エコロジスト - 2003年01月31日(金) 毎年、年末から年始にかけて私は旦那に「カレンダーだけは貰ってくるな!」 と、きつくきつく”お願い”している。 それは例えば○○建設、○○薬局、酒処○○といったように、 カレンダーの一番下にスポンサー名が黒々と印刷された販促用のヤツのことだ。 こんなにお願いしているのにも関わらず、今回の年末もそれは我が家に やってきた。 堅く丸められ、ビニールに包まれた筒状の友人の会社のカレンダー。 あれだけ、持ってくるなと言ったのに、まったく何を聞いているのか? しかもその長さから、広げれば正月に上げる凧ぐらいの大きさが ありそうなことが、容易に推測できる。 厚みもある。あれは絶対一枚が一ヶ月分である。 いったい、私にどうしろというのか? 飾るつもりはさらさらない。 この家は夫婦2人。 子供でもいれば、そしてそれが男の子であったなら、 その堅い筒でチャンバラごっこなどをし、 「ホレホレ〜かかって来い!お母さんは強いんだゾ〜」 と、親の優位性を子供に示すこともでき、 またテーブルの上に乗って、それを望遠鏡のように見立てて覗いてみせ、 「ほっほ〜〜見えるぅ〜、みえ〜〜〜〜るぅ〜〜」 「え〜〜おかさぁ〜さん、、何が見えるの僕にも見せて〜〜」 「イヤダよ〜〜〜だ。うひょひょひょ〜」 「おかぁ〜さんずるいよ〜〜」 などという遊びもできそうなものなのに。 夫婦2人でそれらをした日にゃぁ〜、バカである。 行き場を無くしたカレンダーは年末から玄関に放りっぱなし。 ぽ〜〜んと捨てることもできるのだが、なんかもったいない。 それはそうだろう。 貴重な資源である。 紙を作るために伐採され続けてる、東南アジアの森林を思うと、 おいそれとは捨てられないさ。 細かく切ってメモにするとか?・・・気の遠くなりそうな作業の上、 ツルツルしてるようなので書きにくそうだ。 惜しい、、、もし、私の尻が鋼鉄のように堅くて丈夫であれば、 くしゅくしゅっと揉んで使えるのに。 自分の身をも犠牲にしてまで!というこの考え方・・・。 ・・・そう、私はエコロジスト。 おしまい。 ... これだから・・・。 - 2003年01月30日(木) 私の中で今週は「家事WEEK」である。 正月明け、なんだかんだで忙しく、 主婦として女としてこれでいいのか?という反省のもと、 月曜日から堂々実施中。 で、昨日は久しぶりに掃除をしてみた。 部屋をかたずけ、資料を整理し、はたきをかけ、掃除機も床に這わせてみた。 1時から動き、途中ご飯などのために30分休憩し、 ようやく人が住めるレベルになったのが、7時であった。 が、昨日の私はガンガンやる気であった。 こんな程度では終わりたくないという気持ちであった。 なので、洋間に置きっぱなしにしていた段ボール、そう、 新潟から送った大量の荷物の片付けにも着手することにした。 段ボールいっぱいに詰めてある実家からの戦利品、改めて見ると、 「お母さんありがとう・・ぐすん・・」という気持ちと、今回も してやったり!のうれしさで胸がいっぱいになる想いである。 そんな幸福感に包まれながら、奥へ奥へと掻き分けてゆくと、 マツキヨの黄色い袋に入った物体発見! こりゃなんだ・・? ・・・旦那のパンツであった。 使用済み・・・・一枚・・・。 正月、新潟で旦那がはいたもの。 その一枚だけは、洗濯する時間がなかったので、たぶん 一緒に送ったと考えられる。 この家についた途端に洗濯する気で・・。 持ち上げて鼻を近づけてみるものの、臭くはない。 袋の口は堅く結ばれていたから、一緒に入ってたまわりの品々には 影響がなかったと思われるが、ふと考えれば、 堅く結ばれていたからこそ、パンツは中でしっかりと発酵、熟成され、 大変なことになってしまっているような気もする。 それは、例えば納豆調だったり・・またはヨーグルト調だったり・・。 口を開くのが怖い・・・。 そのまま捨てた。 気合いを入れすぎてしまったばかりに遭遇した衝撃の現場。 慣れないことで頑張ると、ろくなことはない。 おしまい。 ... 続!だというのに・・。 - 2003年01月29日(水) 私達夫婦は仲がいい。 まわりの友人達からも、 そんなふうに言われるというのに。 で、出掛ける時も、 手など繋ぐというのに。 週末、時間が合えば2人で 飲みにも行くというのに。 コミュニケーション上、 必要とあればキスもするというのに。 なのに、私達は今年も忘れた・・。 ・・・結婚記念日を。 おしまい。 ... 抵抗する女。 - 2003年01月28日(火) 先週の木曜日、岐阜の友人から 「明日、千と千尋の神隠しやるじゃん。呼ばれてるよ〜〜」 とのメールが入った。 彼女が「呼ばれてるよ〜」と打って来たのは、 私が「宮崎駿アニメには、共感できない。だから、どんなに主題歌で 呼んでいるぅ〜〜〜〜と歌われても、私は、日本国民で、この私だけは 惹きつけられない!誘われない!呼ばれない!」と、ほとんど「何も そこまで・・」とのかたくななまでの意志を、この日記で 以前書いたことがあったからだ。 実際、彼女からメールが来る前から、 私には、「これで年貢の収め時・・」という感があった。 ガックリしていた。 今までは、映画館で観るには1800円払わなきゃなんないし・・・。 とか、ビデオ屋も遠いことだしね、わざわざ行ってまで借りなくてもね・・。 などの気持ちで、駿で沸く世の中で「私ってさすが!気骨のある女だわ!」 と自分の中の揺るがないポリシーに満足していたのだが、 今度は違う。 お金も出さなくていい。寒い中出掛けなくてもいい。 お手軽にタダで、あったかいお部屋でぬくぬくと、しかもゴロンと寝っ転がって。 これは、危険な状態だ。 おまけに、旦那まで 「千と千尋やるぜ〜、俺飲み会だからさぁ〜、ビデオ撮っといてね!」 なんて言う。 おまえもかい! そして、迎えた当日。 私は起きた瞬間から、金曜ロードショーを意識していた。 悔しいが、千と〜は私の心の中に深く入り込んでしまったらしい。 「絶対観ないもん。観ないもん」と、3時頃からドキドキする私。 テレビを背にしてパソコンを打っていても、夕方になるにつれ、 なんか、そわそわする自分がいる。 次第にビデオぐらい撮ってもいいか・・?という気になり、 夜7時半にピピっとついに録画予約。 しかし、その時も「旦那のため・・旦那のため・・」と言い訳 を忘れない。 今、私の後ろにあるビデオデッキには、録画されたビデオが入ったままだ。 旦那は週末、私が留守の間に観たらしい。 面白かったらしい。 泣いてもいたらしい。 私はまだ頑張っている。 ビデオをデッキに入れたまま・・・・・・。 チクショ〜〜〜〜!! おしまい。 ... 話術・・。 - 2003年01月27日(月) 私がバイトしてる、インターネットスポットは、 会員制である。 登録するのに100円!という、「いったい、その金額には何の意味が・・?」 という疑問を持たざる終えない、貰ったんだか、貰ってないんだか、 儲けたいんだか、たくないんだか、分からない意味不明な 金額で会員になり、初めて利用できるようになっている。 で、そんなことに同意してまで会員になりたがる 新規登録者が、今日は女性一名。 身分証明書を義務づけているので、免許証をテキパキと確認すると、 その人は、ナント同郷者。(本籍地による) 新潟出身であった。 初めて会ったのに、親近感をその女性に感じ得ずにはいられないではないか。 咄嗟に 「あ〜、新潟ですかぁ〜。私も新潟なんです!」と元気いっぱい言ってみる。 すると、「え〜〜、そうなんですかぁ〜。で、どこですかぁ〜?」 と、彼女も大都会の中で見つけた友人!かのようにうれしそう。 「私は市内なんですぅ〜」 「・・・・・・・あっ、そうですか・・・(沈黙・・・)。」 ど、どうした・・・? ”市内”とは、”新潟市”のこと。ズバリ、県庁所在地である。 その”新潟市出身”と発表するなり、何故か彼女のテンションは、 ”うなぎ下がり”になり、明らかに反応がイマイチ。 これは、私が東京に長いこと住んでいての、あくまで勝手な感じ方なのだが、 同じ新潟出身でも、「新潟市の出身です」と言うと、 何故かいつも相手のテンションが下がる。 それまで、同郷愛をお互い散々確認しておきながら、出身場所を空かすと 急にトーンダウン。 その反応には 「なぁ〜んだ、新潟市・・。良いわねぇ〜、、都会で・・・。うちとは違うのね・・」 とまで、感じられる。 ちょちょっと説明すると、新潟市は、良い街ではあるが、そんなに都会ではない。 ただ、この街は東京資本への依存がはなはだしく、 流行りのものが苦労なくそろうのは、確かだ。 なので、どうやら他の新潟の地域の人にとって、 新潟市は少し違う存在らしい。 さぁ〜て、、どうしたものか・・。 それ以降、さっぱり話が盛り上がらない。 焦る・・。 ここは、なんとしても話を盛り返さなければ・・。 彼女の出身は、浦佐という上越新幹線で、東京から一時間強、 スキー場でお馴染みの越後湯沢の次の駅であった。 仕方ないので、同郷者であることを再度アピールするべく、 浦佐について、思いつくことを言ってみた。 「浦佐と言えば、あの田中角栄の選挙区」 「浦佐と言えば、雪が多いんですよね〜?」 「浦佐出身といえば、スキー、ムチャクチャお得意なんですよね〜?」 それについての彼女の答は 「え〜、でも、田中真紀子も秘書給与流用疑惑で辞めちゃったし・・・。」 「年に一度しか帰りません・・、夏だけ。あんな雪深いところ、冬はたるい・・・。」 「スキーはぜんぜん、学校のスキー授業で単位のためにやっただけ、 しかもその時は、スキー場に行くために板持って、20分歩いたんですよ、 ただ、しんどかっただけ。」 そこまで聞いて、私はやっと自分が言ったことが、 ことごとく「言わなきゃいいじゃん」レベルだということに気がついた。 こんなに生きてきたくせに、私の話術もまだまだである・・・・。 おしまい。 ... だと、いうのに・・。 - 2003年01月26日(日) ・・・・・・・・・・・・・。 忙しくて、徹夜まがいのことまでした というのに。 風邪をひき、体を壊したというのに。 元気もなかったというのに。 一昨日も昨日も今日も、日中、食したのは パン一個だけだったというのに。 なのに、私はデブ。 おしまい。 ... ミステリー。 - 2003年01月25日(土) 今、奇怪な現象が我が家の風呂場で起きている。 旦那専用のボディーブラシの様子がおかしい。 丸いヘッドに植え込んである、ツンツン立っていたハズの毛が 端から次々と、押し潰されたかのように倒れているである。 それはまるで、踏まれた麦の穂。 そう、イギリスの田園地帯で時々起こる現象、ミステリーサークルにソックリ。 今のところ、倒れ方にメッセージ性みたいなものは感じられない。 だが、不思議である。 何故、どんどん毛が倒れてゆくのか? そして、旦那は2/3も毛が倒れてしまったブラシで、 どうやって、体を洗っているのか? 明らかに、用を足されてはいないと思われるのに、 「あ〜〜、、さっぱりした〜」とすがすがしい顔で、風呂から 出てくるのは何故なのか? もしかして、彼の体は垢だらけではないのか?とさすがの私も心配になり、 それを数日前、旦那に聞いたところ。 「ちょっと、不便だけど残りの毛で洗ってる」との答。 残りの毛って・・・ブラシの外側にわずかに半円状の形で残る、 毛の密集地帯は、幅がもはや、1.5�僂曚匹靴�ないゾ。 ご近所にそれを見せるわけではないが、あんまりみっともないので、 「ね〜、新しいの買う?」と聞くと、 まだまだこれで頑張るとの答。 信じられない・・・。 彼と彼のブラシの間には、”人と道具”という以上の 何かがあるに違いない。 それもまた謎である。 おしまい。 ... アザラシ - 2003年01月24日(金) 私は水が怖い。 何故かというと、3歳の時、風呂でおぼれかけたことがあるから。 湯船に私を抱いて入っていた父親が、うっかり手を滑らし、 私はぶくぶくとお湯の中に沈んでいった。 普通、そんな幼い頃のことを覚えてるわけはないのだが、 よほど、その事件が衝撃だったのか、私の脳裏には、 今もあの時のことが頭の中に焼き付いている。 熱くて、とても苦しくて、視界がゆらゆらし、ぐるぐるした時のことを。 幸い、父が助けてくれたおかげで、私は生き続け、 こうしてこの日記も書くことができるのだが、 だからと言って、「お父さん、ありがとう!」なんて気には なれない。 落としたのは、父。そして、彼がお風呂から上がり、 「ハハハ〜かあさぁ〜ん、落としちゃったよ〜」 と、まるで「10円落としちゃったよ〜」的に、 母に報告していたことまで記憶してるからだ。 それ以来、私は水の中が苦手になってしまった。 なんか、まぬけなトラウマ。 そんな私の伴侶であるにも関わらず、旦那は水が大好きである。 今週末もサーフインに行くという。 去年までは、半袖のウエットスーツしか持っていなかったため、 さすがにこのシーズンは”オフ”としていたのだが、 この前の年末のボーナスで念願の長袖を買ったため、今年は もう、彼の中の血が騒いでるらしい。 雪もちらつくこの時期に・・・スイッチ”オン”とは・・ バカか。 きっと、そのスーツのせいで、ヤツの「海と一体感」、「海とお友達感」 はぐっと増したのであろう。 すると、さしずめ気分はアザラシってとこか・・? いや、初めてまだ一年、一体になれるほど上手くはないかもしれない。 浮いてるだけなら、流木か・・。 漂流しなければいいが・・・。 安全を願う。 おしまい。 ... 下町人情。 - 2003年01月23日(木) 鼻の穴にワインのコルクを詰めたくなるほど、 鼻水がじゅるじゅるの私。 昨日医者に「おとなしくしてて」と言われたものの、 今日はインターネットの指導員の日。 なんたって、年明けから18日までたっぷり休みを貰ってしまった身分。 これ以上「鼻が滝のように流れるので休ませてください」 とは、到底社会人としては言えないという、自戒の念から、 ポケットティッシュを4つ持ち、思い切って勤務に望んでみた。 しかし、今日は来訪者は少なかったものの、質問される回数が 土日以上に多かった。 よりにもよって、こんな日に限って。 で、「ひょこに、ひゅーあーりゅえりゅほぉ、入れひぇくだひゃい」 訳(ここに、URLを入れてください) などと、もはや自分でも何を喋ってるのか分からない有様。 おまけに、説明は所々で中断を余儀なくされ、 「ひょっと、ふみまふぇん」訳(ちょっと、すみません)と、 鼻をかみにゆく始末。 取り敢えず、”教えたい!”という迫力だけで乗り切ってしまおう と心に決め、質問に対応し続けて、ふと気がつけば、終了一時間前、 ティッシュは残り一個という状態に。 「あと、一時間、あと一時間で家に帰れる」と私を安堵感が包む。 こんな時、体というのは不思議なもんで、ホッとしたと同時に 鼻の穴の緊張も解け、ダムから放水された水のように、一段と鼻水が。 仕方ないので、受付カウンターの裏にしゃがみ込んで鼻をチーンしていると、 頭上から「あれ〜風邪引いちゃったの〜?」と声がする。 見上げれば、そこには、インターネットスポットを管理してる事務所のおじさん。 「ええ、、ひょうなんです。ひゃなが止まらなくて・・」 訳(ええ、そうなんです。鼻が止まらなくて・・)と慌てて答える私。 おじさんはそれを聞くと、「大変だね〜、お大事にね〜」と じゅるじゅるの私を気持ち悪がりもせず、なんともまあ優しい。 そして、勤務も残り30分となったときのこと。 さっき来たおじさんが、またひょっこりやって来て、 「ハイ、これ!これだけあれば、足りるよね〜」とポケットティッシュ を7個くれた。 大変感激した。さすが、ここは下町、人情町! 一介のバイトをそんなに気遣っていただいて。 貰ったからには、使わなければいけない。 彼の親切には、涙が出る想いである。 が、もはやその時点で、私の鼻はまっ赤。ヒリヒリ痛みさえ感じ、 鼻はちぎれそうである。 あと、30分でポケットティッシュ7個消化・・・鼻が取れてしまうかも・・・ と、指導員以上の与えられた責務の大きさに 押しつぶされそうになるのだった。 おしまい。 ... バレたか・・。 - 2003年01月22日(水) 病院に行ってきた。 一昨日からひき始めた風邪がちっとも良くならないのだ。 喉が染みるように痛い。微熱ではあるが熱もある。 鼻に至っては、鼻水が止めどなくたまり、溢れ出てくる始末。 鼻の下には、それこそ、赤ペンで線を引きましたと言わんばかりに、 くっきりとした赤い溝が二本。 マンガ日本昔話に出てくる、ちょっとした田舎の小僧である。 今日は寒かった。出るだけで悪化しそうだったが、今週は もうちょっと踏ん張らなければならない。 それには、医師の診断が不可欠。 一か八かの賭けである。 病院は自転車で10分程。 全身を覆う悪寒に耐え、ヒ〜ヒ〜言いながら到着し、 中に入ってビックリ仰天。 なんと、すごい老人の数である。いや、老人しかいない。 フロアーに溢れんばかりである。 ハッキリ言ってもいい。私が最年少者だったと。 そこは、老人医療の問題を否応がなしにも考えさせる、見てはいけない、 そう、ある意味「秘密の花園」であった。 そのどんよりとした雰囲気に押されつつ、受付で手続きを済ませる。 「では、2番の診察室でお呼びしますので、少々お待ちください」 ニッコリする若い看護婦さんの笑顔にちょっと救われる感じだ。 「少々」と言っても、これだけの人、しかも老人。 お年寄りは質疑応答が長い。 こりゃ、一時間は待つな、と腹を決めたが、意外や意外、 10分ほどして、名前を呼ばれた。 きっと、2番の診察室は若者専用だったに違いない。 診察室に入ってイスに座り、自分の一昨日からの 辛い症状を医者に切々と訴えてみる。 もっとも、こんな時の私は自分の症状を少し大袈裟に 言うことにしている。 その方が早く治りそうな薬を、出してくれるような気がするからだ。 なので、食欲はありますか?という質問には、ご飯をおかわりまで するほどなのに、口をオチョボにして寂しげに「ありません・・・」 お腹は壊してないですよね?には、「昨日から下痢気味です」といった具合。 ついでに、熱もちょっと高めに言っておいた。 一通り問診が終わると、次は触診。 聴診器を当て、丁寧に触りながら、症状をカルテに記入する先生。 その鮮やかなドイツ語に、日本語しか分からない私は 「私ももう一カ国語ぐらい分かるようになりたい」などと余計なこと を思うのであった。 で、すべての診察が終わり、処方箋も貰って、 帰ろうと席を立とうと思った瞬間、先生がポツリと私にひとこと。 「おとなしくしててくださいね」 ん?これは、おかしくないか? 普通、この場合のセリフは「安静に」ではないのか? 何故、「おとなしく」なのか? これでは、まるで私が手のつけられない、普段バタバタしてる やんちゃ者みたいではないか。 10分足らずの診察、しかも「風邪ひきさん」というテンションの低い 私を見て、どうしてこの性格までバレたのだろうと、こんな深夜になっても、 まだ首を傾げる私であった。 おしまい。 ... いっぱいいっぱい。 - 2003年01月21日(火) 日記をここしばらく書いてないことに、さっき ふと気がついて・・・と、いうのは嘘で、分かっては いたのだが、とにかくとにかく、最近の私は忙しい。 忙しい上にこの前、発表したように元気もないので、 気持ちに一定のテンションを持てず、やらねばならないことも ぜんぜん先に進まない。 で、進まないことにまたイライラし、また気持ちがど〜〜〜ん と沈む。これって悪循環もいいところ。 こんなに元気の回復が遅いのは初めてだが、 普段からテンションの高い私。実はこのくらいで人並みなのかも しんない。 元気な時の私は、その有り余る勢いで、旦那を叱ったり、 はたまた、自分の気にいらないことで文句言いまくり。 だから、こんな私の状況を案外旦那は喜んでいるかも?などと 思っていたら、昨日旦那がポツリと言った。 「おまえが元気ないと、この家が暗くなっちゃうよ〜〜」 そうか、旦那も私からムンムンと出る、この鬱々とした空気が イヤだったのか・・。 そんなふうに私のことを心配してくれていたとは感激であったが、 私の元気が復活する、ということは、私にまた叱られたり、文句 を言われることを意味する。 な〜んだ、言われてる時に見せる、あのぶっちょう面は嘘だったのか。 彼はもしや、叱られフェチ・・。 それなら旦那のためにも、頑張って元気出さなきゃな、と 前向きに思うのであった。 ふふ・・私ったら、けなげ・・。 おしまい。 ... どうしたことでしょう・・。 - 2003年01月16日(木) 最近の私はなんだか元気がない。 これと言って理由もないのだが、なんだか気持ちが沈みやすい。 例えばそれは、起きた時は晴れやかで、日中はどんよりとして、 夜は雨が降る、というように、一日を通してコロコロ変わる、 まるで日本海側の冬の天候って感じ。 普段なら、そんな日があっても風呂に入ればスッキリしたり、 ちょっと出掛けてみたりすると、力がモリモリ湧くのに・・ いったいどうしたことでしょう。 モリモリ感覚をつかみかけ、「ヨッシャ!」と思った端から また沈む。 おかげで、やらねばならないこともちっとも進まない。 進まないことで、余計沈む。 ぷくぷくぷく・・・・・・・。 もしかして、早めの更年期障害だったらど〜しよう。 でも、体に火照りは感じられないし・・・。 さて、どうしましょう・・。 明日は元気になれるかなぁ〜。 取り敢えず、食欲はまだたっぷりあるしな・・。 んじゃ。 おしまい。 ... 勉強。 - 2003年01月15日(水) 昼もとっくに過ぎた午後1時半に目を覚まし、 カーテンを開けて外を見ると、当たり前だが世の中はすっかり アクティブモードになっていた。 斜め向かいのマンションの各家庭のベランダには、 布団が気持ち良さそうにお日様を浴びていて、その様は私を 「今日の夜はふっかふかの布団で寝るんですね。 私も泊まりに行っていいですか?」などと思わせてしまうほど。 よそんちを羨ましがってる場合じゃないのは分かっているのだが、 この生活パターンでは、充分に布団をお天道様に当てるのは難しい。 なんたって、干したと思ったら、もう夕方。 もともと私の起床時間は遅かった。 だが、最近、特に帰省してからというものは、 それがいっそうひどくなってしまった。 家事から解放された生活が続いたからなのかどうかはサテ置き、 とにかく眠いのだ。 それは実家での様々な状況で「冬眠娘と化した」というよりは、 自分が本来は冬眠すべき生物、例えば熊とか蛇なのでは?という錯覚さえ 私に起こさせる。 なので一昨日、この日記に書いた 「旦那のパンツを洗うため早起きしなければならない!」という決心が、 あっさりと崩れてしまったのは言うまでもない。 なんと夜までにパンツを乾かさなければいけなかったのにも関わらず、 私が起きたのは、昼の2時半。 夜の旦那の風呂上がりには間に合わない。 で、責任感の強い私がとった行動は、取り敢えず洗濯して、 あとはファンヒーターで乾かすというもの。 ヒーターの通風口の前に低めの椅子を置き、そこにパンツを垂らす。 そして、裏、表、裏、表といった具合に 交互にひっくり返しながら、ファンヒーターの風を当ててゆく。 すると、さすが暖房器具。熱風でゆらゆら揺れるパンツから 水分が面白いように抜けていく。 20分もしないうちにすでに半乾き状態で、その当てれば当てるほど出る成果に、 ひっくり返す私の手にも力が入る。 初めはうら〜〜〜おもて〜〜〜うら〜〜〜とゆっくりとしたサイクルだった ものが、うら!おもて!うら!おもて!と、スピードがアップ。 その作業に没頭する姿は、 いつの間にか、屋台で今川焼きを焼くテキ屋。 そして30分ほどで「OK!これなら履いて不快ではないハズ!」 というレベルに達したのであった。 一仕事終え、自分の内助の功加減に大満足の私。 これからはもうパンツのあるなしに焦ることはない。 私は「ファンヒーターを使えばビックリするほどすぐ乾く」ということを 学習したのだから。 おしまい。 ... 年頭の決心。 - 2003年01月13日(月) 8日の夜にこの部屋に戻って来るなり、 年末に取り込んで置きっぱなしにしていた 旦那の靴下に気がついてしまった私。 長いこと実家に帰っていて、主婦という自分本来の立場を 忘れかけていたのにも関わらず、生活習慣とは恐ろしいもんで、 体が勝手に反応し、私はその山につい手をつけてしまった。 心では「帰ってきたばかりだし、なんといっても新潟での 冬眠めいた生活が長かったのだから、焦ることはない、 今週は取り敢えずジャブ程度に体を動かし、 本格的な家事は来週にしよう・・」などと思っていたのに。 で、たたみ終わって、よせばいいのに、それをしまい込みたい気持ちにまで なって、旦那のタンスの引き出しを開けてみると、 あ〜〜ら、中がやけにスッカスカ。 そう、旦那のパンツが底をついていたのである。 明日のお風呂上がりに履く清潔なパンツが一枚もない。 「ね〜、パンツもうないじゃん!」と一応旦那に言ってみると、 あっさりと「そうです!」と元気のいい返事。 明日から履くパンツがないというのに、まるで危機感がない。 それどころか、爽やかさまでをも感じさせる声の明るさである。 う〜〜ん、、靴下を2足一組にしてまとめ、しまおうとしただけでも すっごく「働き娘」気分であったのに、この上、洗濯まで早速しなければ ならないとは・・・。しかも、夜までに乾かすには朝早く 起きて。 そのことを考えるとクラクラし、イライラもしたので、 「パンツぐらいちょちょっと自分で洗濯すればいいじゃん」と 旦那に文句をたれると 「え〜、なかったらなかったで同じパンツ履くし・・・・」と彼。 ・・・なんということでしょう。 彼も30才を過ぎ早3年。気をつけていないとオヤジ臭さえ漂う年齢で あるというのに、汚れたパンツを履き続け、臭さを自ら重ね塗りしていく 覚悟とは。 確かに「洗濯係」である私の帰省は長かった。 パンツがなくなったのはそのせいかもしれん。 だが、私に否はない。 何故なら私は「実家にいる」ということで、普段そばにいてあげられない両親 に対して、親孝行をしていたのである。 例え、上げ膳据え膳であっても、例え朝、昼、晩と寝ていても、 娘が「そこにいる」ということが大切だ。 そんな大切な仕事をしていた私に比べ、彼の生活ぶりは如何なものか? 東京に一足先に戻り、しかも仕事始めまで2日もあったのに。 パンツの2〜3枚がどうして洗えないのか!? 自分の身の周りのことが解決できないのは由々しき問題だ。 もし、私が不意に家出してしまったり、入院してしまったりしたらどうする。 妻に甘えっぱなしでは、そのうち自分が困ることになりはしないか。 洗濯のために早起きしなければならないことにゾッとしながら、 取り敢えず、パンツをもっと買おう・・多ければ多いほどいい・・と 新年早々決心する私であった。 おしまい。 ... 今年の課題 - 2003年01月11日(土) 皆さん、明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 おそっ! そう、遅すぎる新年の挨拶。 29日に新潟の実家に戻り、帰ってきたのは8日の夜。 本当はもう一日早く戻ろうと思っていたのだが、 動くが面倒臭かったもんで。 まったく三十路後半の大人の女が何してんだか。 で、何をしてたかというと、上げ膳据え膳の食っちゃ寝三昧の生活。 ある意味予想通り。 なんてったって、今回の新潟への帰省の最大の目的が、 旦那を引き連れての 「一年分の栄養を摂ろう!冬の満腹日本海ツアー」であったからだ。 東京での貧しい食生活からの脱皮! 新鮮な魚介、手の込んだ料理を心ゆくまでたらふく味わう。 一年の経は元旦にあり。 一年分の栄養も元旦にあり・・みたいな。 まず、昼過ぎにノコノコ起きて母親の用意したご飯、 ある時は雑煮、またある時は蕎麦などを食ってはごろりんと横になる。 そして寝転がった先から「夕飯は何かな〜、いくら丼がいいなぁ〜」等と考える。 で、夕飯も食べてしまうと、また横になって次の日のご飯のメニューに 思いを馳せる始末。 一応断っておくと、これは私が怠け者だからだけではない。 新潟は死ぬほどの寒いのだ。 外出なんて気軽にできるもんじゃない。 厳しい自然も私を”お茶の間冬眠娘”にした原因の一つであるのだ。 いや〜、それにしても、帰省というのは良いもんだ。 毎度毎度につくづく思う。 新潟にいて、親と同居していたらこうはいかないハズ。 いい大人がこんな生活を9日間も許されるのは、 私が「年に2回しか会えない」という肩書きを持つ娘だから。 たまにしか目に入らないもの、普段見かけないものを、人は有り難がるもんだ。 それは親子関係も一緒で、両親にしてみれば私はまさに ”ボーナスが振り込まれた時に見る普段より多めの通帳の残高” ってところだろう・・・。(くどい) 良かった・・・上京しておいて本当に・・良かった・・・。 ・・・ん?良かったか? 確かに食べ物に囲まれて私は幸せだったが、 3キロも太ってしまったのであった。 去年も4キロ太って、もとの体重に戻すまでに 半年ぐらいかかったではないか。 上げ膳据え膳の満腹生活からの帰還。 私に与えられた課題は今年も初っぱなから厳しい。 おしまい。 ...
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