早朝、ハナとの散歩の最後に裏の薔薇を見に行った。ツル薔薇のピエール・ド・ロンサールである。花数はさらに増え、裏口に薔薇のアーケードが出来ている。しかし、そろそろ咲き終えたものが出はじめていた。
みずみずしさが失われ、いちばん外側の花弁が茶色に変色しかけている。 ハナを家に入れ、早速、脚立をだして花がらを摘んだ。
薔薇はほうっておくと、花びらがハラハラと散っていく。その寸前ですでに浮いたような状態で枝にぶら下がっているものもあって、そういう花は手で触れただけで分解してしまう。あるいは塊となってばさっと下に落ちる。
ご苦労さんやったねえと、心の中で呟きながら花がらをとっていった。まだたくさん花はついているけれど、今週いっぱいでロンサールはほとんど散るだろう。それからは枝を整え、お礼の肥料をやりながら、来年の五月まで一年間のお別れになる。
このような一季咲きの花は、なるべく長く枝につけておきたいと思うから、どうしても手が滞りがちだ。
ロンサールの右側では新参のツル薔薇、ニュー・ドーンが蕾をぐんぐん脹らませている。こちらは四季咲き。売れ残りの処分品寸前だったけれど、どれほど綺麗な花をつけるかは植物園で見ているから想像がつく。楽しみだ。 今年は開花の時期がずれたけれど、来年の五月は左からロンサール、右からニュー・ドーンの白桃色の花がアーチをかけるはずだ。しかもその隙間にはジャスミンが咲いているだろう。ジャスミンの新芽も上へと伸びて行っている。
もう今から、来年が楽しみだ。
作家、下重暁子さんの「和のこころ、季節のこころ」と題された短いエッセイを読みました。日本文化の特徴が「和」であることを強調されたエッセイでした。
象徴的な例として出されたのが花の色の話。 日本在来の山野草などの花は、いくつ色を重ねても不思議にあうのだといいます。撫子にしろ女郎花や桔梗にしろ。 一方、洋花は個性を主張しあって色も形も反発してしまう、と。
確かに我が家に植えてある撫子の紫、赤、白はまったくお互いの邪魔をしません。ところが欧州系の薔薇、プライド・オブ・イングランドの赤とホワイトマスターピースの白が並んでいるのですが、お互いが華やかすぎてお互いが浮いています。
ガーデニングをやっている友人などにも、赤のコーナー、白のコーナーと離した方がいい、といわれる始末です。
このような優しい自然が日本の「和」を生んだ、と下重さんはいいます。 また文学や絵画、音楽のなかにこれほど季節が欠かせない要素としてある国が他にあるだろうか、と問いかけてきます。
特に俳句の季語が特徴的なのですが、広義に解釈すると万葉集の頃から季語は存在するのだそうです。 自然が豊かで優しかったのですね。そこに人が感応し続けたからこそ生まれたのだと思います。また生活の中の行事や言葉にも豊かで優しい季節感が溢れていました。
その伝統は江戸期に「わび」「さび」に行き着きます。 「わび」「さび」の本質は即物的ではない、ということだとぼくは思います。どんな場所でも、どんな境遇でも、どんな束縛でも、そのなかで美的境地をつくりだしてみせる姿勢だと思うのです。 その姿勢が生まれた根底に季節や自然を愛でる「眼」が存在したからではないかと思うのです。
翻って現在の日本はどうなのか。 官僚支配と拝金主義と格差拡大の社会のなかで日本の「和」はどこへ行くのでしょうか。 「和」が言葉どうり「なごむ」「やわらぐ」「あらそわない」「調和する」とするならば…。
生活のスタイルもずいぶん変わりました。以前のような季節感に親しいものではなくなりました。 極端な欧米化は和的想像力を奪ってしまったかもしれません。 しかしちょっと我慢したり、あえて欠乏を意識すれば、今まで隠れていたものが、あるいは絶滅寸前のものが見えてくるかもしれません。 例えば真冬の朝、真っ赤に熾きた炭を持って、雪の積もった庭の渡り廊下をさささと急ぎ足でわたっていく風景だとかを。
ぼくは有効だと思っています。
| 2006年05月29日(月) |
薔薇と花、野菜とハーブと |
今年は冬の準備がうまくいったので、薔薇の花数が多い。背も高くなったので表側の通りを行く人からもよく見えるようになり、花についての質問をよく受ける。 昨日の朝は薔薇の名前を全部いいあてるおじさんがきた。今日は本を置いてもらっている「とりはら」さんのおかみさんから質問を受けた。 薔薇は「肥料食い」だということ、花後の「お礼肥料」を欠かさないことを伝えた。
テラコッタに植えた薔薇は地植えよりも細かな管理が必要なので、これからいつもよりよく見ておかないといけない。
裏口にたくさん植えた小さな花たちも今が満開。ツル薔薇のロンサールも、ラベンダーも満開。
家の北側で始めた「極小菜園」の野菜たちも元気。バジルは収穫しバジルソースをつくった。トマトも茄子も花をつけた。唐辛子もずんずん伸びている。ミントとタイムはよく繁っていてそろそろ切り戻してやらなければならない。唯一心配なのはローズマリーの古株。枯れ枝がでた。緊急に速効の肥料を施した。鉢を変えないといけないかもしれない。
朝と夕と、植物の手入れをしていると野良猫が傍らを通っていく。横目がきらり。目と目が合う。ごはんの合図である。
夜。 短い小説の素材がみつかる。早速、下書きを書き始める。 本屋さんが配達にやってくる。頼んでおいたスティーヴン・ミルハウザーの「シン・ザ・ペニー・アーケイド」が届く。 白水Uブックスは値段もサイズも手頃なのだけれど、字が小さい。
眼鏡、眼鏡…。
ぼくがずっと集中的に読んでいる男性詩人は高橋睦郎さんである。 詩を書くことが停滞している、と感じた時は高橋さんの本を必ず読むことにしている。詩でもいいし、エッセイでもかまわない。「姿勢」を思い出すからだ。
それだけでなく何気なく開いたページから思わぬ刺激を受ける時もある。 エズラ・パウンドを発見したのもそうだ。 ブログに書いていた「天使形」という短い小説の全体を一つのトーンでまとめるのにパスカルの言葉を見つけたのもそうだ。(ただいま再構成中) パソコンではなく「手書き」を創作の中心にしたのもそうだ。
今日、「未来者たちに」というエッセイ集をなんとなく本棚からだして読んでみた。 読んでいてはっとした。それは「虚心」について書かれた事柄だった。 もう何度も読んでいるにもかかわらず、ぼんやりしていると忘れがちになる。とても大切なことなのに。
「虚心」。心を虚しくすること。 それは「私」が何かを思わない。ということである。 人に何かを伝えようとする時、「教えよう」としてはいけないということである。 「私」の喜怒哀楽など、極論すれば不要なのだ。ただあるがままに世界を見、あるがままに受け入れ、あるがままに伝えること。
是枝裕和監督「誰も知らない」の監督日誌と白洲正子さんの「お能」を引用して説明されている。 引用するとかなり長くなるので、結論部分を書いておくと、
…ここは悲しみを表現しなさいとか、ここは美しさを表現しなさいということではなしに、花なら花が散っているのを虚心に見つめ虚心に表現することの大切さを伝えること… となる。
一つ間違えると形にとらわれているのでは、と指摘されかねないけれど 人の恣意や思いが世界を痛めつけてきたという反省から導きだされた考え方でもあるのだ。 どう書くかという前にどう生きるかということにも繋がっていくと思う。
人がどう思おうと世界はそのままの姿でそこにある。 それを誰かに伝えようとする時、「心」は時として世界の本当の姿を曇らせてしまうことがある。 それならば心を虚しくしてすべてを受け入れ、それを伝えようということだとぼくは思っている。無意識のうちに教えようとしてはいけない。どだい「教える」ことなんてできないのだ。
どう思うかは観る側の(読む側の)想像力の中にあるのだし。
今まで他の本でも言葉を変えて何度も同じことを読んできた気がする。 常に意識していたいことだ。
●「未来者たちに」高橋睦郎・みすず書房 ●ホームページのトップが変わりました。ピエール・ド・ロンサールです。
●一日中、強い風が吹き続けた。 薔薇に新たな支柱をつける。
●漱石の小品「京についた夕」を読む。 子規を懐かしみ、言葉遊びをしながら、春先の京都の冷え冷えとした感触を伝えてくれる。
注解を参照にしなければ、京都が魔境のように読める。 しかし、さすが漱石。「京都幻想」を笑い飛ばしているところがいい。 京都は「ぜんざい」でしかない。それも小田原提灯に赤くぬかれた「ぜんざい」なのだ。ははは。
寒さの描写は素晴らしい。京都は幾重にも寒いのだ。
●「若者殺しの時代」(講談社現代新書)の著者が週刊現代のインタヴューに答えていた。 大学生にインターネットに関心のない人が確実に増えているという。 彼らは子供の時から携帯もネットもある環境に育っているから自らの意志で選んでいるのだという。
何を選んでいるというのだろう?そのことは書かれていないけれど、情報の洪水を泳ぐ術を身につけているというように読めた。
ぼくはネットをある意味「見切っている」のだと思える。 著者はそのことが増えれば、若者が少しは幸せになる時代がくるかもしれないといっている。 「情報」にいかに多くの人間が振り回されているか、ということをいいたいのだろう。
このことは平野啓一郎さんの作品を通しての度重なる問いかけ…ネット依存による二重生活でいいのか…に対しての一種の答えが社会の中で起こりつつあるともとれなくもない。
とても面白い見方ではある。
| 2006年05月26日(金) |
コンパニオンプランツ |
また雨降りで忙しい一日である。 そろそろ薔薇の一番花たちが散り始めた。
今日はサカタとタキイという二大種苗メーカーから同時に秋冬の総合カタログが届いた。 頼むのは今のところアイスバーグのみ。薔薇はほぼ飽和状態、あとは庭をどういう「宇宙」にしていくか、が課題。
薔薇まわりの植物配置について考えていて、ようやく薔薇のコンパニオンプランツを見つける。 コンパニオンプランツとは簡単に言えば相性のいい植物ということ。 これをすると病害虫の被害が出にくくなるのだ。 ハーブに多く、あるハーブを横に植えただけで害虫にやられなくなるというもの。
もちろんハーブばかりでなく多品種混植の菜園などはその思想に貫かれているし、無農薬無耕起農法などでもそれを考えて種をまいていたりする。
庭園や農園全体にに対するそういうエコロジカルな考えを総称してパーマカルチャー(持続可能な農的生活の枠組み)という。 それを実践されている京都・美山の植月さんという方の言葉から薔薇のコンパニオンプランツを知ったのだった。
なんと薔薇のコンパニオンプランツはにんにく!!! とにかく薬を大量に使いがちな薔薇。手で害虫を捕るのも大変だし、ずっと捜していたのだった。 早速、やってみよう。
さて、 フィッシュマンズはきょうも丁寧に聴く。おもにベストトラック集。 声と詞に感心しつつ、音楽に聞き覚えがあった。 5年ほど前、毎日聴いていたジャマイカのオルガン奏者ジャッキー・ミットーの音楽。たぶんスカとかダブとかの草創期、キング・オブ・キーボードといわれた男。音の響き方やアレンジがとても親しい。 彼も42歳で早く逝っている…。
昔々。ホームページにレヴューを書いて、今はもう消してしまった。
| 2006年05月25日(木) |
「いかれたBaby」Demo1993 |
気温も上がり、薔薇は花盛り。 今日は忙しくて夜の十時まで動けなかった。 外ですまさなきゃならない用事は全部明日。 で、フィッシュマンズだけは友人が買ってきてくれた。
十時過ぎにやっと独りになって、ハナと一緒に「空中」を聴く。 うーん、ダブとかスカ系にはめろめろのぼくだけれど、いいねえ。 一曲目の最初の音でもう好きになった。ああこういう才能がいたんだ、と…。
やわらかくて、震えていて、しなやかで、壊れやすそうで、「こわれもの」で…。 どうアレンジを変えても旧いタイプの音楽にはならないだろうなと思った。
佐藤君は「少年の精神」のままに生涯を閉じたんだろうか…。 そんなことを考えながら、彼の音楽を聴きつづけた。
二枚組で、一枚がbest track集。雲の中から聞こえてくるような声。 もう一枚がデモ・トラックとB−side集。 デモのほうが声や音楽の特徴がよくわかる。「手触り」のような。
明日も聴くけれど、この音楽、特にこの「声」は宝物だね。 今のところのお気に入りは 「いかれたBaby」Demo1993、 「Blue Summer」Demo1987と心斎橋クアトロのライヴヴァージョン。
| 2006年05月24日(水) |
「うーむうーむ」といっていた気がする |
昨日、椎名誠さんのことを書いたら、モノカキ同志のミメイさんから 「犬の系譜」を薦められた。 そこで早速、書店に注文したのだけれど、トーハン系のe−booksでは 取り扱っていないという。アマゾンでも中古扱い。
1991年の文庫がもうないのだ。取り寄せも出来ないということはもしや絶版? まさか椎名さんほどの作家の本がこんなに早く絶版になるのか、とあきれてしまった。 確かに今は絶版になるスピードがおそろしく速いとはいうけれども…。 アマゾンは最後に回して、大きな書店の在庫と古本屋をあたることにした。
「かえっていく場所」は執筆に苦しみつつも、どのような糸口から物語をひねり出していくのかくっきりと書かれている部分もあって、 そこを読んだだけで「書かなきゃ」という気になる。
とにかく机に向かうのだ。 身体が書くことへのみ尖っていく、そんなイメージが湧き上がってきた。
CDショップにいった。欲しい盤はいろいろとあるのだけれど、決めかねる。 ラヴサイケデリコのライヴ、ウエス・モンゴメリーの旧譜、 ビートルズの旧譜、マッシヴ・アタックの廉価版、 鈴木重子さんの新譜、などなど。 ジャズの廉価版にオーネット・コールマンがようやく登場しているからそれにしようかとも思う。 結局。何も買わず。
いちばん迷ったのはフィッシュマンズのベスト「空中」だった。
躊躇する理由は聞きこんで何も手につかなくなると困るから。 明日また考えるけれど、たぶんフィッシュマンズを手にしてると思う
| 2006年05月23日(火) |
「かえっていく場所」を訪れる。 |
今日から椎名誠さんの「かえっていく場所」を読み始めた。 集英社文庫で今年の四月にでた。初出は「すばる」の連載で、2001年のものである。単行本は2003年に出ている。 この本を読んでみたら、と言って渡してくれたのは「文庫本主義者」であった。
「椎名誠」というと年下の友人を思い出す。彼はつい数年前に脳出血で倒れた。30歳になる前だった。 本人が大変だったのは言うまでもないことだけれど、その時奥さんのお腹には新しい命が宿っていて、奥さんはもちろん周囲の人たちは大変だったろうと思う。 彼は凄い読書家で、いちばん好きな作家としてあげていたのが椎名さんだったのだ。
一時意識不明になりながらも彼は奇跡的に回復し、若干の後遺症はあるものの職場復帰を果たした。 彼のことだからまた精力的に読書に励んでいるだろう。この本もとっくに読破しているに違いない。
ぼくはというと、それほど熱心な読者ではなかった。
この本にはアルコール依存に陥った「尊敬する先輩」の話が出てくる。 椎名さんの本をよく読んでいる人ならすぐにその名がわかるという。(何故だかぼくにもわかった) その人のことも含めての話なのだが、豪放磊落というイメージで捉えられがちな椎名さんが、心身とも傷つき、繊細な神経を痛めつけ苦しんでいる姿をくっきりとみせてくれている。 鬱病の苦しみ、不眠症の苦しみ、精神的な瓦解に苦しむ姿までをだ。 前述したイメージで捉えている人が読んだら意外だと思うだろう。きっと驚くに違いない。
ぼくはその苦しむ風景に息をのみ、家族を観る視線の暖かさに頷きながら読んでいった。 この作品はエッセイなのだろうかそれとも「小説」?。ぼくには一種の「家族小説」ともとれた。 庄野潤三さんに近しい世界だ。基本的な文章の組み立て方もよく似ている。 だけれど庄野さんはこのようには書かないと思う。
たぶん作家ゆえの精神的な苦境に陥っていても読者には見せないだろうし、 陥らないように生きることを自分に課すだろう。 庄野さんの小説に出てくる一家の姿を「聖家族」とまでいう人もいるぐらいだ。
しかし庄野作品は「小説」であって、いかに経験したことしか書かないとしても、「書かないでいること」が必ずある。そう考えて作品を読むと、庄野さんの家族と共に生きる決意や注ぎ込む努力の素晴らしさをより感じることが出来る。
椎名さんは自らを晒している。優しい人なのだ。精神的にも傷だらけで身体の不調も隠さない。 庄野さんとは違う形で椎名さんも家族とともに「すっく」と立っているのだ。
「東京の白い夜景」という作品がある。 ヤクザの大活躍だとか、やたらと血なまぐさいハードボイルドなんかよりも、ぼくが「ブルース」を感じるのはこういう作品だ。
婦人公論のフォーラム詩で佳作になりました。
タイプの違う詩をいくつか送ったうちの一つです。 「Blackbird」 コンペは自分の知らない自分を見つけてもらったり、 詩の研鑽に必要なアドバイスが得られます。 励みになることは確かです。
ところで 京滋の日本画の俊英たちが集まっている集団「尖」は、 公募がリードする状況に一石投じようとして結成されたのだと 聞いています。
コンペティションに依存を深めると、 「そのための」作品になってしまう恐れがあります。 そうではなくて自由闊達な創作活動を意識のまん中に据えようということだと理解しています。 これは勇気のいることではないでしょうか。
画壇についてはほとんど知らないけれど、 すべてを自分たちで切り開いていこうしていることはとてもよくわかるし、そのしんどさもある程度、想像できますから。
そんな「尖」のあり方にも共鳴しつつ、 ぼくはとにかくいい作品を書くことを心掛けたいです。 選にはいることは嬉しい。それは間違いありません。 だけどそれよりも投稿し続けることで「緊張感」を維持できることが大切なことなのかもしれません。
ぼくにはコンペテイションとは別に「本づくり」という大切な柱もあります。 それぞれの作業が刺激しあえばいいと思っています。
早朝、昨日の雨が嘘のように晴れた。 ハナの散歩のあと、病院までヨーグルトと新聞を届ける。 ちょうど病院の前が立派な欅並木になっていて、若葉が美しかった。
家に戻ると待っていたかのように雨が降り出した。 薔薇の花が雨を含んでうなだれているので支柱をたくさん立てた。 ローズ・ド・メ。まさに五月は薔薇の季節なのだけれど、今年は雨続きだ。
裏のSさんが玄関側の薔薇を見に来られる。裏のピエール・ド・ロンサールが小屋根の上で花盛りになりつつあり、そのことをとても喜んでくださった。息子さんの視界にもはっきり捉えられているようだ。 秋にはニュー・ドーンの白い花もお見せできるだろう。
Sさんのお隣のMさんが、まるで薔薇の館やねえ、といわれる。 実は並びの北端のTさんのお宅ではツル薔薇のカクテルが満開。ほかにも薔薇を数種育てられていて、まるで薔薇の町のようなのである。
そのTさんもやってきたので肥料のことや藁をいつまで敷いておくかなどについて立ち話。 藁はずっと敷いておいてもいいらしい。乾燥防止になるし雑草も生えない。分解すれば肥料にもなる。 冬の間は根の保温のために欠かせないのだけれど、一年を通して薔薇には藁の布団が必要なのだった。
| 2006年05月19日(金) |
激しい雨のむこうに薔薇 |
雨が激しく降っている。 昼過ぎまでメールが受け取れない状態が続いた。 毎日、同じリズムでなんとなく受信トレイを覗いていたから、少し感覚がずれた気がする。
なんだか拍子抜けしたような感覚で机に座っていたら、自分の身体がずいぶん疲れていることに気がついた。
雨は大袈裟にいえば間欠泉のように、強くなったり弱くなったりを繰り返していて、いくつも咲いた薔薇が雨に打たれている。いっそ剪定して家の花器に入れようかと起ち上がるのだけれど、硝子ごしに、灰色を背景にした深紅に見とれていた。 花をみていると心が温まる。だけど、ふと考えてみた。
薔薇は確かに美しい。だけどこの薔薇が京都の気候にあうのかどうかはわからない。世界的に有名なロザリアン、鈴木省三さんは晩年、原種や原種に近い苗の蒐集と育成に力を注いでおられたという。
ハイブリッドだけでなくオールドローズにしてもとにかく薔薇はおそろしく病気にかかりやすく虫が付きやすい。だから常識的に強力な消毒が行われるのだけれど、どうもそれが疑問におもえてならない。
原因はともかく、消毒薬品は猛毒である。それを吸って身体の調子を悪くした人は何人も居られる。しかも花のまわりには子供もいれば犬も猫もいる。
薔薇にはアジア系原種とヨーロッパ系原種がある。 ともに病害虫に強い。寒さや乾燥に強い。薬品は無用に近い。ただし花はシンプルで年一度だけ。だけどそれが自然なのであって、本来の姿なんじゃないのかとも思うのだ。
下鴨の府立植物園でも薔薇の公開が始まったけれど、有名なハイブリットの名花たちの散り際はいつも哀しいぐらい醜く酷い。さっさと切り花にしてやればいいのにといつも思う。 あそこに使われている消毒剤や殺虫剤もたいした量だと思うのだが、見に来る人に影響は出ないのだろうか。
原種や原種に近い薔薇をこそ育てるという観点や、ハーブと組み合わせて虫が付かないように研究したり、薔薇だけを育てるのではなく庭園に組み込む形での育て方のほうが共感できるようになってきた。
アジア系の原種としては日本のノイバラ、中国のコウシンバラやロサ・ギガンティア。西アジアのガリカが知られている。ヨーロッパ系の原種としてはブルガリアや南フランスに香りで有名なダマスクローズがある。 他にもまだまだ原種に近い薔薇はある。
気候的に薔薇の栽培に向いているといわれているのは長野県の蓼科高原が有名だ。 ちなみに鈴木省三さんは東京に等々力バラ園をつくられ、それはその後千葉県に移転している。 果たして京都はいかに。ブルガリアに似てないかなあ…。
今年から我が家では酔芙蓉が枯れた跡の僅かな土地にノイバラを植え付けた。病気知らずでぐんぐん伸びて花をつけた。 確かに強い。
画像はプライド・オブ・イングランドです。
朝の散歩で町内の植栽が眼にはいるのだけれど、街の中は薔薇が溢れていた。それだけで雰囲気がずいぶん変わったことを感じる。 無論、薔薇だけではない。他の花たちによっても変わっている。色が溢れ、微かに香も漂ってくる。 我が家の前も、裏口の小屋根の上も薔薇が咲いている。裏口ではラベンダーも満開で株を揺すると香がふわりと浮いてくる。 野菜も順調。枇杷と梅の実も大きくなり始めた。 ただ気温が低い。それが気がかり。
ところで、 最近読んだ吉岡実、庄野潤三をはじめ、今まで様々な人の詩や小説の「作法」を読んだ。ずいぶん参考になったけれど、これからしばらくは創作に集中していくことにした。 少しずつだけれど創作の前進が続いていて、 時間をそちらにより多く回すことにしようと思うのだ。
「作法」ではないけれど、「小説論」として柴田元幸さんの「アメリカン・ナルシス」が最新の「意見」だろうと思う。
柴田さんの次の指摘は興味深い。
『現実を誠実に写し取るとか、子供の頃の出来事を誠実に書くことが正しい小説の書き方だという通念が、2000年ごろまではありました。しかし、ほとんどの人にとって生き生きとしているのは、妄想の中だと言うことが見えてきた』
柴田さんは多くのアメリカ文学を翻訳してきた。 それを踏まえてアメリカの新しい作家が「幻想の効用」に目を向けているという。意識の深層に降りていくような作品、という意味である。 それは日本でいえば川上弘美、小川洋子といった作家と共通するという。現実と異世界が境なく描かれるのだ。
新しい作家たちは特定の地域性から逸脱しつつある。 村上春樹が世界で読まれる理由もそこにあるという。
このことと保坂和志さんの「小説は視覚の運動、感覚の運動を文字によって作り出すこと」という意見。そして最近、集中して読んだ多和田葉子さんの作品。 それらがアタマの中で渦を巻いている。
書くことに時間を割きたい。
| 2006年05月16日(火) |
書くことの根本/梶井基次郎のこと |
庄野潤三さんの随筆集「自分の羽根」を読み続けている。 気になったところを少し。
庄野さんは作品を書き始める前、まず内田百�痢�井伏鱒二、チャールズ・ラムを愛読していた。やがてイギリスのエッセイ文学に傾倒し、自ら作品を書きながら伊東静雄という師に出会う。
そして漱石を読み進み、さらに梶井基次郎の魅力を再発見する。なにをいまさら、というそしりを自ら受け入れると述べながら、庄野さんは梶井の魅力を語るのだった。
梶井基次郎は結核により若くして亡くなっているけれど、作家として認められたのはその死の直前であった。それまでの文壇の黙殺を指摘する三好達治の文章をあげて、庄野さんは同じように残念がるのだった。
庄野さんは梶井基次郎の悲劇的な生涯を嘆きながら、次のようにそのエッセイを結んでいる。
… 目立たない場所で、落ち着いてものを見、長い時間をかけて考えること‐これはけっして容易なことではない。しかし、時代がどんなに変わったように見えても、文学の根本は常にここにしかない。
…「自分の羽根」(講談社文芸文庫)に収められた「梶井基次郎」より…
この文章は昭和33年に書かれたものだ。 本日の京都新聞に文学研究の最先端として保坂和志さんの「小説の自由」と柴田元幸さんの「アメリカンナルシス」が取り上げられていた。 その抄録を読みながら、同じことが語られている、根本は微動だにしていないと感じたのだった。
特に保坂さんは小説とは考えることだという。そして書くことも読むことも孤独ではない、と言いきる。 見かけの孤独さではなく読み書きする個人の内部のことを語っておられるのだろう。ぼくはそう理解している。
梶井基次郎はどのように感じていたのだろう。 彼の絶筆(死の三ヶ月前、初めて稿料を手にした「のんきな患者」を三好達治は絶筆としている)は痛いほどのユーモアに包まれている。
薔薇が次々と開花をはじめた。ツル薔薇のピエール・ド・ロンサール、ハイブリッドのプリンセン・モナコ、ホワイトマスターピース。そしてミニバラ各種。 薔薇が咲き、家のまわりの雰囲気が大きく変わった。
葵祭の日にちなんで「葵の花」という短い物語を書き換えた。いつか書き換えたいとずっと思っていた。
夕方、庄野潤三随筆集「自分の羽根」を本屋さんが届けてくれた。 このエッセイにぼくは気魄を感じる。ひたすらに平明であること。それがどんなに難しいか、ぼくなりに日々感じているからだろうか。 庄野さんはぼくなどよりもさらに、意識を深く刻んで居られる。それはいうまでもないことだが。
「文学を志す人へ」「自分の羽根」など文学の創作を続けておられる方にはお薦めしたいエッセイが収められている。
「コナ・ボールペン」のインクが切れてしまった。 替えのカートリッジがどこのものかわからない。 たぶんシェーファーのだと思うけれど。 ついこの間は「屋久杉万年筆」のカートリッジを買いに行って驚いた。 パイロットのカートリッジがスーパーの文房売り場にないのだ。 スーパーには万年筆の本体は売っているにもかかわらず、である。 けっこう大きめのしっかりしたステーショナリーの店に行かねばなかった。
ここのところ気温が低く、茄子の苗がまったく元気がない。 夏野菜の中では特に低温には弱いと聞いていた。農家でも簡易ビニールハウスで管理するほどだという。こちらは家庭菜園。しかもプランターである。 早速、スーパーのレジ袋の底を抜いて土に埋め、行灯のように苗を囲むことにした。
多和田葉子「無精卵」は容赦なく厳しい物語になっていった。散文の積み重ねについていくことがだんだん辛くなる。強靱な文章は一切の「何故」をはねつける。それだけに読んでいて頬が切れそうだ。
自分のノートに戻る。 書いているうちに、川の横の家についてのふたつの流れが現れ始めてきた。
多和田葉子の「無精卵」という小説を読んでいると 紙と万年筆をすぐに、目の前に置きたくなる。 主人公の女は、紙を文字で埋め尽くす作業を自ら<仕事>とよんで、毎日続けている。
『それは日記でも手紙でもない。詩や物語を書きたいと思ったことはない。 ただ文章を退屈せずに続けて書き連ねていきたいと思った。 書いているという状態をずっと続けること。 それだけが目的だった。』
この「無精卵」という小説自体がそういう成り立ちをしているのではないかと思わせる。
「書いていること」それ自体がどちらに向かうかわからない。 ただ続けることから生まれてくるものがある。それはぼくも経験している。 深く意識的であったかどうかは別として。
主人公は紙を文字で埋め尽くし(文字の執念のように)それを読み返さずにファイルする。 もちろん経済的になんの利益ももたらさない。 ただファイルが増えていくばかりである。
気がつけばぼくも同じことをしている。
万年筆を握り、押しつけるのではなく触れそうで触れないくらいのところを 紙に水平に移動していく…。
多和田葉子「ゴットハルト鉄道」(講談社文芸文庫)を読み進む。 表題作は短い作品だった。 固く冷暗なイメージが万華鏡のように散らばっていた。 肉体と山塊のそれぞれの内部が呼応しあい、暗く輝いていた。
「旅をする裸の眼」「ペルソナ」「犬婿入り」「ゴットハルト鉄道」「無精卵」…と読み進めてきて、「多和田感覚」にひたっている。 ある作家をまとめて読むと、その人のリズム、文体がしみこんでくる。 そして「眼」。この作家の場合「眼」が何より大きな要素だと思う。
夕方、詩を投稿する。 今回初めて、万年筆で原稿用紙に書いた。 コクヨの原稿用紙は表がつるつるで、万年筆のインクが滑ってしまう。もう少しだけインクが滲むような紙の原稿用紙のほうがいい。
一日の最後にジェリー・マリガンを聴く。 さっき友人が帰って行った。彼のために珈琲を淹れたのだけれど、残りがある。 これから珈琲?まあいいか。
ハナの寝息が聞こえています。
友人のお母さんが亡くなった。生前、私もいろいろとお世話になった。 和服の似合う美しい方だった。骨髄性白血病を患い、闘病されること六年、安らかに逝かれたという。享年八十三歳。
葬儀も終了し、一段落ついた友人が訪ねてきた。 親族だけの密葬だったので近親者や友人、町内の方たちに亡くなったことを手紙でお伝えしたい、ついてはその手紙を書いてくれまいかという。
数行の文章である。友人を横に座らせて早速パソコンに打ち込んでいった。 …風薫る五月、皆様方には……と。
あなたの文章は全部「〜た。」「〜た。」の繰り返しなのね、といわれる。そういわれてみれば私は短いピッチで文章を打ち込んでいた。 読書家である友人は、そんなのはいやだという。横から声による添削が始まった。
なるべく短い文章にしたいという意識が常にぼくの頭の中にある。これは「癖」なのかもしれないけれど、文章を書く仕事の最初に、徹底的にたたき込まれたことなのでなかなか直らない。 一文は30字までという「掟」があった。たぶん今でも広告や新聞ではそんな原則があるのではないだろうか。もうそういう縛りから自由になってもいいのだけれど、まだまだそうはいかない。 (今書いているこの日記を最初から読んでみてほしい。)
友人の要求は辛辣になり、ぼくを責め立て罵った。 こんな文章書いたことないんでしょ、小説や散文でもうねりのある文体が私は好きなの、えっ?何いってんの私が書けないからあなたに頼んでいるんでしょ、書いてよ。
やがて「お知らせ文」が完成した。 うねる文章か、と思って文面を眺める。わずか30字六行。ずいぶんすっきりしている。おなじことを私が書けば九行ぐらいになり、まだ推敲していただろう。
いい勉強になった。
昨日、たまたまめくってしまった吉行淳之介自選作品集�検� 今日も開いてしまった。 ヘンリー・ミラーの掌編小説を二つ読む。(「初恋」「マダム・クロード」) 訳は吉行氏。 みずみずしい文章だった。長編にあるような生々しさはない。 さらりとしていてちょっと苦い。
この作品集の解説は勝又浩氏が「第三の風景」というタイトルで書いているのだけれど、その最後に作品中の文章をひきながらこんな一文を書いている。
『いろいろの海の傍らのいろいろの土地で、平気で生きて、穏やかに遊ぶ人物』になりたい。
勝又氏はこの自選集�犬砲脇�っていない「暗室」や「錆びた海」などを題材として吉行論を展開しているのだが、 これこそ吉行氏が作品上で願ったことだと結ぶのだった。
この一行が頭から離れなくなった。 「平気で生きて」という部分が特に気になった。 故郷というものからは完全に切り離され、どこにいっても「よそ者」という感覚はぼくが小さい頃からずっと感じてきたことなのだ。 「いろいろの海の傍らのいろいろの土地」にいったら「そこなりのいろいろの苦労」や「そこへ溶けこむことを強制する力」からは避けられない事だったから。 しかし「平気で生きて」しかも「穏やかに遊ぶ」とは。
吉行さんは読者をそこへ誘っているようにも思える。 その静謐な境地をこそぼくも意識して考えてみようかと思う。 「平気」の裏には延々と続く意識の流れがあるように思えるのだが。
さて、それとは別にずっと購読している池澤夏樹さんのメルマガの最新号の話題が「世界を異境と思う」という事だった。 これはどういう事かと書き出すと、果てしなくなるので簡単に池澤さんが引用している部分を孫引きする。
『ディダスカリコン』の第3巻第19章をそっくり平凡社の『中世思 想原典集成』から引く??
最後に異国の地が提起される。 それもまた人間を修練するものである。 全世界は哲学する者たちにとって流謫の地である。 というのは、他方である人が言うように、 「いかなる甘美さで生まれ故郷がなべての人を引きつけるのか、そし て自らを忘れ去ることを許さないのかを私は知らない」。 修練を積み重ねた精神が少しずつ、これら可視的なものや過ぎ去る ものをまず取り換えることを学ぶこと、次いでそれらを捨て去ること ができるようになることは徳性の大いなる始源である。 祖国が甘美であると思う人はいまだ繊弱な人にすぎない。 けれども、すべての地が祖国であると思う人はすでに力強い人であ る。がしかし、全世界が流謫の地であると思う人は完全な人である。 第一の人は世界に愛を固定したのであり、第二の人は世界に愛を分 散させたのであり、第三の人は世界への愛を消し去ったのである。 私はといえば、幼少の頃より流謫の生を過ごしてきた。 そして、どれほどの悲痛をともなって、精神がときとしてみすぼら しい陋屋の狭苦しい投錨地を後にするものか、どれほどの自由をとも なって、精神が後ほど大理石の炉辺や装飾を施した天井を蔑むものか を私は知っている。(引用ここまで)
先のサイードおよびアウエルバッハの引用では「祖国が甘美である ……」以前がないし、「第一の人は……」から後がないから「全世界 が流謫の地であると思う」ことの意義がわかりにくかった。 要するにフーゴーは現世を捨てて大いなる真理に向かえと言ってい るのだ。 世界は修練のためには煩悩だと言っているのだ。 だから全世界が流謫の地と見えるようになる。 彼は別の書ではもっとはっきり「全世界は、天国が祖国であるべき であった者たちにとっては流謫の地である」と言っている。 (池澤夏樹「異国の客」からの引用ここまで)
つまり「自由」とはそういうことなのだ、とぼくは理解した。 (フランスのカソリック修道士にとって、と注釈はつけておくべきだが)
今日から多和田葉子さんの「ゴットハルト鉄道」を読み始めた。 彼女もまた、異境にいつづける人です。 日本でもありドイツでもある。あるいはそのどちらでもない、というような。
まったく関係ないけれど、サイトのトップページはノイバラに変わりました。開花した薔薇、二種類めです。
| 2006年05月08日(月) |
「制作プロセス」を考えれば |
何気なく読んだ吉行淳之介自選作品集に「作品と制作プロセス」と題したエッセイが収録されていた。
簡単にまとめてしまえば、それぞれの流儀で書けばいい、ということなのだ。 作品がすべてなのであって、プロセスは関係ない、と。
それに続いて「私の能率学」というエッセイ。 例えば50枚の小説を書いたとして、実はなかなか書けずに七転八倒していて、締め切りの5日前から前日までに33枚書き、ぎりぎりの最後に印刷所で21枚書いたとしても、「1日で21枚書いた」とはならないんだ、と。 つまり一行も書いていないあいだも、ずっとその作品のことばかり考え続けていたのだから「書いた時間」になるのだ、と。気にかかっていた時間を入れればもっとはるかに長い時間をかけて「書き上げた」ことになる。
実を言うと、その吉行さんのエッセイは、PCを開き、一太郎を起ち上げ、書きかけの作品を書こうとして書けず、ずるずると横にあった本を開けてしまい、読み出してしまったのだ。 「書けない」というより、ぼくの場合は集中力の問題だな。
ちなみに <バルザックの傑作長編は、煮詰めたような珈琲をがぶがぶ飲みながら、短い日数で書き上げられたものだと聞く。> と、紹介されてもいる。
ちなみに吉行さんは <長編小説を書く時には随筆その他短文は書かない>という。 持続してきた感興が中断されるからだそうだ。
ぼくの場合、執筆で生計を立てているわけではないし、時間的にも場所的にも制約がある。 1日数枚、こつこつ。それしかあんめえ。
大雨が降る中、大原の朝市にでかけた某氏から野菜の苗をいただく。 ナス二株、シシトウ二株、大葉二株、バジル三株、イタリアンパセリ一株。 プランターで栽培するには限界なので、家の北側の隣家との境にある通路になっている狭い土地の一部を耕し、柵をして土を入れ極小の菜園をつくることにしました。方法は永田農法を援用します。
北側は光がイマイチの場所なので葉ものにはいいと思います。 すでにトマトは先行していて、早くも脇芽が出るほど。ぶちぶちとちぎっています。
詩をアップしました。 「わたしたちはみな輝く」という詩です。
裏口のほうへ移動して2年目のツル薔薇、ピエーロ・ド・ロンサール。今年は裏口の小屋根をまたいでアーチにすべく、横へ横へと牽引しました。
向かいのSさんのところの寝たきりのご長男が、身体を固定されたベッドからの仰角でも見えるように伸ばしはじめたのですが、なんとか見えそうです。 ツル薔薇は横へ伸びた茎の途中から伸びた枝にいちばんたくさん花をつけます。だから今年は小屋根の上が蕾でいっぱい。
ご近所の植栽好きのおばさんたちが、毎朝、咲いたかどうかチェックにやってきます。蕾は開きかかかっていて、あと数日すれば花でいっぱいになるでしょう。
ところでぼくの本の読者でもある、もうひとりのSさんから頂いたモッコウ薔薇も順調に繁っていて、蕾がいくつかつきはじめました。原種に近い種ということもあるのか、強いです。蕾にまで繊毛がびっしりと生えています。
そういえば薔薇の棘と猫のツメのコレクションをしている、というエピソードを小説で読んだ気がしたのですが、それが最近読んだ本のうち川上弘美さんなのか、小川洋子さんなのか、江國香織さんなのか、田辺聖子さんなのか判然とせず、それぞれの本を開いてみても分からず、あれはいったいどこで読んだのか、いつまでたっても思い出せないままです。 そういえば今あげた誰もが書きそうな話題だな…。
花壇では他にラベンダーが花盛りを迎えようとしています。 株全体をざわざわと揺すると香があたり一面に漂って、株を押さえた両手にも香が載っています。
| 2006年05月05日(金) |
『「モーツァルトを聴きながら一日、小説を読んでいた」日』という日記 |
「モーツァルトを聴きながら一日、小説を読んでいた。」 と日記の一行目に書いたとする。 多和田葉子さんの小説を読んだあとだと、瞬間、嘘、と思えて、それからゆるゆるとその隙間のことを思い出してみようか、と思うのだった。 何かが欠落している気がして。
朝。 すばらしい晴天がひろがっていて、フルート協奏曲を聴きながら掃除をし、コナコーヒーを飲み、散歩に出た。 気温が急にあがったので、道端の雑草がよく伸び、いつものようにそれを食べたハナが、いつものように吐いた。 花壇の手入れをしようとして、「ねこぐるい」の女の人に捕まり猫の話を30分近くしてしまう。 猫たちのあいだをウロウロする。
昼。 風が強くなった。 オーボエ協奏曲を聴きながら小説を読みつづけ、そのまま寝てしまった。変な姿勢で寝ていたものだから目が醒めてから頸が痛い。まだモーツアルトは部屋に流れていて、そんなに長い時間寝たわけではないことを知る。
三時。 家のものとお茶にする。居間のモーツァルトは消される。 ドッグフードを買いに行き、本屋を覗く。 夕方、ハナの散歩。猫の相手。 花壇を点検。薔薇が次々と咲き始めている。
夜。 食事。テレビでナイター。お風呂。 みんなが部屋に退き、ひとりきりになって、ようやくモーツァルトを聴く。 ハナだけが横にいる。
京都新聞の平野啓一郎さんの連載コラム「現代考7」を読む。 こないだこの日記に書いた事と同様の問題意識が語られていた。 ブログの自分と仕事の自分という二分化した生活のあり方は、それでいいのか、と。
平野さんはブログを否定しているのではない。 『我々の社会は、ますますそうした功利主義的な観点からしか、人間を判断しなくなってきている。ある人の価値を、自分にとって有益であるかどうかで判断するのは卑しい態度である』と断じた上で
『しかし、その無益な部分とて我々自身であることには変わりがない。ブログは今、そうして社会から削ぎ落とされてしまいつつある人間の些細な感情や思考の受け皿になっている』という認識を示している。
そこから仕事の自分、友人といる自分、ブログの自分と使い分けている、という見方が出てくるのだが、ぼくが感じたのは 「自分自身の全体性の維持」ということ。 この社会の仕事の中では「何かを」欠落させた存在としてしか生きていけないのではないか。だからそれを補うものとしてほぼ本能的に「無益」な部分に人は向かうのではないか、ということである。無意識に、ともいえるかもしれない。 自分自身の全体性の恢復のための「無益」さ、というべきか。 平野さんは「ブログは、その無益さにこそ意味がある」という。
…「役に立つ人間であるということが、私には常に何かしらひどく醜悪なことと思われていた」… ボードレールのこの言葉を平野さんは考え続けているという。
「ツカエル人間」「ツカエナイ人間」という分け方をするらしいけれど、平野さんが言う「人間の大半は、世のためにも人のためにもならないものからなっている」という言葉は、そのとおりだと直感する。 だからこそ…というその先を考えている。
欠損する、欠落するとはどういう感覚なのか、まずはそこから意識的になるべきだろう。そういうことに意識的な小説は、ある。
こうして「モーツァルトを聴きながら一日、小説を読んでいた。」日が終わる。
多和田葉子さんの「ペルソナ」を読み出す。 この作品と「かかとを失くして」が多和田さんの出発点であり、「原器」ともいうべき作品なのではないかと思う。 連休明けには「ゴットハルト鉄道」を読み出す予定。
多和田さんを読み出したことは、創作にも当然影響を及ぼすだろう。多和田さんの日本語に対する意識の持ち方にも関心はあるけれど、ぼくがいちばんに惹かれるのは主人公がいろんな意味で「旅行者」である、ということだ。
その視点に何故か親しみを感じてしまう。ぼくがまた小さい頃から転居を繰り返す生活を送ってきたことも関係しているのだろうか。 ディスコミュニケーションをくぐり抜けてきたというべきか…。 特に表現の「身体性」には目を見張っている。 身体から世界を捉え直し、言葉が吐き出される感覚。ぼくがこれからいちばん意識したい部分でもある。
まるで呪文のように「身体から、身体から」と、意識し続けている。
| 2006年05月03日(水) |
Mother nature`s son |
午前中にトマトの植え付け。 GWだからといって、ぼくにはなんの関係もない。 のんびり過ごす。 犬も猫も元気。薔薇もその他の植物も元気。
とてもいい天気で、すがすがしい一日だった。 創作が前進。
今日よく聴いていたのはMother nature`s son。 ビートルズです。 これからニーナ・シモンを聴いて、おやすみ。 少しずつ創作の輪郭が見えてきました。今回のは長くなるかもしれません。
昨日とはうってかわって、北風が吹き荒れる涼しい一日。 夕方あたりからは寒くなってきました。明日の朝は7℃とのこと。 それでも最高気温は21℃とのこと。気温差が大きい。
プランターをだして永田農法の実践、と意気込んだのですが、有り難いような困ったような「贈り物」が。 ぼくが植栽をしていることを知っている方が、わざわざ「野菜を育てる土」を送ってくださったのです。それもなんと120リットルも。
永田農法はまったく栄養分のない土、例えば赤玉土とか日向土を使用し、液肥だけで育てるのが基本。 「肥えた土」だと様相が変わってくるのです。
いろいろ考えた結果、折角、送ってくださった土を無駄にせずに、この土なりの永田農法に取り組むことにしました。 考えてみれば市民農園や休耕地を借りて栽培している方やプロの農家の方で永田農法をなさる方も全くの肥料のない土での耕作はあり得ないわけです。つまり肥料が残っていたりするので。
そこでもうひとつの基本、原産地に近い感覚で育てるというほうに準じてみようと思います。トマトですから、雨に当てないこと。水をぎりぎりまでやらないこと。土地が肥えていますから一ヶ月間は液肥もやりません。
水はけをよくし、マルチシートをかぶせます。 そんなふうに自分なりに工夫してみます。
ずっと育てている薔薇。今年はとても花の数が多そう。 咲き出したらまた紹介できそうです。
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