として機能していなかった。いや、それどころか「邪魔」をしていたとも見えるのだ。自民対民主という構図でありながら、民主党の区議会議員、区議候補予定者はこの都議補欠選挙の候補者支援をしなかった。さらには、他区の民主党現職都議には「大田区の補欠選挙に応援に入るな」との、暗黙の圧力がかけられていたらしい。民主党が、本気で組織として機能し、友党の生活者ネットワークにも支持を依頼していれば、今回の僅差は勝てただろう。

 これは、大田区の都議の選挙区事情に大きな原因がある。最長老は都議会幹事長を務めた、東電出身の都議。当然、支持団体の連合にも顔がきく。区内の民主党での影響力は絶大である。ただ、年齢的には、もう一人の民主都議、今回の候補に比べ、格段に高齢で、民主党の大票田である「浮動票」の対象にはなりにくい。従って、29歳という若い都議に補欠選挙で当選されるのは、次の本番選挙でとても都合が悪いだろう。

 もう一方の、民主現職都議。本来は、彼が「党として支援しよう」と、正論を述べる立場であるが、区議を経て、補欠選挙で一度落選。次の本番で当選した都議1期生である。社民連からの理論派であるが、都議の期数からも、長老には及ばないし、系列の現職区議もいない。

 さらに、ややこしいのが、次にくる大田区長選挙の民主党の立場だ。前民主党代議士が区長選挙に無所属で出馬を表明。これを支援するのが、前述の都議1期生。ここで、一発大逆転。区長直系の都議として影響力を高める作戦だろう。反する、長老は、大田区前助役を支援、と都議補欠選挙に続いて、区長選挙でも一枚岩にはなれないようだ。

 その点、なんだかんだ言っても、自民党の結束はたいしたもんだ。今回当選した都議(前区議)は、前回の衆議院選挙で、公認候補以外を支援したとして「離党」した一人だが、見事復党をはたし、組織戦で勝ち抜いた。

 おめでとう!あきちゃん、新たな舞台で頑張れよ!

 残念だったね!けんちゃん、次に向かって頑張れ! 



2007年04月08日(日) あちゃ〜鳩さんが卵を産んじまった

 私は、現在100世帯以上が入居する集合住宅の6階を賃貸した住んでいる。集合住宅には、共同生活をするために我慢がある程度必要だ。特徴的なのはペットである。エレベーターに犬を鎖もせずに乗せている愛犬家を見ることもあるが、犬嫌いの方への配慮が欲しい。(私は名前からしても犬大好き!)

 我が家でも、つい先日困ったことがあった。鳩のカップルがベランダでちょくちょく談笑(?)するようになったのだ。ご近所から「犬伏さんちで鳩を飼っているらしい」と管理人さんい苦情があった。飼っていた訳ではないが「黙認」をしていたのは事実だ。階下や隣人には「糞害」があったのだろう。

 さっそく、ベランダの不用品などを片付け「愛を語れなく」した。すると、巣と思しきものが出てきて、なんとその中にミイラ化した鳩の稚児がいたのだ。さっそく、多摩川の河川敷に土葬したが、死んでいるとも知らずに「子育て」をしていたのだろうか。その後、いらないCDをぶら下げたり、糸を張ったり自衛策をこうじていた。

 ところが、昨日、私が墓参で留守の間に、お隣から「お宅のベランダの隅に鳩がいて、隙間からつついても動かない。死んでるんじゃないか」との連絡があったと妻が言うのだ。

 あわててベランダを捜索すると、またあった。なんと、巣の中には卵が二個あるではないか。母鳩は、必死に威嚇をする。健気である。さてどうしよう。動物保護法では、むやみに野鳥を捕獲したり、卵を破棄することを禁じている。しかしだ、共同生活の隣人との関係は重要である。自問自答と、家族会議を経て出した結論は「お引越し」である。

 妻に100円ショップで、竹製のザルを買って来てもらい、鳥目になった夜、巣ごとザルに乗せて、安全な別の場所に移動するのだ。はたして、母鳩は環境が変わっても、卵を温めるだろうか‥一抹の不安はあったが、会合から帰宅した深夜決行した。

 大変な騒ぎを想定していたが、意外にも「お母さん」は落ち着いていた。
ザルに移して、階段を下り、昼間の間に下見をしておいた場所に移動する間「悪いな。頑張るんだよ!」と語りかけた。酔っていたからか、彼女の目は「大丈夫」と言っているような気がした。

 そして、今朝。心配で様子を見に行った。と、地面に小さな割れた卵が落ちているではないか。孵化していない鳥も見える。巣も見当たらない。ああ、どうしたのだろうか。ネコにでもやられたのだろうか。と周囲を見回すと、酔っていたので場所を間違えた。

 少し離れた場所に、お母さんはちゃんと卵を抱えて凛として巣を守っていた。発見した卵は別のものだったようだ。よかった!よかった!頑張ってね。

 しかし、「母性は先天的なものではない。富国強兵の軍国主義が母性を先天的だと教育した」とバカなことを言っているフェミニスト達に聞きたい。この母鳩に「母性」を教育した「軍国主義者」は誰なのか。



2007年04月07日(土) 墓参の不思議

 私の父は、昭和42年8月1日、42歳の若さで病死した。私は父子家庭だったので、父は、早起きをして朝食と弁当を作り(当時は給食がなかった)出勤していった。夜も早めに帰宅し夕食は、ほとんど毎日一緒に食べていた。そんな父を見て、絶対に心配をかけてはいけない、と子供心に誓ったものだった。

 その優しい父親が逝ってしまって40年。盆暮れ、命日と墓参りをしていたが、いつの頃か毎月墓参に出かけるようになった。なるべく月命日1日に近い土日の早朝、相模原の霊園まで一人で行く。清清しい空気を吸い、暫しの父との語らいは、日常を忘れる楽しい時間でもある。

 今日は、再来週から始まる戦いの必勝のお願いと、孫(父にとっては曾孫)の写真を持っての墓参である。生きていたらきっと目を細めて喜んだろうと、墓前に向かって写真を見せた。と、墓の隅に見慣れないものがある。小さなおもちゃのミニカーだ。

 誰かが忘れたのか、カラスがくわえてきたのだろう、と考えては人生つまらない。きっと、墓の中の父が曾孫の誕生を祝ってくれたものに違いない。いや、絶対にそうだ。ありがたく頂いたことにして、ミニカーにもお線香を供えた。

 墓参には不思議なことが起きるものだ。平成6年に、松原仁代議士(当時は都議)に「新生党から区議に出ないか」との打診を受けた時も、最終決断は墓の前だった。父の遺影を持参し、墓の前で「オヤジ、どうしたらいいだろう」と、問いかけた。すると、遺影が前に倒れたのだ。

 「わかった、やれと言うんだね」と出馬を決断した。あの時、遺影が倒れていなければ、今私は区議会議員ではなかったと思う。口の悪い友人の中には「それは、やめろという意思表示だったのではないか」と言う輩もいるが、人生何事もいいほうにとらえたほうが楽しい。

 次回は、曾孫を連れて、戦いの「朗報」を持って来ます、と約束をして、戦地へ戻った。

 



2007年04月01日(日) 合憲だが公職選挙法違反?ある候補予定者の演説

 最近、各駅前が静かだと思われないだろうか。(政令指定市は騒がしいはず)それは、都知事選挙と都議会議員補欠選挙が告示されているためである。他の選挙期間中は、その選挙が適正に行われるため、その他の政治活動は禁止されるのだ。街頭宣伝車にたいする道路使用許可も、この期間は許可されない。駅前を騒がせていた張本人達は、区議や区議候補予定者だから、今は、演説が禁止され、静寂が戻ってきたのだ。

 ところが、法があれば、その抜け道を考える者がいるものだ。この禁止期間中に、池上駅前で街頭演説をスピーカーで行っている区議候補予定者がいるらしい。

 さっそく、大田区選挙管理委員会に問い合わせた。その結果、以下の事実がわかった。

この候補予定者は、所轄警察署の刑事課に自ら出かけ、以下のように述べ、OKをとった。

1.純粋な個人の演説は憲法に保証された「表現の自由」である。

2.区政や選挙に関することは言わない。

 しかし、彼の演説は、憲法について語りながら、自分の名前を合間に連呼するというもので、到底「純粋」とは思えない。

 では、私も「純粋な個人としてやる」と、選管職員に言うと、「自由党を名乗っていて純粋な個人と言えるか」と問われた。自由党の現在の位置は、全国政治団体である。今、演説をしている御仁も、政治団体代表であり、なんら立場に違いはないので、この指摘はまったく論理的ではない。

 ただ、このような脱法すれすれの行為をすることは、決して良識ある選良のすべきことではない。ちなみに、この方、普段は「政務調査費の公開を!」と訴えているが、実弟の元区議さんがいる。この弟君、落選前1年分の政務調査費の収支報告、使途報告、領収書をいまだ議長に提出していないのは有名な話だ。さらに、落選した選挙の選挙収支報告書までも未提出であるから驚きだ。いずれも、法律や条例違反であるが罰則がないそうだ。

 「表現の自由」や憲法も結構だが、隗より始めよ。弟さんから、まずは正すべきでは‥


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