散歩主義

2003年12月31日(水) 大晦日

まるで今年を象徴するような大晦日です。
実はゴザンスとは違うところに提出する原稿を書いていました。

ダメだし、というのも久しぶりに経験して、いけないもっと深く掘らなければと昨日の晩から考えていました。昨晩はバンブー茂のFM京都での最終回の放送。それが終わってからも考えていました。

書いて送り、編集の人からもすぐにメールが届いて、ひとごこちです。
年越し蕎麦を食べていたらジャンが夜の散歩をせがみます。
年末年始のテーマも「ルーティーンを壊さない事」。動物たちにはそんな事関係ない訳ですから。湯たんぽの交換も、朝晩のご飯も、散歩も淡々とこなしていかねば。

あと一時間ぐらいで今年も終わりです。
うちの近くの古いお寺では除夜の鐘をつかせてくれます。列ができるかな。

烏丸の新風館ではバンブー茂とサニーサイドアップがライブをしているはずです。西部講堂では何かやっているのかな。

来年も書く事を続けていきます。
出会いと絆を大切にしていきたいです。

来年もよろしく。



2003年12月30日(火) 今年のベストアルバム〜ボクノフネ〜 、ベストチューン〜クロール〜


今年もあと1日、例年自分の一年聴いた音楽のベストなんて書いたことはないと思う。
書いていないけど、去年はbiceさんだった。その前はポート・オブ・ノーツだった。

さて今年は書こうと決めた。日本のバンドで(彼らをカテゴライズするのはとても難しい。ソウルともニューミュージックとも言う人はいるだろう)久しぶりの「出会い」を感じたからなんだけど。

それが「バンブー茂」。
彼らが京都のFMで深夜プログラムをもっていることすら知らなかった。予備知識なし。たった一枚のマキシシングルでぼくはこのバンドが大好きなったんだ。
サカサイツトム氏のギターにまず「感じて」、つぎにタケコさんのヴォーカル、そして山さんのパーカッションと三人のメンバーのそれぞれに魅力を感じ、気がついたらこの三人の組み合わせは凄い事になるぞという確信をもつほど、このバンドが好きになった。

「ボクノフネ」はそんな彼らの記念すべきフルアルバム。
三人の曲づくりが抜群なんだ。様々な音楽のミクスチャーでもあり、魅力的で、ときに扇情的な「うた」。
バンドのライブに出かけたのも久しぶりだったけれど、彼らはライブがいい。とにかくカッコイイ。テニックが抜群というのもあるけれど。

「カッコイイ」というのはぼくの基準だから、人がどう判断するかはわからないけれど、同志社で彼らを見たとき、「あ、東京」って思った。
関西じゃないんだよね、「抜け方」が。強引に関西にぞらえてで言えば、まちがいなく京都。
不思議だった。サカサイ氏の「こだわり」はまんま、東京なんだけれど京都の空気にほんとになじんでいる。だけど東京のように垢抜けしてるんだよね。

それはなにかというと、何度も彼らの「ボクノフネ」をきいて、それは「お洒落」なんだと気がついた。音楽で楽しむ、遊ぶ。そのレベルが高い。


で、いつのまにかタケコさんの大ファンになっている自分がいたりして。
このアルバムの次に出た「79℃の青」というミニアルバムはさらにパワーアップした彼らの音楽が聴ける。
この中の「クロール」が曲としては、ぼくの今年のベストワン。

後半のサカサイ氏のソロはほんとうにいい。タケコサンの声も切ない。山さんのリムショットもぐっとくる。
いまもその曲を聴きながら書いてる。

実は今夜で彼らのFM京都でのプログラムは終了するんだ。
そんな日にこれを書くのもいいかな。

バンシゲのみなさま、お疲れ様でした。



2003年12月29日(月) あれこれと

年末の忙しい間に、ゴザンスのテーマを書きました。
次の〆切りが1月4日の深夜ですから、新年までに書かないと、まず書けないで終わりそうなので。

「ことばあそび」もなんとか書きましたが「800字」はまだです。
さぼらないで書かないといけませんね。

ところで音楽はジェシ・ヴァン・ルーラの「トリオ・トリヴュート」を探してウロウロしてます。なかなか街に出ていく機会が無くて。ネットだと確実なんだけど、今すぐ聴きたいものだから。うーーん、なんとかならないかな。やはりネットかな。

本は白川静さんの著作を集中的に読もうとしています。新刊の「常用字解」のほかにも、万葉集、それと梅原猛さんとの対談など。そのためには孔子伝も読まないといけませんね。さいわい中公新書で出ているものがあるので、それほど高くはありません。

中公新書といえば、昔の新書をオンデマンドで販売しています。白川さんの古い著作も対象になっているんですが、当然の事ながら高価です。

それとアレックス・カーの本もよみたいですね。「犬と鬼」。白洲正子さんとの対話の中からつけられたタイトルであるというところが、気になっています。

大掃除もだいたいできました。玄関に新年の飾りつけも終わりました。
だけど、まだまだやらないことがありそうです。
明日はそういうことのチェックをしようと思ってます。

もうそろそろ寝ないと。また朝がキツイから。
ではでは。



2003年12月27日(土) メジャーリーガー

今日のNHKBSでは、午後1時から日本人メジャーリーガーを一人1時間ずつ使って、今年の活躍の紹介と彼らへのインタヴューを放送していました。
なんとも贅沢な企画。

順番はヤンキース松井、マリナ―ズイチロー、ドジャース野茂、マリナ―ズ長谷川。佐々木と大家と田口はありませんでした。新庄も。

たしかに彼らの能力は素晴らしいんですが、ぼくがこの散歩主義でもよく書くように、彼らの生活信条に学ぶところが多いでのです。

最初はヤンクス松井。実は今年、松井についての情報をとても多く目にしました。週刊ポスト誌上では、伊集院静氏の興味深いルポが連載されつづけ、彼の野球に対する真摯な態度がとてもよくわかりました。
彼についてぼくが一番印象に残っている言葉は
「自分のコントロールできる事以外は手を出さない」というもの。あたりまえのように聞こえるけれど、逆に言うとコントロールできるものは全力をあげて徹底的にやるべき事をするということ。それが本当に徹底している。
とにかくその状況の中でのベストを尽くす。好不調に関係なく。その姿がまた強調されたインタヴューでした。

次はイチロー。オフシーズンでのまとまったインタヴューは今回がはじめて聴きました。
たぶん日本、アメリカでの選手生活を通じて初めてといっていい「大スランプ」。その経験の内実をを本人の言葉で初めて聴きました。
スランプといっても、安打212本。三年連続200本以上というのは長いメジャーの歴史の中で三人しかいないのです。打率も.312。守備、盗塁の確実さとスーパープレイは何度もチームの勝利に貢献しました。
スランプというのが可哀相なぐらい。

だけど、たしかにあんなに苦しむイチローを見たのは初めてでした。
まずシーズン当初。打率が.250に低迷していた短い期間。なんとバットのヘッドスピードが速くなりすぎて、アタマで打つな!と瞬間的に判断しても、もっと速くからだが反応してバットが球にあたってしまうという、常人では考えられないような世界に入ってしまっていたといいます。
これは原因がはっきりしていたので、アタマの判断に体を従わせ、がまんさせて、狙いを絞りに絞って打つように軌道修正した事で解決。

たしかに、暖かくなるにつれ、イチローのバットは火を吹き、打率も.350まで到達。もちろん首位打者。またしてもイチローの天才伝説にあらたな1ページが、と思っていたところから、信じられないほど打てなくなっていきました。
テレビでも、あのようなイチローを見たことはありませんでした。

イチローは「200本へのプレッシャー」と正直に語ってくれました。それとぼくには各チームがイチローを徹底的に研究し、対策を立ててきたことも大きい要因だと思えました。
それでもイチローは苦しみながらもコツコツとヒットを打ちつづけていきました。あの頃のイチローが何を考えていたのか是非知りたいと思っていたのですが、彼の口から出た言葉は
「ああいう時だからこそ、自分のリズムを崩すまいと思いました。ルーティーンを壊すな、というか。それはとても大事なこと」

これは松井の言葉にも繋がります。じたばたしないんですね。自分を信じ、ベストを尽くし、結果を受け入れる。言葉で書くと簡単なのだけれど…。
いつものアップをする。自分の体調を維持する。試合に集中する。いつも前を向く。それを忍耐強く続ける。
これができないんですよ。

やはりイチローという人は、凄いし、素晴らしいと思いました。

それと松井とイチローに共通しているのは、他人や環境のせいには絶対にしないこと。これは野茂にも長谷川にも共通していました。

今、大リーグの選手と監督が選ぶベストプレイヤーのトップはイチローです。
そして、テッド・ウイリアムス以来、史上二人めの4割打者はイチローをおいて他にはいないだろうといわれています。

今年の苦しみ。ジョークまでしゃべれるようになった英語。過去に存在した、幻のニグロ・リーグ(黒人差別の時代に存在した黒人だけのリーグ。メジャー・リーグは当初、白人のみだった。ニグロ・リーグは驚くべきタレントの集まりだったという)への愛着を語るまでに広がった野球の歴史への興味。
イチローはますますその能力の幅を広げようとしています。問題はあとは年齢だけ。それでも、ここ2,3年のイチローからは目が離せないと思います。

納得の「メジャー」でありましたよ。



2003年12月26日(金) 削げた音

夜になって、酔った友人たちが帰り、ひとり、しらふのまま湯たんぽ交換やら、餌をやったりする。
犬たちはもう寝はじめていて、たまたまテレビで今のヒットソングを流しているのを聴いて、途中で消す。

さて、削げた音が聴きたいと思った。
考えがまとまらないままUAの「閃光」を聴く。彼女の音楽の中では好きなほう。
この歌の詞はとても素敵に光にたどり着く。
その詞がとてもいい。今夜はUAの他の曲には全然、波長が合わない。
だけど「閃光」だけはいい。

夜はゆっくりと沈んでいく。

今日はもう休もうか。
すこし疲れたのかな。

そうだ横になって瞑想をしよう。
水に浮いた感覚で。
世界と繋がろう。






2003年12月25日(木) 運命と宿命

クリスマスの日に、あまりめでたくないお話です。
実は野良猫の中の一匹がずっと弱ってきていて、たぶん今晩、もたないと思います。

アタマになにか腫瘍のようなものができて、ずっと状態は悪かったんです。で、秋に駄目モトで抗生物質を餌に混ぜたら、てきめんに効果が出て、潰れそうになっていた目も元に戻り、腫れもひいてしまったんです。冬になっても湯たんぽの前でじんわり暖をとっていたし、、、、ただ、どんどん瘠せていくのが気がかりでした。
食も進まないようだったし。

さっき、湯たんぽ交換にいこうと裏口を開けたらそこに倒れていたんです。
もう駄目か、と思ったんですけど、首がまだ微かに動くので、タオルに包んであげました。体は冷たく、もしあのタイミングでぼくが見つけなかったら、そのまま死んでいたと思います。しかも、その横で他の連中は食べたりないごはんをねだっているんですからね。ふうーっ。

野良猫の生死は、ほんとに些細なことで決まってしまいます。死ぬときはそれこそあっけないぐらい。
野良の二歳なのでもちろん人間に抱かれようとはしないし、抱こうとすると逃げてしまいます。
さっきは静かにぼくの腕の中に抱かれていました。首を回して静かに僕を見てました。温かくして、湯たんぽも置いて、みんなのいるダンボールハウスの横に暖かなスペースを作りました。

「偉いな、待っててくれたんか」
そんな言葉をぼくに言わせてくれて。

宿る命は変えようがないかもしれないけれど、猫は命を見事に運びました。
ほんとうに偉いです。




2003年12月24日(水) blemish

デヴィッド・シルヴィアンの「blemish」を聴いています。
たぶん今年のベストアルバムに選ぶひとも多いと思います。彼の「低い声」は健在。詞はますます内省的。音楽は…フリーキィといえばいいのかな。

共演がデレク・ベイリーというギターのインプロヴィゼイションの第一人者。彼と三曲。それとラップトップアーティストのクリスチャン・フェネス。ラップトップアーティストといのは簡単に言えばPCを使いこなしてエレクトロニクスの音響で表現する人。ジャズでは今多くて、ハービー・ハンコックのグループやいわゆる「エレクトリック・マイルス・フォロワー」とでも言うべき人たちのステージには必ずいます。その彼と一曲。あとは全曲、彼自身のパフォーマンスです。

さすがに音は切れまくってます。研ぎ澄まされたナイフのような感覚。狭義の「音楽」をイメージするのではなく、音そのもののある空間に想像力を羽ばたかせておくと、おもしろいです。

そう、音楽ではなくて、氷の中を歩いていたり、水の面がぐわんと曲がるような姿を思って音を経験する、という感覚です。
だから、声と言葉がとても大事で、まず、対訳にあたって、というところが辛いですね。

ほとんど即興演奏なので、そうやっているうちに抜け落ちてしまうものがある気がします。
だから、意味が曖昧でもとにかく聴く方が先です。しかも、聴きながら「なんだろう」では音楽に置いていかれます。

その場で体験することること。この音楽はそれを示唆しています。「なぜ」「どうして」を「今」考える必要はない。「今そのもの」を経験すること。
そういう時間への向き合い方は実はとても大事な事だと思います。
探るよりも出来事そのものを受け入れる、というか。

音楽でそれを表現するわけです。
この考え方は、実は大きな分岐点じゃないか、とぼくは考えはじめています。

たぶん、年が明けてから、いろんなところにこの事と同じ流れの出来事を書くと思います。

ところで、今年のベストアルバム。うむむ、どうですかね。
素直にSEALとスティーヴ・ウィンウッドは入れときます。



2003年12月23日(火) DINGO

本のほうの原稿をまだまだまとめなければならないのに、ゴザンスの800字が気になって、〆切りぎりぎりに投稿しました。
今回はテーマも書いていて、それは詩の形にしました。

で、いろいろと文章を直すぼくの姿を見た文庫本主義者が「あれ、全部詩じゃないの?」と一言。
ぐっさぁぁぁぁ。
「ああ、ささんぶんなんかも…」「……ふーーん、あっそう」
ぎっくぅぅぅぅ。

詩もいれますよ。入ってますよ。でも、このひと2000年からぼくの詩は婦人公論に出たもの以外は知らないのです。
パソコンさわらない人だから。
そう言われてみれば、今年書いたものがあまり入っていない。
あわててファイルを見なおしたりして。
ためだなぁ、コンセントレーションがなってないな。

と、こういう時は音楽に…。
だけどもう歌詞の入った音楽は受けつけない状態になってしまっていて、100枚ぐらいずらっと並べたなかから、結局マイルス・ディヴィスばかりを抜き出して、まず「スケッチ・オブ・スペイン」でクールダウンし、「サムディ・マイ・プリンス・ウィル・カム」でアタマのチューニングをして、例の呼吸法を数回。800字をやっと書き出すという具合です。

書いてる間は「ディンゴ」を。マイルス最後の年の数あるレコーディングの一つ。最後まで前を向きつづけて逝ったマイルスの、
ごきげんなペットがここでも炸裂しています。
サントラ盤です。クレジットはマイルス・デイヴィス&ミッシェル・ルグラン。
マイルスが俳優として映画に出た最後でもあります。

柔らかでのびのびとしていて、すでにdoo−bopでジャズから突き抜けてしまっていたマイルスですが、ここではなんともハートウォーミングなジャズを吹いてます。

書いてるテンションが上がると歌詞付きが聴けなくなる…。
しかたないですね。
そんなものだと思います。



2003年12月22日(月) 詩人 ディヴィッド

昨日から、気持ちが上滑ってるなと感じて、さらにそれを深刻に感じると、
この人の歌にたどり着く事が多いんです。

ましてや、原稿をまとめている時に、耳を傾けるにはいちばんかもしれません。

英語の歌で、詩人の息吹きを感じたのは、イギリスではヴァンダーグラーフジェネレイターのピート・ハミル。そしてブリリアント・トゥリーズ以降のディヴィッド。
アメリカでは同じディヴィッドで、トーキン・ヘッズのデヴィッド・バーンにも感じた。もちろんパティ・スミスも。

昨日からCDボックスをひっくり返して出してきたディヴィッド・シルビアンの何枚かのアルバムを聴いてます。
「ひたむきさ」。「この角度」での。

この人の声は、少し癖があって習慣性があるんです。耳に残る。
詩のアイデアの多くは当初、イーノやボウイの習作という感じはあったけれど、素早くそこから抜け出して、彼らしい世界を創り出しています。

ストイック。まるで修行僧のよう。
で、「あの」美貌のまま、いい感じで年をとりました。

まるで催眠術のようなフィリップのギター、神経質なビル・ネルソンのギター。それらをバックに呟くように歌う。
かれはやはり詩人です。
ぼくが聞くかぎりでは、ジョン・ハッセルのトランペットといちばんマッチしているように思えますけれど。
歌に「空」ができるから。

久しぶりに聞いた、フィリップ+シルヴイアンの「ダルシャン」。
「気」の転換にはやはりうってつけでした。一つ間違えたら熱が出るかもしれない曲だけど。

デヴィッド・シルビアンの生活と意見には、自分でなにかを制作する上でおおきな励ましがあります。

明日はもっともっとできるはず。

ではでは。



2003年12月21日(日) 最近聴くもの

衝動的にビートルズが聞きたくなる日があります。
最近、特にアビイ・ロードを聞きます。最近Let it beのリソースみたいな盤がでたけれど、ビートルズはアビイロードでやっぱり爛熟していたんじゃないかなと、ずっと思ってます。

考えてみれば、曲が好きなんですよね。
どの曲も好きだな。サムシング、ゴールデンスランバー、カムトゥゲザ―…。
ゆったりしていて、深みがあって。
冬の夜なんかにはぴったりだとおもうんですが。

ところで今、発注しているのはブライアン・イーノとジョン・ハッセルの共演盤。次にデヴィッド・シルビアンの一番新しいソロ。
こちら系の音楽もずっと聴いてます。ジョン・ハッセルのトランペットが大好きで、ライ・クーダのサントラでも、シルビアンのソロでもとても素敵な音を出しているんです。
かすれるような、囁くような。インプロヴィゼイションの塊のように思われていた人なんですけれど、なんとも優しい音なのです。

今書いている原稿のために、もう一度彼らのCD聴いています。ビートルズも。




2003年12月20日(土) AVE MARIA

昨晩の雪雲が不気味だな、と思っていたら、朝、一面の白い世界でした。
日が出れば白銀なのですけれど、曇りがちの天気で、ずっと冷たい白の世界。
京都の積雪は久しぶりです。

気温は低いながらも、やはり昼には3℃ぐらいは上がるので、屋根から雪が滑り落ちてきます。
そのたびに犬や猫は右往左往。いきなりどっかーんですからね。

今日はゴザンスの800字に書いた「光る樹」のモデルになった場所をサイトのトップページに載せました。今夜はこの樹の周りも冷えていますよ。

で今、独りで瞑想とコンセントレーションのために全曲アヴェ・マリアのアルバムを聴いています。有名なスレイヴァのものです。

なんといってもカッチーニのアヴェ・マリアが好きなのは、この日記でも何度も書きましたが。久しぶり聴くのもやはりカッチーニのアヴェ・マリア。今晩、聴いていてトスティのもいいな、と。そうなるとヴェルディもストラヴィンスキーも。もちろんバッハのも。

昨日はメルマガを購読している、ある方もカッチーニのが好きだと知って、なんだか似たもの同士のような親近感を感じました。

さあ集中!!



2003年12月17日(水) Piano Nightly

昨晩、深夜のFMでバンブー茂のタケコさんが「ニューヨーク・コンフィデンシャル」をさらりと流してくれました。もちろん矢野顕子さんが歌っています。

「あ、いいな」と思ったけどもう夜中だったんで、そのまま寝て、今日の夕方にやっと時間ができて聴きました。今も聴いてます。
矢野さんのアルバムはたいてい聞いてますが、特にピアノの弾き語りが大好きなんです。今年になって弾き語りのベストアルバムが出ていますね。

弾き語りのアルバムの中で、この曲も入っている「Piano Nightly」が一番好きです。曲が素晴らしいのと、しんとした雰囲気がとてもいい。
この「ニューヨーク・コンフィデンシャル」は安井かずみ/加藤和彦コンビの名作です。ほかにも大貫妙子さんの「突然の贈り物」とか松本隆/馬飼野コンビの「想いでの散歩道」、細野晴臣さんの「恋は桃色」などなど。
1995年の作品だったと思います。

矢野さんらしい、のびのびとした自由を感じさせるピアノと声は相変わらずなんだけれど、このアルバムは「端正」というイメージ。居ずまいを少し正さないといけないような気になるのです。
イメージは「夜」。それも「冬の夜」。

ひんやりとしていて、そして優しい…。
しばらく聴いていなかったので、美しいメロディーたちに耳を立てています。
それにしても矢野顕子さんという人は言葉にいのちを吹きこめる稀有な方ですね。
「スーパーフォークソング」というアルバムには「はちみつぱい」の「塀の上で」が入っていますが、それもぼくにとっては絶品の歌の一つです。

さて、寝不足気味です。ちょっと仮眠してからまた書こうかな…。
ほんとに寒くなりましたね。風邪にはお気をつけて。
ではでは。



2003年12月16日(火) こういう人になりたい…リチャード・ボナ

昨晩のNHKBSハイヴィジョンで、津軽三味線の吉田兄弟のNYライヴまでの軌跡を見ていました。たまたまなんですけどね。

津軽三味線を弾くふたりは、どんよくにその楽器と音楽の可能性と枠を広げようと、とてもポジティヴな取り組みをしていました。素直なんですよね。
こだわりもなにも楽器が楽器だからどう弾いても強烈な個性がでるわけで、ティピカルジャパンなスタイルをしっかりと持ったまま、アメリカのミュージシャンとセッションを積み重ねていきました。

やっぱり音楽はいいです。
言葉を越えてますよね。身振り手振りでリズムとタイミングをあわせ、音を合わせ、互いを理解し自分を提出する。なかにはエゴの塊のようなミュージシャンもいるのだろうけれど、エゴとセルフネスとは別物。自分を出すのは当然として、相手に対して聞く耳を持てるのかどうか。

そんなの相手次第じゃんと思いがちだけど、見ているかぎり幸運にも吉田兄弟も回りのミュージシャンも一生懸命アイデアを出し合い、アレンジを練り、バンドとしての音を確立していったんです。
ぼくがミュージシャンたちを見ていて、一番羨ましいな、というかいいなと思うのはそういう瞬間。

そんな人たちの極めつけがベーシストのリチャード・ボナ。今をときめくジャズベースの第一人者です。彼のところへ吉田兄弟が出向いていったのですね。
今ではパツト・メセニーグループの一員として有名だけど、日本とは縁が深くて、渡辺貞夫さんとのアルバムが二枚、うちにあるのではボサノヴァの日本おける第一人者(とぼくが思っている)中村善郎さんのルミノーゾというアルバムにも参加。
素晴らしいベースを聴かせてくれます。

とにかくこの人は優しいんです。全身音楽の塊というような人で、全身を包むオーラがただものではない。とろけてしまうような優しい目をしていて、寛いでいるんですね。もちろん吉田兄弟も歓待し、すぐにその場でセッション。
吉田兄弟の音楽へのひたむきさに、彼らの将来が豊かであるように説明していました。

びっくりしたのは同じフレットレスの楽器の経験者とはいえ、一回で三味線の弾き方をほとんどマスターしてしまった事。笑いながら。

こういういい方はあまりしたくはないんだけど、カメルーンという国のひとたちは音楽に特化されている、というのは本当のことのように思えます。
凄い。歌も素晴らしい。
徹底的に前向き。何があっても前向き。そして他者に本当に優しい。これは学ばねばならないとおもいました。

吉田兄弟の音楽に関していえば、あのビル・ラズウェル(ミック・ジャガーのシーズ・ザ・ボスのプロデューサー)に注目されたのは大きいですね。むしろ向こうの人たちの方がなんの先入観もなしに音そのものに反応するから、思わぬひろがりが期待できると思います。ラズウェルの奥さんのジジの歌うスーダンの古い民謡が驚くほど三味線に合っていたのには驚きました。

ワールド・ミュージック、ですね。どちらかというとディープ・フォレストよりもウェザーリポート(実はこの二つのコンボの音づくりのアプローチは似ているんですが)っぽい感覚でいったら面白いと思いました。
弦を弾く楽器には「音が滑る楽器」、たとえば管楽器とか、弦でも弓で擦る音とかが合うように思うんですよね。シンセとか。ピアノでがっちりコードで縛ることできないでしょ。三味線だから。最初からモードでいくしかないのかな。

門外漢の独り言ですが…。

とまれ、生のリチャード・ボナを見れただけでとても幸せでした。吉田兄弟、ありがとう!
(ちょっと感謝の主旨が変かな)



2003年12月15日(月) e−honネット

今日も本屋さんのお話。
京都でも大きな本屋さんは駅前とかのターミナル周辺が多いのだけど、町中のちいさな本屋さんも頑張ってます。あまりでかけられない主婦や、近所に大きな書店のないぼくみたいな人はご存知でしょうか。

それは「全国書店ネットワークe−hon」といいます。
そこに知り合いの本屋さんが加盟しました。
ゴザンスの本も置いてくれた百万遍の「レブン書房」です。

大きな書店は入っていません。自前のネット持ってますからね。それとメリットが無いと判断している書店も入らないのかな。

このネットで頼むと、いままで中小書店の弱点だった、とり寄せまでの時間が大幅に短縮されます。大手の書店と変わりません。2,3日で手に入るそうです。
下記をクリックしてみてださい。
e−hon
すると、全国の加盟店一覧が出てきます。
思ったほど多くないのが残念なんですが、そこで近所の書店をクリックすると、その書店のホームページが出てきます。
ここが「ごひいき」になるわけですね。
で、ここで自分の会員登録を済ますと、自分専用のページができます。新刊情報や注文した本の出荷状況なんかがわかります。

うちの場合は「レブン書房」。配達の有無も書いてあります。その書店まで本は来るわけです。
これはいいんじゃないでしょうか。小さいところが束になって頑張るって、なんだかいいです。

便利だしね。会員登録はもちろん無料。会費もありません。



2003年12月14日(日) 「書きあぐねている人のための小説入門」

だからいわんこっちゃない。
ネット注文で自宅受取りにすべきだった。そして「自分はなんて小さなやつだ」と反省したお話ー。

J堂京都支店五階、ここはこの本屋さん全ての分野の、とり置きや電話注文の書籍を受け取るカウンターがある。

ある日、2時間しかない一日の隙間をついて、保坂和志さんの「書きあぐねている人のための小説入門」をとりにいった。
この本はよく売れているから、めずらしく「いつとりに来られます?」と、受け取る日にちのダメまで押されてしまった。だから、息せき切ってカウンターに来たというのに…。

「あのー、すいません」
「はいはい」
「とり置きの本をいただきに来たんですが」
そのとき、奥の本棚の「な行」と書かれた大きなインデックスのいたのすぐ後に、その本はあったのだ。あれです、とでも言えばよかったのだろうか。
「どちらさまですか」
「ににににしはらです」
書店員はすでに「な行」に指をかけていた。さすがプロだ。
「なんという本でしょうか」
「保坂和志さんの…」
その時気づいた、絵本をとりに来たOL、文庫を束で受け取っている大学生風、なぜか全国時刻表を3種類もっているおじさん、それらの連れやら、新規で受け取りに来た人たちが、一斉にぼくを見ていることに。
「かかかきあぐねて…」
ちきしょう、絵本を持っている女性がぼくの顔を見て「にやぁ」と笑った。「にやぁ」である。オゾイ。
大学生ふうは横目で笑った。うむむむ。
「書きあぐねている人のための…もにょもにょ」
「はい、これですね」
「はい…それです」
やっぱりね、恥ずかしいよね。え、この人小説でも書こうてんじゃないやろね、うそでしょー。…そんな感じ。
で、あろうことかカウンターの左端でやり取りしていたのだけど、「御会計はこちらです」と右端へ誘導された。案の定みんな顔を見やがる。やいやいやい、小説書くんがなんで悪いとや!!

なにか顔に表情でも出ていたのかな。店員さんがすまなさそうにしている。
いえいえ悪いのはあなたではありません、書きあぐねているわたくしが悪いのです。

ところでぼくの前で「バカの壁」を買っていたあなた。不思議そうにぼくを見るのはやめなさい。爆弾の製造マニュアル買ったわけじゃねえんだから。
くそっ、書きあぐねてんだよ、バーカ。悔しかったらなんか書いてみやがれってんだ。とはいいませんでしたが…。逃げるようにJ堂を後にしたのでした。
しかし、「爆弾」…。ある意味そうかも。こざかしい技術論じゃないからね。
手に入れたらこっちのもんだい、ざまぁみやがれ。とも言いませんでしたけどねっ!

だけど、これはいい本です。そうも言いたくなるぐらいいい本です。
で、今、原稿をチェックしながら、この本を読みながらやっています。だから、書き直しは止めました。誤字やテニヲワのおかしいところとか、時制が間違ってるのとか、それぐらいにして、並べ替え以外は新作を書いています。
自分を変えるために。

小説入門だけど詩とか散文、あるいは表現全般にまでかかわる、全く新しいテキストです。これを読むと読まないでは考え方や姿勢が大きく変わりますぞ。

この日記を読んでる人の何人かはもう持っていると思うけれど、あえて書きます。
ほんとは黙っていたいんだけどね。

この本は必読です!!!



2003年12月13日(土) Heavenly

昼のあいだ、ずっと原稿に集中。過去にサイトで発表したものを改訂していました。あと新しい短いのをひとつ。
だんだんと原稿が揃ってきています。あとは長いものをどうするのかという問題。本の性格が掌編より短い小説が中心なのか、詩が中心なのかボケてしまわないかという懸念があります。

ただテーマは固定され、ガンとしてあるので、テーマにしたがっているのならば、作品のスタイルはかまわない、とも思うのですが。
となると「夕顔の町・改訂版」も入るのかな、と。

all about nishihara であるのならなんでもかんでも放り込むのですが。書評もことばあそびも。

先輩になるミメイさんの本をひっくり返しては、構成を点検してみたりしています。

夕方、我慢できなくなって音楽を。
ウォン・ウィンツァンさんの「海より遠く」。
SEAL ��
バンブー茂 ボクノフネ。

肩がほぐれたらまた原稿に戻ります。



2003年12月11日(木) 引き続き原稿づくり 

「エンピツ」の機能がグレードアップして、ダイアリーの幅が広がりそうです。
一つは画像のアップロードがボタン一つで出きるようになったということ。
もう一つは「草稿保存」機能がついたこと。
忙しくて時間がとれない時など、書いて置くことができる。この機能は本当に嬉しいです。
今までだったら、一度、アップロードしてあとから追加するかたちだったのが、草稿のままでもう一度練れますからね。

これはいいです。(ただし、有料版だけです。)つまりはブログに近づいたということです。というか、ここまで機能がついたらブログはピンチですね。
日本ではやはり、ブログサイトよりも日記サイトのほうが圧倒的に人気があります。また伸び悩むブログに対して大躍進の「はてな」が印象的ですね。

ぼくも今、weblog「WalkxWalk」というのを作っていますけれど、「エンピツ」にまだ無い機能としてはコメントのポップアップとカテゴリー分けぐらいかな。
「エンピツ」を使う人が増えそうな予感がします。

さて、今日も原稿づくり。詩が一つ、長い詩が一つ。
養老さんの指摘を待つまでもなく、一番大切なのはモチベーション。すなわち持続的意志。IQ(知能指数)よりもEQ(感情指数)が必要。
とにかく根気。
それだけです。

ではまた原稿にもどります。
聴いていた音楽はまたしてもSEALでした。



2003年12月10日(水) 原稿づくり

空いた時間に少しづつ原稿に手を入れています。
詩が三つ。散文が一つ。

新しい原稿も書き出しました。あくまで「光」。そして「普通」である事。
ぼくらしさだとは思いません。この作品集がなにかひとつの筋で貫かれている事が大事。ぼくのことなんてどうでもよくて、大事なのは作品。

昼過ぎぐらいにヤマハから郵便でカスタムCDが届きました。
ヤマハが持っている、市販されていない過去の作品のテープを個人のオーダーメイドCDとして作ってくれるのです。
頼んでおいたのはバンブー茂の「たまゆら」と「夜のメロディー」。二曲から注文を受けつけてくれるんです。

プロデュースが今と違いますね。タケコさんの声がサウンドの中に埋まっています。今のように前に出てきません。ミキシングやトラックダウンでも大きく変わってしまうようですね。このころの音はもっとプロデュースできるな、と感じました。

サカサイさんのギターは印象的なリフがあって、今よりずっとロックの色が濃い感じ。曲のコンセプトなのかもしれないけれど。

時間は飛んで、夜。
ふと800字を書いていない事に気がついて、とにかく書こうとPCの前にすわり書き始めました。突拍子もないひねりはなし。というかできません。浮かんできた事、オーディナリィなことがらを素直に書いていきつつあります。

この日記を書き終えたら、もう一度戻って仕上げてしまおうと思います。

昨日から外の猫たちに湯たんぽサ―ピス。朝になったら5匹がくっついて寝てました。
家の中も、人間も使おうかと思ってます。ガスストーブなんかよりずっと経済的だし、寝る時の足元が抜群に温かい。今は昔の金属製だけではなく、綺麗なデザインのプラスチックのもの、サイズの小さいものなどとてもコンパクトになってます。値段も安いし。

これを書く直前に、猫ダンボールハウスに断熱シートと靴の袋とで二重にくるんで火傷しないようにして入れておきました。

さてと、また原稿に戻ります。
では。
今聞いているのはSEALです。



2003年12月09日(火) 気分一新

今日から、本づくりの作業を具体的に開始した。
自分でこれは、と思う作品を挙げていって目次をくみ、出せるものは全部プリントアウトしてみた。

どうだろう、量が少ないかも知れない。
それにプリントアウトした紙の上では、作品が全く違った顔を見せる。
考えて見ればあたりまえなのだ。紙はスクロールできない。ページを繰っても消えてはくれない。

溜息。

訂正加筆は当然と思っていたけれど、素材は使うけれどほとんど全部、書きなおしに近いんじゃないか。それほど「穴」が見えた。
紙媒体になって、それでもこれ以上は直せないと思えたのが、婦人公論での入選作の三つだけ。さすがに…。

そういえばこれはB4の原稿用紙指定だった。
紙に書かないとだめだな。PCで作るのは良いけれど、一度プリントアウトしたものを読まなければわからない、というか見えてこない部分がおおいに「ある」。

紙媒体にして「読者」になってわかる事。これがとても貴重。
「胡麻屋の辻」という作品にしても、前後3つの詩で一つになりそうだ。

だけどもっともっと作り変える事ができるはず。
ゴザンスの800字、ブログにまで手を広げて素材を拾い出してもう一度磨きをかけていかないと。

だけど、さすがだなと思うのは、やはりそういう「スキ」の無いものがコンペで選ばれているということ。選者の眼は誤魔化せないということ。

それに自分のタイプがはっきりとわかった。それを知るだけでも本を創り出した意義はあったというもの。あとはひたすらよい本に仕上げるのみ。

一つずつつぶしていきます。



2003年12月08日(月) あんばるわりあ

待望の詩集を手にしました。
「Ambarvalia」/西脇順三郎 の初版本に限りなく近い復刻版です。
詩集そのものは有名で、西脇さんの全集などには収録されているんですが、初版のイメージそのままのものを手にしました。

日本図書センターです。
いわゆる全集や文庫ではなく、詩集として世に出た時のイメージそのままのシリーズ。ほかにも朔太郎の「月に吠える」、中也「山羊の歌」、ぼくが次に買おうと思っている草野新平の「定本 蛙」など。

いってみればコレクターズアイテムです。
でも「詩集を手にとった」という感激がありますね。
朔太郎はよく読みましたが、西脇さんはそれほど読んでいなかったんです。たぶん、それが詩を書くぼくの枠をいまひとつ広げていない原因だと思います。

解題にもありますが
近代詩は萩原朔太郎から。現代詩は西脇順三郎から。この主張に深くうなづいてます。
どうしてもシュールリアリスト、というイメージがあるのかも。だけどいわゆるごりごりのシュールリアリストの詩ではないですね。
もっと自由です。はるかに。

超現実もドグマにまみれてしまっては硬直してしまうんじゃないかなと、ぼくなんかは思うんですけどね。
シュールな論理は素晴らしくても、そこから出てくる詩がとても貧しかったり。

西脇さんの詩は違います。
じゃあなにか。「享楽」…あえて言葉を上げるとするならそう。それも飛びきり上質の。常に地上から数cm浮き上がって暮らす人たちの部類。
あ、即座に反応した人がいそうだな。その人知ってるって…。

そう、そういう詩人はいるけれど、先達として、またその言葉の想像力の素晴らしさにおいて、西脇順三郎という詩人は魁であり偉大です。

その一行一行の練られ方。言葉の使い方。すべてが勉強になります。
いまごろ、と思われるかもしれないけれど、砂にしみる水のように西脇さんの詩が読めるまで、これだけ時間がかかったという事です。
血として肉として読めるまで。
昭和8年の初版。

冒頭の詩を。三行だけです。

      天気

   (覆された宝石)のやうな朝
   何人か戸口にて誰かとさゝやく
   それは神の生誕の日。


遅まきながら凄い刺激を浴びています。



2003年12月07日(日) 草加せんべい

今日は、バンブー茂のインストアライブの日。始まるのは13時だけど、12時半に行けばなにかもらえるというので、早めに自転車に飛び乗って…と思っていたんですが、ここでアクシデント発生。ハナが散歩と勘違いしてくずり出したんです。

今日は北西の風が厳しくて、空は晴れていたけれど寒い日。体調壊したのかな。それにどうもおしっこもしたそうなので、急遽、犬の散歩グッズに取り替えて外に出ました。ジャンは留守番でぐーぐー寝てましたけどね。

ハナはやっぱりお腹の調子が少し悪かったみたいだったけれど、出すものを出したらすっきりした顔。これなら大丈夫と判断して、そこから大急ぎで帰って、(帰り道のハナのうれしそうなことといったら…)トレックにまたがり、高野橋まですっ飛んでいきました。

HMVの入っている「カナート洛北」というのは高野橋のたもと、ホリデイ・イン京都の横にあります。
昔はスケートのアリーナとボーリング場だったんです。そのだだっ広いスペースの二階へ。

オベイションのギターと、打楽器各種、ヴォーカルスタンド、今日は3人だけのライブ。
曲数は少なかったけれど、とても中身が濃かった。アレンジは全部違うし、昨日書いた、「髪」もやってくれました。

驚いたのは演奏の激しさ。アコースティックだから静かなアレンジかなと思ったら、リズムのメリハリはびしびし決まるし、なにより音がものすごく「鳴っている」ということにびっくり。それに乗ってのタケコさんのヴォーカルがまた、かっこいいんですよ、これが。

ここだけの話ですけど、タケコさんという人は舞妓さんにしたらとても似合うタイプの人です。とてもおしゃれで可愛さと鋭さが同居している雰囲気。
インストアというのはお店の中で目の前での演奏だから、ぼくはちょうど彼女の正面に立っていたんですけど、いやー、いいです。聴くたびに魅力の見つかる人です。

お店のライブなんであっという間に終了。「縁側ー宇宙」も聴けたしよかったです。
あとCD買った人とサイン会があったんですけれど、ハナのこともあるんで大至急、家に帰りました。帰ったら全然平気で、けろっとしてたんでほっとしてます。
なかなかサカサイさんとも挨拶ができませんが、すんまそん。

そうそう、会場についたのが1時10分前だったんですけど、まだグッズをプレゼント中。こないだのFMで聴いた合言葉をいって「グッズ」をゲット!!
へへへ、それはメンバー全員のサインの入った一枚の「草加せんべい」でした。

お・あ・そ・びですな。楽しかった。

えーっと中央の柱の横にいた、真っ赤なウィンドブレーカーのやたらと背の高い男。それがぼくでした。ひょっとしたら面が割れたか!!





2003年12月06日(土) 「髪」という歌

今日は細かな雨が降ったり止んだりのぐずついた1日。
1日中、犬と猫と家の中にいて、ほとんどパソコンに向かってました。
ゴザンスのほかのライターたちの作品を読んだり、自分の作品をひねっていたり。

「100人の読む本」については編集部との打ち合わせの前に、コンテンツを立ててみました。コンセプトというよりもテーマという糸で縫い合わせるように幅を持たせてみようと試行錯誤。結果としてA Day in the Lifeのようになりました。

これで内容を並べて、つないで見ます。

そんな作業をしながら1日中聴いていたのは、「バンブー茂」。彼らのフルアルバム「ボクノフネ」は聴けば聴くほどよくなる。するめみたいなCDです。
しかしまあ、よくもこんな個性の三人が結びついたと思いますよ。ほとんど奇跡に近い。

奇跡というのはだけど、こういう結果が出たから思うのであって、努力なしの奇跡はないな、と改めて思った次第です。
サカサイさんのギターの一撃でファンになったんだけど、タケコさんの声、山さんのタイトなドラムの素晴らしさにも気がついて、そして三人の作詞作曲の能力とサウンドへのこだわりのポテンシャルの高さにも気がつきました。相当なものです。

聴いていると声の質の微妙な違いはあるけれど、タケコさんは時々Charaさんのように聞こえてくるんです。あのとんでもないライブでの声のような。
瞬間にみえるときがあって、ぞくっとしてしまう…。

「髪」という曲があります。歌詞にまず聞き耳を立てるんです。いつも。
で、最初はちょっと待って、というふうに聞いたんだけど、
うん、聴いててわかった。あ「歌」だ、と。とても切ない歌。

この曲の作曲はサカサイさんなんだけど、たまらないメロディー。
山さんのペンによる「クリームソーダ」とともに一番リピートしてます。

明日彼らは京都のHMVカナート洛北店に来ます。同志社といいカナートといい、京都の北に来てくれるのがありがたい。家から行きやすいもんで。
明日は三人だけのアコースティックライブ。とても興味があります。



2003年12月05日(金) 現代詩年鑑2004

現代詩手帳の12月号は必ずその年の年鑑になります。だから分厚いです。値段も2400円。

2003年の総決算だけどタイトルは「2004」。
討議と書評集と展望とアンソロジー(2003年の代表詩130篇)
そして詩人へのアンケートそして圧巻の資料。詩人住所録と詩書一覧、詩誌一覧。
以上がコンテンツの柱です。

何せヴォリュームが凄いのでゆっくりと読んでいます。
どうしても好きな詩人の詩集に目が行きますが、井坂さんの「箱入豹」は幅広く評価されていますね。アンソロジーにも入っているし、書評は藤井貞和さんによるという、おいしい読物になっています。

展望の中では近藤洋太さんの文章が読みやすくて、そこから読み始めていますが、全ては読みとおしていません。
アンソロジーのなかにでた詩で、新たな詩集の購入も考えたりするんですが、まだ詩集になっていないもの、新聞や文芸春秋などに掲載されたものにも
、いいと思うものが結構あります。
このコーナーも量が多くてまだまだ読めていないんですけれど、作家でもある高橋源一郎さんの作品と高橋順子さんの新しい詩にひかれました。
順子さんの詩は名前こそ出ないけれど、夫君、車谷長吉さんとの会話がおもしろいです。

詩集で絶対落せないなと思ったのは、白石かずこさんの「浮遊する母、都市」。
これは「展望」のなかの女性詩人にフォーカスしたテキストの中で、井坂さんの「箱入豹」とともに本年の収穫とされているし、書評でも取り上げられています。
あと谷川俊太郎さんの「夜のミッキーマウス」も未読でした。
野村喜和男さんの「ニューインスピレイション」はあんまり人に言わないでこっそり読みます。(へへ必読、かもしれませんよ。素晴らしいですから)

ネット詩に関する記述はあるのかないのか、これから精読してみないとわかりません。
なにより一番嬉しいのは、優れた詩に出会うと視界がぐーーんと広がったように感じられることです。人生のレンジが広がるというか。
これは…、と息を呑むような言葉のありようによって、ですね。

詩は豊かです。
こうして1冊、眺めているだけでもずっしりときますね。

さて、自分の本ですが、アンソロジーのためのコンテンツづくりから始めました。
対象は2000年以降に書いた全ての作品。ゴザンスの800字も対象にいれています。ページ数やボリュームなど、まだなんの動きも無いんですけど、自分で作れるところは作り始めています。当然加筆訂正があるので早めに動こうか、と。

もし、この作品は紙で読みたい、という作品があったらメールなりBBSで教えてください。ご希望にはそえないかもしれないけれど、参考にさせて頂きます。



2003年12月04日(木) 「100人のための本」に参加します。

ネット出版局「ゴザンス」で、「100人のための本」という企画が立ち上げらました。
こちらを参照

100人の読者がいる、あるいは100冊売れるという確約のある人の本を初期費用無料でつくりましょう、という企画です。
ゴザンスではこれまでもオンデマンドのネット出版として50点以上の作品をだしてきました。作りたい人は初期費用5万円で本が作れるという、
画期的というよりも革命的な事業を「ほんとうに」やってきたのです。

普通、自費出版の場合、最低でも新車の軽自動車1台分の費用はかかりましたから。まさにネツト時代が生んだシステムです。
システムそのものの問題点を超えて余りあるインパクトがあると思います。

ぼくがそもそもゴザンスにかかわり始めた最初の動機がネオブックでした。
ただその作業を続けていくうちに自分は時期尚早だと気がついたんです。力不足を痛感しました。

身近な人間は婦人公論への詩の投稿の入選がこれでもかと続くぐらいじゃないとだめだというし。

だけどそろそろ作るべき時期がきたと判断し、ゴザンスに企画書を送りました。
返事をすぐにいただいて、この度本を作ることになった次第です。
「100冊」のなかには、ぼくのサイトやここに来てくれている方は含んでいません。すべてオフラインの人たちです。友人なども含めて。
だけど、もちろん読みたい方が最優先ですから「オフよりオン優先」でいきたいと思ってます。

とはいえ、どのような販売形態になるのか、入稿や表紙などのスケジュールもまったくの未定。
これからゴザンス編集部の方との作業が待っていると思います。

少し気が早いけれど、ここを読んでくれている人たちだけにはご報告しておきます。
さらに気が早い人で、絶対読むよ!!というかたがおられたら、ハンドルネームだけでも結構ですから、
サイトの掲示板にでも書きこんでいただければあり難いです。その方の分だけとりおきしておきますから。

100冊売る、という事は力技ならば、できます。ほんとに。
ただ、100人の読者を獲得することはほんとうに大変なことだと思っています。
とりあえずスターボウの声をあげました。

しっかりした本をつくります。



2003年12月03日(水) 彼について

最近、団塊の世代以下の人たちに骨髄性再生不良貧血が多い。つまり白血病なのだけれど、突然発症して入院、という人間を何人か知っているし、
かつて一緒にジャズのクラブなんかに入り浸っていた人で、亡くなった人もいる。

それとは別に、もっと若い世代での脳の障害がどうも多すぎる気がして仕方が無い。これも知り合いでいる。たいてい脳梗塞かクモ膜下出血だ。
だいたい子供がいて、両親もいる。

おかしい。なにかおかしい、というぼくも一度倒れたことがある。一時的なものだけれど、アスピリンは手放せなくなった。それ以上に食事には気を使うようになったけれど。

酒もタバコもとうにやめてもう十年以上だけど、十年ごしの呪いのようにやられてしまった。酒とタバコを続けていたら、今ぼくは生きていないと思う。

だけどやられる人間がみな、若すぎるよ。これはおかしい。
たべものとかストレスとかが原因なのだろうか。
免疫系と血管系が特におかしい気がする。

先日、ぼくよりはるかに若い彼がクモ膜下出血で倒れた。奇跡的に一命を取りとめたものの、右半身が不随。自分が誰であるかということも30年間の人生の全ても失ってしまった。

奥さんと子供さん、そしてご両親のことを思うと、ただただ痛ましい。
柔道の強い健康な男。そして柔道漬けの学生生活を送りながらも小説の虫のような男だった。暇さえあれば小説を読んでいた。

好きなのは椎名誠、中島らも。ほかに新刊ででてくる小説はあらかた読んでいた。
二度しか彼とはなしをしていないけれど、強烈に印象に残っている。
ぼくが村上春樹がいいというと、彼はスノビッシュなほど、知らない小説家をすらすらと挙げていた。

いつか、にしはらさんのも読めたらいいですね、という彼の言葉を覚えている。
そして彼は言葉を失った。「自分」が誰であるかも。

くそっ。
そんなときにぼくは、自分の本をつくろうと思っている。

悔しい。



2003年12月02日(火) 微笑

今日は禅宗の僧侶の方の新聞コラムに書かれていた素敵な仏話のお話です。

まず仏像の話から。
奈良・法隆寺の百済観音像や京都・広隆寺の弥勒菩薩像は口元に不思議な微笑を浮かべていますね。微笑みは仏様の慈悲を表すとされていますが、美術工芸の観点からはギリシャ彫刻に微笑の原点はあり、アルカイック・スマイルとよばれています。
ところが、後世の仏像からは微笑みが消えています。7〜8世紀ごろからなんですが、口元をぐっと結んでいます。威厳を感じさせるように変容していくんですね。
しかし、仏教はじつは微笑の宗教なのだ、と。しかもそれは禅宗の世界で復活したと筆者は主張されます。

天竜寺管長の平田精耕老大師は
「キリスト教は愛の宗教、イスラム教は怒りの宗教、そして禅は笑いの宗教」といわれたとか。禅が笑いから始まったといわれると、にわかには信じ難いのですが、次のようなお話が紹介されています。

ある日、釈尊が説法のとき、なにも言われずに花を1本さしだされました。
それを見て迦葉尊者というお弟子さんがただ一人、にっこりと微笑まれたのです。
それを見て釈尊は「わたしの教えは迦葉に伝わった」とおっしゃったそうです。

では彼は、何故笑ったのか、なにに笑ったのか、そして何故釈尊はそんなことを言ったのか。
なるほど、難解きわまりない禅問答の最初がこれだとしたら、たしかに禅は「笑いの宗教」ですね。

アリストテレスは「人間だけが笑う動物である」と言いました。
ぼくに言わせると人間と暮らしている動物たちも笑います。でも不思議ですね、笑いとはなんでしょう。

すくなくとも皮肉な笑いも含めて、人を活性化していることは間違いないですね。
「笑って忘れる」というのもあるし…。

ただ、ぼくはこの話を読んで、なんとなくほわん、とした暖かさ、温さを感じるんです。なんだかいいな、と。
理由なんていらないじゃん、みたいな。

実は、個人的に親しい僧のかたに「肩の力を抜きなさい」とアドバイスを受けました。自然のままでいいんだから、とおっしゃるんです。もし、「肩に力が入っている」のなら不安から来ているのだと自分では思います。
「あなたの職業はもう『詩人』でいいんですよ」といってくれた方なので、その「肩の力を抜く」という言葉を味わっているところです。
「自然に書けばいいんです」
その言葉の深さに励まされています。
書いている自分を信じる。それしかないんですけれど。
それも先ほどのお話のように「ほわん」と力の抜けた感覚でいきたいな、と感じたのでした。

今日はものすごく久しぶりに昔のUAのCDを引っ張り出して聴いてます。
今日は「バンブーナイト」でもあります。
ということで早めに仮眠を…。

ではでは。




2003年12月01日(月) HEAVEN

昨日書いたように
「HEAVEN」
という詩を掲載していただきました。このエンピツで知り合ったワタナbさんの編集されているサイトです。

http://mypage.naver.co.jp/tokoroten/tokoroten-dokoro12.htm

兄のことを書いた詩です。実は最初はもっと長くて、三人の死が登場するものでした。
与えられたテーマは「人」。人とのかかわりで自分を突き動かしてきたもの。あるいはそのようなものを感じさせる人について。
いろいろと考えたんですが、やはり死者に対しての思いが強いということに気がつきました。

そのなかでさらに自分に肉迫するものは、やはり肉親になります。あとのお二人についても、書いた稿はすでにあるので、いつかこの場で公開できることもあるかもしれません。

最近、「光」というテーマをさらに追っていこうと再々確認しました。
終われるテーマではありません。それがわかったんです。
この詩を書いていて、やはり最後は「光」に行き着いたのです。

今日の書いた「仕事」は詩を進めることでした。先月はとうとう投稿できなかった婦人公論への詩です。
「言葉を砥ぐ」
この投稿へは、その一点に絞ってます。

一行だけできました。
明日も書きます。


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