「月見草辻子」をアップしました。
短いお話です。
| 2006年03月29日(水) |
キョウトダマシイ ムラサキダマシイ |
天気が荒れた。大風が吹き、霙が舞った。 かと思えば抜けるような青空が現れもした。 気温は真冬に逆戻り。 そんな夜にサッカーを観に行った。
京都パープルサンガ対川崎フロンターレ。 京都はJ1の最下位である。今日はナビスコカップ。 どの試合を観ていても「勝ち味」が遅いのが気になる。 もうとうの昔に松井大輔もパク・チソンもいないのだ。
メッセンジャーバックに折りたたみ傘、オーバーパンツ、靴下に貼るカイロ、双眼鏡、座布団、膝掛けを入れ、コートと手袋を着用して自転車で西京極まで行った。
持ち物はまだあって、ちくま文庫の内田百�僚言�とデジカメである。 なにもサッカーを見に行ってまで文庫を読む事もなかろうと思うのだが あんまり酷い試合をするなら読んでやろうと思った。 西京極はメインスタンドにもほとんど屋根がない。吹きさらしの競技場である。キックオフは午後七時。冷たい夜になるのは必定だった。
ぼくの席はメインスタンドの前から4列目。この辺りがぼくのベスト。 気温はどんどん下がり小雨も降る。本なんてとても読めない。 それに今日のサンガは4−3で負けたとはいえ、いい試合をした。 試合から目を離せなかった。もう少しこのメンバーでじっくり練っていって欲しい。
だけどぼくは試合よりもスタンドのほうが愉しかった。 これだけ若い熱心なファンの声援の横にいたのは久しぶりの事だ。 ましてこんな寒い夜。チームは最低の状態。観客数は3000人しかいない。 観戦に来るのは、サポーター以外はコアなファンに違いなかった。 彼らの中にぼくはいて、熱が伝染した。
ぼくの周りにいたのはほとんどが若い働いている女の子かサッカー好きの中学生男子。彼らの前のめりぶりに惚れた。 その外にいる無口な中年たちの溜息もよかった。
昼から天候が激変。雷が鳴った。 雷が鳴って、これで春になるという人もいたけれど 実際は冬に逆戻り。だけどもう刺すような冷たさはない。
愛犬ハナは雷に弱く、ぶるぶる震えて部屋の隅にうずくまってしまう。 人がいる時はずっと撫でてあげられるけれど、いない時は一人でじっと我慢しているんだろうな。 おそろしい雷も必ずいつか終わると信じて。
創作を前進させる。
京都で桜の開花宣言がでる。 京都の所謂「標準木」は円山公園かと思っていたら、気象台の敷地内のソメイヨシノだそうだ。
(円山公園のしだれ桜は枯れかかって酷い状態です。観光を考えておられる方はチェックしてください。)
笑うに笑えないのが大阪で、大阪の標準木は大阪城公園にあるのだけれど、他の桜がどんどん開花していくのに、肝心のその木がいつまで経っても咲かないのだという。 どうだろうか。今日ぐらい咲いたのだろうか。
暖かだった。 なんだか緩む。光が気持ちいい。
春の天候はめまぐるしく変わる。 京滋では「比良八講、荒れ仕舞い」といって、 比叡山の僧侶による琵琶湖での「比良八講」の儀式が済まない事には春は来ないという言い伝えがある。 「荒れ仕舞い」だから(「仕舞い」は「終い」と書いてもいいのだけれど)その頃は大荒れの天候になるのが常であるとも。
その「比良八講」が、たぶん今日行われているはずである。 今日の天候は薄曇りで暖か。風はない。 しかし、天気予報によれば今週の水曜日ぐらいには再び寒気に包まれるという。 大荒れはまだ来そうである。
沈丁花が咲き始めた。
何ヶ月か果たせなかった詩の投稿をする。 昨日に続き今日も快晴。 冷たい風。
サイトのトップページの画像を入れ替える。 おすまししているピピ。
今、文体がとても動いてしまっていて、あらゆるものを書き直している。
松井冬子さんの「盲犬図」の撮影されたレプリカをずっと観ていた。 この人の日本画は不思議だ。目の見えないボルゾイに奇妙な首輪。 この方の絵は「文学」だと思い続けている。 そこから起ち上がる言葉がある。 一陣の風。強烈に何かを示している怜悧な覚醒。
「手で作る本」山崎曜・著(文化出版局)が届いた。 シンプルでとてもおしゃれな本である。 中とじ、和本、ハードカバーなどさまざまな製本方法が多く紹介されている。 いままで読んできたPCによる製本技術の本と違い、完全にペーパークラフトの技術に重点が置かれている。
中でいちばん面白そうに思えたのはイタリアの製本修復家カルメンチョ・アレギの考案した、まったく糊を使わない製本スタイルをアレンジした「交差式製本」である。 これならば紙の色、紙質などでアクセントがつけられる。 京和紙の「唐長」さんでも覗いてこようかという気になる。 市販本にはできない事ができる気がする。 問題は針と糸をぼくがどこまで使いこなせるかだけれど、 試作を繰り返せばスキルアップはできる。
だがそのやり方だと100冊を今すぐに、という事は無理だ。 一日何冊できるだろう。ひと桁が精一杯ではないか。 どなたかに記念として2冊か3冊、贈呈するのならばそれでもよいのだが。
装丁の綺麗な本、あるいは製本の工夫に充ちた愉しい本にはとてもひかれる。 しかし、それが第一義ではないはずだ。そんな思いが心に充ちてしまった。
「音函」の製作の時でも執筆が停滞してしまった。 その経験を生かして製本するならば、作品ごとに小冊子をつくり それを紙函に入れるというやり方がよいように思える。 それにしたってぼくにとっては書く事が第一義であるはずだ。
書く事である。
夜。 ハイヴイジョン特集で「中村吉右衛門、還暦からの挑戦」をみる。 実父の先代松本幸四郎が挑戦した、当時禁止されていた浄瑠璃と歌舞伎の融合という実験的な、僅か二日だけの公演(大喝采を浴びたという。若き吉右衛門も出演している。)の演目を新作歌舞伎に書き直して新たな伝統のページを開こうという試みである。
(当代松本幸四郎と当代中村吉右衛門は兄弟である。したがって甥に当たる当代市川染五郎も出演している。染五郎の役は昔、若き吉右衛門が演じた役である) 題は「日向嶋景清」。
台本を起こし、稽古や公演の都度に台本に書き込みを重ね、原稿をなんどもなんども書き直していく真摯な姿に打たれた。
演じている姿はまるでマクベスのようだった。
| 2006年03月23日(木) |
「冥土」を読んだからだ。 |
昨日、あんなことを書いたから、夢の中で兄が私のところへやって来た。 来ただけで私には声は聞こえなかった。聞こえなかったけれど、兄とは別に私の好きな「ヨコハマ」を書かねばなるまいと思った。兄がそういっている気がしたのだった。顔を見ればだいたい何を言いたいのかはわかる。
そうだな、兄弟というのは好きなものを別々にしたほうが、たいて万事うまく収まるのだ。小さい時はもちろん大きくなっても。死んでからでさえそうかもしれない。きちんと分けておかねばならない。
私の好きな「ヨコハマ」はエディ藩だ。 もうずいぶん長い間この人のアルバム「ブルージェイド」は愛聴している。 「淑珍(スーザンと読む)」「Back to Chinatown」「横浜ホンキートンクブルース」などがはいっている。
午後、薄日の中で珈琲を呑みながらブルースを聴く。 酒なんて一滴もいらねえ。 彼岸がゆっくり消えていく。
(「冥土」内田百�僚言�・3 ちくま文庫)
雨の降る薄ら寒い日だった。
久しぶりに陳信輝のギターを聴いた。 今は亡き兄のヒーローだった。兄と二人でクリームのホワイト・ルームをon timeで聴いたのが中学生の時だった。それから二人でロックとジャズを漁るように聴きだした。 二人の好みはどんどん離れていったけれど、ピタリと一致する趣味もあった。
それがフード・ブレイン。 ギターが陳信輝、ベースがルイズルイス加部、ドラムスがつのだひろ、キーボードが柳田ヒロ。 このグループの作品を聴いて混沌から生まれる信じがたい一瞬を経験した。 明らかにフリーセッションの生み出すものに焦点を当てた作品だった。 陳信輝のアプローチは明らかにジャズの影響が強く出ていて、それもインプロヴィゼーションの域に達していた。
はるかに時代が下り、もはやギターを置き、ビジネスマンとして辣腕をふるう彼にインタヴューした記事がかつてのブルータスに載っていて、それによるとやはりローランド・カークなどを熱心に聴いていたという。
兄は高校の時からドラムを叩きはじめ、結構なとこまではいったと思う。 かつてふたりで熱を上げていた作品を聞きながら、その頃の事を思い出していた。 そして作品の変わらぬ新しさに改めて感心もしていた。 ぎりぎりまで自由を標榜した精神の生み出したものは、いつまでもスリリングなままだ。
だから「ヨコハマ」は憧れだった。 亡くなる前に兄はそこで暮らしていた。
今日は近所の大学で卒業式があった。 大学のロゴマーク入り紙バックを持ち袴姿の卒業生が街を闊歩していく。 袋には記念品一式が入っているのだろう。
ハナを連れて散歩していると、前方で老人二人が立ち話をしている。 あでやかな女子を見て、ふたりなにやら語りあっている。 「なんやな 、あれは」「ん、卒業式か」「今頃卒業式なんてあれへんやろ」 「そやなあ、ほな入学式かいな」「そやなあ時期的にいって入学式やろ」
じいさんたち、今頃入学式してる大学がどこにあんねん。 ええ歳して卒業式の時期もわからんようになったんか。 血圧が上がる。深呼吸深呼吸。
年々、街をうろうろする年寄りたちが増えている。 昼の時間、勤めているものたちは気がつかないのだが たまに平日、郊外のスーパーとかにいってごらんなさい。 年寄りが多い。それもじいさんの姿が目立つ。最近はおじさんも増えた。 何を買うでもなく店内を遊泳するじいさんとその予備軍たち。
これからさらにこの傾向は進んでいく。 ぼくもそのひとりになっていくのかと思うと複雑な気分。
ところでWBC、よかった。イチローが何度も「素晴らしい仲間」といっていたのが印象的だった。
| 2006年03月20日(月) |
なんて綺麗に晴れてくれて |
見事に晴れた。 朝は相当冷え込んだけれど、気温は上昇。 一日中光の中にいた感じ。
ある方から、拙著「音函」はまるで女の人が書いているようだ、と言われる。 女の人の一人称で書く事が多いからだろうか。
その方からもそろそろ次の本を、と声がかかりそうです。
夜。 エディ藩「丘の上のエンジェル」、ゴールデンカップスを聴く。
天候変動の激しい一日。 曇、雨、みぞれ、晴れ、なんでもありだった。彼岸の入りである。 強い北風がずっと吹いていた。 明日の朝は零度になるらしい。
この寒さにもかかわらず、わが家の薔薇たちの若葉がぐんぐんと成長している。たのもしい。
猫の誕生日が近い。ルルとピピは五歳になる。
庄野潤三「ワシントンのうた」を読む。「文學界」に連載されている。 庄野さんを読むと息が静かになる。
| 2006年03月18日(土) |
「河原荒草」伊藤比呂美 |
素晴らしい詩集だ。
この詩たちがその生活から起ち上がったのであろうと想像すると、 そのうみだしたダイナミズムの「手つき」に驚く。 その「手つき」は逞しく優しい。 詩の、リズムに溢れたエネルギーが素晴らしい。 この詩集を手にする人には、できれば一気読みして欲しいと願う。 そのことがより身にしみるように思えるから。
詩人伊藤比呂美が日本とアメリカを往還する暮らしを続けていることを 知らないものでもこの詩集を読み進めるうちに了解するであろう。 詩篇中、「私(長女)」たち一家はアメリカではサンタアナ(時として人を殺すという熱風) 吹きすさぶ荒れ地に、日本では河原に住まう。「死骸の父」「犬たち」も。 生き抜く詩篇である。 雑草の力強さに似て、生死、美醜を包み込む生命力の象徴としての「草」になぞらえて。
時としてその「草」の視点で書かれた詩篇でもあると感づく。 突然、姉妹弟がそれぞれ帰化植物の名を、詩の中で与えられもする。 帰化植物=移民=私たち、という重層のイメージが浮上してくる。
死んでも死なない。殺されても生き返る。人は植物に懸想される。 凄まじい生命力の塊として。そしてそれを曇無く見る眼として。 ある時は数行に昇華していく詩のこころとして。 圧倒的である。 ぐんぐんぐん、と来て、ぎゅううと読者はカタルシスへと 詩とともに向かうのだ。
昨日、ノートに書いた日記をパソコンに打ち込むのを忘れた。 ノートに書いた事を忘れたからだ。 だから今日は、昨日の日記もアップロードした。
今日は冷え込みもゆるみ、朝から雨が降り続いた。 これぐらいの寒さ、これぐらいの雨、これぐらいの灰色の中を歩くのは好きだ。
創作ノートをつける。
昨日、古書店を覗いた。 谷崎潤一郎全集があった。全巻揃いで二万円。金子光晴全集もあった。ともによい紙でできた函入りの豪華な本。 金子全集は半年間、店頭に並んでいる。永井荷風全集は売れてしまっていた。
夜も更けて、雷鳴。
朝は冷えたけれど、終日晴天ですがすがしい一日。
夜、BS−Highvisionで遠藤周作氏の留学時代の日記の跡を追う番組を見た。
終戦後初の国費留学生として遠藤氏は渡仏している。 肺を病み帰国するまでの、遠藤氏の生活、旅、出会った人を追った番組であった。
長塚圭史氏がナビゲイターとして、ゆかりの場所で当時の事を書いた遠藤作品の朗読をし、ゆかりの人物にインタヴューを試みていた。
朗読された作品は「ルーアンの丘」「コウリッジ館」「日記」「神父たち」など。
番組をつうじて浮かびあがって来たのは、孤独の中で信仰と自身のあり方に懊悩する姿だった。 詳細は書かないけれども、直截な言葉が日記には記されている。
遠藤さんが亡くなってから初めて公にされたフランソワーズという女性の存在を記した部分には胸が揺さぶられた。 もちろん奥さまはご存じで、(そういう事があって当然です。ない方が気持ち悪い、とおっしゃる)氏の帰国後、彼女は来日しているという。その時、二人の間でどんな話があったのかはわからない。
まるで鴎外「舞姫」を彷彿とさせる話なのであるけれど、一度は結婚しようといいながらも結局、帰国によって別れた二人。 パリからまるで逃避行のようにリヨンを経てマルセイユへ至る二人。「日記」にはフランソワーズを思いやる言葉が溢れている。
そして「昨晩もわたしは彼女に指いっぽん触れていない」という記述。 そのことを「誇り」に感じている遠藤氏。 「Paul遠藤」の面目である。
留学した時から「毒薬」という象徴をつかまえていたこともあきらかになる。 遠藤氏。それは信仰と生活の葛藤の中から生まれたものであった。
貴重な「日記」を「読ませて」頂いた。
| 2006年03月14日(火) |
ブレイクスルーの先には… |
「ウェブ進化論」(ちくま新書)を読んだ。
(ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる ちくま新書 582 梅田望夫/著)
ネットに関連して、ネガティヴな論ばかりが目につくなか 少しは「前向き」な気分になれるかな、と手に取ってみたのだ。
いったい何がどう進化するというのか興味があった。 通読してみて、この本の論点について、紹介されている将棋の羽生善治さんの言葉がすべてを言い尽くしていると思った。
羽生さんは「ネットは高速道路だ」という。 知識やデータなどあらゆる情報がネットで素早く手に入り、パソコン上で 加工・再現できる。それを手にした人は過去のいかなる時代にもあり得ないスピードで将棋の上達を果たすことができる。
しかし、それに続けて「高速道路の大渋滞」という言葉を羽生さんは使う。 誰も彼もが「高速道路」に入り込んだので、あるレベルまではすぐに到達するけれど、「そのあと」がないから「大渋滞」を引き起こすのだと。
グーグルの登場やブログの普及により、世界はまさに根源的な変化を引き起こしつつある、と筆者は言う。 知の共有が猛スピードで進んでいるのだ。筆者が言う「エスタブリッシュメントからの脱却」も確かに進んでいくのだろう。 だがそれでも「大渋滞」という認識は筆者も抱えている。
そこでキーワードは「ブレイクスルー」(脱却、とぼくは訳しておきます)となる。 有り余る情報を手にして、さてどうするのかという事だとぼくは理解したのだが。
羽生さんは、触覚、聴覚をはじめとする自らの持つ感覚のすべてを動員した将棋を指したい、と語っている。 それが彼にとってのブレイク・スルーであり、我々にとってもその言葉は示唆深い。
情報は情報でしかなく、実体ではない。 たとえいくら持っていたとしても、実体ではない。 それは何度も言われてきた事である。 しかしヴァーチャルと現実の関わり合い方が変わり続けているという。 何かが変わり続けているのだ。
知識のベースの上に言語化不能な肉体、精神的なレベルの「感覚」を研ぎ澄ませた「世代」「人物たち」が登場するのだろうか。 (すでに表舞台に立っている気もするが…)
ふと、スティーブ・ジョブズのことを思った。 彼こそは個人の「知のツール」としてのパソコンを世界に与えたけれど、 様々なツールとパソコンの組あわせでさらに面白い事ができると語り続けている。 彼はこの先をどう見ているのだろう。
単純に知識を膨大に持ったからといって幸福にはなれない。 なにかを産み出せるわけでもない。だからといってネットから降りるのだろうか…。 この先が分水嶺になりそうである。 ネットの「文芸」はどうなるのか。 それよりもまず自分はどう生きていくのだろう。それがまず最初にくる命題だ。
「本当の大変化はこれから始まる」と筆者は言っている。
昼過ぎ、堰を切ったように雪が降り出した。舞っていた。 晴か雪の天気。
お茶の時間に食べた阿闍利餅の、包み紙に印刷された製造元の住所が「京都市左京区今出川通り鞠小路上ル」となっていた。
道路標識も地図上も「鞠小路」となっているのだろう。だが、少なくとも昭和50年代までは「鞠小路」ではなく「万里小路」となっていたはずである。
つまり平安京成立以後、いつの時代からは不明だがこの南北の通りは「万里小路」と呼ばれ続けてきたはずなのだ。 ちなみに、今これを打ち込んでいる一太郎ATOKでも「まりこうじ」と打つと「万里小路」とでてくる。
ついでに書いておくと「万里小路」は「まりこうじ」とは呼ばず「までのこうじ」と呼ばれていた。 「万里小路家(までのこうじけ)」があったからだ。
読みやすさ、親しみやすさから改変されたのだろうか。 同じような理由で「東大路通り」が「東山通り」と呼ばれ、表記もされている。しかし多くの京都市民は今でも「東大路」を使っている。 一度、呼び名を統一しなければ観光客が迷うのではないかという市民からの疑義が申し立てられ、新聞紙上を賑わせた事がある。 市役所の返答は「どちらでいいです」ということだった。ただし京都市交通局は「東山通り」を採用している。 どちらにしても「通称」の話なのだろうか。
たぶん名前はこういうふうに変わっていくのだろう。 1200年以上昔、平安京の中心だった朱雀大路は今はもうなく、街自体の枠が東へ移動し、かつての朱雀大路のあたりは千本通りになっている。
庶民が勝手に名付けた辻子はいまでも現存している。 名前が残っていても地図には載らないし、標識も立たない。 だからこそ残り続けるのだろうと思う。
やはりすんなりと春にはならない。 明日の朝は1℃、ひょっとしたら零度になるという。 しかも京都府南部には雪のマークが。 大急ぎで鉢植えの檸檬にビニールのカバーをかけました。
エイザンスミレ、ミニバラ、越冬したサフイニア、全部家の中でよかった。
今日はサイトの「My Desk」 のページを更新。 読んでいる本、聞いている音楽を置きました。
天気予報はまた寒くなる事を予告しているけれど、今日は午後に入ってようやく暖かくなる。 ずっと雲が抜けないのは盆地ならでは、であるけれど気が急いていしまう。
今日は自分のサイトのトップページの画像を差し替え。エイザンスミレです。
それからアメブロに散文を。
新しい物語を何度も書き換えています。
リディア・ディヴィスをさらに読みすすめる。これはとにかくおもしろい。 伊藤比呂美「河原荒草」が届き、これも読み始める。 ほとんど衝撃波のようなものを感じている。 この二冊は徹底的に読みたい。
さて文藝春秋4月号に村上春樹さんの生原稿流出事件についての「覚え書き」ともとれる文章が掲載された。早速、それを読んだ。 安原顯氏という元中央公論社の編集者への率直な思いが綴られていた。
流出の詳細については生原稿を自宅に隠匿していた彼も、それを買い取った古書店主もすでに故人であるから不明なままだろうと思う。 だけど本来、保管されているはずの原稿があるべきところになく、高値で売買されていたという事実だけがしみのように残った。
昨日は購読しているメルマガで、いわゆる自費出版(共同出版)のお金の構造を学習した。 商業的なことを考えるのなら、それは絶対に無理だということを改めて確認。 記念出版ならば使えるだろうけれど、とにかく高価だということ。 つまりこういう会社は「書いて本にする人」が顧客であって、「本にしたい人」をどれだけ獲得するかが会社の業績となる。 いいとか悪いではなく、それを誤解してはいけない。
また京都新聞では文芸結社の今後についての記事が大きく出ていた。 京都の長い歴史のある短歌結社が次々と解散したり、活動が停滞していく状況の中、歌人・永田和宏さん主催の「塔短歌会」は参加メンバーが増えているという。 一方で結社の束縛を嫌いネットで自作を発表する人が増えているにもかかわらず。
永田さんは「ネットは『場』でしかありえず、文芸を生む『座』の力はない」という。 「短歌は顔をつきあわせて批評するからこそ作品の質が高まる」とも。 『座』の力はそれほどしっかりしているのだろう。会の運営にも工夫があり会員の熱意が「座」を支えているのだろう。それはとても確かなように記事からも感じられた。
大江健三郎さんは「私という小説家の作り方」のなかで、ご自身が少年の頃に憤然とした経験をあげて
「添削者が、その根拠をよく知り、もとめられれば説明しうるのでなければ、彼のやっている事は犯罪である」
といいきっておられた。他者の、特に少年少女の文芸創作活動に対して、書いた本人を書く現場から引きはがすような嫌悪をもよおさせるほどの「添削」は犯罪行為だというのだ。 とにかく書いてみる事。そこからしか創作は始まらないのに、始まる芽を摘むような行為を非難されていた。
文芸に関連するこれらの事柄を考えた。 いろいろと感じた一日だった。
夜半過ぎ、うむ、足が動かない、と目を醒ました。 猫のルルとピピがぼくの脚を枕にして寝ている。二匹とも目をきゅーっと閉じて幸せそうなのでそのままでぼくも寝た。 なんだか腰がまたおかしい。
猫タワーの中ほどにある穴ぐらから顔だけ出したルルに ぼくは顔を近づけた。 ルルはそろりと左足をぼくの顔に載せる。
Here,There&Everywhere,,,ウィンダム・ヒルで聴く。 ルルは寝ています。
昨日から腰が痛くて、いろいろと手当て中です。 関節とかではなくて筋肉痛のようなのだけれど、なかなか違和感がとれません。 かちん、と緊張したまま固まった感覚というか。
体の動かし方の基本として、イチローも松井秀喜も古武道でも緩める事を強調していたので、呼吸に気をつけてゆっくりと動作をしたり、意識して体を細かく動かしています。かちんと静止しない事。くつろぐ時はすっかり緩める事。 そのおかげか、ゆっくりと回復中。ひょっとしたら意外と重傷だったのかも、と思えるぐらいに。
リディア・ディヴィス「ほとんど記憶のない女」を継続して読んでいます。自分の作品については人称を考えました。 案外、書くという行為も考えてばかりでは硬直するのかもしれません。微動を止めないでおく事。動きの中で言葉を捉えるほうがぼくにはいいのかもしれません。
昨日、「群像」の二月号のことをかいたけれど、本屋さんではもう4月号がでています。伊藤さんの「連載詩」も続いています。古井由吉さんの連載も始まりました。 音楽はビセンテ・アミーゴ、シール、タック&パティ。国内では富田ラボのシップランチングを聴いています。そんな中でもビセンテのギターがとにかく素晴らしい。
今日はとても暖か。春ですねえ。 薔薇は新しい葉が開きはじめています。
そうそう髭の事。 猫のキキが口の周りをあの鮫皮のような舌で舐めるものだから髭をばっちりとはやしました。頬から顎、鼻のしたのムスタッシュまで。
当然周りからは、老けただの、やつれて見えるだのさんざんな雑言が浴びせられましたが、どこ吹く風で髭はますます強固になっていったのです。
ですが、結局綺麗さっぱり剃りました。 当初、キキは哀しそうな目で見てました。舐められないよおといっているみたいに。実際、キキは髭をはやしだしてから顔を舐めにはこなくなりました。で、昨日とうとう意を決したような目つきで飛びついてきて髭ごと口の周りをぺろりんと舐めたのです。すると顔の皮膚が髭ごと引っ張り上げられて、いててててと前より酷い痛みに襲われたのです。
なんだこれならはやしてる意味無いじゃん、ということでさっさと剃ったというわけです。
文芸誌の定期購入なんてした事無いんですけど「群像」はしばらく読み続けます。 伊藤比呂美の連載詩、古井由吉の連載小説、それに加えて橋本治さんの「院政の日本人」その三つに捕まりました。
伊藤比呂美「とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起(1) 伊藤、日本に帰り、絶体絶命に陥る事」を読む。 これは「群像」で連載が始まったところだけれど、「新連載長編詩」とある。 どこが「詩」なのか、と思ったり感じたりする人もいるだろうと思う。だけどこれは「詩」である。 ぼくの好きな定義にヴァレリーの「詩は舞踏であり、散文は歩行である」というものがあるけれど、それに照らしても「詩」だと思う。 いろんな定義がある中で、書いた本人が「これは詩です」といえばそれは「詩」になる。それが最優先。まあそれを言ってしまえば身も蓋もないけれど。
この作品が何に一番近いかというと「日記」だと思う。 狭心症で入院中の旦那をアメリカに残し、日本に帰国した私。脳梗塞を発症した母を病院へ連日連れて行き、日本語より英語が達者な娘を抱え、さらに老人性うつ傾向の父もいる。そのどまんなかで「私」は大奮闘するのだ。
文中、日本語を英語の文法で書く部分が何度か登場するけれど、妙にリズムができておもしろい。今の日本人はこんな日本語を使っているんじゃないのかとさえ思える。
コンピューターが出てくる。これがなければこの人は何も書く事はできないだろうと切実に感じる。とにかく時間がない。 時間を節約しひねり出すにはパソコンしかあるまい。
そんなこんなで「苦闘」は最後の詩の数行のフレーズに辿り着くのだが、それがたまらない。 この連載詩はどこまでつづくだろう。ずっと読んでいきたい。
「声をなくして」永沢光夫(晶文社)を再び読み出す。この人は咽頭がんで声を失ったインタヴュアーである。前にもこの日記に書きました。
新宿二丁目での妻との生活、人々とのつながり、うめき、喘ぎ、罵詈雑言、感謝、諦め、励まし励まし励ましに満ちた文章の渦に巻き込まれる。これはエッセイといわれるのか、どうか。 これもまた「日記」といえる本である。
「ブライアン・イーノが哀しい」という台詞をここで読むとは思わなかった。とにかく生きること。苦闘の末にひねり出されるその言葉、最近のどの本よりも説得力があった。
ふたりとも「生きるための日記」なのだと思う。 「生きているもの」たちにこれ以上のエールはないだろう。
(「生きるための日記」は永沢さんの本の、帯のコピー。ずばりそのとおりだ)
作品に登場する「意匠」について。 そこから考えながらの読書がめぐっています。「群像」二月号の堂垣園江さんの「壁の住人」を読んでからのことでした。 「壁の住人」の舞台は中国。文革中に家族をぼろぼろにされ、天安門事件の時に大学生だったという経歴の主人公が登場します。他にも湖西省の少数民族苗族、そこへ旅する団塊の世代の、家族から疎外された日本人サラリーマン、辺境に滞在し続ける日本人女性、そして忽然と現れる老中国人たちの謎のジャズバンド(彼らこそが「壁の住人」なのですが)が登場します。
すべてぼくにとっては飛びつきたくなる素材です。というかそれぞれが小説のテーマとして十分な重さを持っています。で、筋やディテールは面白いのですよ。だけど村上春樹作品の井戸の底のような切迫感や壁をすりぬけるリアルな感覚、あるいは小川洋子作品のようなぞくりとする怖さまでは至らない。それはいったい何故だろう、原因はなんだろうなんだろうと考え続けていました。 「壁の住人」は好きな作品なのです。風景の描写などとても好きなのです。だけどなにかがもう少しあれば、と生意気にも思ってしまったのです。
それは「皮膚感覚」なのかもしれないと思い至りました。同じ「群像二月号」に平野啓一郎さんの作品も掲載されています。今年、彼は短い小説をいろんな文芸誌に発表し、それらは連作を意識して書き続けていると、ご自身のサイトでも述べておられました。この号の作品もそれらのひとつでもあるのでしょう。その一連の今年の平野作品を読み直してみて顕著に感じる皮膚感覚や肉体感覚が堂垣さんの作品にもあるのだけれど、質が違うんです。いいとか悪いとかじゃなくて。 例えば「義足」という同じ素材の扱いでもここまで違うのか、と。
同時並行して吉行淳之介さんの作品も集中して読んで、吉行さんの作品にも皮膚感覚というか内臓感覚を強く感じていました。吉行、平野、堂垣そしてアメリカのリデイア・デイヴィスと読んでいて、つまりは視点をどこに置くかなんだと「痛感」したのでした。まさに「痛い」感覚をどこに置くか、というふうに。
リデイア・デイヴイスの「ほとんど記憶のない女」は詩なのか小説なのかわからない作品が並び、しかしそんなジャンルの線引きよりも作品の強烈さがすべてだと思える作品集。切れ味が凄い。一々書くことに自覚的に書かれる小説、あるいは詩、あるいはショートショート。田中小実昌さんを思い出しました。 吉行さんの作品は長編ではなくそれほど有名ではないけれど傑作揃いだと思う短編群を読んでいます。
あらためて書くまでのことでもないのですが、あたりまえのように選び取っている人称のこととか、方法論に関して自覚的な読みを試みています。
吉行さんの短編を読み続けることと、詩人、伊藤比呂美さんの「河原荒草」が我が家に到着するのを待っています。
堂垣園江「壁の住民」を読む。 エズラ・パウンド「大祓」を読む。 SEALを聴く。 リディア・デイヴィス「ほとんど記憶のない女」を読む。 書くことはネットから少し離れて作業中。 「復讐」をモチーフにすることはできない、と悟る。 伊藤比呂美「河原荒草」を発注。 まっしろな原稿用紙に向かう。
また薔薇が増えました。
こんどラインアップに加わったのはNew Dawnというツル薔薇。 去年、植物園のバラ園でトンネルに仕立てたツル薔薇のコーナーで仰ぎ見ていた薔薇です。花は白。
もう薔薇の植え付けにはぎりぎりの季節で、ほとんどのホームセンターや園芸店では値引きセールが始まっていると思います。 これもそんな中で見つけたもの。 ここのところ寒さがぶり返して今日は雪がちらつくほどだったから、植え付け、まだだいじょうぶでしょう。
ツル薔薇はピエール・ド・ロンサールと今年からモッコウ薔薇が咲く予定なのだけれど、ともに一季咲き。四季咲きのツル薔薇はこれが初めてです。
寒い冬も終わりが近づいています。他のハイブリットティー各種、フロリバンダ、ミニバラなどどれも新芽を吹き出しはじめました。
5月が楽しみ。
吉行淳之介自選作品集とリディア・デイヴィスを読み続けています。 リデイア・デイヴィス、おもしろい。
| 2006年03月02日(木) |
人が亡くなるということ |
京都のジャズピアニスト市川修さんがさる1月31日に亡くなったことを知りました。 ジャズスポット「ブルーノート」で昔、よく聴いていました。豪快な人柄で、パッションそのものといった演奏でした。
自らのコンボを率いて京都でごりごりと活動を続けておられると思っていたのですが…。「ブルーノート」にはもう10年以上いっていませんでしたから、この間の事情はまったく知りませんでした。
彼の訃報を死からひと月遅れで知り、人生の一時期、完全にジャズに耽溺していたころの苦く、哀しく、狂おしい時間を思い出しました。 瞬間に燃焼しつくすようなライヴステージの輝きに満たされもし…。
BAL東入ルの「ブルーノート」。かつてここで出会った人たちも亡くなっていきます。ほんのすこしだけ会うことのできたチャーボー、ママのオシシ、そして市川さん…。
よく考えてみれば京都にこだわった人ばかり。京都から世界に繋がろうとした人たち。
名誉やメジャーとは無縁の、自分の信じることを一直線に突き進んだ人たち。
かつて語りあった人たちが亡くなったと聞くとぼくもずいぶん歳をとった気がします。今でも詩を書いていることを知ったらオシシはなんて言うかな、とふと想像してみました。 「止めたらあかんよ。あんたは書く人なんやから」 今、彼女が生きていたとしても、きっと昔と同じことを言うだろうな、と思います。 そうやって励ましてくれる人でしたから。
人が亡くなるということは自分を見つめ直すことでもありますね。
そういうことを書いていたら、ラジオから作家の久世光彦さんが亡くなった、と。 うーん。 突然のことで言葉がでてきません。 愛読していました。
今はただご冥福をお祈りするばかりです。 合掌。
詩を書く。 「ゆらゆら」にする。自分の束縛を外していきながら ひとつのところにコンセントレートしていく。
考えることはたくさんある。 体の状態を整えておくこと。そのまま束縛を外していく。
たいてい考え方だけになるから、そこから具体的に指を動かしてみる。
詩を書いた。
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