台所のすみっちょ...風子

 

 

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ブヒ〜〜〜〜。 - 2002年11月28日(木)

「こんな寒い季節には豚汁だよな〜、豚汁食べたいな〜」

彼は言った。確かにそう言ったのだ。

そこで私は作った。豚汁を。

日頃、「朝食は勘弁してください。でも夕食なら保証します」と

言っている手前、彼のリクエストに応えないワケにはいかない。

普段は買わないゴボウ、それもドロ付きを綺麗に洗って笹掻きをし、

手のかゆさに耐えながら、里芋を剥いた。

ゴボウ、里芋、大根、人参、油揚げ、こんにゃく、そして主役

である豚肉。

これだけの健康具材を入れた豚汁なんて、我が家ではそうめったに食べられる

もんではない。食っとけ、食っとけ〜〜!!


ぱくぱくふ〜〜ふ〜〜と豚汁を次々に口に入れていく旦那。

その一口、一口が私の株をズンズン上げているのは、もはや疑う余地もない。

これで、私の妻の座もあと10年ぐらい保証されるのは間違いナシだ。

だが、その和気あいあいの雰囲気の中、旦那の口から思わぬ一言が。

「明日とあさって、俺飲み会だから、ご飯いらない」

・・到底すんなりとは飲み込めない発言であった。


なんですって!?

被災地の炊き出しかと思われるような

シチュー鍋いっぱいに作ってしまった豚汁はどうする?

旦那のことを思ってそれを作ったと見せかけといて、実は明日も

あさっても、夕飯は豚汁で!という私の「楽々夕飯大作戦」はどうなる?

しかし、飲み会を通じての人とのコミュニケーションは大切。

豚汁があるのでやめてください、とは言えない。

なので、私は腹を決めた。責任を持ってこの豚汁を食いあげてみせますと・・。


そして、次の日からさっそくの豚汁漬けが始まった。

火曜日、昼に起きて豚汁2杯を食い外出。夜、帰ってきて豚汁2杯。

水曜日、11時に起きて豚汁一杯。夜、煮詰まりきった豚汁2杯。

月曜日の2杯を合わせると、お腹に入った豚汁は計9杯。

ゲップの音も思わずブ〜〜と出てしまいそうである。



この3日間、ほとんど豚汁と白米しか食べてない。

今だ、鍋の底が見えない豚汁を見つめながら、悲鳴を上げて

しまいそうなのであった。

ブヒ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。


おしまい。


...

あっけなく蛾。 - 2002年11月27日(水)

少し前、友人から

「1980円でバトミントンセットを購入して
公園でやってみたら、いい汗かけた!ホントオススメだよ!」との

元気爆発メールが届いたので、

「今まで黙ってたけど、ハッキリ言ってバトミントンは大得意です!」

と返信してみた私。

もちろん、それで国体に出ましたとか県大会で優勝したというわけではない。

お遊びレベルでポ〜ンポ〜ン程度なのだが、自分に飛んで来たシャトルは

絶対落とすもんか!という恐ろしいまでの食いつき根性が私をいつも

勝利に導くのだ。

だいたい疲れることが何よりも嫌いで、日々冬眠したい、次に生まれ変わる時は

ナマケモノでお願いします、とさえ思ってる私とスポーツを結びつける人は

まずいない。


さらに打ち明けついでに言うと、私にはバトミントン以上に得意なスポーツ

がある。

それは、ボーリング。

学生の頃、なんだかんだと友人と通っていたら、いつの間にか192のスコアー

を出す”ボーリングの蝶”と化していたのだ。

往年の中山律子か?と思わせるような腕を身につけた私は、

アピールネタとしてそれを最大限活用したのは言うまでもない。

バイトや就職時の履歴書の特技欄には必ず「ボーリング、スコアー192!」と

書いたし、男性との出会いの場における沈黙のシーンでも

ボーリングネタで突破口を開く。

どれも今ひとつの反応をよそに、ひたすらそのネタで押せ押せ!の強引さ。


そんな私のボーリング人生、それが頂点に達したのは、旦那と社内恋愛をしていた

会社でのボーリング大会であった。

ゴロゴロと私の手から落ちる玉は狂うこと知らず。

終わってみればたまげた準優勝。

めでたくディズニーランドのチケットを獲得したのであった。

当時付き合ったばかりのからっきしボーリングべたの旦那を

引き連れて、悠々のディズニーランドツア〜。

「来てよかったね〜。楽しいね〜。」と旦那が言うたびに、

エヘヘンと胸をハトのようにのけぞらせ、

「ふふん・・それは誰のおかげ?」などと

自分を最大限アピールすることを忘れない私。

しまいには、それに苛立った旦那とケンカになる始末。

ふん!負けず嫌いめ。

で、それから数日が経ったある日、会社のエレベーターに

5、6人で乗ってた時のことである。

中での話題はもちろん先のボーリング大会。

なんたって私は準優勝の女。

その話題がでた瞬間から、またもや鼻が高くなり、エッヘン!と胸

がハトポッポのようにのけぞるのを抑えきれない。

どんな賛美が私に送られるのか!と思っていたら、可愛い後輩がひとこと。

「暗いスポーツがお得意なんですね」

「・・・・・・・・・・・・・。」

そして「じゃあ卓球も得意ですかぁ〜」

「・・・・・・・・・・・・・。」


それは、私の数少ない自慢ネタが一つ消えた瞬間、

ボーリングの蝶が暗い地味な蛾に変わった瞬間でもあった。

おしまい。



...

ガラスのうさぎ。 - 2002年11月26日(火)

宝くじが当たった。

ふふ・・3000円。

遅ればせながらのサマージャンボ。

夏のけじめをつけ、フレッシュな気持ちで年末ジャンボの購入をすべく、

昨日旦那と深夜2時に確認作業を行った結果である。

インターネットで宝くじ協会のサイトを見つつ数字を読み上げる

”詠み人”の旦那とそれを聞いて一枚一枚見ていく”確認人”の私。

「第444回全国自治宝くじ、当選番号です」
「はい。いつでもどうぞ」

「ダダダダダ〜、下一桁8」
「わぁ〜い!当たった!当たった〜〜!」

「300円です」
「チッ・・・・・・」

「次、行きます。下二桁24を探してください・・ないかもなぁ・・」
「・・・あるよ・・」

「ウソッ!あったの〜〜それ3000円だよ!」
「エッ〜〜〜〜〜〜〜3000円!?」

「バンザ〜〜〜〜イ!バンザ〜〜〜〜イ!」
「バンザ〜〜〜〜イ!バンザ〜〜〜〜イ!」
「バンザ〜〜〜〜イ!バンザ〜〜〜〜イ!」
「バンザ〜〜〜〜イ!バンザ〜〜〜〜イ!」

しっかと手を挙げ、声をあげ、深夜に響く万歳三唱。

「はぁ〜〜良かったね〜、当たったよ。」
「そうだね、これで3回目!」


そう、3000円が当たったのはこれで3回目、

我が家にあのウサギが来てからである。

ウサギと言っても、もちろん生ものではなく、親指の爪ほどの大きさの

ガラスの置物。

「これを家に置くとお金が入ってくるらしいわよ〜、あげる!」と

卯年が去ってしまったばかりの辰の正月に、実家の母親がくれたのだ。

そのシチュエーションから言って、卯年じゃない今となっては、

飾るわけにもいかないし、捨てるのも忍びないんで持ってけ!という

彼女の意図はバレバレで、お母さん、それはその年に飾ってこそ

効果があるのでは?と辞退しようかとも思ったのだが、

「金が入って来る」ー その一言に反応して結局東京まで

連れてきてしまったのであった。

もちろん疑り深い、いや、慎重派の私のこと、

家のタンスの上に置いてもなお、「こんなんでザクザク金が入ったら苦労しない」

とか「じゃあ、なに?これを国会議事堂に置くと日本経済も良くなるのか?」

などと当初は思ったりもした。

だが、うさぎが我が家に来て一年半ほど経ったときである。

私はそのうさぎを購入した宝くじの上に置いてみた。

ほんの思いつきで。

すると、どうだろう・・その回から3000円が当たったのである。

そして、その効果は辰年を経て、今年の午年になっても変わることはない。

ただの干支の置物ではない凄さ。

うさぎさんありがとう。


この堅実な生活の中、一匹で3000円ならもっとうさぎを置けば、

その匹数分だけお金が入るかも・・?と、私はどこまでも欲の皮が

突っ張りそうで怖い気さえするのであった。


おしまい。


...

冬の装い - 2002年11月25日(月)

大変なことである。

着るものがないのである。

最近の私の外出の際の恰好といったら、

来る日も来る日も同じブーツカットに同じ黒いタートルの

セーター。

その服たち、このところ毎度同じなのでもはやタンスにしまうまでもなく、

「おでかけセット」として椅子の上にたたんで置きっぱなし。

タンス要らず。



私はそれを今まで、まだ衣替えを完全にしてないせいだとばかり

思っていた。

ところが、違った。夏ものと入れ変えてみてもないのである。

この可愛そうな自分を私はあの雀の出てくる哀れなお話、

「舌切り雀」を文字って「着たきり雀」と呼んでいる。

冬の寒空にちゅんちゅんと泣く小さい雀の姿は、

洋服もなくこれまた冬の寒空にヒ〜ヒ〜寒がる私と

”社会の片隅で生きるちっぽけな弱者”という点

でそっくりだ。

いったい、私は去年まで何を着て生きていたのか?

まさか、裸だったのではあるまいか?

冬の間中、裸。そう裸の王様である。

いや、絶対そうだ。そうとしか考えられない。

そんな疑問を旦那にぶつけてみたところ、

ちょっとだけ苦笑いして、まったく返答もなかったのは

いったいどういうことだろう。

このままだと、なんか自分がどんどん臭くなり、電車の中でも臭って

しまいそうである。


今週も外出はけっこうある。

まだイケルかな?と思わず臭いを嗅いでしまいそうになる私であった。

おしまい。



...

成り上がり。 - 2002年11月24日(日)

矢沢永吉の自伝にもとづいた”よろしくぅっ!的”ドラマを見て、

な〜るほど、彼がオヤジになっても人気があるのは、

世の男性の多くが実は成り上がりたがっているから

なのだな・・と気が着いた。

いつかは俺もBIGに!

いつかは周りのヤツを見返してやる!

などと、それぞれが”いつかはスピリッツ”を持ち、

彼の生き様を人生の指針にしているのに違いない。

ふ〜〜〜ん。

そこで、もしかして旦那もそうなのでは・・・と聞いてみた。

「成り上がりたい?」
「ううん、成り上がりたくない」

「・・・・・・・・・・・・・あっそう」
「でも、成り下がるのもいやだ」

成り下がり・・・現状維持でそこそこ生きていきます。ってことなのか。

中途半端である。なんかフニャラフニャラしてる。

男なら、白黒ハッキリつけるべきだと思ったので、

「じゃあさ、成り上がりと成り下がりだったらどっちを取る?」

と迫るとポツンと一言、

「成り止まり」


永ちゃんとのあまりの差に、男なら夢を!野心を!と

焚きつけてしまいそうである。

でも、まあ彼をお手本にするあまり、

「ただいま よろしくぅっ!」

「風呂焚いてください よろしくぅっ!」

「パンツ洗っといてください よろしくぅっ!」

っていちいち言われるのもいやだ。

なので、いいや・・。そんなもんで生きていってください。

よろしくぅっ!

おしまい。


...

みずとりゾウさんと私。 - 2002年11月23日(土)

昨日友人に電話で

「さすがにさ〜、私も今の生活ヤバイと思ってるんだ〜、
せめて、もう少し早く起きなきゃ」

などと言ってたくせに、今日もまんまと昼の1時半におきてしまった私。

2時過ぎには出掛けるため、家を出なければいけないので、

もう、焦りまくりもいいところである。

目冷めのコーヒーもそこそこに、そこら辺にあるものをつまみ着して、

ようやく布団たたみに取り掛かり、押入をあけると驚いたことに

中がビッショリ。

へ〜〜、、、除湿の「みずとりゾウさん」が倒れいて、

水が蕩々と漏れているではないか!

せっかく押入の水分を取ったというのに、また水を戻してどうする、、。

いや、そんなことより、時間!時間!・・時間がないのであった。

慌てて雑巾で拭き取ろうとするも、除湿剤みたいな薬品を含んでいるのか、

水が大きな固まりのようになっちゃって、ぜんぜん拭けない、はじくのである。

暇な時なら「う〜ん、これもこれで面白い」なんてその水で

遊んでみたりするのだろうが、そんな気、起こるわけもない。

悔しい、、。その様は「まるでみずとりゾウさん」が

「ホ〜ラね!もっと早く新しいのと取り替えておけばよかったじゃん!」と

私を挑発しているようでもあったからだ。

そう、みずとりゾウさんは「ここまできたら、お取り替え」の線を

越してしまうほどに水を溜めていたのだ。

変えよう、変えようと思って早2ヶ月。

気がつけば、寒冷前線の空の下、

カラカラのこの季節に押し入れが水浸し、湿気浸しの悲しい我が家である。

雑巾を通常の2倍の力をいれて押しつけたり、ゴミをかき集めるように

動かすこと10分。

ようやくびしょびしょ状態から脱出したものの、時間はすでに2時半。

クソ〜、絶対に間に合ってみせる!絶対に!

ここで遅れてはみずとりゾウさんの思うつぼ!

布団を結局そのままにし、駅までの道を競輪選手のように猛スピードで

チャリを漕ぐのであった。


あ〜あ、昼から大忙しだった。


おしまい。


...

ほぉほぉほぉの神様。 - 2002年11月22日(金)

起きてメールを開けたら、旦那からメールが入ってた。

その件名は”ほぉっほぉっほぉっほぉ〜”

なんだそれ?

内容はと言えば、

「今、さんまのお悩み相談室に出てる人発見!

ロンゲのおやじで、ほぉっほぉっほぉっと笑う人。わかる?」の2行だけ。

・・・分かるとも!心の中でガッツポーズをし、聞こえるわけはないのに、

”お悩み相談室”ではない、”お悩みパビリオン”です。と旦那のメールに

ツッコミを入れる。

そうか、あのゴツイ瓦顔に鬼太郎の髪型を併せ持つ加藤さんに

会ったか・・・。

そういえば、加藤さんの職業はサラリーマンだと聞いたことが

あるような気がする。

だとすると、旦那の会社にほぉほぉほぉ〜と来社したのか!?

それとも行った営業先の会社で働いていたとか?

ならばそこの社員達も、太った加藤、痩せた加藤、

ハゲた加藤、背の低い加藤、その他、女版加藤、

というふうに、みんな加藤さんと同じような人種なのか!?

そうじゃなきゃ、あんな濃いキャラ、社会で働き続けられるわけがない。

そして社内には、「ほぉ〜ほぉほぉ」とあの甲高い声が

始終響き渡っているのか!?


あまりにムクムクと湧く疑問の多さに、その日に限って旦那の帰りが

待ち遠しい。


そして、夜、お帰り〜の挨拶もそこそこに早速旦那に聞いてみた。

「ね〜、からくりの加藤さんに会ったんだって〜?どこで、どこどこどこで!」
「そ、そうそう!東京駅から大手町まで地下鉄に乗ったらさ〜、いたんだよ」

「で、何してた?」
「座って新聞読んでた。」

「え〜、普通に?」
「うん、普通に」

ガックリ、普通に新聞なんか読んじゃあ、ある意味イメージダウン。
もうちょっと意味不明なこと、せめてつり革でけんすいとかしくれないと。


「誰も気がつかなかったの?」
「うん、誰も」

信じられない。インパクトだらけの加藤さんだというのに、
誰も彼に気づかないとは。
なんて東京砂漠、なんて寂しい都会ならではの無関心さ。


「なんで声かけなかったのよ〜」
「うーん、でも一駅だからあっという間に着いちゃって」


そうは言っても、彼は声を掛けるつもりだったらしい。
で、ついでに握手までして貰おうと企んでいたらしい。


その未完に終わったシナリオはこうだ。

新聞を読んでる加藤さんに静かに近づき「あの〜からくりの加藤さんですよね?」

と旦那が優しく声を掛ける。

加藤さんが「そうです加藤です。ほぉ〜ほぉほぉ〜」と笑いながら答える。

すると旦那も握手の手を伸ばしながら加藤流に笑う。

ほぉ〜ほぉほぉほぉ〜・・加藤さんの心はこれで掴んだ。

お互いの”ほ”と”ほ”がたぶって

ぼぉ〜ぼぉぼぉぼぉ〜ぼぉ〜ぼぉぼぉぼぉ〜ぼぉ〜ぼぉぼぉぼぉ〜。

2人で握手をしながら、ぼぉ〜ぼぉぼぉぼぉ〜ぼぉ〜。


車内中に彼らの声が響き、いつしか周辺は和やかな空気に包まれる。

そして周りの人々もその楽しさに促され、みんなの”ほ”が重なって

ぶぉ〜ぶぉぶぉぶぉ〜ぶぉ〜。

ぶぉ〜ぶぉぶぉぶぉ〜ぶぉ〜の大合唱を乗せて、地下鉄は都会を走ってゆく。

ガターンゴトーンぶぉ〜ぶぉぶぉぶぉ〜 ガターンゴトーンぶぉ〜ぶぉぶぉぶぉ〜

旦那はそんな想像をしては、ほくそ笑んだらしい。



一時の憩い・・・都会の寒空の下、

加藤さんはいっかいの営業マンに幸せな時間を

くれた「ほぉほぉほぉの神様」であった。(かも・・。)


おしまい。



...

きじょう・・ - 2002年11月20日(水)

近所で唯一の”おしゃべり知り合い”である洗濯屋のおばちゃんは

本がとても好きなんだそうだ。

昼下がり、これぞ主婦の醍醐味!と言わんばかりに

出来上がった旦那のスーツを脇に抱えての井戸端会議でのこと。

何かの拍子で「私の母親はもと図書館司書」と言うと、

「え〜、そうなの〜!私、本大好きなんだ〜」と、

目をきらんきらん輝かせ、幼い頃に好きだった本の話とかをしてくれた。

話がどんどん進むうち、彼女の義理のお兄さんはもと○○誌の編集長だったという

なんかすごい話まで飛びだし、おばちゃんを取り巻く文化的な環境にちょっぴり

驚いたりもしたのであった。

で、本から始まった話はこれだけに留まらない。

保母さんだったおばちゃんは、最近の子供達の本離れ

現象について、非常に憂慮しているのだという。

意外に教育論者。

「も〜さ〜、ダメよね、良くないわよね、最近の子供は本読まなくて。

ゲームばっかりでさ。小さい頃から本読んで想像力つけなきゃダメよ!

今の時代はお勉強よりも情緒教育が大切なのよ〜」

ごもっとも!

想像力という点では「そ〜だそ〜だ、そのと〜り!」と

私も深く相づちを打ってみたものの、幼い頃の自分のことをさかのぼれば、

なんだか今の子供達のことをあ〜だこ〜だとは言えないのであった。

ぜんぜん本を読まない子だったから。

エジソンの伝記とかムー大陸の謎!みたいなものは少し読んだ

記憶もあるが、特に物語り調なヤツはイマイチ読んでいてもつまらなく、

まったくと言っていいほど興味を引かれないのであった。

例えば小学校高学年に読んだオーヘンリーの「賢者の送り物」という話、

クリスマスの日、妻は自分の髪を切り夫に時計の鎖を、

夫は妻が髪を切ったとも知らず自分の時計を売って妻に髪飾りを贈ったという

感動の名作である。

私はまだ11歳ぐらいだったと思うが、「相手が何を買うか探り入れとけ!」

と2人の手落ち加減に呆れたものである。

とにかく、漢字を読むのが面倒臭いのもあって、本はあんまり好きではなかった。

冒頭で書いたように、母親が司書だったのにも関わらず、である。


母は小学校や中学校の図書館で勤務していた。

学校勤務の司書というのは各学校に一人ずついればいいわけで、

その数は案外少ない。”司書の会”なんていうのも定期的にあり、

意外とみんなが顔見知り。

なので、私の読書カードの真っ白さがいつも母にバレバレ。

会合の時、通ってる学校の司書が私のそんな状況を憂いて、

母に告げ口しちゃうのである。

まさに個人情報の漏洩。

その度に「もっと本借りなさい!」などと怒られるのであった。

「本を読みなさい」ではない「借りなさい」である。

私は司書の娘としてパフオーマンスだけでもしとけ!という大人のメンツの

世界を理解したものの、行くだけでも面倒臭い図書館なんて、

読みもしない本の為に休み時間を潰して誰がわざわざ行くものか!と

まったく言うことを聞かなかったのであった。


そして、時を経、すっかり大人になった今、その弊害は着実に現れている。

漢字知らずの漢字読めず。

天気予報で耳にする「台風いっか」は「一過」ではなく、

台風のお父さんお母さんそして子供達などの「一家」、

つまりファミリーのことだと思っていたし、

「割烹」を何故か「わりてい」と読んでしまってもいた。

そしてなんと、ごく最近まで「机上の論理」の「机上」を

これまた何故か「たくじょう」と読んでいたのである。

いや〜、人生一生勉強だと思いつつ、こんなことは本を通して普通に漢字に

親しんでおけば、もっと早く分かっていたのでは?と自分がとってもマヌケに

思えるのであった。

おしまい。


...

はざま。 - 2002年11月19日(火)

うちのマンションの中庭。

一週間前から大きな穴が開いている。2つほど。

どのくらいの大きさか分かりやすく説明しとくと、

たて柴犬1匹×よこ柴犬2匹ぐらい。

結構デカイ。


閑静な中庭に突如出現した穴。

絶対ミステリーサークルではないので、

いったいどーしたことかと思っていたら昨日、その穴は小学生達の仕業だと

いうことを発見した。

ベランダから何気に中庭に目をやった拍子に、

彼らがその穴でゴルフをしていたのを目撃したのだ。

10メーターぐらい離れたところから、5年生ぐらいの男の子3人が

クラブもどきの棒きれで、さかんにその穴めがけてパットの練習をしている。

う〜〜ん、、、パットの練習なら、もっと穴は小さくても良かったじゃん。

そんな大きな穴でいくらやっても力は身につかないじゃん。

いやいや、そういう問題じゃない。

きれいに植えられてる中庭の芝生を剥ぎ、

土を掘って穴を作るという行為が問題だ。


しかも、その庭は高層マンション3棟に囲まれているから”中庭”。

なので、奥のマンションの住人の通り道にもなっている。

じいさんばあさんが、うっかり穴に落ちてしまったら大変なのでは?

夜、この庭で犬を散歩させてるご老人も多いことだし。

そう思うと、彼らの一人が玉を穴に入れるのを見ても、

ナイスイ〜〜ン!とキャディー気取で誉める気にはならない。

良識のある大人として「ちょっと〜あんた達〜」と、

この6階から怒鳴りたいぐらいであった。

だが・・、私はハタと考え直した。


思えば、都会のど真ん中に暮らす子供達。

遊びのネタを探すのは大変だ。

自由に駆け回れる空き地なんてなく、虫採りだって木登りだってできない。

芝生で整備された所に穴を掘るという行為は、悪いことかもしれないが、

子供なりに想像力を働かした結果なのでは?とも思えてくるのだ。

そういえば、小さい頃の私もカマキリの卵をお茶の缶いっぱいに集めておきながら

すっかりそれを忘れ、春になって家中をカマキリの子供だらけにしてしまったり、

人の家の百日草の花を全部、そう30本ぐらいを抜いてしまって

親が平謝りしに行ったとか、どんでもないことをやらかしたもんだ。

子供はいつもミラクル。


だからといって、そういう子供が悪い大人になるかと言えば

そんなこともないわけだし。

私も今はまっとうな大人だし。



人々が穴に次々と吸い込まれていく様子を想像しながら、

私は注意すべきかしないべきかの、その2つのはざまで揺れるのであった。


おしまい。


...

サヨナラ 私。 - 2002年11月18日(月)

怒りっぽい私。涙もろい私。明るい私。ウジウジと考え込む私。

・・・・・。

いったいどれが本当の私なのか?と常々考えていたろころ、

自分が実はひじょーに威勢のいい”私”なのだということに気がついた。

それは、おとといの夜。

暖かく寝ることばかりを考え、そこらへんにあるものを適当に組み合わせて

着替え、数時間後、姿見に映った自分の姿を何かの拍子に

チラリと見たときのこと。

お腹の当たりまでしかない短いセーターに、下は黒いスパッツ。

そう、下半身丸々スパッツ状態のその姿は、まるでとび職の男衆。

あとは地下足袋さえ履けば、すぐにでも梯子に登って出初め式とかできそうな

勢いである。

ビックリして、早速旦那に確認してみた。

「ねえ、私って、てやんでぇ〜調じゃない?」

「そうだね、大工の源さんみたいだね」

・・・・的確な例えをありがとう。


なんてことだ・・。勢いがある、威勢がいい、というのは

一度しかない人生を後悔のないものにするという意味ではアリかもしれないが、

めったに一緒に過ごすことのない貴重な旦那との

時間においては如何なものか?

しかも、そんな恰好でウロウロする私も私だが、

それをごくごく自然にこの部屋の風景の一部として捉え、

何の疑問も驚きも持たないという旦那の方もどうだろう?

もはや女として見られていないのでは?と今更ながらやや不安になり、

そこらへんのところも確認してみようと、

「ねえねえ」と声を掛けかければ、

即座に「なぁ〜に源さん」と返される始末。

さすが、夫婦8年やってきただけのことはある。

まさに”あ・うん”の呼吸。

聞くまでもないのであった。


で、おととい以来、この家で私は”源さん”と呼ばれている。


さよなら、様々な自分。

さよなら、女の私。

何かを得れば何かを失う。

それが人生。


本当の自分を見つけた変わりに、私は女性として大切な何かを

失ったようであった。

くぅ〜、、、ちきしょうっ! てやんでいっ!

おしまい。


...

JARO - 2002年11月16日(土)

私の良く行くスーパー。

都営住宅に囲まれ、私が住んでいるような高層マンションなども何棟かあり、

人口はそこそこのハズなのに、買い物できる所は周辺にその一件。

まったく一人勝ちもいいとこの店である。

資本主義のこの世の中にあって、競争原理がまるで働いてないのだから、

もちろん値段もぜんぜん安くない。

「こういう状況に甘えてるんじゃない!値段下げろ!」と、

買い物をしていてもなんだかんだとしゃくに触り、

素直に買い物ができないので、今日は思い切って違うスーパーで買い物してみた。


出掛けた先の駅のすぐ側、住宅がひしめき合う中にその店はあった。

入り口の自動ドアの脇には”人参一袋100円!”と紙の貼られたワゴン。

入る前から早くも私の買い物心に火をつける憎い演出。


店内には所狭しと商品が置いてあった。

陳列スペースにはもちろんだが、

狭い通路に置かれたワゴンには、レトルト食品やらインスタント食品、

お菓子などが崩れんばかりに積み上げられているのだ。

このゴチャゴチャ感、この無秩序感!いかにも庶民的!これは安いに違いない!

買い物心は、もう火事寸前である。


だが、ひと通り商品と値段を見始めると、このワクワクした気持ちは、

次第に先細りを始めた。

・・・だってぜんぜん安くない、普通じゃん。

シメジ一パック198円。小さいインゲンが10本ほど入って298円。

いつもなら自分の選択ミスを棚に上げ、プンプン怒ってしまう私だが、

しまった!と気づくのに、10分もかかってしまった。

そう、私の目に移った品々の値段は、いつも行くスーパーの方が

安いぐらいなのに、それでもまだ、ここはイケル店”と

錯覚してしまう私がいたのであった。

何故か?

それはワザと品物をギュウギュウゴチャゴチャにおいて、

何か掘り出しもの、お値打ちものがあるに違いない!と、

消費者に思わせる”ドンキホーテ式”に私がうっかり

のせられてしまったのと、もう一つが値段の表示方法。


A4を縦に二つくっつけたぐらいの大きさの台紙に

太い黒のマジックで縦横幅いっぱいに書かれている値段。

それが、壁にもベタベタ、棚にもベタベタ、ワゴンにもベタベタの貼りたい放題。

かなりの迫力で、それだけでも今買わなければ損!みたいな気持ちにさせるのに、

さらに、その紙の色が黄色ときたもんだ。


黄色といえば”注意!”


黄色といえば山田洋二監督”幸せの黄色いハンカチ”。


つまり、注目させたり、幸せな気持ちにさせたりするには、

持ってこいの色ってことだ。

なんと巧みな販促方法か!

黄色い紙には”特価”などという文言も書かれていて

まさに、誇大広告。

日本広告審査機構”JARO”対象であった。

「ウソ、紛らわしい、事実と違う。」

この3つの条件のどれか一つでも

当てはまれば連絡OK!とJAROはいつもテレビで言ってる。


しかし、騙されたと分かっても結局うどんと鶏肉のパックを持ってレジに並んで

しまった私。

どうしても、今日はそれが必要だったのだ。

待ってるあいだ、もう一度ワゴンに貼られた黄色い紙達を見る。

なんかこの光景見たことある。

ん?・・・ラブホテル・・・。

貼られまくってビラビラしてるさまは

パッと見、郊外のラブホテルの入り口に垂れ下がってるヤツそっくりだった。

ムラムラする効果も狙ってるのか?

気持ちを高揚させて買わせる作戦なのかもしれない。



どこまでも巧みな戦略に、最後は清々しさまで感じる始末であった。

許す。


おしまい。









...

「ハムの詩」 - 2002年11月15日(金)

”おー、ハムよ、あなたはどうしてそんなところに。”


昼過ぎに起きて、台所にコーヒーを入れに行ったら、

ラップに包まれふにゃけたハムが流し台の上にポツリ。

どうした、ハム!何かあったか!?と思うまでもない。

やっぱり今日も作れなかったのであった。

旦那の朝ご飯。

トーストにハムをのっけたヤツだ。

そのハムは私が寝る直前、つまり旦那の起床時間の3時間前の午前4時半、

私が旦那の朝食用に使ってやるぞ、と意気込んで、

解凍すべく冷凍室から出しておいたものだったのだ。



”おーハムよ。私のこともわかってください。”


朝方に寝る私は、当然旦那が起きる時間は夢の中。

朝食は勘弁してください!そう言い切ってしまうのは簡単だ。

が、旦那あってこその安定した私の日常。

いや、私のことはいい。

すべては、旦那の健康が心配、彼の為だ。

だから例え、朝起きることがでずとも「食わせるぞ!」という

意気込みはある!ということは言っておく。



”おーハムよ。私をどうか叱ってください”


それに、毎朝ぐーすかぴーすか寝ているグータラさに、

離婚でもされては大変。私は明日からどうやって生きていけばいいのだ。

結婚8年、そろそろ旦那も限界が来てるハズ。

でも、こうしてハムを出しておけば大丈夫。

出掛ける前に必ず台所で喉を潤す旦那が

「おっ、作ろうとしてくれていたのだな」と私を可愛く思ってくれること

間違いなし。

いや、違う、、、あくまでハムを用意しておくのは、

しつこいようだが旦那の健康のため。

ハムを免罪符に使うだなんて・・・とんでもない・・・・。



”おーハムよ、あなたはどこへ行くのですか”


ということで、私の一日はまずへたれたハムを見ることから始まる。

自分の不甲斐なさを思い、激しい懺悔の中、私はハムを

いちべつし、冷蔵庫からマーガリンを出す。

食パンを2枚オーブントースターに入れ、”トースト2枚”のボタンを押す。

中でくるくると回る2枚のパンの焼き加減に気をつけながら、コーヒーを入れ、

3分半待ってチン!という威勢のいい合図と共に、

こんがり焼けたトーストにバターをぬりぬり。

そして、ハムを上にのせる。


ハム、いただきます。



”お〜、ハムよ、あなたはどうしてこんなにも美味しいのでしょう”

・・・・満足。


おしまい。



...

夢の途中 - 2002年11月14日(木)

夢の途中であるのだな、と思った。


夕方、太陽が隠れるほんの少し前の表参道。

初めていったギャラリー、初めて覗いたある人の個展で

そう感じた。



青い木枠のドアをくぐり、

白い壁に掛けられた作品たちを一つ一つ見て周りながら、

やはり来て良かった・・と思う。


運良くその個展の主人公と話すことができた。

作品のこと、今までの活動について不躾に質問する私に彼が

丁寧に答える。

そして会話の途中、彼が私にこう言った。

「これしかないですから。」



「これしかない」

なんて、素敵な言葉なのだろう。

自分を信じ、内面からわき出るものを形にし続けることの凄さだ。



私にも夢が一つ。

彼のように追い続けられるだろうか。




人は皆、何かを夢みて生きている。

そう誰もが夢の途中。

時に堂々と、時に静かに。

せっかく生きているのだもの、そうじゃなければつまらない。

例え小さくても。

どんなものであっても。

見つめ続けることが大切。



なんだか今日は勇気を貰った。

サテ、明日からまた頑張るか!


私もまだまだ夢の途中。



おしまい。


...

矛盾。 - 2002年11月13日(水)

昨日友人と彼女の地元でお昼を食べた。

どこで食べようか?と聞かれるまでもなく、

私は「定食充実のあの和食屋さん」とリクエスト。

そう、昨日はガッツ気分であった。

ジャンジャンバリバリ食いたかったのである。

「ふふ・・あそこの定食はボリュームがある・・」

家を出る前から「今日はあの店!」と企んでいたのだ。


刺身定食、焼き鳥丼、本日の日替わり弁当などなど・・・5種類ほどの定食たち。

店に入り私が選んだのは、その中でも一番ガッツさが感じられる

「フライ定食」であった。

そこのは、ただのフライ盛り合わせではない。

エビ、しかも”有頭つき!”のぐうぉ〜〜んとデカイエビフライが他の

小ぶりの牡蠣フライ2個、魚フライ一個を押しのけ、オラオラ〜といった調子で

ふんぞり返っているのである。

さすが、「ガッツな食事推進委員」の私が惚れ込んだだけのことはある。

友人と話しをしながら、「ガブリと腹から食ってやる」などと

ワクワクしながら待つのであった。


が、早さが売りの昼定食のくせに待てど暮らせど出て来ない。

10分たち、15分たち、いい加減

「まさか、エビを東京湾に釣りに行ってるのでは?」と疑い始めた時、

店員がやって来て、なんと「エビが終わってしまいました。エビの変わりにイカリングではどうでしょう?」

なんて言うではないか。

エビの変わりがイカ。

めったに食べることのできないエビフライが、めったに食べられるイカリングに。

ショックの色は隠せなかったが、何てったって私はガッツに食いたいのである。

それにはあっさりめの刺身定食とかではダメだ!

こってりしたフライ定食じゃなければ!

自分を納得させ、仕方なくそれでいいです、としぶしぶ返事をしたのであった。

そうして、待つことまた15分・・・遅い、遅いのであった。

あまりの遅さにまたしても

「まさか、料理長が慌ててイカ釣り船に乗り込み、まさに今、
水揚げの最中なんじゃ〜?」

と変に勘ぐらずにはいられない。

そして、若い漁師の兄貴的存在鳥羽一郎の顔が頭の中に浮かんだ頃、

ようやくその定食はやってきたのであった。

牡蠣フライはコロコロとした丸。小さな魚フライも楕円形。イカリングも

もちろん丸。皿の上がなんとなくま〜るく収められていて、エビフライ

のような無鉄砲な”はみ出し者”などいない。

なんとつまらない光景だろう。

・・・・・私が家を出るときに期待していた定食の姿は、

もうそこにはなかった・・・。


取り合えず完食し、お会計。

フライ定食は1000円であった。

丸々一匹のデカイエビからイカの薄い輪切り、そうイカリングになっても

値段は一緒。

ん?エビ一匹とイカ一杯だったら、それぞれの種類にもよるだろうが、

単価は絶対エビの方が高いハズ。

それを安いイカに格下げしたのだから、当然「お安くしときますね〜」の

ひと言があってもいいのではないか?

イカリングは3つで、一つが直径約4�僉�厚さは1�僂曚匹世辰拭�

それをピッタリとくっつけても長さは3�僉∩環垢�よそ17�僂砲盖擇�

エビの長さには及ばない。

同じ値段を取るなら、イカ一杯を丸々姿揚げするぐらいの

心意気が欲しいものだ。

パン粉がついその姿は、エビフライの迫力を超え、

胸焼けもんのボリューム感だろう。

だが、単価はイカの方が低いのだから、まあそれでトントンってことだ。



会計を済ませ、私は店の外へ出た。

エビ、イカ。エビ、イカ。イカ、エビ。イカ、エビ・・・と

その2つを頭に浮かべ、食材の変更にもろともしない店の姿勢

に矛盾を感じつつ、私は友人と歩き始めたのであった。

今度は絶対食ってみせる・・・。

おしまい。


...

母さ〜ん、、お茶〜〜! - 2002年11月12日(火)

金曜日夜、2番目に勤めた会社の後輩と同僚が遊びに来た。

私がその会社にいたのは8ヶ月間と短い。

なのに、来てくれる。なんてありがたや。

夕飯の鳥だんご鍋を食しながら、久しぶりに聞く元いた会社の話。

「鍋をつつく」というのが会合の主旨であったのに、

「辞めちまって良かった」と、とっとと辞めた自分の

決断が大正解であったことを改めて、いや予定通り確認する場となった。

2人は、私に”会社の今”を伝えようと丁寧に話してくれるのであったが、

聞いてる途中、果てはイントロどん!のクイズのように

「皆まで言うな」という気分になったりする。

辞めて2年も経つというのに、「おはようございます」「お疲れさまでした」

の挨拶もない、あの信じられないほどの暗い社内の雰囲気は

ちゃんと思い出されるのであった。


そう、私があの会社のことで、覚えているのは任されていた仕事の内容とか、

たまに顔を見せる社長が猿の惑星のコーネリアスそっくりだとかいうことより、

「笑っちゃうほど暗い会社」ということ。

いや、本当に笑ってしまったこともある。

あまりの暗さに可笑しささえ感じ、一人給湯室へ行って。


会社は北陸の某県に本社がある一部上場もしていた結構な会社。

私の勤めていた東京営業所の社員は40人。

一部5人ぐらいを除いて、あとは全員そこの県人という都心のど真ん中にして、

”リトル○○県”の異名を持つその会社は、社員一人一人が

何故か異常にしんみりとしていて、社内の空気も暗くどんよりと沈んでいた。


そのことを知人に話したら、「北国の人達の集まりだからじゃん」と言われた

ことがある。

確かに”北国の人は無口”という印象が一般的にはあるのかもしれない。

厳しく長い冬が、静かにじっと耐え続ける人々の姿を思わせるのだろう。

が、私だって寒い新潟出身。

自慢じゃないが、うるさい!と怒られることはあっても、

静か、なんて言われたことがない。

ましてや、挨拶ぐらいちゃんとできる。

風土との関連性は少しはあるにしても、あまり関係ないような気も

するのである。




そんなわけで、私は社内のあの暗さをワンマンすぎる社長、コーネリアスに

原因があるのではないかと見ていた。

社長の声は天の声!的な雰囲気があり、コーネリアスが厳しくマメにチェックする

営業の成果に、社員が戦々恐々としていたのだ。

その縮こまりようは、親として尊敬されたいのなら、

自分の子供には絶対見せるな!というぐらいであった。


しかし、なんたって上場企業。いい会社だという人もいた。

実際、私が知り合いに話をすると、そんなふうには見えないよ!

などと同調されず、私的にガックリするような答が返って来ることもしばしば。

それもそうだろう。そんな内面と違い一転、客が来たときの

変貌ぶりには素晴らしいものがあり、一度でも事務所に足を踏み入れた者は

対応の良い親切な会社、又はハキハキとした人達の集団と錯覚するに違いない。

外面は信じられないほど良かったのだ。

担当の営業がたとえ不在でも、いつもはぶすっとしている上司が

ニカッ〜とした満面の笑みを一瞬にして作り、揉み手で対応。

で、それがどのくらいのテンションだったかというと、

エリートと婚約し、玉の輿に乗ることが決まった娘の父親が、

その婚約者をホクホクしながら迎える時、といった感じ。(なんだそれ)

例えば、

「ただいま〜〜。(暗く、疲れて)

おっ!なんだ〜、真一君来てたのか!いらっしゃい。(急に元気になる父)

んっ?今日は何?えっ?幸子と映画かぁ〜、いいね〜若い人達は〜

で、幸子は?何?着替え中?いかんな〜真一君をお待たせするなんて!

おや?茶も出してない。いやっ!申し訳ない。今入れさせるから。

お〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!母さん〜〜〜〜〜〜〜〜〜!

真一君にお茶差し上げて!

母さん聞こえないのかぁ〜〜〜!真一君にお茶だよお茶!

すみませんね〜、失礼しちゃって・・今お茶出しますから。

おい!母さん!真一君にお茶だよ〜〜!おい!

お〜〜〜〜〜い、かあさ〜〜〜〜〜ん、お茶〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」

                  
                   みたいな・・・・・・。
                           


                 おしまい。


...

落ち葉を拾っておやじに会って。 - 2002年11月11日(月)

今日は私の落ち葉収集日であった。

道の端に吹き溜まった赤や黄色に色づいた

落ち葉を黙々と拾うのだ。しかも、たった一人で。

暗っ!

何の為に?そういう声が聞こえてきそうなので説明しておく。

拾った落ち葉は、押し葉にしておいて、母の日やら、父の日やら、

ちょっとしたご挨拶などの、いわゆる”グリーティングカード”を作る時、

切ったり貼ったり塗ったりして使うのである。

拾った落ち葉の色や柄によってカードの出来は左右される、もっと言えば、

私のセンスが問われる!といっても過言ではないので、

一見、ふら〜〜と何の考えもなしに拾ってるように見えても、

実は一枚一枚を「使い物になるだろうか?」と、

厳しい職人気質な目で見極めているのである。

そう、真剣勝負。

どのくら気合い入れてるかというと、

日銭目当ての風来坊ふうの怪しいおじさんが、資源ゴミ置き場

に捨ててあるアルミル缶を、その日の引き取り値を考えつつ

拾うぐらい、の真剣さ。(分かり難い。)


で、そんな調子で今回も家の近所を捜索していたわけだが、

自転車を引きながらひたすら下を見続け、道の端を歩く私の姿が、

よほど「この寒空にガックリうなだれる何かあった中年女」に見えるのか、

通り掛かる人々の視線がやけにジロジロと冷たい。

元気に拾っていても、北風ピューピューの中でそんな人々の反応をみると、

本当にしょぼくれ気分になるから不思議だ。

仕方ない。いい仕事をする時には、いつも孤独感が付きまとうものだ。



他人の目にも負けず、探しては拾い、拾っては探すを繰り返し、

30分ほど経った時、後ろで「50万円融資可!」の看板を

電柱に取り付ける作業をしていた一人のおやじが突然私に声を掛てきた。

そして、

「向こうのガード下を右に曲がったところがいいよ。
色とりどりで綺麗なもんだよ」

と教えてくれるのであった。

おやじによると、そこにはツタが枝を縦横無尽に這わせている塀があり、

たくさんの葉が美しく紅葉しているので、集めるにはもってこいの場所!

なのだそうだ。

彼は50歳ぐらい。痩せ細った体にどす黒い顔をし、

ペラペラの薄手の黒いジャンパーがいっそう私に暗い印象を与えた。

「色とりどりのツタ」・・おやじの口から出たその言葉は、

彼がメルヘン路線だということをうっすら臭わせるが、

なんたって手には「50万円融資可!」である。

その看板に、どうしてもおやじが足を突っ込んでいるであろう闇の世界を

見てしまう。


教えてくれたことに感謝しながらも戸惑っていると、なんとおやじは、

「ほらほら、こっち」と言って、自分の自転車を漕ぎだし、私をその場所へと

いざない始めてしまったのである。

そこまでしていただいては変に迷ってるのも何だと思い、仕方なく私も自転車で

着いてゆくことに。


軽快に走ってゆくおやじの後ろ姿を見つめながら、

「これは女性を狙う何かの罠ではなかろうか?」とか、

「着いたら、人気のない所で、仲間とか待っていてそのまま車に乗せられ

売り飛ばされたらどうしよう・・」等と考えてしまったのは、

今だ自分を高く見積もり過ぎているとしか言いようがない。

しかし、そんな私の心配をよそに、おやじはガード下の当たりの道の

分岐点まで来ると「ここ入って行くとすぐだから」と言い残し、

さっさと行ってしまったのであった。


色とりどりって・・今まで見たこともないような色もあるのか・・?

学会に発表できるぐらいなモンなのか!?

期待感で最近縮んだ胸を膨らませながら、どんどん自転車を進めていくが、

色を散りばめたツタの紅葉なんて、ぜんぜん見当たらない。

やはり、何かの罠か?と思いかけた時、

私は申し訳なさそげに這っている4本ほどのツタのつるを見つけた。

う〜〜ん、確かにツタ。確かに紅葉・・。

それはあまりにもしょぼい光景であった。

だって、葉は赤く色づいたものしかない。

色とりどりなんて、、、おやじ、疲れて目がチカチカしてただけじゃないのか!?

しかも、落葉はまだみたいで、周辺には葉がほとんど落ちてない。

植物だって命あるもの。むしり取ってまで持って帰ろうとは思わない。

何だよ〜〜、、ダメじゃん、、、。悲しく引き返す他すべがなかった。


が、帰り道、私は自転車を漕ぎながら考えた。


冷たい目で通り過ぎて行った人が多い中、



私が落ち葉を拾う姿を、
あたたかい目で私を見てくれていたであろう、おやじ・・・・・・・。


そして・・
声を掛けてくれた、おやじ・・・・・・・・・・・・・・・・・。


私をメルヘンの世界へといざなおうとしてくれた、おやじ・・・・・・。


なんて、素晴らしい、おやじ・・・・・・・・・・・・・・・・・。


もう2度と会うことも、いや、何故か会いたくないが、

私は心で呟いた。


ありがとよ・・・・・・・おやじ・・・・・・・・・・・・と・・・・・。


おしまい。


...

ショック事項。 - 2002年11月10日(日)

好んで読んでいる日記の書き手が、

男だとばかり思っていたら、

実は女だったということに

さっき気がつき、大変ショックなのであった。

「女かぁ〜、じゃあもういいや」と一瞬思ってしまったのは、

何故なのか・・・?

何故、その人が女ではいけないのか・・?



ヤバイ!これは、

暇を持て余し何かドキドキワクワクするようなことを

潜在的な意識の中で期待するがあまり、出会い系サイトにはまって

不倫などに走り、結局は痴情のもつれから事件に巻き込まれてしまう

主婦の仲間入りをした、ということでは・・・。(長い!)



ハッ・・・・・


そんな自分になりかけてるとしたら、

そっちの方がショックなのであった。


・・・・・・・・・・おしまい。


...

あさっての世界 - 2002年11月09日(土)

ふと後ろを振り返ると、

そこに大股開きで鼻の穴をオッぴろげて寝ている

怪しい物体。

今日は一段とものすごい熟睡ぶりの旦那なのであった。

この調子なら今、顔中に落書きしてやっても朝まで気がつかないハズだ。

何を描こうか、腕がなる。


旦那はこの3日間飲みっぱなし。

連続でれでれ状態の彼は、ここ最近話をしていても、

私のまったく知らないあさっての世界にいるようである。

そこはどこ!?

それでも、「ちょっと、酔っぱらってそんなとこで寝ないでよ!」

と毎晩私に叱られているせいか、少しでも起きていようと必死である。

さっきもイラク査察に関する決議案が国連で採択されたという

ニュースを、眠たそうに半開きの目で見ていた旦那。

アナウンサーを相手に世の中の大きな流れを解説していたのは、

いかにもキレ者という感じの女性。


「あ〜〜、女の人が解説してるぅ〜〜」
「だってこの人外報部の記者だもん。海外のニュースの時良く出てくるよ」

「へぇ〜、なんて言ってんのぉ〜〜〜?」
「イラクに対する決議案が決まったってことみたいよ」


「ふ〜〜〜ん、この人ニュースが好きなんだねぇ〜〜」
「・・・・・・・・・・・・・?」

「ふわぁ〜〜〜〜〜〜」
「・・・・・・・・・・・・・・」


・・・そうか・・、ニュースの主旨はイラクの大量破壊兵器に対して、

国際社会が厳しい態度で望むことになった!とかいうものではなく、

出ている女性記者がただのニュース好き!って

ことだったのか。


・・・旦那がしらふの時どんなふうだったかを、忘れてしまいそうである。


おしまい。


...

さむっ! - 2002年11月08日(金)

お給料が出てから約2週間。

今日買い物ついでに久々に銀行に寄り、記帳をしてみて卒倒しそうになった。

そこには、家計簿に手もつけず、のらりくらりと生きてきた証が

なんともまあ残酷に、そして克明に記録されていたのだった。

少なっ!

あまりの低い残高に笑いまで出る始末。

通帳を見つつ、くすくすと気の触れた主婦が一人。

だが、いつまでも笑ってはいられない。

この少ない中から、なんと月曜日には先月購入した旦那のスーツ代が

引かれてしまうのである。

それを引かれるともう、今月の生活費がないではないか。

多摩なんてレンタカー借りてまで行くんじゃなかったとか、

牛角で牛をたらふく食わなきゃ良かったとか、いや、食っても最後のクッパは

やめておけば良かったなどと、慌てて後悔する私。

「家計一つ操れないようでは主婦として失格」なんて

普段さらさら気にも留めてない言葉が頭の中をよぎり反省してみたりするのは、

旦那と私の生死がかかってるから。(笑)

だが、待て。

良く良く考えてみるとこれは、サラリーマン、特に営業職がスーツを

着て仕事をしなければいけないというこの社会の体制が悪いのではないか?

という疑問もわいてくる。

だってそうだろう。どんな恰好をしても営業はできるのだ。

さすがに生まれたままの姿ではマズイが、それ意外であれば、

Tシャツとチノパン、又はジャージ姿だろうと電話でアポも取れるし、

得意先に行って商談だってできる。パソコンだっていじれることに変わりはなく、

通常の業務に何の支障もないハズ。

なのに何故、スーツ着用が営業職に義務づけられるのか?

仕事先、得意先に対して失礼だからか?

しかしもし、アルマーニのスーツでビシっと決めていても、

強烈にわきが臭かったり、口臭のどんどん出る口を持っていたりしたら、

そっちの方が商談の成立に都合が悪いのは明らか。

それを”どうしてもスーツ姿”というのであれば、半ば強制なのだから、

会社からスーツ代の援助があってもいいんじゃないか?


スーツは営業にとって消耗品、いわば作業着であるのに、

買うと諭吉が何人も飛んでいく高額商品。

今月の我が家のようにたった一着で明日明日の

生活に困ってしまうという家庭は、この不景気の中多いハズ。

だから、この際、交通費とか家族手当みたいな感じで”スーツ手当”を

支給してもらうのだ。

例えば、半年に一度づつ4〜5万ほどお給料に上乗せするとか。

これは、ナイスアイディア!

それか、紳士服のA□KIとかと会社提携して、社員割引制度を

立ち上げるなんてのはどうだろう?

指定店で買った場合にのみ、40%OFF!・・・なんて。

大型専門店もこの市況の中、商品の動きが鈍いに決まってる。

こうすれば、私も店も助かるってこと。


スーツに対するナイスアイディアはどんどん浮かぶのだが、

残り2週間の生活に関してはいつまで経っても頭が真っ白。

お寒いふところのまま。

そんな中、私は身も冷やしてしまったらしい。

今、お腹がゴロゴロ痛い。

節約のため帰って来てからファンヒータもつけずに頑張っていたのが

アダになったらしい。

トイレに行かなければ。

というわけで、家計の問題をスッキリさせる前に

まず自分をスッキリさせることにしました。


おしまい。


...

ハト豆嬢。 - 2002年11月07日(木)

この3連休に多摩へ行き、どんどん高まる”懐かしさモード”

に動かされ、学生時代から結婚するまで住んでいた武蔵小金井にまで寄って

しまった私。

せっかく来たんだからと、私が結婚するまでの数年を

妹と住んだ「ブレスト・小金井」を訪ねてみることにした。

小金井の南口商店街を下り、小金井交差点の先の細い質屋坂をさらに下って

しばらく行ったところにそのアパートはある。

1階と2階に4世帯ずつ、計8世帯の外観の白い、ごく普通のコーポ。

フローリングの部屋、7畳のワンルーム。

8年は経つというのに、外観はおろか周りも何も変わってはいなかった。

住んでいた101号室を眺める私の耳に、

「おねえちゃ〜〜ん」とあの頃のように妹の声が聞こえてきそうなほどだ。

なんちゃって。


駐車場を挟んだ道に停めた車の中から、ボーっとアパートを眺めていた私だが、

ふと、ハトマメ嬢のことを思いだした。

ハトマメ嬢・・・私たち姉妹からあだ名を付けられていたその女の子は、

確か当時女子大生であった。(たぶん。)

何故「ハト豆嬢」と名付けたかというと、いつも顔が驚いていたので。

”鳩が豆鉄砲を食らったようなビックリ顔のお嬢さん”=通称「ハト豆嬢」。

当然のことながら、彼女は鳩ではない。


そう、人間なのだが、彼女はいつもビックリ仰天しているのであった。

他の住人と外でかち合わないように、又は挨拶もしたかしないかの

こそこそする人達が多い中で、

彼女はいつでも「おはようございます」「こんにちは」など、会えば必ず

ちゃんと挨拶をしてくれた。クリっとした瞳をめいっぱい開いたビックリ顔で。

どうして驚いているのか?

いったい何に対して驚いているのか?

不思議であった。

彼女のビックリ原因について妹と何度もミーティングを重ねたが、

私達にはまったく分からない仰天加減なのであった。



今考えると、もしかして彼女は私達の人相に驚いていたのかもしれない。

そして、そのことから今日、私はあの頃を思いだし二つの仮説を立ててみた。

一つは私と妹の顔がドキっとしてしまうほど怖いという「姉妹、強面説」

私達の父親は、かなり強面。作りが派手な上、目がぎょろりと大きく、

その目つきの悪さからヤクザと何度も絡み合った実績を持つ。

その親の娘だもの遺伝子の関係上、女ということで多少緩和されていても、

私達にもその人相の悪さがどことなく漂っていたのかもしれない。

そういえば、「黙っていると怖いよ」と、私も何回か言われた事がある。

もう一つが姉妹一緒の時限定の「おまえら本当に姉妹か?説」

私と妹の顔は、鋭くデカイ鼻とペッタリした平べったい口は、

一卵性のようにソックリだが、目の大きさが決定的に違う。

妹は目がパッチリくりくりしている。かたや、私の目はオチョボ目、めだか目。

当然のことながら、そのたった一つのパーツの違いで容姿に大きな差がついている

のであった。

どちらが美しいかは言うまでもないだろう。

違うのは目だけなので、目から下だけを見てくれれば、

間違いなく姉妹と分かるのだが、そんな私に良心的なヤツはいない。

で、あまりのパッと見の違いに仰天してしまったということが

充分考えられるではないか・・。



じゃっじゃじゃ〜〜〜〜ん!

8年前、私達姉妹が解けなかった謎がようやく暴かれようとしている!?

このことを、早速妹に告げなければならない!

そしてこの2つの仮説をもとに、緊急ミィーティングをしなければ。

・・・・・・電話しよ。




                   おしまい。


...

眠いのね〜〜 - 2002年11月06日(水)

妹に電話をし、今日の予定を話したついでに、

のせようと思っていた日記の内容をさらっと喋って予告した私。

だが、すっごく眠い。

こんな調子では予定した内容が書けそうにもない。

どうしてこんなに眠いのか、、、起きたのは昼だったのに。

もしかして、夕飯にカレーを軽く大盛りで2皿。スープも

お代わりをしたのがいけなかったのか・・・。

あ〜〜、きっと食べ過ぎで眠いんだな。

ということで、みなさんおやすみなさい。

すみません。(反省。。。。。)


...

すべての道は多摩に通ず。 - 2002年11月05日(火)

連休初日、旦那共々モサモサ起きて時計を見ると、

なんと、早くも午後2時じゃない。

これはいけない!このままではいつものようにダラダラした連休に

なってしまうと危機感を抱き、2人で「有意義な連休の過ごし方」について

の緊急ミーティングをおこなった。

例えば温泉旅行とか、そんなことが連休に当たってはピッタリなのかも

しれないが、何の計画も立ててなかった昼過ぎ2時に起きるような私達に、

そんな資格はないだろう。

で、タバコを2〜3本づつ吸いながら決めたのが

「旦那の運転で行く、秋のウキウキ多摩ツアー」であった。


目的はラーメンと思い出めぐり。(なんじゃそりゃ・・)

調布駅近くの「宝や」と、その近く国領駅にある「熊王」

のラーメンを食べ、新婚時代を過ごした府中の街の「今」をただ車の中から見て、

その発展ぶりと賑わいぶりを”悔しがる”というもの。

レンタカーまで借りて行く程かい!と首を傾げたくなるようなプランなのである。

東京の西、多摩地区は、私が新潟から上京し東京若葉マーク時代から、

旦那の名古屋転勤でそこを離れるまで15年程住んでいた場所。

そう、多摩に愛着を持ってやまない私主導型の

”旦那の意志そっちのけプラン”だ。


土曜日の夜7時にこの町を出発し、脇目も振らず調布の宝やへ到着。

出てきたラーメンは3年ぶりなのであった。

分厚いとろとろしたチャーシューからジュワァ〜と染み出るジューシーな肉汁

の熱さが、今は無味乾燥な町に住む冷え切った私の心にキ〜〜ンと染みる。

そうそう、この味だよ!あまりの旨さに食べ進めてなくなっちゃうのが

もったいなく、お持ち帰り用に鍋持ってくりゃ良かったと後悔。

大きな餃子が5個も入った皿をつまみながら、ラーメンをゆっくり味わった後は、

さらに下って府中へ。

車の中からもと住んでいたマンションを見つつ、駅の方に車を進めると、

そこになんと牛角が・・。

しかも、もと住んでいたマンションから徒歩五分、大國魂神社の向かいの”角”。

まさに牛”角”!

その光景に愕然とする私。この前、わざわざ電車に乗ってまで行った牛角が、

この街を引っ越さなけりゃ、徒歩で行けたのである。

さらに、駅前には大きなモスバなどができていて、

すっかり私好みの町に生まれ変わっていた。

まわりにモスバもない現在住んでいる町と違って、ここなら最近新発売

された「ごまつくねバーガー」もサラっと試食できるし、何より私の大好きな

「フィッシュバーガー」が好きな時に好きなだけ食べ放題である。

予定通りに”悔しい気持ち”満載で深夜一旦家に帰り、仮眠をとって10時に

再び出発。

国領のラーメンを並んでまでして食い、深大寺の近くのこじゃれたアジアン風味な

家具屋を覗き、学生時代に住んでいた武蔵小金井にまで行った。

多摩を2日間に渡って堪能したものの、どこもかしこも懐かし過ぎて、

なんだかみょーに悲しくなった私は、帰り道、ツアーの名前とは裏腹に

すっかり”しみじみ”してしまった。

今すぐ引っ越してでも多摩に帰りたくなってしまったのである。


家に帰る途中のファミレスで、コーヒーをすすりながら、どーしたら戻れるか、

そればかりを考える私。

横でちゅーちゅーとアイスコーヒーを吸い、髪の乱れ具合ばかり気にする旦那に

「こっちに戻って来たいよね〜〜」と話を振ってみるが

「俺はどこでも住めるも〜〜ん」の一点張りで、ちっともお話にならない。


多摩は都心に比べ、緑も多くのんびりして、住むには良いのだが、

引っ越すにはひじょーに困難な場所。

と、いうのも家を借りるにも買うにも値段が張る。

環境バツグンだから当然だ。

「ふぁ〜〜ふふ(笑)ここら辺は人気エリアですからね〜、高いんですよね〜」

この地域で引っ越そうとするたび、何度そのセリフを

不動産屋たちから聞かされたことか。

「今に見ておれ・・そのうち宝くじでも当てて絶対多摩に家を持ってやるぅ〜〜!
でも、その時はおまえのとこからは絶対買わないぜ!」

判を押したように異口同音に話す彼らを見て、私はそう心の中で呟いたもんだ。

そして、あれから4年・・宝くじはいっこうに当たる気配もない。

当たり前。

こうなったら、倹約してお金を貯めるしかないのだ。

熱いコーヒーを一口ごくんと飲み、気合いを入れ直す私。

もう、出前や出来合いの総菜ばかりを取ったり買ったりしている場合ではない。

食費を安く!安く!高熱費ならぬ光熱費を削減!削減! 

戦いのゴングが今鳴ったのだ。

これからは、大根一本、たまねぎ一つの値段が多摩への道へ通じている!

と、考えなければならないだろう。

この計画は私一人では無理、夫婦2人で力を合わせてこそ達成できる。

「旦那にも協力して貰わなければ・・」そう思い、向かいに座る旦那にもひと言。

「これからはさぁ〜、得意先にアポとるにも、受注するのにも気合い入れてお願いします。その一つ一つがお給料アップ!ひいては多摩への道につながりますんで。」

旦那は相変わらず黒目を上に上げ、真ん中からキッチリ分けて、

左右対称にそれぞれ山型に立ち上げた前髪を気にしていた。

まさに、いつ見てもお菓子の”源氏パイヘアー”。

その形が崩れかかっているのではないか、と気になってしょうがないのだ。

「ふぇ〜〜い・・。でも俺はいいよぉ〜、、どこでも住めるもーん」

またもや、ちっともお話にならない。

多摩への道は果てしなく遠いのであった。



おしまい。


...

夕暮れのドッキドキ - 2002年11月03日(日)

夕方、コンビニにタバコと缶コーヒーを買いに行こうと、

一階のエントランスを通った。

そこには小学校5、6年と思われる女の子達が4人ぐらい

備え付けの長細いベンチに座ってた。

彼女らはキャッキャと「井戸端会議ジュニアの部」

をやっていたのだが、そのうちの一人の娘のパンツがなんと丸見えだったので、

後ろをなに気に通った私はとっても驚いた。

その娘は四つん這いのワンワンスタイルでベンチに乗っかっていて、

隣りの女の子が持っている何かを一緒に覗きこんでいるようであった。

プリクラ集か・・。

ちなみにパンツの色は白。あくまでもパンティーというのではなく、

パンツ。

いやいや、、それがいくらブルマーに毛が生えたような

グンゼチックなパンツだったとしても、その姿は大胆としか言いようがない。

だって、彼女の体つきはすでに”大人の女性の隣り”という感じで

ほとんど女として完成しているように見受けられる。

というのに、パンツを丸出しとは。


ここは、約300世帯もあるマンモスマンション。

いろんな男性が住んでいるに違いない。

まったくなんて無防備なんでしょー。

変態はいないにしても、あと一歩で変態とか、

又はロリコンよりなやからもいるかもしれない。

通りかかったのが、私だから良かったものの、

そういう風味な男だったら、エッチ心を誘発してしまいかねないのでは?

と、このおばさんはドッキドキするばかりなのであった。


                     おしまい。


...

終わらない「納豆を詰めて」ストーリー。 - 2002年11月01日(金)

うちの旦那のお母さんは、都内某所でちょっとした小料理屋をやっている。

カウンターだけのこぢんまりとした”おふくろの味”系のお店だ。

火曜日、そこにひょっこり顔を出したところ、義母に何か目新しい料理なぁ〜い?

と訪ねられた。

最近、店に出す料理がマンネリ気味らしい。

いやぁ〜、おかあさん、聞く人を間違ってやしませんか?

そう、思ってみたものの、ここで答えなかったら、

普段の手抜きがバレバレである。

勘ぐられる前に何か言わねば。

”攻撃は最大の防御なり”

なので、「そうですね〜〜」なんて、如何にもレパートリーは星の数ほどあって、

「今、その中からBESTなヤツを思いだし中!」みたいに装って時間を稼ぎ、

口を突いて出たメニューが、例の納豆油揚げ包み。

何日か前にこの日記で描いた。油揚げを袋状にし、そこに納豆をガンガン

詰めていった”納豆のおにぎり”みたいなヤツである。


お母さんは、いい人であった。

私が苦し紛れに口に出してしまったメニューのレシピにウンウン、なるほど〜

と頷きながら聞いてくれる。

彼女の素直な素振りに、咄嗟に「良い嫁を演じてしまえ〜」などと考えてしまった

自分が自分でくぅ〜〜、、憎たらしい。

だが、説明してる最中に私の心にモコモコとわき起こるイヤな予感。

本当に作っちゃったらどーしよう・・・と。

何故なら、あれはただの”納豆おにぎり”だったから。

慌てて作る時の心得「詰めすぎにはご用心」を付け加える私。

「お母さんどんどん納豆入っちゃうからさ〜、気をつけてね〜」

「あら、そうなの?どのくらい納豆使ったの?2パックぐらい?」

その言葉を聞いて義母がサラリと聞き返す。

「・・・・・・・・・・・う、うん、、まあ、そんな感じだった・・。」

言えない、、言えなかったのであった。

納豆をその倍使ったなんて・・・。

納豆の油揚げ包み、、できた個数が7個。

納豆4パック。旦那はは4つ食べたからその分量は約2パック半。

そう、可愛いあなたの息子に一度に2パック半も納豆を食わせたなんて・・。

嫁、姑の間では、口が裂けても言っちゃーならない。

義母の娘として、嫁としてようやく8年。まだまだ先は長いのである。


そして、2日後の昨日。

メールを開くと、いつもこの日記を読んでくれる名古屋の友人から

メールが届いていた。

そこには、油揚げと納豆をジョイントさせた料理は彼女の家でも、

定番のメニューだが、油揚げに詰めるのではなく、

表面を焦げ目がつくまで焼いて、その上に納豆を乗せるのだ、

ということが書かかれてあった。

そして、この作り方だと、1パックですむよ!とも・・。

文字を追って幾たびにボロボロと目に張り付いていた

うろこが落ちてゆく思いであった。

そうか!どうして今まで気がつかなかったのか!?

詰めて辛いなら乗せればいい!

まさに、発想の転換!

作られてしまう前に、一刻も早く、義母のところへ行きこっちの方が良いかも、

と訂正しなければ・・・しかもさりげなく。

だって、結局は私の料理ベタがバレてしまう。



明日?あさって?いつが良いのか、そしてどうやってその話を切り出すのか?

全てのことにタイミングを思案する私なのであった。


おしまい。







...

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