冬休み〜〜〜!! - 2002年12月28日(土) 明日、29日から新潟へ帰省します。 で、帰ってくるのは7日頃を予定してます。 (頃ってなんだよ。) そういった訳で、日記はその間お休みします。 夏より、若干滞在期間が短いのは、もちろん凍死の危険を避けるため。 今実家に明日の到着時間を連絡したところ、 「寒さを覚悟して来い!」とのこと。 東京のここ最近の寒さに於いても、ぶるぶるしているのに、 覚悟とは、どの程度すれば良いのやら? 明日の朝までに防寒具合を検討しなければなりません。 Aコース:ホッカイロを携帯。 Bコース:ホッカイロ+ババシャツ着用。 Cコース:ホッカイロ+ババシャツ+ジーンズの下にスパッツ。 あなたならどのコース? さて、今年もあと、残すところわずかですね〜。 日記を書いて半年経ちました。 飽きっぽい私が、こんなに続けられたのも、読んでくださったみなさんの おかげです。 ありがとうございました。 あっ、別に終わるわけじゃないので。 年の変わるこの節目に、ひとことお礼を言いたくて。 来年もまたよろしくお願いします! では、行って来ます。 風子 ... 宝くじの現場 - 2002年12月27日(金) 先週の金曜日、年末ジャンボ宝くじを買いに行ってみた。 ここ3回ほど、連続して3000円が当たってる我が家。 今度はもっとビッグな金額を!と欲の皮が突っ張る勢いは、 果てしなくとどまることを知らない。 そうとなれば、買いに行く場所はただ一つ、 日本一の当選率を誇る銀座は数寄屋橋。 午後3時15分頃、数寄屋橋宝くじ売り場に着く。 圧倒された。 すごい人である。私と同じように欲の皮が突っ張った人々が うじゃうじゃいる。 中には、突っ張り過ぎて顔にヒビが入ってる人も・・・なわけないが、 人が溢れているおかげで、どの窓口がどこの列?なんて、 個人の力ではもはや判別できないほど。 一等賞にあやかった「一番」、ラッキーセブンにあやかった「7番窓口」 だけではない。 「さん」ざんな結果”の「3番」も、 「ご」めんね当たらなくての「5番」までも人、人、人。 ちなみに私はその日、同じ銀座で3時半に友人と待ち合わせをしていた。 この列では、友人を待たせずして買うことは不可能。 警備員の人の答も「40分ぐらいかかりますね〜」というものであった。 友人に「すまん!一億当たったらちょっとあげるから」なんて 心で謝りつつ、適当に3番窓口の最後尾につき、改めてみんなの顔を見ると 老若男女、様々な顔ぶれだ。 サラリーマンも多いのにはビックリ。仕事はどうした!? 年末だぞ?下半期の予算は達成できたのか?時間がないんじゃないのか? と余計なお世話を言ってしまいそうだ。 まあ、もっとも一億当たれば、会社に辞表を叩きつけ、 予算に追われる生活からもオサラバできるけど。 失業率が5%台。この不景気の中、 上がらないボーナスや給料の為に労働するより、 きょうび、こっちに時間をかけた方が得策かもしれない。 他にも、「バラ買うの?連番?えっ?何枚買うの?」と すでに現場まで来てるのに、誰かと携帯で家族らしき人と 連絡をとるおばちゃん。 (打ち合わせしてから来い。) かと思えば、ただ列の流れに身を任せ、静かに本など読む若い女性。 ウザイほど熱々ぶりを見せつける若いカップル。 (何しに来た?) とにかくここは、様々な人々が同じ「一億ドッカァ〜〜ン」の夢に 向かっている現場なのである。 そして、待つこと15分、警備員の「待ち時間40分」の予想より、 大幅に短縮された早さで、私は窓口へ到達し、無事宝くじを購入した。 しかし、さすが宝くじスポットとして名だたる数寄屋橋。 一流の場所には、一流の仕手師が集まるものだ、とこの度実感した。 例えば、 隣りの列の斜め前のハゲたオヤジは購入する際、絶対1�傳記个呂△蹐Δ�と 思われる札束を持っていたし、脇をすり抜けていったおばさんの手には、 ハリセンと化したビラビラした宝くじの束が。 老後の生活はこれに賭けました!とでも言わんばかりである。 さらに「組54のヤツちょうだい!54ね!」と すごい勢いで、組番を指定し、窓口のお姉さんを困らせるこだわりやまで いた。 なんの策もなく、ただ窓口に言って、「バラ10枚!連番10枚!ください!」 と購入金額が少額のくせに、元気に言ってのけた自分が とてもアホに思え、並んだことに恥ずかしさ さえ覚える。 自分の小者さを見せつけられたような気がして、 夏は違うところで買おうか・・なんて。 おっと、、弱気は損気。 要は当たりゃ〜いいんんでしょ、当たりゃ〜。 おしまい。 ... 彼女の気持ち。 - 2002年12月24日(火) 今日少し年賀状を書く。 今年もまた、時間がなくてパソコンにインストールされた 干支のイラストをあたふたと引っ張り出して印刷したので、 なんとも付け焼き刃的なビジュアルになってしまった。 だが、そこにつけるコメントは誠心誠意、心を込めるつもりである。 特に年上の人にコメントを添える時には力が入る。 新年早々、失礼があってはならない。 す〜らすらと動いていた私の筆が止まりがちになることもしばしば。 その年上群の中でもっとも緊張するのは、嫁として当然のことながら、 旦那の義母宛てに書くときだ。 で、今年の私のコメントは散々考えた挙げ句の 「昨年もお世話になりました。今年もこんな娘をよろしく!」というもの。 おい!本当に考えたのか! しっかりペンで書いてしまったし、年賀状も余分にないので、 今となっては、どうしようもないが、実はちょっと不安である。 「こんな娘」とは、もちろん自分をへりくだって書いたものだが、 それを義母がもらって 「まっ!この娘ったら可愛い!」と思ってくれるのは、 彼女の心の中にいる私が、できた嫁、つまり「こんな娘」でない場合である。 例えば、普段の私が彼女に良く思われてない場合、 その文言は一転して「シャレにならない」となる。 ともすれば「まったく反省のないおめでたいヤツ」という烙印まで 押されてしまうのは必死。 曲がりなりにも30うん年間生き、様々な経験を経て、 今ではいっぱしの大人の女性気分であるというのに、 「おめでたい」とだけは言われたくない。 私の年賀状が手元に届いたときの彼女の心はどんなふうに揺れるのか? 口から出るのは、 フフフ・・という笑みか? それとも、ハァ〜〜というため息か? 考えると少し身震いなどしてしまう私であった。 おしまい。 ... アゴ - 2002年12月22日(日) 先週の水曜日、急な日帰り出張で香川県は高松に行った 旦那が、お土産にと本場讃岐うどんを買って来たので、 本日の夕飯はそれにした。 本場の讃岐うどんを食べるのは、今日が初めて。 ゆでたての熱々をわざわざ何故か冷やしざるうどんにして つるつるとひと口、ふた口と食べ進めていくうちに、 私の頭には一つの疑問が浮かんだ。 それは、 もしかして、香川県の人達はものすごく顎の筋肉が発達 しているのではあるまいか!?というもの。 だって、ものすごいコシなのである。 シコシコといった食感を通り越し、びよ〜〜んびよ〜〜ん的だ。 今どきでは珍しい12分という長いゆで時間。 その時の流れはいったいなんだったのか? オーマイスパゲッティーが仏様のようではないか。 おまけに、一本一本が長い。 長いので、適当なところでかみ切らなければいけないのだが、 これがなかなかかみ切れない。 かみ切れないないので、そのまま口に入れ続ける。 そして頃合を見計らって一気に!といったことを何度か挑戦するも、 ふと、気がつけば口の中ではうどんがとぐろ状態である。 仕方なく、またちょっと口の外へ出してみたりして。 するする・・びよ〜〜んびよ〜〜ん・・するするびよ〜〜んびよ〜〜ん。 箸に抑えられたうどんがイタズラに口との間を伸びたり縮んだりする様は、 ちょっと前の漫才コンビ、ナポレオンのゴム芸コントを彷彿させるほどだ。 うどんの本場、香川県の人達にとって、それはここ関東より身近な 存在なのは間違いない。 だとすれば、この困難をもろともせず、楽しいうどんタイムを満喫 する為には、相当の顎の筋肉が要求されるハズなのだ。 さらに言うと、強靱な歯もこのうどんタイムには必要不可欠、 絶対の鋭利さが求められる。 きっと歯がとてつもなく丈夫に違いない。 で、60歳以上の男女における入れ歯人口も 少ないのではないか? どうでもいい疑問を自らに問いながら完食。 普段、ふやけたカップラーメンなどを食べている私の顎には、なんとも 刺激的な経験であった。 ハイ、ごちそうさまでした。 おしまい。 ... Happy Happy くりすますぅ - 2002年12月20日(金) イエスの誕生日も近いというのに、我が家にはそれを感じるさせるものが まるでないので、家にいるとクリスマスなんていう西洋行事があること をうっかりと忘れてしまいそうな私。 だからと言って 「ふん、クリスマス、クリスマスってチャラチャラしやがって、 ここは日本だぞ!」などとオヤジめいたことを呟くわけでもなく、 私自身がもともとイベントに興味があまりないヤツなのである。 旦那と知り合ってから私がクリスマスで盛り上がったのは、 つきあい始めたその年のみ。 私がその時、取り敢えず人並みの歓喜でイブをこなしてみたのは、 この程度やっとけば、彼女になったばかりの女としては無難に違いなく、 つかみはOK!であろうという気持ちが働いたことは否めない。 で、この妻にして旦那はどうかというと、これがまったくの正反対。 クリスマスにはツリーが家に飾られていないと嫌だという。 なので、毎年、毎年、この時期になるとすごく困る。 私の意識はもはや年越しそばに行っているのだから。 だが、2人で暮らしてる手前、まったくそんな彼の意向を無視するわけにも いかないので、最小の手間でクリスマス色を出すことに頭をひねったりする。 去年は、お隣りの玄関に飾られたリースに触発され、 わっかになってりゃいいんでしょ〜、とばかりに針金を丸く何重にもし、 そこに台所にあった唐辛子を木工用ボンドでくっつけた簡易リースを 作ってお隣りと同じように飾ってみた。 で、おととしは、友人からたまたまクリスマスカードが送られてきたので、 ”渡りに船”とばかりそれをテレビの上に目立つように飾り、 会社から旦那が帰ってくるなりジングルベルを歌ってあげ、 クリスマス気分をごり押し。 さてさて、そんな我が家の今年のクリスマスはというと、今年は誰からも カードも送られて来そうにもなく、針金も去年使っちゃったので、もうない。 お手上げである。 風呂上がりの旦那が吹く”赤鼻のトナカイ”の口笛が この家では空しい。 ついにクリスマス色のない年の到来か!?と思っていたら、 旦那が今日、友人が会社に送ってきてくれたと言って、スモークチキンを 2本、持って帰ってきた。 でっかいもも肉が真空パックされて箱の中。 「えっ?なんでくれたの?」と聞いて見ると、 「クリスマスだからって言ってた」と旦那。 とても、美味しそうで本当は今日にも食べてしまいたかったのだが、 これを平らげてしまうと、もう我が家にはクリスマスを感じさせる ものが無くなってしまうと判断し、ツバを飲み込んで思いとどまった。 とにかく、そののもも肉達はクリスマス気分を出すのには充分と見た。 旦那もすっかり寝入ってしまった今、私は 箱から出したこのモモ肉をどこに飾ろうか?と考えている。 やっぱ、テレビの上か・・・・・・。 おしまい。 ... 平和の国の子供達へ。 - 2002年12月19日(木) 皆さんはご存じだっただろうか? 子供達のお友達、あんぱんマンが当初はパンではなく、 人間だったということを。 そして、「恵まれない人々にパンを与える」という NGOの食料支援活動のようなことをしていたことを。 私は数日前、それを偶然テレビで知った。 テレビから流れくるビックリ仰天情報に、 あのあんパンがそんなボランティア活動 をしていたとは・・と、少し感動する。 が、その初代あんぱんマン、 殺伐とした世の中に、優しさをすべての人々に!の、 心温まるキャラなのに子供達にはどうも不評だったらしい。 そりゃ〜そうだろ。 ブラウン管に映し出された初代あんパンマンは、まさに5頭身のハゲオヤジ。 マントを肩からなびかせる本来なら雄姿、といったその姿は、 どう見ても、欽ちゃんの仮装大賞。 または、宴会でキレた部長。 子供が引いてしまうのも無理はない。 と、いうか幼子の可愛い心のひだに触れる要素が何もない。 作者のやなせたかしも、これには悩んだハズ。 生活の為、キャラコンセプトとデザインを変えた気持ちはよく分かる。 そんなこんなで、あんぱんマンは現在に至った。 やきそばパンマン、メロンパンナ、食パンマン等のパンキャラに加え、 こむすびマン、てんどんマン、ピーマントリオという食べ物なら何でも来い!の、 そこになんの秩序をも感じさせない食材キャラてんこ盛り状態で。 そう、彼は変わった。 お小遣いは月3万円、家でも会社にも居場所がなく、 娘にはおと〜さん臭い!なんて言われる先のないオヤジから、 夢と希望が満ちあふれ、正義に向かって友人達を助ける上昇志向のヒーローへと。 今となっては、子供達に大人気。 そこで、どうだろう。 子供達に、あんぱんマンがお馴染みになったところで、本来の NGO精神にお話のコンセプトを戻すというのは。 紛争があった国などに行って、地雷を撤去してあげるとか、 食料支援をするとか。 例えば、少し前から話題に上る北朝鮮。 せっかく食料支援をしても、末端の国民までにはそれが行き届いて ないという。 そんな時、あんぱんマンならひとっ飛び。 飛べるから、行動範囲に制約はない。 本来なら一番支援が必要な人々にだって、自由に届けられるのだ。 もっとも、その際には領空侵犯で打ち落とされないように気をつけて! 日本って平和だ。 いくら発泡酒に税金がかかっても、私事になるが、配偶者特別控除が廃止されて 再来年の生活がいっぱいいっぱいになろうとも、そして、将来年金が6割しか 支給されなくても、私達がこの日本で紛争や栄養失調や恐怖政治に おののくなんてことはない。 あんぱんマンを通じて世界を、いろんな国を、様々な現実を子供達に見せる。 そんな国もあるんだよ、なんて。 おしまい。 ... 人生讃歌 - 2002年12月18日(水) 深夜1時、妹との電話を切った途端、急にお腹が痛くなった。 決して、夕飯を食べ過ぎて下してしまったわけではない。 活発に活動し過ぎる腸のちょっとしたイタズラ・・。 だって、最近の私の腸はすこぶる元気がいい。 毎朝キチンと出る。 それは気持ち良いほどに。 例えばそれは、長かったり。 例えばそれは、太かったり。 色も○色だったり。 赤○色だったり。 長年、便秘がちだった私。 最近は起き抜けのトイレが楽しみである。 今日はどんなその表情を見せてくれるのかと。 生まれたばかりの彼らを見て、私は思う・・・。 生きてるってこういうこと。 人生って素晴らしい。 おしまい。 ... あの時のように・・。 - 2002年12月17日(火) 友人から「これ貰い物だけどぉ〜」と言われて ニンニク甘津漬けをもらった。 小粒のニンニクがらっきょのような透明感と、艶 を持って、袋の汁の中で泳いでいる。 なんて、美味しそうなのか。 長年、この手のニンニク物を控えていた私には、 とんだ誘惑であった。 ニンニク醤油漬け、たまり漬け、ニンニクのみそ漬け・・ 私がニンニク加工物を絶って、早20年近くになる。 それは学生時代、実家に帰省中に冷蔵庫にあったニンニク醤油漬けの瓶を うっかり見つけてしまったことから始まった。 そんなもの食ったこともなかった私であったが、意を決して、 恐る恐る口に入れてみると、あらビックリ。 もの凄く旨かったのであった。 そして、ニンニク達はどんどんするする口の中に入って行き、 ついにはその場で一瓶食い上げてしまった。 あっという間に平らげてしまった私に母は胃を悪くすると 非常に心配したようだったが、 私はと言えば 「ニンニクは健康食品だから元気になれこそすれ、 体を悪くする事などまったくない!」 と思っていたので、胃がもたれるどころか、逆に自分がワンダーウーマンに でもなったように、力がむくむくとわき出る感さえあった。 だが、翌日、私は自分の顔を見て驚いた。 顔中に無数の赤い小さい吹き出物ができていたからであった。 明らかに「内蔵悪いぞ!」と鏡の中に自分は言っている。 もともと、肌は綺麗でもなんでもないが、その多さがちょっと化け物。 それ以来、ニンニク加工物=化け物の素、というイメージは拭い切れない。 が、友人からニンニクを貰って、私はもう一度それを口にすることを決意 した。 家に帰って早速夕飯のお供としていただく。 あの時と同じように、初めは恐る恐る慎重にニンニクを口に運び、そしてカリっと 噛んでみる。 初めに甘酢の香りが舌から鼻へスワ〜〜っと抜け、後からニンニク独特の味が 口の中に広がった。 美味しい。 もっと美味しくなりたいと思った私の手があれよあれよと言う間に 口の中にニンニク達を運んでゆく。 面白いようにするすると口の中に吸い込まれてゆくニンニク達。 ハッと気付くと、早くも半分が無くなっていた。 あの時の二の舞になるところであった。 いけない。ニンニクの食い過ぎは、化け物への第一歩。 しかし、頭をよぎる悪魔の声。 「おいしいならもっと食ったらいいのに〜」 残り半分は、これから少しづつ食べようと思いつつ。 目がニンニクから離れない。 そう、あの時のように・・・・・。 おしまい。 ... いで姿! - 2002年12月14日(土) 冬真っ盛りである。 東京にも雪が降り、各地から体感温度をぐっと下げる雪の映像が お茶の間に届くここ最近。 この寒さだというのに、うちの旦那の”常夏男”ぶりは止むことがない。 彼は大変な暑がりなのか、家に居るときはほぼ裸同然。 会社から家に帰って来ると、まるで、仕事の重圧という重いよろいを 脱いでゆくかのように、背広を脱ぎ、ズボンを脱ぎ、Yシャツを脱ぎ、 靴下を脱ぎ、あっという間にブリーフ一枚の姿に変わる。 それは、まるで井出らっきょ。 私はお笑いと結婚した覚えはない。 通常の冬であれば、それはそれでいい。 だが、今年は例年よりも早く冬将軍がやって来てるのである。 日頃お疲れで体力が弱っている彼のこと。 このままでは、風邪を引いてしまうではないか。 なので、ついにおととい、私は意を決し肉体をさらけ出し過ぎる彼に 注意を促したのであった。 トレーナー着ろ!何でもいいから履け!靴下も!といつにない妻らしさで、 あれやこれやと言ってみる。 だが、井出らっきょは私の暖かい助言にぴくりとも反応しない。 それどころか、「うるさいなぁ〜」と子供のようにむくれたりする。 ナニ?うるさいなぁ〜・・だと・・・・? 心配している者に向かって、なんと失礼な言葉であろうか。 だいたい夫婦というのは、籍が同じところにあるというだけで、 親、兄弟のように血が繋がっているわけではない。 言ってみれば旦那は他人である。 その他人の体のことを、まるで自分のことのように考えてくれる人なんて、 ハッキリ言って私という妻ぐらいだ。 言って貰ってありがとう!と感謝されこそすれ、うるさい!と言われる 筋合いのないことは明らか。 試しに、手当たり次第に歩いてる人達を捕まえ、 「すみませんが私のことを、あなた心配してくれていますでしょ〜か?」 と聞いてみたらいい。 たぶんそのすべての人に「いいえ、心配してませんよ」 と言われることだろう。 人によっては、意表をついた質問に不気味がり、逃げてしまうに違いない。 その時初めて旦那は私の、妻のありがたみが分かるのだ。 そして今日、相変わらずの井出らっきょな旦那に、そんな私なりの理論を ぶつけてみた。 すると彼は言うのだった。 「ふ〜〜ん。でも、道を歩いてる他人にそう聞いて、ええ、、心配してますよ!と か、そこそこ気にかけてます!なんて言われるかもしんないじゃん!」と。 「エッ?マジで?」 驚きのあまり半ばのけ反りそうになる私に彼の ダメ押しの一言。 「間違いない!!」 う〜〜ん・・・・・・・・・・。 そこまで反論するなら仕方がない。 いつまでも井出姿でいろ。 おしまい。 ... 未来へ。 - 2002年12月13日(金) 「ごちそうさま〜」 私はそう言ってゆっくりと箸を置いた。 げ〜〜ぷ・・・。もう、大満足、大満腹であった。 お腹の中にはすでにずっしりエビが収まっている。 時は今日の午後一時、そう、私は昨日予告したように あの有頭エビフライ定食を無事、食べる終わることができたのだ。 思えば今日の私の寝起きは、いつになくすがすがしいものがあった。 日頃の「何しよっかなぁ〜」なんていうダラけた目覚めではない。 目的がハッキリしていることの素晴らしさ。 カーテンから漏れる日差しが心地良いぞ。 「絶対食う・・・」心にむくむくと沸き上がる熱い闘志。 いそいそと仕度をし、友人との待ち合わせの場所へ向かうべく、 マンションを後にする。 今日は快晴! 各世帯のベランダに干してある洗濯物や、布団がひらひらパタパタと 青い風に揺れている。 それはあたかも「いってらっしゃい!頑張って!」と私を激励してくれている かのようだ。 約束の時間は11時半。 気持ちが前へ前へと行ってしまっていたのか、早めの11時25分に 待ち合わせの某駅に着いた私。 だが、そこにはすでに友人が待っていた。 ・・・・エビによせる想いは、彼女も同じなのだろう・・。 挨拶もそこそこに、早速現場の店へ行くと、早くもそこには、 客と思われる主婦のグループが6人、外に出してあるメニューの看板の前で、 お喋りをしているのであった。 やはり・・・そうだったのか・・30分前から人が集まるほど、 この店は大人気店なのだ。 そう考えると、その主婦達がみんなエビ目当てに来てるような気がしてならない。 エビを取られてなるものか!私達はそんな彼女達の脇を通り過ぎ、 ズカズカと勇ましく店へと入って行った。 するとどうだ。店内がやけにし〜〜んとしているではないか。 あれ?っと思った瞬間店の奥から店員が出て来て 「あらら〜〜、、まだなんですよ〜」と苦笑い。 慌てて外に出ると、確かに「営業中」の看板が「気合い入れて準備中!」なんて、 ふざけたメッセージになっている。 う〜〜ん、、、なんて勇み足な私達。 彼女らと私達の計8人で開店を待つ。 たちまち店は”小さい行列のできる店”。 細い路地、その光景は目を引くらしいのか、 待ってる間にも、60ぐらいのオヤジやら、2人組の若い女性などが 立ち止まってどれどれと看板を眺めて行く。 思わず、ガンを飛ばすところであった。 だってライバルが増えてしまう。ひとたびメニューの写真を見れば、 その迫力からみんなエビ定食を選ぶに違いないからだ。 私は彼らがメニューを見てゆくたび、オヤジに対しては、 「もう歳なんだから、脂っこいものはやめておけ!」 女性に対しては 「彼氏はいるのか?クリスマスも近い!太るからやめておけ!」などと心の中で つい、助言をしてしまうのであった。 そして、待つこと10分。ようやく店が開き、席に通された私達は、 店員が差し出してくれたメニューを見るまでもなく、ハッキリと エビフライ定食を注文。 少し待って出てきた膳には、イカリング2個に牡蠣フライ一個を まるで家来のように従わせ、ぐお〜〜んとふんぞり返っている有頭エビの雄姿。 お久しぶり・・。 「良かったね〜〜」 「あ〜良かった」などと、友人と2人、お互いうれしさが口を突いて出る。 ふふ。こうして、私達はようやくリベンジを果たしたのであった。 人生は一度っきり。 日々後悔があってはならない。 やり残したことはやっとかないと。 そして、未来へと進むのだ。 「良かったね〜〜!これで、年が無事越せるね〜」 友人が笑って言う。 んっ!?・・年越し・・?・・・あっ蕎麦・・・。 セットのコーヒーをすすりながら、私の頭の中は年越しそばで いっぱいになり始めていた。 そう、未来へ、未来へと。 おしまい。 ... リベンジ。 - 2002年12月12日(木) 私は今日、エビを食べに行く。 エビとは、有頭エビフライのこと。 そう、それは約一ヶ月前、この日記でも報告したように、 友人と共にした昼食に於いて、食い損ねて悔しい思いをした ぐわあ〜〜んとした全長16�僂砲盖擇屬△離┘咼侫薀い任△襦� もうすぐ、今年も終わり。 が、今の私は、 これを食べずにして終われない! 年越しそばもおいしくつるるっといただけない! ぐらいの気持ちなのである。 振り返ってみれば、あの時の敗因はいつにない私の読みの甘さに あったように思う。 食べに行った場所は都心ではないので、エビフライ用のエビが 無くなってしまうほど昼時にそんな客はたくさん来ないだろうという甘さだ。 会社に勤めていた頃は、フライングしてでもお目当てのものを 食べていたというのに・・。 主婦になり、競争とはかけ離れた生活をしている私。 鈍感になってしまったとしか言いようがない。 そして、もう一つの読みの甘さは「日本人はエビ好きだ!」ということに ピンときていなかったことだ。 よくよく考えれば、日本人の年間エビ消費量は日本一〜〜〜! その9割を海外からの輸入に頼ってまで、エビを食いたがる民族ではないか。 その人気ぶりを主婦である私は、当然気がついておくべきであったのに・・。 だって、スーパーでのエビの値段はいつまでたっても下がらない。 日本に入ってくる先から、老いも若きもばくばく食っちゃうもんだから、 需要と供給の関係上、いつまでたってもその値段は安くならないってわけだ。 う〜〜ん、、これでは、主婦という立場から結局は 何も学んでないということじゃん。 そのエビ事件があった後、しばらくしてあの時一緒だった友人から、 「エビが終わってしまいましたので、代わりにイカリングになりますって 店員が言ったとき、やめて違う定食にするのかと思った〜」と、 弱腰だった私自身の姿勢をも指摘されてしまった私。 私にもう、妥協はない。 エビじゃなきゃダメだ。 食べるのだ。 待ち合わせの時間も前回より30分早い11時半にした。 待ちに待ったリベンジの時、それはあと11時間後である。 おしまい。 ... 恋。 - 2002年12月11日(水) 神保町に本を見に行った帰り、洗濯屋のおばちゃんのところに 寄った。 出していたセーターやら旦那のスーツが今日上がることになっていたのだ。 寒さの中、凍死の危険を顧みず頑張って洗濯屋までチャリを漕ぎ、 かじかんだ手でがらがら〜とドアを開ける。 中に入った私を、カウンターで伝票の整理をしていたおばちゃんは、 はち切れんばかりの笑顔と「いらっしゃ〜〜い」という桂三枝なんか比じゃない 高いテンションでお出迎えしてくれるのであった。 そして、私が改めて「今晩は〜」と挨拶をしようとすると、 それをさえぎるかのようにぐふぐふぐふ〜と笑った後、 「旦那さんこの前きてくれたのよ〜。あっ、その時のヤツでしょ〜、、 できてるわよ〜」 と言い、またぐふふふふ〜とうれしそう。 うちの旦那はどういうわけか、洗濯屋のおばちゃんにウケがいい。 彼女はあのゴリラのような顔を格好いいと言って、私を唖然とさせたかと思えば、 「朝、ここに来る時旦那さん見かけちゃった〜。でも気がついて もらえなかったぁ〜〜ん・・キャッ!」なんて肩をすぼませ、 なんて返答していいものやら・・と、私を困らせたりする。 ぐふふふふ〜、、ぐふふふふ〜、、とその後もおばちゃんの笑いは 止むことがない。 それはどことなく、はにかんだような、または恥ずかしげでもある。 まるで、上級生に淡い恋心を抱いている女子高生。 どうやら、私の旦那は洗濯屋のおばちゃんに恥じらわれているらしい。 洗濯物はなかなか最後のセーター一枚が見つからないのであった。 が、背の低い小柄なおばちゃんが山のような洗濯物と格闘して、 その影に隠れてしまっていても、声だけは「もご、、もご、、ぐふふふふ〜」 と聞こえてくる。 セータ5枚とスーツ一着をようやく揃え、カウンターで袋に入れる作業を しながらおばちゃんが言う。 「ホントに偉いわ〜、、旦那さん、ぐふふ・・。うちのなんか洗濯物出してきて っていうといやがるのよ〜〜、、ぐふふふ〜〜」 「いや、洗濯物ぐらい、その時に手の空いてる方が出すのは当たり前です! 私も何かと忙しいんで!」 なんてキッパリ言おうかと思ったのだが、彼女を包んでいるほんわかした雰囲気を 壊すのも悪いと思い「そうなんですよ〜、助かります〜〜」と私。 それを聞いて偉いわ〜〜、偉いわ〜〜とおばちゃんのピカチュウに似た顔が さらにでれでれする。 そして最後、帰ろうとする私に彼女がダメ押し。 「だ、旦那さんによ、よろしく・・・・ね。」 びみょーな響きであった。声を弾ませたいのに、敢えて抑えた といった感じであった。 ふと見るとその顔は心なしかピンク色に。 私は気がついていた。 あの様子はもはや”気に入ってる”というレベルではない、ということを。 それは・・・・・・・恋。 恋なのだ。彼女は恋をしているかも。私の旦那に。 帰り道、自転車を漕ぎながら彼女の表情を思い浮かべて考える。 私はここ最近、あんなふうに旦那に対してウキウキドキドキ したことがあっただろうか・・?と。 または、偉い!なんて言ってあげたことがあっただろうかと。 洗濯物だけではない。 何かといっては手伝わせ「アッタリ前じゃ〜〜ん」と それを疑いもしない私。 かたや、洗濯物を出しに行っただけで、あんなに誉めてくれるおばちゃん。 「人は誉めて育てろ!」とどっかの教育者も言っていた。 あのノーベル賞を貰った田中さんだって記者に質問された時に 「誉められるってことは励みになります」と言っていた。 もしかして、毎日仕事で疲れている旦那にとっては、私より 彼女の方が伴侶としては適任者ではないのか? その方が出世できるのではないのか? 私は今より旦那のお給料が上がって、シュークリームを百個一度に買って もらうまでは、別れないと決めている。 さらにそのまま一緒にいて、あわよくば看取って欲しいとまで考えている。 「身を引くわけにはいかないね〜だ」 そうポツリと思ってみるのであった。 おしまい。 ... 老人と私。かけがえのない・・編 - 2002年12月10日(火) 11月の末からひょんなことでインターネットの指導員を 週3日間やることになった私。 「急に人が辞めちゃったんで、一ヶ月間だけなんですが やっていただけますかぁ〜?」と、この地域でインターネットスポットを 運営しているある所から言われ、ホイホイと引き受けたのであった。 仕事の内容は、パソコンが10台ほど置いてあるインターネットスポットと 呼ばれるスペースに、マウスを今だねずみのことだと思っている パソコンができない人や、Yahooを「ヤッホー!」というかけ声の一種かと 勘違いしているようなお年寄りが来た時、丁寧に教えてあげるというもの。 まあ、”インターネット指導員”というより、 ”パソコンよろず相談員”といった感じだ。 その話を聞いたとき、私の気持ちは高鳴った。 飛び上がらんばかりであった。 「これで、この地域でお喋り友達ができるやも・・。」と。 しつこいようだが、私はここら辺では洗濯屋のおばちゃんしか知り合いがいない。 あとは、隣りのコンビニの「ねずみ男ふう」なオヤジが顔見知りという ぐらいである。 隣りの奥さんとは「どのくらい挨拶をせず黙っていられるか?」という 沈黙耐久レースを、一階からエレベーターを経て部屋のあるこの6階まで してしまい、お互い口を閉じ続けたまま結局ドローだったという経緯がある。 子供もいないので、近所の同年代の女の方々と友達になるわけにもいかない。 いや、もし子供がいて口を何回かきいてもらったとしても、 キッパリとした性格で旦那からさえも「一刀両断女」と揶揄される私を、 誰もママさんの輪に入れてくれないのは明らかだろう。 この際、私に残されたターゲットは人生経験の豊富なお年寄りの 皆さんしかいない。 そんな皆さんであれば、多少のことを私が言ってのけたとしても、 「う〜〜ん、勢いのある良い若者じゃて」ですむだろうし、 わがままを通しても、 「そのうち分かる時が来るんじゃて。見守ってあげましょうぞ」 なんて、大きな気持ちで私を包んでくれるに違いない。 これはいい! かけがえのない友人ができるかも。 つまりそこで教えるということは、私の人間関係の輪をぐっと広げること、 強いては今後の私の”生き生き地域生活”を決定づけるものといっても 過言ではない。 あわよくば、「先生、今度うちに遊びにきてくださいなぁ〜」と誘われて遊びに 行ったついでに、ご自慢のぬか漬けとか貰えるかもしれない。 キュウリがいい・・・・。 夢は膨らむばかりであった。 ウキウキとした気持ちを持って望んだ指導員。 が、やり始めるてみると私の思惑は呆気なく水泡に帰した。 だって、初心者なんてぜんぜん来ない。 来るのは、キーボードを何かに取り付かれたように乱れ打ちする上級者ばかり。 しかも、自分の部屋感覚で4時間や7時間平気でアニメサイトを見るような オタク系も多い。 お年寄りも来るには来るが、私だってやったことのないYahooのオンライン ショッピングなんかしたりする。 チッ!と思っていたそんな私に、先日、ついにお年寄りからお声がかかった。 それは「このパソコン遅いんですけど」という苦情。 言ってきたのは、70歳ぐらいのおじいさん。 見たいサイトのページがなかなか出てこないというのだ。 「そんなこと言われても、そういうこともあるさ」なんて思ってみるも 何もしないわけにはいかないので、取り敢えず隣りのパソコンに移ってもらって、 遅い原因を探ってみる。 う〜〜ん、、、ちっとも分からないのであった。 しかし、人には聞けない。なんたって私は指導員だから。 指導はしても、されてはいけない。 教える立場のくせにその場にいる誰よりパソコンの前で固まってしまった私。 その私をさっきからチラチラと見るおじいさん。 彼の視線を左半身で感じつつ、尚もパソコンの前で地蔵化していると、 そのおじいさんは私にポツリと声をかけるのだった。 「私が見てあげましょうか?」と。 私ったらなんて情けない。 記念すべき初めてのお年寄りとの接触、 それはかけがえのない友人を作ることが、キュウリのぬか漬けを貰うことが、 いかに困難かということを私に教えるものであった。 おしまい。 ... めんどくさい。 - 2002年12月08日(日) 金曜日の午後、3時半すぎに家を出て池袋に向かった。 30分しか移動していないというのに、駅に着いて喫茶店の前を通りかかったら、 すっかり山の一つや二つ登ったような疲れを感じ、吸い込まれるように店に入り コーヒーを注文。一杯飲んで、タバコを2本ほど吸って出るつもりが、 前日に妹から借りた本なんかを開いたら、その面白さにハマってしまい、 気がつくとあっという間に一時間が経っていて、 「あれ?今日の私って、池袋に茶をしに来たんだっけ?」などと、 思わず自分の目的を忘れてしまうところであった。 ふ〜〜、危ない、危ない。 そう、私には目的があった。それは、買い物。 大根やトイレットペーパーを買うのではない。 この寒さの中、ショーウインドーに映った自分の姿で、 心まで凍えてしまわないように、女をぐっともり立てる品を買うのである。 食料品や日用品ではない物品を買うのは約4ヶ月ぶり。 なんたって最近の私は益々、剥がれる美のかけらもないほど女が枯渇している。 化粧水がきれて2週間以上。 肌は細かくヒビが入らんばかりに乾燥した「ワニ肌」。 パンツの下に履く靴下は古くずるずるになって「バアサン使用」。 セーターは毎日同じヤツで、このままでいくと「臭いぷんぷん娘」。 おまけに外に出る時に私が羽織るものといえば、5年前に買った ボロボロに朽ち果てた薄い皮のジャケット一枚で、 寒々としたその姿はまるで「マッチ売りの熟女」。 状況は切迫している。それで、ようやく重い腰を上げたわけである。 本当は、売り場を見て回り、あれやこれやと考えて買うのも面倒臭い人なのだ。 もっと読みたいという気持ちを抑えつつ、妹の本を閉じ、 ようやく近くの西武百貨店へ。 まずは化粧品を買う。 カウンターに行って、店員が「何をお探しですか?」なんて 聞くか聞かないかのうちに、 「化粧水ください!この肌がすぐ、すぐに直るヤツください!」と押しまくり。 自分からあーだこーだと質問するのもたるいので、 進められるままに化粧水と乳液を決めると、店員がアイシャドーを紹介し始めた。 「あっ、それもください。もうめったに来ないんで。」 即決であった。 商品を見せられ、悩んで後から買いに来るなんて、めんど臭くて到底できない。 私の素早いジャッジに煙に巻かれた顔をする店員。そんな彼女に 「じゃ!」とキッパリと別れを告げ、途中靴下を買い、 次に向かった先は婦人服売り場。 一番初めに見た店でこれまたあっさりとコートを買う。 いよいよ残るはセーター。 だが、めんどくさいので、 「このフロアーにはこことあそこの2つしか店がない!」 と自分に言い聞かせ、向かいの店で買うことにした。 ここまで、小一時間。ショッピングなんて言葉とはほど遠い。 あくまで、手際の良さが信条である。 店の人が見せてくれたVネックのリブ編みセーターを買う。 「お客様たくさんお買い物なされたんですね〜」と品物を包みながら店員。 たくさんに見えるのは、かさばるコートがあったからだが、 「ええ、買い物がめんどくさいので、まとめて買いました」とすっぱりの私。 すると、彼女は少し驚いたように目を丸くして 「はあ〜・・そうですか」なんて呟いた。 それは、まるで 「接客態度がバツグンだったから、このセーターを買ったのではなく、 単にとっとと買い物を済ませたかっただけにすぎなかった」という私の 気持ちに気がつき、ショックは隠せない、というようであった。 私は紙の手提げ3つを1つにまとめてもらい、そこでも「じゃっ!」 と言い残し、すたすたとその店を後にした。 百貨店の外に出ると、家を出る前に考えていた買いたい項目を 余すところなく買ったのにも関わらず、気持ちがどこかもやついた。 「めんどくさいから」という気持ちが全面に出たお買い物。 それは、果たして女の買い物の仕方としてはありだろうか? 女をもり立てるためには、まずそんなところから直すのが先なのでは ないか?と、電車に揺られながらぼんやり思うのだった。 おしまい。 ... 笑み。 - 2002年12月06日(金) 世の中何が怖いって、電車の中で本を座りながら読んでいて、 ふとした拍子に顔を上げた時、自分の向かいに座っている人が意味もなく一人、 笑みを浮かべている状況に遭遇することである。 今日の私がそうであった。 夜、11時過ぎのJR中央線。 その数十分前に別れた妹から借りた本から目を離し、 何の気なしに顔を上げた瞬間、向かいに座っていた男の人が 背筋を伸ばした正しい姿勢で、どこを見つめるわけでもなく、 ほくそ笑んでいたのである。 いったい何が彼をそこまでハッピーにさせているのか? ちなみに彼の目線の先にあるのは、自分の顔が映っているであろうと 思われる向かいの窓のガラスだけである。 彼は格好いいのであった。 年の頃は40歳ぐらいか。 顔は唐沢寿明と小田切ジョーを足して2で割ったような顔。 白っぽいベージュのチノパンに、黒のピーコートを着込んだその姿、 軽く後ろに流したナチュラルヘア〜は、明らかに業界人といったふうで、 洗練された大人の男といった感じ。 私は「な、何も見てやしません、、、」という素振りで、 再び開いたままの本に目をやったが、頭の中にあるのは その笑みのことだけである。 まさか、窓に映し出された自分の容貌を見て、 思わず口角がひょいっと上がったのでは? それとも、これから若い愛人とランデブーか? いやいや、どんな理由があるにせよ中年男の”一人笑み”、 それはかなり不気味度高し。 だからやっぱり思ってしまう・・。 ニヤリと笑ってさえいなければ・・笑ってさえいなければ・・・・と。 そして、本を見つめること10分。 怖いからもう見ないことにしようと、自分に言い聞かせていたのにも関わらず、 私はまた顔を上げてしまった。 今度はいったいどんな顔なのかと思って。 より、”笑み度”が増していたらどうしようかと思って。 すると意外や意外、彼は怒っていたのであった。 またもや背筋をまっすぐ伸ばした正しい姿勢で。 しっかと正面を見据えながら。 今度は怒っている・・怒っている・・・。 いったい何に?・・・何に・・・? 私は三たび本に目をやった。 次に顔を上げた時は泣いてるんじゃあるまいな?と思いながら・・・・。 おしまい。 ... 「白」の考察。 - 2002年12月05日(木) 私は小さい頃、ほとんどといって良いほど童話を読まない子供であった。 読んだ数が少ないから、それなりに印象に残っている本はあって、 そのうちの一つが「くまのプーさん」。 何故、プーさんかというと、さして起承転結のハッキリしない ビックリするぐらい眠たい本だったからである。 今読めば、違ったのかもしれないが、当時の私がその本から得たものといえば、 「熊の大好物は蜂蜜」ということだけであった。 それでも、かろうじて読み進むことができたのは、 途中チラチラとあった小ジャレた挿し絵のおかげだろう。 その絵は内容の意味を楽しく深める役割というよりは、ダラダラとあくびを堪えて 読む私にあって、気合いを入れ直すためのリゲイン。 または受験勉強の時、睡魔と戦うために瞼に塗ったトクホンのような 意味合いを持つものであった。 その挿し絵のおかげかなんかは分かんないが、私はプーさんが嫌いではない。 プーグッズを部屋に飾るなんてことはもちろんしないが、 遠巻きにではあるが結構可愛く思っているのだ。 「話を憎んで、熊を憎まず」。 なんて寛大な私・・自分の人間としての器の大きさを実感せざるおえない。 そして昨日、そんなプーに寛大な私をビックリさせる出来事があった。 知り合いの所から帰る途中、とある駅ビルに寄った時のこと。 「今夜は唐揚げ・・唐揚げ食いたい・・」とそればっかり考えて、 家で作るか、買って帰るかで迷いながら歩いていると、 急に聞こえてきた黄色い声。 「キャ〜!見てこのプーさんすっごく可愛い〜〜」 目をやったその先には、ショーウインドウにバッタかカエルかといわんばかりに 張り付いた若い女の子達が2人。 そしてショーウインドウの中には、 ちょっとやそっと抱えられないぐらいでかいプーさんが座っていた。 プーさんは全身真っ白なのであった。 目の玉だけは、黒かったが、あとは全身真っ白。 あの栗カボチャ色の黄色い胴体と顔が真っ白。 そして、還暦祝いのような赤いおべべの変わりが青い服。 形は確かに普通のプーさん。 だが、彼は私の知っている元気なほのぼのプーさんではない。 非常に病弱な感じに見える。色白すぎて。 しかも悪いことに、着ている青い服がその顔を一層白く感じさせ、 具合が悪そうというよりは、雪の中から発見された凍死した熊のような 気さえするのである。 私は前にも、本人の意思とは関係なく、真っ白にされてしまったお馴染みキャラを 見たことがある。 それは、ミッキーマウスとその恋人のミニーちゃん。 友人が浦安のディズニーランドから買ってきたと言って 自慢げに見せてくれたのであったが、彼らは目の玉まで白かったものだから、 こちらは病弱というよりは、もはや黄泉の国に行ってしまった人達のように 不気味であった。 何故、白かったという肝心の理由は忘れたが、友人の前で何とコメントしていいか 困ったのであった。 「この犯人は白だ!」とか「色の白いは七難隠す」だとか”白い”という ことには、とかく良いイメージが付きまといがち。 清廉潔白なんて言葉もある。 おまけに今はどこもかしこもクリスマス気分真っ盛り。 ”ホワイトクリスマス”なんて言われるように、 この時期”白い”ということには、ロマンチックなイメージさえある。 あのプーサンを企画した人は、きっとそこら辺を狙ったに違いない。 若い女の子も可愛いってツボにハマっていたし。 が、どう見ても私には精気を吸い取られたような熊。 「入院中だったけど、クリスマス商戦のため、僕頑張ってマス・・」的に 弱々しくショーウインドーに座ってたあのプーさんを思い出しながら、 「白いというイメージに甘えて、なんでもかんでも白くしてはいけない。」と、 深々と考えさせられる私なのだった。 おしまい。 ... 印象。 - 2002年12月03日(火) 髪は女の命。よって女の印象はある程度 その髪型で左右される部分があ〜〜る。 例えば、藤原紀香がいくら綺麗だとしても、 ちょんまげスタイルであったなら、とても日本の代表的な女優という立場で、 韓国に親善大使として行くことなんてあり得なかったワケだ。 最近、めっきり女としての印象がかすれてきた私。 そこで、今までの自分から脱却し、どうあがいても 上がらない女を少しでも持ち上げるべく今日美容院に行ってきた。 美容院・・・私の生活語録からその言葉が失われて久しい。 なんたって、8ヶ月ぶりである。 8ヶ月前には肩より若干長かっただけの髪。 それがぐんぐん伸びてゆくにも関わらず、 「縛れば毛先の痛みもまとまりの無さも関係ないね!」と持ち前の 山男ふう無精さで今まで乗り切って来た。 鏡に映る私は、髪を下ろしていれば村人を食ってしまうヤマンバ。 ひっつめの一つ結びにしていれば、その姿はウメばあさん。 ・・・どう転んでもお年寄り。 最近では、そのバアサン加減にヘアカラーの落ちた白髪交じりの髪 が、一層拍車をかける有様。 今年ももう終わり。あと一ヶ月で新年。 ゲッ!大変なことである。 新しい年の門出を辛気くさい姿で迎えるなんて、 ただでさえ幸薄いのに、一年間のお先真っ暗さをスタートそうそう 自分が招くようで、怖い気さえするではないか! カット代は5800円。今の私には安くはないが、明るく新年のスタート をきるためだ、しょうがない。 地下鉄に揺られること40分。大使館勤めの外国人が多く住む ことで有名な、とあるおしゃれな街に私の行く美容院はある。 今日の私の決意には、並々ならぬものがあった。 8ヶ月ぶりに切るのだ。しかも5800円がかかってる。 希望の髪型は手に抱えられた雑誌の中に、すでにしっかとマークされていた。 サラバ!バアサアン! コンニチハ!まだ見ぬ格好いい私! 美容室の椅子に座り、持参した雑誌を開いてこんな感じ、あんな感じと 注文を出す。 しかし、担当の男の美容師は私がマークした髪型には、どれに対しても なかなか首を縦に振らないのであった。 それでは、雑誌まで買って事前チェックした意味がない。 彼の反応を気にしながら一生懸命説明する私。 プロとしての自負心から、それはど〜かな〜というばかりの美容師。 バトルをすること20分。 話を行きつ戻りつしているうち、なんだか頭がこんがらがってしまい、 そのうちなにがなんだか自分の言いたいことも分からなくなり、 とうとう私は「お任せする」と言ったのであった。 そして40分後、作業は終わった。 彼は私の説明のほとんどを聞いていなかったハズなのに、 何故か言葉の端々に私が言った「今ふうの感じで!」というところだけは、 受け止めていたようで、鏡に映ったそのスタイルは、 裾の当たりにシャギーを入れた肩までのセミロングスタイル。 トップにボリューム感があり、先に行くに従って入れたシャギーのおかげで 先細って行くスタイルは、確かに今っぽい。 そう、そのシルエットを表現するなら、タコ。 または、らっきょ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・? 私は、バアサンから食べ物を連想させる女へと変わっただけであった。 ・・これからもよろしく。 おしまい。 ... 遺伝子。 - 2002年12月02日(月) 遺伝子。 日曜日、夜9時にやってる「今だT○Sはこういうのを制作するかい!?」的 ドラマ”おとうさん”。 田村正和演じるやもめの父親と飯島直子、中谷美紀、広末凉子、 深キョンといった4人娘達が織りなす日々の物語である。 私自身、この手のホームドラマはあまり見ない。 だからそれも、もちろん番組コマーシャルでチラリと見るとか、 チャンネルを変える途中でかする程度でしかないわけだが、 その映像が目に飛び込んで来るたんびに、私はまか不思議な気持ちを 抑えきれない。 父役である田村正和が、本来持ってるイメージを一つも崩すことなく 役作りなしのアンニュイな雰囲気と長髪で、いち蕎麦屋のオヤジを堂々 とやってのけていることもかなりの疑問だが、それ以上に私の気持ちに 引っかかるのはあの娘4人である。 フィクションだから、どんなに作ったっていいさ。 だけどあり得ない。 4人姉妹のどいつをとっても、美人揃い・・。 それぞれが、年相応の魅力を持っている女達・・・なんて。 これでは、ドラマということにあぐらをかきすぎているとしか 言いようがない。 普通、姉妹や兄弟の中には、 「他のヤツには入れたけど、おまえには良い遺伝子を注入し忘れた、、すまん!」 みたいな、両親が謝っても謝りきれない子供が一人はできるもんだ。 それが、4人ともあんな乙姫様みたいな美しさ。 遺伝子を入れ忘れられて、悔しい思いをした私には、到底理解 しがたい事実! そう、私の素が母の中にできる瞬間、もうちょっと父親が頑張って自分を主張 くれたら・・?と、私は思わざるおえない。 若い時分、そこそこいい男だったという父親のでかい目の 遺伝子さえ入ってくれたら、私にはもうちょっと違う 人生が待っていたかもしれないのだ。 目の所だけで良かった。目の所だけで・・・・・。 サテ、ドラマでは仏壇かなんかに亡くなった母親の写真が映る こともあったのかもしれない。 10分も見続けたことがないので、当然のことながら それがどんな顔なのかわからない。 が、あれだけの容姿を持つ娘を4人この世に送り出すとなると、 お母さんは余程強力な「美人遺伝子」を持ったヤツだということになる。 強力な・・・・・ 楊貴妃が先祖か? ん?小野小町か? ・・・・・・・・・? そうか!・・それならあの娘達が美人揃なのも仕方ない・・。 最終回を迎えるまでに、なんとか自分の気持ちに折り合いを つけようと思うのだった。 おしまい。 ... 離れてゆく2人・・。 - 2002年12月01日(日) 高校時代の友人が新潟からやって来た。 中学の同窓会が東京であるらしい。 同窓会は土曜日に六本木で、というので金曜日、 我が家に一泊したのだった。 新潟人といえば、酒。 なので友人と2人、もうやることは決まってる。 到底おもてなしメニューとは言えないシチューと、スーパーで 買った総菜味バリバリの骨付きガーリックチキンをつまみにしながら、 夜の9時から酒盛りのスタート。 始めはビール一本ずつ、そして友人が土産に持ってきてくれた ワイン、ボジョレーヌーボで杯を重ねる。 そして、我が家手持ちのボジョレーを経て、気がつけばビール2缶、 ボジョレー2本、そして焼酎をボトル半分を飲み干すいい気分の 三十路女が東京の星の下に2人。 結局、打ち止めとなったのは午前3時であった。 その後、友人が「シャワーは朝でいい」というので、私は風呂に入ることに。 下着といつもの”源さんセット”であるスパッツとセーターを持ち 半正体なくし気味に脱衣所へ。 私は友人が来る直前まで、 「今日だけは源さんスタイルはやめとこう。いや、そうするべきだ」 と心に決めていた。 いくら仲が良くても、家族でない人にその姿を見せるのはど〜だろう?なんて 私らしくもなく、しおらしい考えが頭をよぎったのだ。 それは、 「今日はちょっとぐらい寒くてもパジャマ・・パジャマ・・パジャマ・・」 と油断しないように、昼間自分に言い聞かすことを繰り返すほどの 意気込みであった。 しかし、「酒が人をダメにする!」とは世間一般良く言った! そんな私の考えも大量の酒ですっかりどこかへ吹き飛んで行ってしまい、 躊躇いもなくいつものテヤンデェ〜スタイルに変身。 風呂から上がってきた私を見た友人も、それが当たり前じゃんと言わんばかりに、 「あ〜、それが例の源さんスタイルね〜。」などとサラリと言い放つ始末。 私もそうそうと交わしたものの、いつのまにかおやすみスタイルに着替えていた 彼女の姿をマジマジと見て、次の瞬間言葉を失った。 いや、普通のパジャマだったのだが、それはネル素材で黒地にミッキー マウスがプリントされた可愛らしいパジャマ。 兄夫婦のプレゼントらしい。 もともと、彼女は若く見える。だからミッキーが自然にいい感じだ。 リビングで向かい会う全身タイツ下半身版の私とミッキー姿の彼女。 威勢のいい源さんと、可憐な女。 私と彼女はもちろん同い年。 高校では同じ制服に身をつつみ、放課後は良く遊んだ。 洋服の趣味もそんなに違わなかったハズ。 いつから、そして何が2人を引き離したのか? この先、どこまで離れてゆくのか・・? 女としての違いを痛烈に感じながら、彼女との思い出が 走馬燈のように頭を駆けめぐるのであった。 おしまい。 ...
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